第9話

「さて、これで、俺からの解説は以上だ」

 平野先生はチョークを投げて、手を払った。

 それを見て、貫行は、息を吐く。

 たった31文字で構成される歌だというのに、ずいぶんと壮大な話を描いたものである。夜空に流れる天の川の美しさと、宮中の御階の厳かさ。二つの景色を重ね合わせて練られた歌が、1300年も前に詠み上げられたことには、驚愕の一言であった。

「どうだ? 何か質問はあるか?」

 平野先生の問に、貫行は応じる。

「質問は、あらかた説明の途中にしちゃいましたからね」

「そうか。じゃ、何か感想はあるか?」

 再度求められて、泉美が応じた。

「あの、驚きました。この歌が、こんなにきれいだったなんて」

 月並であるが、端的にいえば、彼女の感想に集約される。

「意味を知らなければ、ただの文字列だったもの。いやぁ、まさか天の川の歌だったとは、時代は違えども、感性は変わらないものだね」

 千秋が、うんうんと頷く。

 どちらも好印象なようだ。それは、貫行も同じであり、一応感想を述べておいた。

「そうだね。正直、はじめはくそつまらない部活だろうなと思っていたけれども、ぜんぜんおもしろかった」

「ははは、思っていたけど口にしなかったことをはっきり言うね、貫行くんは」

 呆れたような笑いで、千秋は同調してくれた。

 さて、第一回目の本格的な会合は、なかなかの成功を収めたのではないかと思われたが、そうは問屋が卸さなかった。

「くだらない」

 もはや口癖なんじゃないかと思われる白妙は、頬杖をついて、そう告げた。

「百人一首は、競技かるたで使われるただのツール。その意味なんて勉強したところで、競技かるたで勝てるようになるわけじゃない」

「それは、始めに言っただろ。この研究会では、和歌の意味を詠み込んでいく。決して競技かるたの鍛錬することだけを目的としていない」

「だから、それがそもそも間違っているのよ。百人一首を競技かるた以外で使うなんて、無意味にも程がある」

 白妙は、もはや聞く耳をもたない様子だった。

 まぁ、わかっていたけれど、白妙には響かなかったようだ。

 すべての者を満足させることなど出来やしない。だからといって、これほど反発する者を看過できるわけもなく、平野先生は頭をかいた。

「おまえは、ずっとその調子だな。頭から物事を否定するのは、あまり生産的じゃないぞ」

「否定されるようなことをしているからよ」

 ふんと白妙は鼻を鳴らし、席を立った。

「帰るわ。ここで得られるものは何もない」


「ほう。ならば、勝負をしてみるか?」


 平野先生は、腕を組んで述べた。

 そして、その後に訪れた静寂。

 おそらく、生徒の皆が思ったことだろう。


 ……何でそうなるんだ?


「得るものがないというのならば、かるたで俺と勝負しよう。俺に勝てれば、たしかに、得るものはないだろうから、この研究会をやめるといい。北条先生には俺が話を通すよ」

 最もらしい理由を述べているが、いつの間にか、話がすり替えられている。白妙は、おそらくこの研究会での活動から得られるものがないと言ったのだろう。それが、かるた競技で強くなる術を得られないとニュアンスが変わっている。

 まぁ、たしかに白妙は、その手の話をしていたけれど、まさか、平野先生の口車に乗せられたりはしないだろうが。

「まぁ、むりにとは言わないが。口ばっかり威勢のいい奴と思われないか俺は心配だな」

「上等じゃないのよ! あんたを負かしてきっぱり辞めてやるわ!」

 前言撤回、簡単に乗せられていた。

 かるた娘というのは、体育会系の、いわゆる脳筋バカと思って差し支えないらしい。

 文系の知的な会話から一転して、体育会系の熱血展開に突入してしまった百人一首研究会であるが、貫行達がついていけるわけもなく、まったくの蚊帳の外。

 そんなことを関係なしに、二人は睨み合っている。

 そこで、平野先生は首を傾げた。

「しかし、俺が対決するというのも、いささか筋違いな気がするな。俺は教える立場だし、勝って当たり前だ。もう少しハンデがほしいな」

「なめんじゃないわよ!」

 白妙が吠えるけれど、平野先生は動じない。

「できれば、生徒同士で勝負してほしいが、誰か、かるたできるか?」

「「「できませーん」」」」

 むちゃぶりはやめてほしい。

 貫行達が、臆面もなく否定したところで、話は振り出しに戻る。

 だが、ちょうど、そのときだった。

「平野先生、いらっしゃいますか?」

 まるで、このタイミングを見計らったかのように現れた来訪者。パンツスーツの女性は、おずおずと扉を開けて顔をのぞかせた。

 その顔に見覚えがある。当たり前だ。彼女は、藤原学園の国語教師、辻先生なのだから。

「お、辻先生」

「あ、平野先生。もう探しましたよ」

 辻先生は、平野先生をみつけて、部屋の中に入ってきた。何の用かはわからないが、手元の資料が何か関係しているのだろうか。

 しかし、平野先生は、そんなものに目を向けていない。

「ちょうどいいところに来ましたね」

「え?」

 きょとんとする辻先生の心中をお察しする。

 貫行は、ここまでの話の流れを聞いていたので、おかしいとは思わない。むしろ、次に平野先生が言い出しそうなこともわかる。

 けれども、それは、あまりに奇抜な提案であることに違いはなかった。

「白妙には、辻先生と勝負してもらおう」

「「「「……へ?」」」」

 女子勢の驚きの声が部屋の中をくるくると飛んでいって、それから、また一悶着あったのだけれども、結果だけいえば、こうやって退部を賭けた白妙と辻先生のかるた勝負が決まった。

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