古代森の話(#魔女集会で会いましょう)

刀魚 秋

古代森の話

「取って食ってやりましょうか」

 脅せばどこぞに逃げると思った。

 伸び放題の黒髪の間から、ぎらぎらと女を睨む双眸がある。獣と紛う唸り声を上げるのは、どう見たところで、非力な人間の少年だ。

 ――ここは魔女の領域である。

 妙齢の女の姿を保ったまま、森の主はじきに三百歳を超える。森を支える古代樹が、まだほんの小さな若木だったころから、彼女はここで生きている。

 外界と接触を持った覚えはない。

 ほんの少し、他者より長く生きているだけだ。だから何も望んではいない。そもそも、人間が嫌いだから、こんなへんぴなところで静かに暮らしているのだ。

 それが――。

 最近は、どうも体よく扱われているようである。

 動物の骸が投げ入れられるようになった。毒草を好んでいると噂が流れた。聞くところによれば、恐るべき人食いの魔女がいるから、森には寄るなとまで言われているそうだ。

 それから。

 生贄と称して――要らないものを、捨てられるようになった。

 怯える少年を見る。

 彼はどうやら、人食いの魔女に捧げられてしまったらしい。背負わされた空虚な役割を果たすこともできず、ここでじきに朽ちていくだろう。その短い寿命では何も成せないままだ。

 そう思うと、どうにも哀れでならない。

 小さな人間は魔女を睨んでいる。平時なら嫌ってならない野蛮な瞳が、今だけは愛おしく思えた。

 ――可哀想に。

 彼女に魔法は使えない。自分のことを、少し長く生きているだけのただの人間だと思っている。家畜ならともかく、同族を食らう趣味もない。尾ひれのついた噂に踊らされて、彼女の半生にも満たない命を守るために捧げられてしまった少年は、何とも哀れで仕方がない。

「まあ、貴方がそれを望むっていうなら、ついてらっしゃいな」

 言葉が通じるのかも知らぬまま、そうとだけ言い残して、魔女は踵を返した。


 ――確かについて来いとは言ったが。

「母上! 今日の夕飯は猪だ!」

 伸びた黒髪を無造作にまとめた男が、意気揚々と扉を開ける。蹴破らんばかりの勢いに、魔女の眉間の皺は濃くなるばかりである。

 背負った獲物は、言葉に違わぬ大猪だ。実に逞しく育ったものだ――との感慨には、ただし予想を超えて――と前置きが乗る。

 彼女の後ろをついてきたかつての少年は、実に順当に成長した。

 拾ったとはいえ、食人の趣味はない。さりとて子育てなど柄でもなく、そもそもこの辺境での生活は、今日の食い扶持にも困る日があるような有様だ。

 ――自分の食べるものは、自分で取って来なさい。

 狩りの支度をして言い放てば、少年は思いのほか素直に従った。そうして二人分の獲物を分け合う日々を続けているうち――。

 ――このざまである。

 屈強な肉体は、この深い森のどんな獣にも負けはしまい。体中の傷跡には、歴戦の騎士といった趣すらある。

 間違ったところがあるとすれば、頭を鍛えるのを少々忘れていたことくらいか。それが致命的だったのだが。

「待ってろ母上! 今日は俺が美味く煮込んでやるからな!」

「そんなこと言って、貴方はいっつもアク取るの忘れるじゃない」

 自称息子の、耳をつんざく大声に、魔女は深々と溜息を吐いた。

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