第23話 帰れる

月のない夜だった。

昨日までの雨で空気は澄み、降るような星空が広がっている。一日中ほったらかされたせいか、夕食時から国明はずっと藤木の部屋に居座っていた。藤木が食後の菓子をねだったので、やっと腰を上げ部屋を出る始末だ。藤木は廊下に出て国明を待った。夜風が優しく頬を撫でていく。


今日は楽しかったな。


藤木はくすっと笑いをもらした。

馬の轡をとった忠興は大喜びだった。郎党達はなにかにつけて忠興をはやし、皆の笑い声が庭に響いていた。


それにしても国明のあの顔…


わざと国明から逃げ回ってやった。情けないような、困り果てたような国明の顔を思い出して藤木は肩を震わせた。ジャージのポケットで国明のくれた土鈴がころころと鳴る。


「可愛いとこあるんだよね、あれで」


明日は一日、国明にひっついてやろう、そうしたら明後日、明々後日くらいには遠乗りさせてくれるかもしれない。


「うん、そうしよう」


藤木は土鈴をポケットの上からぽんぽん押さえた。ころころと土鈴は小さく音をたてる。素朴な、可愛らしい音だ。


国明の心の音…


ふと、そんな風に思えた。あの武骨な美丈夫の中には、母を恋しがる小さな少年が住んでいた。早くから惣領息子として、病に伏せった当主のかわりに、榎本を背負わなければならなかった少年は、甘えたい盛りの子供心をどこか体の奥にしまい込んで、急いで大人になったのだろう。藤木はまた、ポケットの上から土鈴を転がし音をたてた。母の形見をくれた国明、小さな薄青い陶片、優しい思い出のこめられたかけら。ころころと土鈴が鳴る。その時、反対側のポケットからまったく違う音が響いた。


え…?


びくん、と藤木の体が震える。聞き慣れた電子音のメロディー、しかし、ここでは聞こえるはずのない…


これって…


一瞬、藤木は何が起こったのかわからなかった。恐る恐る、音のするポケットの中を探る。スマホが手にふれた。


LINEの着信音だっ。


はっと思い当たり、慌ててスマホを取り出した。画面に、LINE一件着信の赤丸が表示されている。


「…うそっ…」


電撃に打たれたような衝撃が走った。震える手で藤木はLINEを開けてみる。


「春休み、わくわくキャンペーンのご案内」


LINE会員になっているスポーツショップからだ。着信時間は3月29日午前9時30分。


時計が進んでいる?


ひゅっと藤木は息を詰めた。時計は午前9時23分きっかりで止まっていた。ということは、このメッセージは明らかに藤木が鎌倉時代に飛ばされた後に送られたものだ。


今、ここが現代に繋がっている?


緊張でガチガチに強ばったまま藤木はスマホを見つめた。次々とLINE着信がある。電話の不在着信の数字が増えていく。メールの着信音がそれに交じる。藤木が時空を移動しているわけではない。いつもの浮遊感や白い光に包まれる感覚はなかった。しかし今、一斉に藤木の世界からたまっていたメッセージが送られてきている。ごくり、と喉が鳴った。小刻みに震えたまま、藤木はアドレス帳を開いた。自宅の電話番号をタップする。鎌倉時代にきてからまったくかけることのできなかった電話、もし、現代にこの空間が繋がっているとしたらかかるかもしれない。かかるはずだ。祈るような気持ちで藤木はスマホを耳にあてる。


トルルルル…


鳴ったっ。


電話の呼び出し音だ。藤木はスマホを耳に強く押しつけたまま待った。


トルルルル、トルルルル…


五回、鳴ったところで、ガチャリ、と応答があった。


「はい、藤木です。ただいま留守にしております。ご用の方は…」


父親の声だ。自宅の留守電だ。電話が繋がった。


「ピーっという発信音のあとにメッセージを…」


帰れる。


直感でわかった。


今なら帰れる。


藤木のいる場所と現代が今繋がっている。


藤木はスマホを耳から離し辺りを見回した。別に変わったところはない。目の前には館の東面の庭がある。月のない夜だが、地面に撒かれた白砂がくっきり浮かび上がっている。目を上げれば満天の星空。


