第27話 これは声をかけるチャンスか!?


 お昼休み、社食から出てきた営業のまゆずみは、ロビーで桐島葉名きりしま はなを見かけた。


 そんなにイケメンというわけではないが、すっきりと清潔感があって、笑顔がいい、という本人的には嬉しいかどうかわからない評価を女子社員たちからいただいている黛だが。


 実は、ちょっと新入社員の桐島葉名が気になっていた。


 この会社には美人もプロポーションがいい子もたくさん居るが、彼女はその中でも、ちょっと違うな、という気がしていたからだ。


 じゅんや葉名の兄、二階堂練人にかいどう れんとが聞いたら、

「いや、お前、それ美人に言い寄られすぎて、なにか違うものが気になってるだけだろ」

と突っ込んでくるところだったろうが。


 もちろん、彼らとそんな話をする機会はなかったので、ちょっといいなと思い続けていた。


 彼女、美沙たちとも居るようだし、あの辺で、合コンセッティングしてくれないかなーと思いながら、黛はロビーの自動販売機で缶コーヒーを買うフリをして葉名を眺める。


 葉名はさっきからずっと、ロビーの隅にある大きな古い振り子時計を身を乗り出すようにして見ている。


 もしや、これは声をかけるチャンスとか?


 黛は慌てて缶コーヒーを飲み干すと、葉名の近くまで行き、さりげない風を装って、声をかけた。


「桐島さん、なにしてるの?」


「ああ、えっと……黛さん、こんにちは」


 うろ覚えか……と思いながらも笑顔を崩さず、黛は言った。


「さっきから、ずっとその古い時計を眺めてるね」


「この時計、すごく古いみたいなんですよ。

 横見たら、明治二十年とか書いてあるので、気になって」

と葉名は言う。


 よく見ると、時計自体はフランス製、外の豪奢な彫りの木製の箱は日本製のようだった。


 それぞれ作った会社の社名が入っている。


「で、この揺れている振り子部分なんですけど」

と葉名は時計の正面にあるガラス扉の向こうを指差した。


「すごく薄くなっててよく見えないんですけど。

 なんか建物の絵がみたいなのが彫られてません?」


 そういえば、金色の振り子にうっすらと、古い時代の小さなビルのようなものが彫られている。


 顎に手をやり、振り子を見ていた葉名が、ふいに呟くように訊いてきた。


「黛さん、白い手袋とかお持ちですか?」


「いや……持ってないけど」


 警察じゃないんで、と思っていると、葉名は振り向き、

「黛さんは口堅いですよね」

と確認するように言ってくる。


 名前すら、あやふやなのに、なんでそんなことがわかるのだろうかと思っていると、


「だって、黛さん、秘書に誘われてますよね」

と葉名は言ってきた。


 口の軽い人間は、秘書や人事などには配属されないから、葉名は自分を口が硬いと判断したのだろうが。


 何故それを……と黛は思う。


 この間、社長にちょっと言われただけだったからだ。


「そんな黛さんを信用して言いますけど」

と葉名は声を落として言い出した。


「私、実は宝のを探してるんです」


 ……此処、会社だよね?

と黛は思わず、周囲を見回した。


 一瞬、リアル脱出ゲームかなにかのイベントが始まったのかと思ってしまったのだ。


「急いで、あと十分で見つけなければ」

と葉名は思い詰めたような顔で言う。


 なにか爆発するとかっ? とその顔につられて思ってしまったのだが。


 葉名は、

「だって、あと十分でお昼休みが終わってしまいますからね」

と現実的なことを言ってきた。


「……そうだね」

と言いながら、どうやら、ふさげているわけではなさそうだ、と黛は思った。


「あの、黛さん、この会社の社歌って、ご存知ですか?」


「いや、知らないけど?」


「私、入社試験受けるときに、いろいろとこの会社のこと調べたんですよ。


 創業者や、今の社名に至るまでの流れや、グループ全体の現在の従業員の数や。


 ……ま、どれも出なかったんですけどね。


 試験始まる直前までブツブツ言って覚えたのに。

 徒労ってこういうことを言うんだなと思いましたよ」

と寂しく呟いたあとで、葉名は言う。


「此処の社歌って、社員のみなさんも、あまりご存知ないようなんですけど。

 面白いんですよ。


 『朝日さす、夕陽かがやく』で始まるんです。


 この言葉、埋蔵金を示す暗号文の冒頭に使われる言葉として、広く知られてますよね。


 実際にその言葉が入った歌や言い伝えが、埋蔵金のことを表しているかどうかはともかくとして。


 みんながそう思っているこの言葉を社歌の冒頭に持ってきてるのが面白いなと思いまして」


 なにか、今にも、二時間スペシャルでも始まりそうだ……と思う黛の前で、葉名はいきなり小声で歌い出す。


「朝日さす、夕陽かがやく金の社屋に金のいん……♪」


 それに被せるように、お昼休みも終わりなので、交代するらしい受付嬢たちが、

「お疲れさまでーす」

と声を掛け合っているのが聞こえてきた。


 後ろでは、そんな職場での日常の光景が繰り広げられているというのに、此処だけなにか別世界のようだった。


「なので、問題の印鑑は、この会社にあるような気がしてるんです」


 独り言のように呟く葉名に、……問題の印鑑ってナニ? と黛は思っていた。


「金印がこの会社の何処に埋まってるのか知りませんが。

 お父さんには頭下げたくないから、おにいちゃんに言って、ブルドーザーでも入れてもらおうかなとか思ってたんですが――」


 なんだかわかんないけど、壊さないで、会社っ。


 そして、君のおにいちゃんとお父さん、誰っ?

