空っぽな心とあたたかな日々と

♢ ♢ ♢




10月26日


騒然とした店内。私は、子供連れの家族やカップルで賑わうファミレスの角の席に座って、待ち人を待っていた。通路を忙しそうに走り回る店員を見て、手元の腕時計に目を落とした瞬間、机の上に置いてある携帯がブブっと震える。携帯の表示画面を見ると、『あと5分くらいで着く』と表示され、私はそれに『了解』と書き込んで、再び携帯を机の上に置いて呟いた。


「久しぶりだな」


騒がしい店内の中、時折人の出入りのたびに聞こえるベルの音を聞きながら、私は昨晩のことを思い起こしていた。




♢ ♢ ♢




喫茶ゼラニウムでバンボラさんの話を聞いた晩のこと。あのあと、店内に戻ったハルを迎え入れ、宣言通りハルに美味しいパンケーキを焼いてもらって大満足で帰ってきた。バンボラさんは、なぜだか私たちを見て、時折寂しそうな表情を浮かべていたが。どうしたんですか?と尋ねれば、曖昧に笑みを浮かべ、はぐらかされた。


そのあと、スーパーで野菜や肉やら食材を買い込んで帰ってくれば、窓の外は真っ暗だ。私はハルの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ソファーに身を沈めていた。


『へー、この俳優さん、結婚するんだ』


たまたま入れたチャンネルでは、巷で大人気の俳優の結婚報道がやっていた。年の功は、26歳で私よりも一つ年上。はっきりとした二重瞼に、彫りの深い顔。まぁ、いわゆるはっきりとした顔のイケメンだ。


『マスター、この俳優が好きだったの?』


私の隣で同じようにソファーに身を沈めていたのはハル。おまけに、クッションを前に抱えている。首をかしげて問いかけてする姿が、それがまた絵になる。けれど、その表情はどこか不安そう。


『いや、好きか嫌いかっていえば、普通かな』


私というよりも、大学時代の友人が好きだった。この友人に誘われて、否、半分以上強制的にこの人の舞台を見に行ったのは、懐かしい思い出だ。


『大学時代の友達がファンだったんだよ』


私がそういえば、ハルはなぜだか一瞬どこかほっとしたような表情を浮かべて、次の瞬間、私の方にずいっと近づいてきて、瞳をキラキラとさせながら、口を開いた。


『そういえば、大学時代のマスターって、どういう感じだったの?』


興味津々って顔だ。


『どういう感じって……』

『マスターの大学時代の話って聞いたことない』


ハルに問われて、昔を思い出す。あの頃は、目標があって、それに向かってがむしゃらに頑張っていた。けれど、それも結局は……。


そこまで思い出し、はたと気が付けば、ハルは黙ってこちらを見ていた。気遣われる前に、自身の目の前でパチンと両手を合わせた。


『真面目な生徒だったと思うよ』


そして、少しおどけてみせる。


『毎日大学に行って勉強して、空いた時間に友達と他愛のない話をしたり』

『どんな話をしていたの?』

『大学の教授の話とか、テストの話とか、あとは、それこそ好きな芸能人の話とか』


今思えば本当にくだらない話で盛り上がっていた。休日は、気の合う友人と遊びに行ったり、これまでの24年間の中で一番楽しかった時代かもしれない。大学時代の思い出を語れば、ハルは頷いてくれる。


『大学、楽しかったんだね』

『うん、とっても』


懐かしさに目を細めていると、ハルは再び少し悲しそうに私を見た。


『どうしたの?』

『え?』

『なんか、表情暗いなって』


私が言えば、『マスターに心配かけて、俺は同居ドール失格だね』と苦笑いを浮かべるハル。そして、眩しそうに私を見て言葉を続けた。


『……――ちょっとだけ、悔しいなって思ったんだ』

『え?』

『もしも、俺がマスターと同じ人間で、マスターと同じように大学に通えてたらって』

『ハルも大学で学びたいことがあったの?』


私がそう問えばゆっくりと首を振って、表情を和らげて一言言い放った。


『もし、俺がその時にマスターと同じように大学に通って、マスターの楽しい思い出の中に俺がいたら、なんて思ったんだ』

『え?』


思いもよらない言葉に一瞬、固まってしまった。


『それに、俺がマスターを守ってあげれたでしょ』


ハルの表情は、まるで、大切な大切な宝物を見ているように優しい。そのときハルの空色の瞳と目が合った。その瞳の色が優し気に揺れている。その吸い込まれそうな瞳に優しく見つめられ、息を飲んだ。


……――一瞬、時が止まってしまったかのように感じた。


『ハ……ル……?』


その刹那、突然携帯のメッセージを知らせる音がピコピコと鳴り響いた。


『だ、だ、誰だろう?』


勢いよくソファーから立ち上がった。平然を装うが、どもってしまう。


『あ、携帯、部屋の中の鞄の中だ』


我ながら棒読みだった。明らかに挙動不審な私の様子に、ハルは不思議そうに首をかしげてはいたが


『コーヒーカップ、洗っておくから、マスター見てきていいよ』


と私の部屋を見た。いつもなら自分で洗うというのだが、そんな風に答える余裕もなく、ありがとうといって足早に自室の部屋に戻って扉を閉めた。


『……――はぁ』


そして、ずるずると扉の前に座りこむ。ポケットにしまってあった携帯にはメッセージが1件表示されていて、メッセージを開けば、丁度先ほど話していた友人からのメッセージだった。要約すると、出張でこっちに来ることになったから、仕事終わりに会えないかとのことだった。そのメッセージに『いいよ』と返事を返して、はーとゆっくり息を吐いた。


『もう、なんて表情をするの……?』


全力疾走したあとのように、心臓がドッドと激しく脈打っていた。


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訳ありニートと同居ドール 九条 りりあ @kjo_riria

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