どこだ…


夜風が頬をなでた。犬の吠え声や馬のしわぶき、立ち働く郎党や下人達の声が聞こえる。


どこにあるんだ…


スマホを握りしめている手がじっとりと汗で湿った。藤木は必死で目を凝らす。


どこかにあるはずなのだ。鎌倉時代と現代をつないでいる目印のようなものが、現代に帰るための何かが。

目の前には見慣れた館の風景、背の高い松の木が濃紺の夜空に黒々とそびえている。見慣れたいつもの夜の風景、何も変わりはない。

藤木は焦りはじめた。早く見つけないと帰れなくなるかもしれない。時空のつながりが切れるかもしれない。早く、早く見つけなければ。

振り向いて部屋の中を見つめた。平仄の明かりでぼんやりと照らされた室内にも変化は見あたらない。板敷きの床にしかれた畳、円座、脇息、夜風で平仄の炎が揺れ、影も揺れた。


どこに…


チリ、と何かが神経に触れた。夜気の中に奇妙な違和感がうまれる。ハッと藤木は再び庭に顔を向けた。変わりはない。白砂の先には板で囲った塀、犬が吠えている。だが、違和感は次第に大きくなってきた。うゎん、と小さな振動を感じる。素足のまま、藤木は庭に降りた。


風が止んでる…?


さっきまで頬を撫でていた心地よい夜風が今は感じられない。藤木はじっと目を凝らした。厩からはブシュッ、ブシュッと馬達が鼻を鳴らす音がした。館の方からは相変わらず立ち働く人々の声が聞こえてくる。

そんな日常の営みの音に混じって、うゎん、という耳鳴りのような振動が強くなってきた。藤木は微動だにせず暗闇を見つめる。振動が皮膚にまで伝わってきた。藤木がその感触に身を竦めたとき、ぱたりと振動が止まった。

ズッ、と空気の密度が増す。はっと藤木は目を見開いた。庭先の板塀の一部がおかしい。空気に塀のその部分だけ滲んでいるように見える。みるみるうちに滲みは広がり陽炎のようにゆらめき始めた。辺りは闇夜、星明かりだけがたよりだ。藤木は息を飲んだままゆらめきを見つめた。緊張で喉がひりつく。


ぐにゃり


揺らめいていた空気が大きく歪んだ。歪みの中心に空気を吸い込むような渦が出来る。渦は次第に激しく大きくなる。ギン、と耳鳴りがするほど激しくなり、藤木は思わず足を踏ん張った。

突然渦が消えた。そしてそこには、ぽっかり、真っ黒な穴が出現した。穴の中は漆黒の闇だ。藤木の背中を汗が伝った。穴の中に目を凝らす。闇の奥に、何か小さな白いものが見えた。


光…?


闇の奥に見えるのは白い光だ。


あの光だ。あの光に向かって歩けば帰ることができる。


藤木の心臓が早鐘を打ち始めた。


とうとう帰れるんだ。元の世界に、皆のいる世界に。


どくどくとこめかみが脈打った。膝が震えている。藤木はよろけそうになりながら、穴に向かって一歩踏み出した。


どっと、どこからか笑い声があがる。藤木はぎくりと足を止めた。警護当番に当たった郎党達だろう、賑やかな笑い声がしばらく続く。しばらく藤木はその笑い声を聞いていた。賑やかに笑う郎党達、その声に混じって忠興の声が聞こえた。


