第2話

 乙茂内の言葉よれば、彼女が雑誌にモデルデビューしたのは彼女が十五歳になった十二月だったと言う。そしてそれが始まったのも、大体同じころだったと。

 帰りはちゃんと制服に着替えて、一中学生に戻って帰るのが親との約束だった。学校と仕事と家庭と、すべてを立たせてみせなさい。あまりバイトに協力的でなかった母は、それでもアイプチだけは許してくれたという。と言うか中学の頃からアイプチしてたんかい。ヘビーユーザーか。くるくるの髪をスプレーで固め、すたすたと少し早足に帰る彼女は、いつも帰り道を変えていた。と言うのも、自分を追い掛けて来る何者かの存在に、彼女は勘付いていたからだ。どんなに道を変えても、一定の距離で近付いてくる。夕方や夜近くなる撮影の時は、それが恐怖で堪らなかったのだと。


「ふぅん」


 爪にマニキュアを塗りながら一見興味なさげに、しかし耳をそばだてて聞いていたキツネさんはふー、っと指先に息を吹きかけた。百目鬼先輩の方も、うーん、と首を傾げるばかりである。


「今のところ出せる推論はないなあ。それ、直感で良いんだけど、どれだと思うの? 美女ちゃんは」

「どれ、ですか?」

「そ。学校関係者か、通り魔か、バイト関係者か」


 通り魔。被害者の前で簡単に出しちゃいけない言葉だとは、思う。


「学校は、無いと思います……私がモデル始めたの三か月前だし、その間に進学があって結構別れちゃいましたから。通り魔だったら、すぐに刺してるんじゃないかなって思います。美女――私、あまり機転の利く方じゃないので」

「うん、筋が通る説明だね、えらいえらい。じゃあバイト関係者になっちゃうけど、そっちは?」

「その」


 またもじもじとする乙茂内は、それでもそれを振り切って、スマホのライン画面を示して見せた。


『美女ちゃん決心付いた?』

『おじさんいつまでも待ってるからね』

『あれ、既読スルー?』

『悲しいなあ』

『美女ちゃんならトップモデルになれるよ』

『だから今の内にうちの事務所においでよ』

『決心付いたら電話してね』

『まだ付かない?』

『既読スルー?』

『おじさん泣いちゃうなあ』


 大量のスタンプを駆使したそれは、乙茂内が出入りしている雑誌のモデル事務所の社長だという。気軽な気分でラインに招待したら、こんなメッセージが日に四・五回来るようになったと。


「でも、だとしたらスタジオで直接あなたに声を掛けた方が確率は高いわよね? 乙女ちゃん。だってモデル全員引き上げられでもしたら、雑誌には大ダメージだもの。有無を言わせない環境を使わないのは、なるべくあなたとの関係を秘匿しておきたい、と言う事じゃなくて?」

「あー、つまり、身体目当てって奴ですね」

「そうね、それが正しいと思う。どなたか正装で警察署に同行してくれるような人、家族にはいらして?」

「父……ぐらいしか思い付きません。あと、近所に住んでる幼馴染のお兄ちゃんとか」

「ふむ。そんな人もいるの?」

「はい、五つ上で、浪人生してます。医大を目指すんだって……色んな人を助けるんだって。将来は国境なき医師団に潜り込んでやるって言ってます」

「それは、志の高い人ね」

「非現実的、とも言うにゃー」


 俺はどちらかと言うと百目鬼先輩の意見に賛成だ。


「父は忙しいし、母は正装なんて持ってるか解らないし、多分お兄ちゃんに頼むことになると思います」

「そうね。――じゃあ、今の内に、そのお兄ちゃんにラインかメールしておいた方が良いかしら。明日の土曜なら最寄りの警察署も開いているしね」

「は、はいっ」


 そうして乙茂内がメールを打っている間に、昼休みは終わる。

 この時食べ逃した弁当の事を、乙茂内は今でも悔しがって語る。

 あの二人の事なんだから、食べながら話せばよかったと。


「あ、あのっ先輩たち、お名前教えてください!」


 教室を出て行こうとする二人に、乙茂内は声を掛ける。


「百目鬼耳目と」

「佐伯経子よ。乙茂内美女ちゃん」


 覚えてたんじゃないか、名前。

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