乗客 サラリーマン

第2話 《異世界招待券》が当たった

 春咲きの日中。降り始めた雨は、ずっとバスタブから漏れ出ているかのようにざんざかりで、ワイパーも動きっぱなしだ。誰でもいいから蛇口を捻って止めてくれよ。


「ああ。駅まで頼むよ、尾田さん」

「はい。かしこまりました」

 ウィンカーを点けて俺も走り出すと、サラリーマンが自身の話しを始めた。

 まぁ、こういう乗客はよくいるし、俺も流し聞き程度に、頷く程度で話しを合わせるように、どんな事情があれ聞くように、俺は誰にでもそうしている。運転手ってそんなもんよね。


「ねえ! 尾田さんも何か、話してよ! こうっ、なんかワクワクするような話しとかいっぱいあるんでしょう~~? タクシーの運転手をしてたら、色んな経験談もあるんじゃないの?? 幽霊の話しとかっ。ねぇええ、何か、駅に着くまで聞かせてよ! 頼むからさぁああ!」


 話しに詰まった乗客はよくこうして俺に、根掘り葉掘りと聞き出そうとするんだ。別にしてもいいなら、いくらだってあるけどさ。正直言うと、どうせ中途半端になるんだ、話したところで。

 なのに、いつも乗客は『それでもいいよ』って言うから、本当にクソ面倒だ。


「お客様。駅は、すぐそこですよ? 時間も足りないです」


 ざっ!


 ざっ!


「いいよ。いいよ! そんなに長い話しなのかい?! いいねぇ~~おじさん、ワクワクしてきたよっ」


 目を輝き始めた乗客サラリーマンに、俺もため息を吐いた。


(こぉうなっちまったら。話す流れじゃねぇか、ご機嫌を損ねる訳にもいかねぇもんなぁ)

「そうですねぇ」

 頭を掻きなながら、俺も彼に、まず一言を告げる。

「私ね。実は、このタクシー以外で掛け持ちをしてるんですよ。そこは北海道ここじゃないんですよ、まぁ、お話し半分に聞いて下さいよ」

 

 ここじゃないどこかの。

 遥か向こうの異世界の話しを聞いてくれ。


「うんうんうん!」


「では――……」


 ◆◇


 俺が18歳の就職から、半年経った頃の話しだ。別にタクシーの給料に文句なんかないし、車を運転できることだけでも幸せだったんだ。それでも、何か掛け持ちでもしょうと、何かないかと居間のソファーの上で、携帯からネットで検索したときだ。


「何? 《異世界くじ》?」


 無造作に置かれた新聞の中からはみ出したチラシに目が、その文面に目がいってしまった。それは、近所でやっていた《異世界くじ》ってものだった。俺も、当時は異世界やら、転生やら、ハーレムだのに憧れていた厨二病の俺には堪らない宣伝パワーワードだった訳だ。今だって、そういう文言では惹かれるしさ。


「母さ~~ん! あのさー抽選券とかないかなっ」


 一回に必要な券は3枚で、母さんは9枚持っていた。

 それを俺は握り締めて、車に乗り込んでサティに向かった。

 異世界くじのある抽選会は3日間限りで、すでに3日の最終日だったからなのか、そこまでの混雑もなかった。と、同時にだ奇蹟的と言っていいのか、1等賞と特別賞が残っていて。あとは――《異世界招待券》ってのが残っていた。俺は一等賞や特別賞なんかよりも口から手で伸びる程に欲しかった。

 だが、どうにも1回目は6等のティッシュ、2回目もテイッシュ。ここで最後のチャレンジの3回目の正直も、ティッシュときたもんだ。

 正直、ここのくじに当たりは入ってなんかないんじゃないかって、警察に連絡をしたくもなったが。祭りのくじも然り、やるまでが楽しいんだ。結果がどうであれ、やってハズレしか当たらなくても、愚痴で場の話しも弾むからだ。でも、当たりや目当ての景品に当てたいってのは、もちろん――本心さ。


(でも。《異世界招待券》欲しかったなぁ)


 俺には友達って呼べるのがいないから、愚痴をいうのは姉と弟と両親しかいなかった。

 場が弾むこともなく、流されてお終いになってしまう。

 内心、欲しかったーっっっっ‼ と吠えた俺の後ろで、大きく鐘が鳴り響いた。

 俺が振り向くと、

「あ」

 そこには姉の紅葉モミジが、口をへの字にさせて突っ立っていた。

「もみねぇっっっっ!?」


「お姉さん! オメデトウ‼ 《異世界招待券》が大当たりっだぁあ‼」


 俺は思わず、鳥肌が立ったんだ。

 身内が、まさかの大当たりを引くとか、いや、大当たりというか、眉唾ものの賞に当たるとか、誰が思うんだ。


 ◇◆


「あー~~そのくじはおじさんも行ったことあるかなぁ? 3等のビール半年分が当たった程度だったけど。《異世界招待券》かぁ。それが当たったのかい? お姉さんは」


「姉は、昔からくじ運だけは本当にいい人なんですよ」


 俺も当時を思い出して苦笑だ。あの当時は、俺も若かったから。姉に懇願して、さらには土下座して貰ったんだから。

 今も、ドン引きした姉の顔を覚えているくらいの思い出だ。


 だってどうしても欲しかったんだから仕方がない。

 黒歴史になってしまったが、今の今まで、後悔なんか一度だってしたことなんかない。

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