第十六節 《月明の剣》 一

 キャリバンの郊外にある、優美なるクイーン・シアター。その観客席に、レグルスはいる。

 舞台正面の席には一般客のほか、生徒とその親族が座り、関係者は壁側の席に座る。母クラリッサは今年も関係者席を用意されたので、親族としてレグルスと共にチャリティーストーリアを観劇するのはエミリオだけだ。

 レグルスは観客席に座っている――学年末試験にはしっかり合格できたものの、オーディションには落ちた、ということだ。


 第十班の成績は、マルコ、イレーナが優、レグルス、ロイ、シュルマが良、フランツが可。最優秀生徒に選ばれたイレーナはチャリティーストーリアへの出演を勝ち取り、マルコもアンサンブルで騒魔ぞうまを演じることになった。一年生でアンサンブルに選ばれたのはマルコだけだった。

 成績に差はあったものの、第十班のメンバーはそれぞれに手応えを得た。ロイは原典イコーナの解釈や研究に強い興味を抱き、試験後にグリーゼのもとへ話を聞きに行った。シュルマは、やれるだけのことはやったとは言いつつも、無意識のうちに周囲の才能溢れる生徒に遠慮していたことに気づいたという。フランツは、ギリギリ合格を意味する可であったことを甘んじて受け入れた。初心に帰り練習に励みはしたが、腐っていた時間が長すぎたことはわかっている、と。だが、アステラの評価は優だったと知ったときの顔は、晴れ晴れとしていた。

 そして、レグルスは――


「ひとりひとりの光を集めてさらに強い輝きにする。それが、いい舞台を作るために必要なことなんだって、よくわかった」


 ストーリアの幕間に、ぽつりとエミリオにそう話した。


「星みたいに輝いてる人が、みんなで一緒に輝いて、ストーリアを作るんだ……」

「それがわかっただけでも、よかったじゃないか」


 結局、クラリッサの手紙の通りになってしまった。オーディションに落ちてがっかりした。考えてみれば、オーディションに受かることは、すなわち、ティターニア学園に在籍するテッラ・アステラの生徒の中で一番になるということと同義だ。三年目の集大成として臨む先輩たちと大きな差があるのが当たり前で、一年生どころか、二年生がオーディションに受かるのだって、本来は異例なのだ。


「本当にすごいね、ユアンくんは」


 隣に座るエミリオが眼鏡を拭きながら言う。

 ユアンはオーディションに合格し、サジェ役で舞台に立っている。大勢の前でアステラを披露するのは不安だとレグルスにこぼしていたが、何かが起きても必ず助けるからと彼を鼓舞した。


「レグルスも、来年か再来年、あの舞台に立つんだろう? ユアンくんと一緒に」

「……うん」


 強く頷く。この悔しさを糧に、また頑張る――それ以外に選ぶべき道はない。


「それにしても、今年の出演者はレグルスの知り合いが多いね。ユアンくんだけじゃなくて、デネボラくんに、イレーナさんか。デネボラくんは去年も出てたね」


 エミリオが手にしている今日のプログラムには、出演者の名前が記載されている。一年生が一人、二年生が二人もいる今年は、異例中の異例だ。そのためか、壁面の席には、劇団のスカウトマンたちが大勢座っていた。


「あと、このオズワルドさんって人も。ユアンがお世話になったんだ。アンサンブルには同じ班のマルコもいる」

「すごいじゃないか。周りに人が集まるのも才能だよ。うーん、我が息子ながら鼻が高い」

「無理やり褒めなくていいよ……ほら、そろそろイレーナさんも出てくるから。すっげぇ上手いから、見ててよ」


 舞台が明るく照らされて、次のシーンが始まる。


        ★ ☆ ★


 月の神殿にたどり着いたカノープスとブランヴァは、月姫神げっきしんヴィルジェーニアスに謁見し、いよいよ神の試練に挑む。ヴィルジェーニアスを演じるイレーナは、アステラを輝かせながら中央のひな段を降りてくる。


(……あれ?)


 ヴィルジェーニアス役の髪が、黒い。イレーナの髪は水色のはずだ。去年のチャリティーでは、喪に服すカノープスの演出としてデネボラが髪と鎧を黒く染めていたが、このシーンではそんな必要はない。


『待っていましたよ、風華の騎士。あなたが来ることはわかっていた』


 レグルスは手元の双眼鏡で、対峙するイレーナとデネボラを覗き込んだ。

 床につきそうなほど長い黒髪は明らかにイレーナのものではない。デネボラの顔には演技とは違う焦りが浮かんでいる。その表情からは、デネボラ自身の困惑が見て取れた。


「っ!?」


 突然、胸に痛みが走った。双眼鏡が手から滑り落ちた。


「レグルス、どうしたんだい?」


 エミリオがごく小さな声で言ったが、返事はできなかった。前傾して体を折りたたみ、爪が食い込むくらい胸を強く押さえ息を止めても、まるで痛みをこらえられない。全身が炎になったかと思うほどに熱い。痛くて、熱くて、意識が飛びそうだ。


「レグルス、アステラ・ブレードを出して!」


 急に、父の大声が聞こえた。なぜ、アステラ・ブレードを出せなどと言うのだろう。 観客がブレードを出したらシアターから追い出されてしまう。ユアンの晴れ舞台を見届けられなくなってしまう。


(誰だ?)