『使いなど、儂はごめんじゃあ』


「た…だおき…」


藤木は思わず声に聞き入る。忠興は大声で何か文句を並べ立てているようだ。


『御渡り様と約束しておるんじゃあっ』


「……あ…」


鋭い痛みが藤木の胸を貫いた。


「忠興……」


『明日は弓の御的を遠くに据え申し上げると約束したんじゃ。使いになぞ行っておられるかぁっ』


そうだ、今日の昼、弓の稽古の後、忠興と約束したんだった。弓の腕が上達してきたから、明日はもっと強い弓を使ってみようと。


くしゃりと相好を崩した忠興の笑顔が浮かんだ。


『明日はもそっと遠くに的を設えまするゆえ、強い弓をつこうてみましょうなぁ』


忠興の無邪気な言いようが蘇る。


突然自分がいなくなったら…


あの純朴な男は一生懸命探すだろう、そして、藤木がもうどこにもいないと知ったら。


大泣きする、忠興は…


黒々とした大きな目からぽろぽろ涙をこぼす姿を藤木は思いだした。国明と気まずくなった満月の夜、勘違いした忠興は海に帰らないでくれと男泣きに泣いたのだ。


あんなに強いのに、すごく強い武者なのに…


忠興が泣くだろうと思っただけで、藤木はその場から動けなくなった。胸が締め付けられる。


『おぉ、御渡り様』


藤木の姿を見つけると嬉しそうにそう笑う忠興、二度とその笑顔を見ることはなくなる。これから藤木は未来へ帰るのだ。


もう二度と…


全身が震えた。もう二度と会えないのだ。藤木が元の世界に帰ってしまったら、永遠に会えない。今更ながら、藤木はその事実に衝撃を受けた。

大好きな忠興、だが、帰ってしまったらもう二度とその声は聞けない、笑顔も見られない。安否を問うことも、何もできない。


「…手紙…書いたりとかも…出来ないんだ…」


自分に言い聞かせるように藤木は声を絞り出した。


「…ありがとうも…言えない…」


今更だ。時空を越えるのだ。全ての繋がりは永遠に断たれる。


「…さよなら…言わなきゃ…」


さよならするんだ。元の世界に、家族の所へ帰るのだから。


「さよならって…」


胸の奥から熱い固まりがせり上がってくる。藤木は口元を両手で押さえた。


「忠興にさよならって…」


もとより、引き返す時間はない。


「さよなら…言えない…」


藤木の耳に忠興の声が聞こえてくる。館の奥でまだ怒鳴っている。


『じゃから、明日の約束をいたしたのじゃ』


明日はない。永遠に明日は来ない。藤木が約束を果たすことはない。


「ただおき…」


ごめん、忠興…


「…あぁ…」


藤木は顔を覆った。思えば忠興は、まるで我が子のように藤木を慈しんでくれた。やれ走ると転ぶだの、菓子を召されよだの、藤木の世話をやく姿はひどく楽しげで、その目は優しい光を宿していた。子煩悩な父親のように藤木を守っていてくれた。


「ごめん…」


振り払うように藤木はかぶりを振った。


僕、帰るよ、忠興…


両親の、姉や弟の、友人達のいる世界へ。がくがくと力の入らない足を叱咤して、藤木は時空の穴にむかって一歩進んだ。


ここは僕のいるべき世界ではないのだから。


『いい加減になされよ、叔父殿っ』


突然響きわたった声に、藤木はびくりと足を止めた。


秀次っ。


思わず館のほうへ振り返った。忠興の声にかぶさるように秀次の声が聞こえてくる。


『我が儘を言われますなっ』


どうやら忠興を諫めているらしい。


『火急のことゆえ、叔父殿に申しておるのではありませぬかっ』


かなり興奮した声だ。あまりに忠興が言うことを聞かないのでついに堪忍袋の緒が切れたか。


まっすぐだから、秀次は。


卵型の小作りな顔を真っ赤にして怒る姿が目に浮かび、藤木はつい、笑いそうになった。同時に、涙もこみ上げてくる。


心配性で苦労性で…


『榎本の名前がいるのでござりますっ。叔父殿に出ていただかねば困ると何度申せばおわかりになられるのかっ』


「秀次…またやっかい事…?」


藤木は呟いた。よくある騒ぎ、いつもならば、藤木も自室を出て二人を覗きに行っている。藤木が顔を出すと、野次馬の郎党達が大喜びした。ついでに当事者の忠興まで喜んで秀次の話を聞かなくなるので、余計に事が拗れるのだ。その度に藤木は秀次に尋ねる。


