四駅目

 希望が期待のまま、確信を得ることも証明することも出来ずに、全ては自分の想像の範疇から脱出できない。そんないつもと変わらない退廃的な生活を精神面で送り続けている反面、私の醜悪なそれを肥料に成長する食虫植物のよう益々醜く成長を続けるペルソナを私以外の周囲の人間たちはとても素晴らしいと褒め称える。ある後輩は慕い、羨望の眼差しを向け、ある教師は我が校始まって以来の逸材だとかなんとかとお世辞混じりに褒め称える。近所からは、父を亡くしたのにも関わらず、勉学に励む悲劇の主人公のように映っているのだろうか。そんな期待や羨望を受けたそれは、益々生き生きと膨れ上がるのだ。そして、次第には内側の精神を悪だと決めつけ、抗体によって破壊されるウイルスのような扱いを受け、跡形もなく崩れ去ってしまうのだ。

 私はそんなギリギリの生活を救いだしてくれるかもしれない可能性をもった青年に出会った。だが、私はその希望も可能性をも無駄にしてしまう性格をよりいっそう呪うことになった。

 希望を現実どころか、言葉にすることも出来ずに、彼と通学路で話したあの日から既に一ヶ月が過ぎ去った。

 木についていた葉は完全に地面へと囚われた。


 チャイムの音で現実へと引き戻される。

 退屈な授業を受けていた私は外の風景に見とれていた。全体的に白くぼやけた町並みが、校舎の三階からはよく見えた。その町並を構成する家一軒一軒に人が住んでおり、生活を送っている。上からそれを見下ろすことで、私はある一種の優越感を覚えた。物理的な高さと地位の高さは決して比例しないが、空想の中、精神世界の中ぐらい自分を高く持ち上げてもバチは当たらない。例えそれが罪であっても誰も裁くことが出来ない。それが精神世界。その事実が尚更私の背徳感情を加速させる。

 自らの眼下に私と同じようにレールに囚われた人間たちがいる。そして、彼らは今私の下にいる。この事が同等の立場では弱い私を支える醜い自尊心の姿なのかもしれない。

 一ヶ月前であればこの行為によって自尊心は保たれたかもしれない。しかし、逆にこの一ヶ月はこれをしても、私の心が少しばかりの優越を得ることはできなかった。穴の空いた桶で水をすくい続けるような感覚に歯がゆさを覚えるだけだった。

 私は休み時間に入り、各々の時間を過ごしている生徒たちに目を向けた。読書をするもの、仮眠みとるもの、友人と会話をするもの、後ろのスペースでじゃれあうものと皆が様々な方法で休みを楽しんでいた。そして、さらにそのごった返す教室の中で、私は私が座る教室の隅の窓側の席とは対岸にある、廊下側の最後尾に目を向けた。そこに座る青年、大村真史は一人で孤立していた。

 彼は俗にいう虐めの被害者であり、世間が擁護する対象である。しかし、私はその姿から悲壮感や絶望感といったそういう類いの負の感情は一切感じなかった。むしろそこにあったのは誇り高き決断の末の結果であり、結末だった。故に彼は社会的弱者に見えるだけであり、そうではないのだ。そう思ってしまうのは私が彼の言葉を聞いたからだろうか。それとも、もし、理由を聞かなくてもそう感じていたのだろうか。

 私は彼が私の桶に穴を開けたように思った。


 全ての授業が終わりを告げ、教師も生徒も大半が午後に待ち受けている自由な時間もしくは束縛された時間を過ごすため教室をあとしていた。しかし、その人の波に逆らうように、まるで大河の流れを懸命に塞き止めようとする三寸足らずの小石のように彼は頑なに教室を出ようとしなかった。

 私はふと教室の外、廊下に当たる方を見た。彼が動かない理由が理解できる。そこにはあの日彼を虐めていた三人組が待ち構えているのが僅かなドアの隙間から見ることができた。

 普段の私なら面倒な出来事は極力避け、例えその行為が道徳的観念から見ても素晴らしいことであり、尊ばれることであったとしても、私はそれを行動に移すことはないだろう。そこに良心の微かな揺らぎが存在したとしても、それはあくまでも蝋燭の灯火が僅かなすきま風に踊らされた程度に過ぎず、酸素を送り込み猛々しく正義の炎を立ち上らせることはないのだ。しかし、今回は違ったのだ。確かにいつも通り私の良心に風が吹き込んできたのは確かだ。そして、今回の風はいつもとはかなり違ったのだ。なぜそんな風が吹いたのだろう。どうして私の炎を燃え上がらせるだけの風が吹いたのだろう。やはり彼はそうなのだろうか。それともこれも私の希望なのだろうか……。

 私は彼の机へと向かい、彼に声をかけた。

「大村くん」

 彼はなにかに怯えた小動物のように警戒しながらこちらに振り向く。すると私だということを確認したからか安堵の表情を浮かべ、しかし、少々吃り気味で私の呼び掛けに答えた。

「な、なんだ沢村くんか……ど、どうしたの?」

 私は非常に迷った。ここでいつもの私ならとらない行動に出ているため、このあとどうすればいいのか皆目検討もつかなかった。だが、ボンヤリと上の空で(数秒ほどだが)考えていると私口は自然に動いていた。

「一緒に帰らない?」

 自分でも驚いた。こんな台詞が出てくることに。そして何よりこれはきっと本心なのにも関わらず、私の捻れたフィルターに捕まることなく、口にすることが出来た。

 ふと、大村を見ると向こうも驚いている様子で目を見開いてこちらを見ていた。それから辺りを見渡し、少し私に笑いかけると問いかけてきた。

「本当にいいの?」

 私は彼を安心させるために、いや、どちらかというと私自身の行動を、この性から解放される一歩を踏み出したこの行動を確実なものにすべく、自らを安心、安堵させるべく彼に向かって言った。

「ああ、勿論だよ」


 その後私と彼は教室を後にした。

 教室を抜ける際三人組と目があったが、彼らは気にくわなそうにして私たちから去っていった。

 私と彼は今まで知りもしなかったが、電車の方向も同じであり、降りる駅も程近く、その日から一緒に帰るようになった。

 彼は私がどんな話をしても親身になって聞いてくれて、逆に私も彼が話すことは誠心誠意耳を傾けた。そして、私たちは程なくして親友と呼べるほどの仲になった。

 それにつれて彼に対する虐めも段々となくなり、今ではそれも過去のことになりつつある。

 一方私は彼と付き合いが深くなるにつれて、心が少し軽くなるのを感じるのだが、同時に罪悪感のようなものを感じていた。私は未だに彼とペルソナで付き合っているのだ。そう、私の本心を晒していたのだ。しかし、ここまで来てしまうと私は残酷な結末しか想像できなくなり、より一層表面の私が肥大化して成長するのを感じていた。彼をだまし続けている罪悪感。本当の自分をさらけ出せない焦燥感。本当の自分を出したときに来るであろう最悪のシナリオ。ここまでがきっとレールの上の出来事なのだ。


 私は大きな自分によく似た怪物に内蔵を抉り出されて食い散らかせる夢を見た。









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