第九節 第十班

「もうダメだ……」


 レグルスは自室のベッドでうつ伏せになったまま呻いた。


「大丈夫か」


 というユアンの問いに、


「すっげぇ、やばい」


 としか答えようがないくらいに大変だった、この週末のことを思い返した。


        ◇ ◇ ◇


 まず、金曜日。第十班のメンバーと顔合わせをして、読み合わせを行った。

 すぐに、イレーナがとてつもない実力者だとわかった。おっとりした素の話し方からは想像できないくらいに凛と声を張るし、声音に知性と威厳が感じられる。月姫神げっきしんヴィルジェーニアスは格好のはまり役だろう。

 ロイは、低くて色気のあるいい声なのに、どうにもボソボソと発声する。シュルマは彼と対照的に声の粒がはっきりしていて聞き取りやすい。イレーヌは休憩のたびに二人を比較して、ロイに、


「ロイくん。シュルマちゃんみたいに、はっきり発音してね」


 と、何度も言った。

 シュルマはなにが不満なのか、台本を閉じると即座に眉間に皺を寄せる。毎回だ。

 マルコの演技は何度も授業で見ているが、やはり上手い。口も柄も悪いマルコだが、天然の巻き毛は上品な印象を与えるし、演じているときの彼は温かな日なたすら思わせる。

 問題はレグルス自身。そして、フランツだ。


『カノープス、ここは私に任せろ』


 追いすがる騒魔ぞうまを〝月よりの監視者サジェ〟がひとりで引き受けるシーンを、三年生のフランツは、まったく抑揚なく読み上げた。


『く、マケテナルモノカー。先に行け、カノープス~』


 次のセリフは、完全な棒読みだった。死闘の最中に発されるはずのセリフなのにだ。前日にユアン演じるサジェを見ていたレグルスは、フランツのあんまりな棒読みに絶句してしまった。


「セリフ、セリフ!」


 隣のマルコがそっと肘をぶつけてきて、レグルスに小声でそう囁いた。


『サ、サジェ殿! どうかお気をつけて……!』


 完全に、里長のセリフが飛んでしまっていた。焦りのせいで、かえっていい感じに表現できたが。


「レグルスくん、今の感じ、いいと思うわ」


 イレーナはそう言ってくれたが、目が笑っていない。


「ところで、あなた、どうしたの? 体調でも悪いの?」


 イレーナが声をかけると、フランツに視線が集まる。


「いや、僕は万全だが?」

「なら、ちゃんとやってちょうだいね」

「やっているが?」


 レグルスは「へっ!?」と声が出そうになったのを、両の手のひらで押さえた。


「あなた……本気で言っているの?」


 イレーナの声から、ついに柔らかさが消え失せた。


「無論だよ。僕の演技プランは、君たちが考えてくれたまえ」

「は?」

「ハァ?」


 シュルマとマルコが同時に声を出した。レグルスは呆気にとられて何も言えない。ロイは黙って目を逸らしている。


「イレーナ、僕はあなたの指示通りに演じる。あなたはそもそも最初から、あなたの望む舞台のために、全員に演技指導をするつもりだろう? 僕ごときの考えたプランなど、あなたには邪魔でしかないはずだが?」


(なんなんだ、この人……)


 信じられない――フランツは、自分の役の解釈も演技も、自分では一切考えないと言ったのだ。


「じゃあ、さっそく指導させてもらうわね。明日までに演技プランを考えてきなさい」

「イレーナ、あなたが詭弁家ソフィストだとは思わなかったよ。僕はあなたにとってベストな提案をしているつもりだが?」

「上級生なのだから、後輩の模範になりなさい」

「班長の意向に従う、という手本を見せているが?」

「……カス」


 シュルマの視線は、もはや憎悪そのものと化していた。マルコも似たような目でフランツを見ている。


「それじゃあ、続きをやりましょうか。月の神殿の扉の前にたどり着くところから」


 イレーナはその後フランツをいないものとして扱い、彼の棒読みにも無反応を貫いた。




 次の日、曜日。本来なら休息日だが、班長のイレーナは毎日レッスンルームを数時間確保しており、平日休日の別なく練習するというのだ。

 ナイドルはアステラ・ブレードを、プリドルはアステラ・ティアラ――プリドルにとってのブレードに相当する――を発現させて、武踊ぶよう合わせを行うことになった。

 ティアラの形成は必ず頭上で行うと決められている。イレーナのティアラは豪華な王冠形、シュルマは控えめながらも美しいカチューシャ形だった。

 マルコのブレードは両刃の直剣で、鋭くも強靱であることが見て取れる。

 ロイは体躯に見合った大振りの曲剣。振るったら相当な迫力があるだろう。

 フランツは、白く輝くクリスナイフだ。波打つ刀身は短いが、その白刃の輝きには目を瞠るものがあった。


(……あれ?)