『秀次、またやっかい事?』


藤木は館の奥をじっと見つめた。言い合う二人や周りの様子が手に取るように伝わってくる。もう一度、藤木は小さく言った。


「秀次…また…やっかい事…?」


秀次には聞こえないのに。もう誰にも声は届かないのに。


『御渡り様との約束は明後日でも逃げはいたしますまいにっ』


あさって…


明日も明後日も存在しない。藤木はこの世界から消える。八百年後に帰るのだ。


「ひでつぐ…」


秀次の誠実な面差しが脳裏をよぎる。いつも藤木を気遣って、世話をやいてくれた秀次。食事に、着替えに、藤木が暮らしやすいよう、さりげなく気を配ってくれた。それは責務の範疇を超え、純粋な好意だった。側にいて安心できた。帰るときになってはじめて、藤木はどれほど自分が秀次を信頼していたか、感謝していたか、思い知った。だが、それを秀次に伝えることはない。伝えたくともその術がない。藤木が帰る八百年後の現代では、秀次も忠興もとうに死んだ人間だ。ここに暮らす郎党や下人達も過去の人々なのだ。


今、声が聞こえているのに…


秀次や忠興の名前を見つけることができるだろうか。郎党達や下人達にいたっては、生きていたことすらわからない。記録も痕跡もないだろう。藤木は今更ながら愕然とした。彼らはもともと出会うはずのない過去の人間だったのだ。


でも、声が聞こえてる…


彼らと笑い、彼らと暮らした。たった二十日あまりだが、確かに心を通わせた、それら全てが本来ならば存在しえないものだというのか、うたかのように消えてしまうのか。


「…違うよ…」


藤木は唇を噛みしめる。


「消えたりしないよ…」


藤木は自分に言い聞かすように呟いた。


「忠興…馬の稽古はホントに楽しかったんだ…」


のろのろと藤木はきびすをかえす。時空を繋ぐ穴を、そしてその先の光を見つめた。


「弓の稽古だって…」


ぐっと涙を堪えた。よろけそうになる足を踏ん張る。


「秀次とおしゃべりするの、楽しかった…」


秀次の色々な顔が浮かんだ。興奮して那須の与一の話をした秀次、国明とケンカをするたびに間に立ってくれた秀次、アメを舐めてぽぅっとなった秀次、いつも側にいてくれた秀次…


「君ってば、いつも真面目くさって変なこと言うんだから…」


声が聞こえてくる。秀次が諫め、忠興がごねている。相変わらずの館の日常。しゃくりあげそうになって、藤木は息を堪えた。


「大好きだったんだ…」


館での生活が脳裏を駆けめぐる。藤木が拗ねると、困り顔で忠興や秀次が宥めにきてくれた。藤木の好きなものが見つかると、嬉しそうにとんできて報告してくれた。食材が固くて四苦八苦していると、気を利かせてすぐに煮直してくれた。


