第五節 《エルトファルの修行》

 試験は順調に進んだ。大きな失敗をする者はいなかった。みんな無事にエルトファルを演じきり、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔で舞台から下りてくる。


「次、三十一番。ユアン・アークトゥルス」

「はい」


 その名をマーネンが呼んだ瞬間、場の空気が緊張した。当のユアンはそんな様子を気に留めることもなく、すっと背筋を伸ばしてまっすぐに舞台へ向かっていく。


「心してかかるように」


 舞台へ繋がる階段の横で見守るマーネンが、他の生徒にもかけたのと同じ言葉をユアンにも与えた。


「はい……」


 ユアンは控えめな声で返事をした。

 また〝地母神の加護〟のときのようなことが起こるのだろうか、それとも、授業で見せるような完璧さで演じきるのだろうか。同級生たちも、教員たちも、そしてレグルスも、固唾を飲んでユアンを見つめる。


         ★ ☆ ★


『旅に出たからには、守られるだけの俺ではいられぬ。カノープスに負けぬ強さを身につけなければ、神に会えるはずもない』


 エルトファルユアンは瞳に強い光を宿して宣言し、数拍置いて、今度は激昂した。


『ならん! お前に守られるばかりでは、俺の気がすまんのだ!』


 あまりの剣幕に、不可視の剣士ブランヴァが怯んだのが


『いや、そういうわけではない……』


 しかしブランヴァをひるませた事に気づいたのか、エルトファルは少し声のトーンを落とす。


『お前を信頼していないわけではない。誤解するな』


 弁解の後、エルトファルは腕を伸ばし手のひらを天に向けた。


『はぁっ!』


 気合を伴った声を上げ、アステラ・ブレードを顕現させると、勢いよくその柄を握る。そして流れるように一振りしてから、切っ先をブランヴァに突きつけた。


『……行くぞ!』


――欠片も滑稽さのない、真剣そのもののエルトファルを、レグルスは初めて見た。

 剣を振るうその姿は未熟で拙いはずなのに、鬼気迫るものがある。どれだけ必死に修行に打ち込んでいるのか、ひしひしと伝わってくる。

 レグルスは、何も考えられなくなった。ただ呆然とエルトファルユアンを見つめることしかできなくなった。

 エルトファルは、コメディリリーフとして演じられることが多い。だがそれは、にすぎない。原典イコーナには、エルトファルの性格について何も書かれていないのだ。

 原典イコーナに書かれているのは、二つの事実だけ。

 実の妹エステーリャが、争いの果てに異種族の恋人クロノと心中した。

 種族間の戦争を終わらせたいという、妹付きの騎士カノープスの想いに同調し共に旅に出た。

 その事実だけを読めば、エルトファルが真剣そのもので、空回りなどまったくしていないと解釈したとしても、なんらおかしくはない。神話の時代を生きたエルトファルの本当の姿は、誰も知らないのだから。


『もう一度だ!』


 圧倒的な実力とリアリティで迫ってくるエルトファルユアンに、レグルスは、呑まれた。


         ◆ ◆ ◆


「……フィーロ! 四〇番、レグルス・フィーロ!」

「ぬわっ!? は、はい!」


 返事の声が裏返ってしまった。心だけがどこかへ飛んでしまっていたようで、マーネンに名前を呼ばれていたことに気がつかなかった。あわてて立ち上がると、目の前がチカチカと明滅した。レグルスは眉間を押さえながら、舞台へと向かう。

 壇上へ続く階段の目の前で、マーネンは他の生徒にしたのと同じようにレグルスにも声をかけた。


「フィーロ、貴様で最後だ。心して……」


 そこでマーネンは一度言葉を切ってから、


「……無理はするな」


 と続けた。

 その言葉が、他の三十九人の生徒にかけた言葉と違っていたことに、レグルスは気づかなかった。まして、ユアンがずっと不安なまなざしを投げかけていたことになど、気づくはずもなかった。


         ★ ☆ ★


『……守られるだけの俺ではいられぬ』


 うまく声が出せない。心臓が跳ねる音が大きくて、自分の声が聞こえない。脚がうまく動かない。視界が狭くなって、観客の顔が見えない。染み付かせたはずの振り付けが湧き上がってこない――今、自分はどこに立っているのだろう? 練習に付き合ってくれたデネボラの姿が脳裏に浮かんでは消える。


(今まで、どうやってたんだっけ? ……アルテイルは、エルトファルをどう演じていたんだっけ?)


 腕を前に突き出し、手のひらを天に向ける。意識を集中する。足元から湧き上がるテッラ・アステラが手の上で収束し、少しずつ剣の形を成していく。

 しかし――


「……っ!?」

 突然の衝撃に、レグルスは後ろによろめき、そのまま倒れた。


――アステラが、弾けた。

 剣を成そうと集まっていたアステラが、ぱちんと弾けて――消えた。


(……なんで?)


 何度も練習した。鞘から取り出すポーズ以外でのブレード形成には苦手意識こそあったが、失敗したことは一度もなかった。

 それなのに今、レグルスは、アステラ・ブレードを作り出せなかった。

 どうして、どうして――


「……レグルス・フィーロ!」


         ◆ ◆ ◆


「今日はそこまでにしよう」


 そう告げたのは、試験監督の席にいたミアだった。ミアは席を立ち、舞台上のレグルスをまっすぐに見ていた。


「君には後日、再試験を受けてもらいます」


 レグルスは、呆然とミアのほうに視線をやった。だが、ミアがどんな顔をしているのかわからなかった。告げられた言葉の重さが、レグルスから判断力を奪ってしまった。

 失敗した。

 試験で、本番のストーリアで、失敗した。

 失敗したのだ。


「フィーロ……とりあえず、舞台から下りてこい」


 マーネンの声が、ひどく遠くに聞こえた。

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