 エミリオの叫び声に混じって、ユアンの声が聞こえてきた。


(イレーナじゃない)


 これは、ユアンのアステラパシーだ。〝地母神の加護〟でユアンと刃を合わせたときのように、彼の考えがレグルスの心に流れ込んできている。

 だが、苦しくて舞台が見えない。ユアンはどうなっている? イレーナは?


「レグルス! しっかりしろ! ユアンくんを助けられるのはもうお前だけなんだ!」


――ユアンを、助ける?


『私は望みを述べよと言った』


 ヴィルジェーニアスのセリフが聞こえたが、明らかに、イレーナの声ではなかった。イレーナよりも慈悲深く、イレーナよりも恐ろしく、イレーナよりも冷たい声――


「レグルス!」


 誰かがレグルスの手を握った。握られている手が燃えるように熱い――いや、燃えている。


「ぬわぁっ!?」


 体が急に楽になって、視界が開けた。

 手を握っているのはエミリオで、エミリオはレグルスの手のひらからアステラ・ブレードを引き抜こうとしている。


「へっ、なに!? どういうこと!?」

「レ、レグルス! 僕には無理だから、早くブレードを出して!」


 エミリオは両手で柄を握っており、レグルスのブレードは五分の一くらい発現してしまっている。上演中のはずなのに、なぜか咎める者はいない。なにがなんだかわからないが、柄を握っているエミリオの手を剥がし、自分の左手を鞘に見立ててブレードを抜き放つ。


「ぬわっ!? な、なんだこれ!?」


 顕現したアステラ・ブレードの刀身から、激しい緋色の炎が噴き上がっている。レグルスがアステラを輝かせているわけではない。勝手にあふれ出しているのだ。


「ああ、よかった。もう熱くないはずだよ。これは本物の炎じゃなくて、アステラの光だから」


 エミリオは額の汗を袖で拭いつつ、ふーっと長い息を吐いた。


「まず、周りを見てごらん」


 言われるままに周囲を見回す。


「へっ……」


 そこは、優美な円形劇場ではなかった。


 灰色の岩肌と、高く遠い夜空。大地はせきりょうに支配され、目の前にそびえる荘厳な白亜の建造物だけが異様なほどに神々しい。


「なに、これ? ここ、どこ……?」

「多分、月神山げっしんさんじゃないかな?」

「へっ?」

「これは、月の神殿かなあ」


 エミリオが建造物を見上げ、レグルスもつられて見上げた。

 石の床面に立ち並ぶ円柱が巨大な屋根を支え、中央の部屋を柱廊が取り囲む形になっている。原典イコーナに登場する古代の建築様式そのものだ。


「すごいねえ。このセット、誰が作ったんだろう?」


 こんな時にまで、エミリオはよくわからない冗談を言う。この景色が現実の物であるはずがない。あり得るとすれば、凄まじいアステラが劇場の何もかもを覆い尽くし、ストーリアのための舞台装置に変えてしまったのだ。似たようなことは〝地母神の加護〟のときにも起こった。レグルスとユアンのアステラが共鳴して、武踊館全体を夜空の花園に変えたあのときだ。


「また、あの女かっ!」


 怒声が聞こえた。レグルスとエミリオは顔を見合わせたあと頷き合い、声のしたほうへと駆ける。

 白い円柱が立ち並ぶポーチの先、神殿内部へ続いているだろう扉の前に、帽子を目深にかぶった男がいた。男は自分のアステラ・ブレードを発現させると、いきなり神殿の扉を斬りつけた。ガキィン、と硬質な音が響いたが、扉には傷ひとつついていない。


「くそっ!」


 ブレードを消すと、男は扉に手をかけて押し開けようとした。だが、やはりびくともしないようだ。


「その扉を開けられるのは、地の民の里長だけということになっていますが……」


 エミリオが男の背に声をかけた。振り向いた男は、色つきレンズの眼鏡をかけている。劇場でのストーリア観賞にふさわしいフォーマルな服装と、顔を隠すような帽子と眼鏡が、どうにもちぐはぐだった。


「ほら、レグルス」


 エミリオに背中を押され、レグルスは扉の前に立った。

 扉には、美しい女性の浮き彫りが施されている。里長がここで膝をつき、月姫神ヴィルジェーニアスに捧げる祝詞のりとを唱えると扉が開くと、原典イコーナにはある。

 しかし、レグルスが台本にあった祝詞を唱えずとも、扉に彫られた女性が動き出し、手を差し出してきた。その手のひらに、レグルスは自分の手を乗せてみた。なぜか、そうすべきだと思ったのだ。

 すると、当然と言わんばかりに、扉が開き始めた。


「デネボラ!」


 帽子の男がレグルスの横をすり抜けて中へ入ろうとしたが、その瞬間、彫刻の女の目が輝く。睨まれた男はその場にくずおれた。


「くっ……」

「やっぱり、学生以外はだめってことか」


 エミリオは男を助け起こして扉から離れると、


「レグルス、頑張ってね」

「へっ? ぬわっ!」


 そのままレグルスの背中を突き飛ばした。よろけたレグルスは、意図せず神殿の中に入ってしまった。


「僕はこの人と神殿の外を調べるよ。中は任せるね」


 すると、用は済んだとばかりに、扉が閉じ始めた。


「ちょ、ちょっと父さん!?」


 閉じゆく扉の隙間から見えるエミリオは、笑顔でレグルスを見送っている。


「と、父さん!」


 ズン、という重い音を立てて、扉は完全に閉じてしまった。

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