『御渡り様』


優しい声、藤木のことが大好きなのだという声、藤木のために一生懸命な声。


『御渡り様』


藤木を見ると顔をほころばせ、嬉しそうにしてくれた人々。


『明日もまた、お話を聞かせて下されよ。御渡り様』


大殿さん…


国忠も嘆くだろう。藤木が毎朝、毎夕、話をしに部屋を尋ねてくるのが楽しみだと笑っていた。病の身で必死に藤木を守ろうとしてくれた強い人、大好きな大殿さん。


泣くよね、大殿さん…


藤木は必死で泣くまいと涙を堪える。大好きな人達、さよならもありがとうも言えないまま、大好きな人達と永遠の別れをする。


いつもかばってくれてありがとう、心配してくれてありがとう…


彼らがいなかったら、藤木は生きていくことすらできなかった。


『御渡り様、明日もよいお天気でござりましょうよぉ』


みんな、ごめん。


笑顔をむけられて本当はとても安心したのだ。ひとりぼっちだと絶望しそうになるのを救ってくれたのはあの笑顔だ。


ありがとう、って言えなくてごめん。さよなら言えなくてごめん。



さよなら…



藤木は白い光の中に、家族の姿を思い浮かべようとした。


帰るから、父さん、母さん…


庭先から聞こえる郎党達の笑い声。


帰るんだ…姉さん、健太…


館の奥では、まだ忠興と秀次が揉めている。なつかしい、温かい藤木の大好きな声。


帰ろう…


藤木は一歩、穴へ歩み寄る。


佐見…


ふと、秀峰のジャージ姿に、直垂姿が重なりそうになって藤木はどきりとした。


だっだめだっ。


足が鈍る。


考えちゃだめだっ。


あの男のことを考えてはだめだ。必死で佐見の顔を思い浮かべようとする。だが、桜並木の中に立つ学生服はいつの間にか緑灰色の直垂に代わり、くせのある髪は肩よりも長く伸びて無造作に束ねられていた。そして藤木を見つめる黒い瞳、熱を孕み、藤木を求める強い眼差し。


『おれは佐見ではない』


佐見と同じ声がきっぱりと言い切る。


あぁ…


温かい手、藤木が不安になると、髪を優しく梳いてくれた大きな手。


『大丈夫だ、藤…』


藤木を抱き寄せる腕、温かい胸、直垂の感触。


あぁ…もう…


『藤…』


藤木の名前を紡ぐ低く穏やかな声、佐見と同じ、だが慈しみに溢れた響き。


もう…言わないで…


『おれは榎本国明だ』


崩れ落ちそうになる体を藤木は必死で支えた。全身に痛みが走る。もう認めるしかない。


僕は国明が好きだ…


佐見ではなく、榎本国明が好きだ、藤木ははっきり自覚した。だが、だからといって藤木に何が出来るだろう。所詮、藤木はこの世界の住人ではないのだ。榎本国明も鎌倉時代の人間、過去の人間なのだから。


帰るしかないんだ…


裂かれるような痛みに耐えて、藤木は時空の穴へ歩く。


帰るしか…


ころん、とポケットの中で土鈴が音をたてた。


『おぬしに似ている』

むすっとした顔で突き出すように土鈴を渡された。ぶっきらぼうに見える国明は、本当は結構な照れ屋で情熱家で…


『藤は笑っているほうがいいぞ』


ころころと鈴が鳴る。


『おぬしはここで笑っていればいい』



あぁ、国明…



藤木はよろけそうになりながら時空の穴に向かって歩いた。


国明、君が好き。誰よりも好き。


本当はずっと側にいたい。だが、鎌倉時代で藤木が生きていけるのか。答えは否だ。今は神様として保護されている。国明がいるかぎり、おそらく暮らしてはいけるだろう。だが、もし国明がいなくなったら、榎本の保護がなくなったら、そうしたら藤木はたった一人、異世界で生きていかなければならない。元の世界に帰ることもできず一人、鎌倉時代に取り残されるのだ。そんなのは怖い。


ごめん、国明…


ころころと音をたてる鈴を、藤木はポケットの上から押さえた。一緒にいれてある陶片が布に擦れた。


ごめん、お母さんの形見、僕が持っていく。


藤木が居るべき世界は違う。国明の暮らす世界ではない。どんなに国明が好きでも一緒にはいられない。藤木は時空を繋ぐ穴の縁にたどりついた。この中にはいれば、この先の白い光へたどり着けば、元の世界だ。藤木はじっと、白い光を見つめた。もう一度、館を見たいという気持ちは押さえつける。ポケットの受けから土鈴と陶片を握りしめた。


さよなら、国明…


藤木は穴の中に一歩踏み出す。


元の世界に戻っても、ずっとずっと君が好き…


もう一歩を踏みだし、藤木は完全に時空の穴に入った。真っ暗に見えた穴の中は、煌めく光に満ちていた。キラキラと光を放つ粒子が、奥の白い光に向かって緩やかに流れている。星々が流れていくようだ。天の川が実在するとしたらこんな感じなのかもしれない。藤木は目を細めて粒子の煌めきを眺めた。この流れに沿っていけば元の世界だ。もう迷いはなかった。


帰ろう。


藤木はしっかりとした足取りで歩き出す。


国明…


光を目指して、まっすぐに歩く。


ずっと君だけが好きだから…


「藤っ」


突然、背後で大声が響いた。


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