と思っていると、葉名は、


「でも、ひっそり電話しようとロビーの隅に来たら、これがあるじゃないですか。


 なんかいい感じに古い大時計が。


 どうも気になって、近くに寄って見たら、金の振り子に薄く描いてあったんですよ、古い社屋がっ。


 金の社屋に金のいんですよっ」

と訴えてくる。


「時計を開けてみたいんですが、確か素手で触ってはいけないとおじいちゃんが言っていたので」


 今度は、おじいちゃん。

 おじいちゃん、何者っ? と思っていると、葉名は、

「あと、五分しかありませんっ。

 二分前には職場に戻らないと、久田さんたちに、つるし上げを食らいますっ」

とまた、現実に話を引き戻してくる。


 やはり、夢物語を語っているわけではなさそうだ、と判断し、わかった、と黛は頷いた。


「手袋、警備員さんにでも借りてくるよっ」


 宝探しの本を必死に読んでいた子どもの頃の気持ちを思い出し、ちょっとワクワクしながら行こうとしたその瞬間、玄関に黒塗りの古いプレジデントが着いた。


 東雲准しののめ じゅんが降りてくる。


 げっ、社長っ、と思ったのだが、葉名は准がロビーに入ってくるなり、彼に向かい、叫び出した。


「社長っ、手袋はありませんかっ?」


 わあああっ、なに言ってんのっ、と黛は慌てたが、准は真面目な顔で、

「どうかしたのか?」

と葉名に訊き返している。


「社長、あの大時計、開けてもらってもいいですか?

 きっと、あの中になにかのヒントが隠されてるんですよ」


「なんのだ?」

と言いながらも、准は迷うことなく、大時計の扉を開ける。


 さすが、行動が早い、と思う黛の前で、葉名が叫ぶ。


「金印ですよっ。

 きっと、金印が隠された場所へのヒントがこの中に……っ。


 あ……、あった」

と言い、葉名は斜め下を見た。


 扉が閉まっている状態では見えない下の方に、古い木の細長い箱があった。


 准が手を伸ばし、それを取る。


 中から、鈍く光る金の印鑑が現れた。


「……めちゃくちゃ適当に、ポン、とありましたね」


 謎を解き足らない風に葉名は呟く。


 彼女の頭の中では、これから振り子の裏に貼り付けてある暗号でも見つけて、謎を解くはずだったのだろう。


 准は、その丸い金印を持ち上げ、印面を眺めている。


「左衛門商会……。

 これだ。


 丸印だし、実印かな?」


 そう准は呟く。


 会社の認印である社印は四角いことが多いからだろう。


「時計が狂わなかったから、今まで見つからなかったのか。

 いや、誰か見つけたとしても、こんなところに昔の実印が転がしてあるとは思わないよな。


 金だから、なにかオモチャっぽいし」

と准は言った。


 それにしても、実印なかったら困ったんじゃ、と苦笑いする黛の目の前で、准は、いきなり、葉名を抱き上げた。


 子どもを高い高いするように。


「でかした、葉名っ。

 さすがは俺の花嫁だ!」

と大きな仕事が決まったときでも見せないような笑顔で、准は葉名に微笑みかける。


 葉名は真っ赤になり、

「えっ、でも、社長、印鑑の力で、後継者にはなりたくないって言ってましたよね」


 だから、余計なことかと思ったんですが、と先程までとは打って変わった、たどたどしさで准に言っていた。


「いや、お前が俺のために頑張ってくれたことが嬉しいんだ。

 ありがとう、葉名」

と准は葉名を下ろすと、その頰に軽くキスしていた。


 もう~、と言いながらも、葉名は赤くなる。


 この子、やっぱり好きかな~、と思ったその瞬間に、瞬殺……。


 ガックリと項垂れる黛は、柱の陰から、じっと自分を見つめる女が居ることには気づいてはいなかった。





 お兄様もいいけど。


 家柄が違い過ぎると反対されるかも。


 秘書に来るかもと社長と室長の話から、小耳に挟んだんだけど。


 黛さんも悪くないわ~。


 敦子も狙ってるみたいだけど。


 私には誠二さんのところで買ったグリーンネックレスがついてるものっ。


 そう思いながら、涼子は柱の陰から、ハンターのような目で黛を眺めていた。




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