 それとは別に、レグルスには気になる事があった。


(あの白いルーナ・アステラ、どこかで見たような……)


 記憶の片隅で白い光が明滅したが、思い出すことはできなかった。

 なお、レグルスのブレードがやはり一番地味だった。



 武踊合わせは、さんざんなものだった。


「おい、幻の。動きが遅れてんぞ」

「うう、ごめん」


 月の神殿を目前にし、カノープス一行は窮地に陥る。隠れていた騒魔ぞうまが不意打ちを仕掛け、里長を狙ってきた。そこでブランヴァが騒魔から里長を守り、ようやく姿を可視化するというシーン。里長レグルスの動き出しが遅く、ブランヴァマルコとぶつかってしまったのだ。


「チッ」


 舌打ちされるのも、もはや何回めかわからない。

 マルコがレグルスに悪態をつくと、必ずイレーナがこちらを窺う。見張られている、値踏みされている、と感じてしまう。


(いつも通り、やれない……)


 緊張で体が硬くなっている。腕を伸ばしているのに伸びきっていないように感じるし、足ももつれる。寒空の下でユアン、デネボラの二人と合わせたときの方が、断然うまくできていた。


 自分の出番が終わった後は、ほかの班員の動きを見た。

 カノープスを演じるロイは、軽やかに正確なステップを踏んでいる。振り付けも伸びやかだ。しかし、大柄なロイがそのように舞っても、華麗さはない。レグルスは、ロイの動きを比較してしまう――デネボラの、完璧な武踊と。

 フランツは、下手だった。サジェの心がまったく感じられない、空疎な動き。白いクリスナイフのまばゆい輝きと、彼自身の武踊はまったく釣り合っていない――ユアンの足元にも及ばない。

 自分の未熟さは、これからの練習で改善していくことができる。しかし、自分以外の仲間については、どうすればいいのだろう。




 さらに翌日のよう曜日。

 フランツは、来なかった。


「あいつ、なんなの? 時間も守れないなんて上手い下手以前の問題」


 集合時刻を三十分過ぎた頃、シュルマが毒づいた。額に青筋が立っている。


「……サジェがいない場面を練習しましょう」


 イレーナも、もはや苛立ちを隠すつもりはないようだった。


「この期間のレッスンルームを押さえるために一年前から申請を出していたのに。無断で欠席されるなんて困るわ」


 マルコが、イレーナのぼやきにぎょっとした。


「お、オレらが入学する前に申請してたんですか?」

「ええ。四七期生が卒業して五〇期生が入学してくるまでの期間が、生徒が一番少ない時期だもの。レッスンルームの利用申請は早い者勝ちだから、そのときに予約するのが一番いいでしょう?」


 マルコはイレーナの主張を呆然と聞いていて、レグルスは正直イレーナを恐ろしいと思ってしまった。彼女には、班員と話し合って練習日を決めるつもりなどさらさらないのだろう。


「全員の上達のためには、常に全員でやらないと意味がないのに」


 イレーナの言葉に感じるのは、熱意よりも執念だった。彼女はおそらくフランツに対し、シュルマ以上に苛立っているのだ。

 レグルスも、無断で欠席したフランツの態度はどうかと思う。しかし、彼が来ない理由は察せられる――疲れだ。ナイドルとプリドルでは、ストーリア中の運動量にかなり差がある。剣を振るい殺陣を披露するのはナイドルだけ。毎日このペースで練習したら、試験当日まで体力が保たないのは明白だ。中間試験での失敗が脳裏をよぎった。


「レグルスくん、心配しなくても大丈夫よ。私がちゃんと、あなたが上達するように導くから」


 青ざめた理由を都合よく解釈された。下手な自分がついていけるかどうかも心配ではあるが、今のところ、一番の不安要素ではない。


「それじゃあ、始めましょう。月の神殿に入ったカノープスたちが、月姫神の巫女リュヌと出会う場面から」


        ◇ ◇ ◇


「で、明日も、練習あるんだって……」


 寮の部屋に戻ってきたレグルスは、すぐにベッドに倒れ込んだ。もう疲れ切ってしまって、全然動けない。


「休んだ方がいい」

「だよなあ。ユアンならそう言うと思ったよ。でも無断で休みたくはないから、明日は諦めて、明後日を休みにしてもらえないか、イレーナさんに聞いてみる……」

「そうか」


 ユアンの声は暗い。明らかに心配してくれている。

 レグルスは話題を変えることにした。


「なあ、ユアンの班はどうだった?」


 うつ伏せになっている体を仰向けにして、そう尋ねてみる。


「レグルスの班ほど、大変ではなさそうだ。ただ、先日会った……オズワルドという二年生が、同じ班にいた」

「へっ!?」


 オズワルド・ラサラス。デネボラがわざわざ名前を出した、テッラ・アステラのナイドル候補生。


「ど、どうだった?」

「とても、上手かった」

「おれとは、くらべものにならないくらい?」

「……」


 ユアンは気まずそうに黙ったが、答えをくれた。


「レグルスの母君からの手紙、厳しいと思ったが……同時に、とても、やさしいとも思う」

「ぬうぅ、やっぱりかあ~!」


 クラリッサからの手紙にはこうあった――『まあ、どうせ落ちてガッカリするだろうが、頑張って立ち直れよ』。

 つまりユアンの答えは、レグルスに勝ち目はない、ということだ。だが、思ったことを正直に、かつやんわりと伝えてくれたのは嬉しかった。以前のユアンなら、きっと黙り込んでいただろう。


「ユアンはやさしいなあ。おれの班の人たちとは大違いだ」

「そうだろうか」

「ああ、ユアンと同じ班になりたかった……」


 少しだけ、涙が出そうになった。

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