第22話拗れた糸の不協和音②

 本棟一階と渡り廊下を使って自動販売機に辿りついた吹夜は、「僕選んでるから、先どうぞ」と杪谷に促された。


「あざす」


 軽く会釈して機体の前を陣取り、五百円玉を突っ込む。

 水のペットボトルを二本と、味見が散々だった見慣れたパッケージのレモンティー缶をひとつ。

 練習中にあんな甘ったるい飲料を飲めるのだから、人の好みは様々だ。


 取り出し口に転がり落ちてきた三つをひとつずつ抱えていると、無数の雨音が包み込む空間にふと、「そういえば、ここでこのめくんに会ったんだよ。懐かしいな」と声がした。


「……勧誘ん時、すか」

「そう。なんかいっぱい買ってる子がいるな、って見てたんだ」


 立ち上がり、「どうぞ」と前を明け渡すと、「ありがとう」と杪谷が進む。


「幼馴染って、いいね。僕はそういうのいないから、羨ましい」

「っ」


 コインを入れた杪谷が、細長い指先でピッとボタンを押す。

 薄暗い通路下にガコリと響いた落下音よりも、『羨ましい』という言葉がやけに耳に焼き付いた。


「……俺は」


 向けられた視線が、受け止められない。


「俺は、成映センパイのが羨ましいっす」

「……どうして?」

「……大人だな、って」

「たった二年早く生まれてきただけだよ。僕は吹夜くんの方が、しっかりしてると思うよ。いつも冷静だし、よく見てるし」


 ピッ、と押されたもう一本はなんだったのか。

 顔を上げると、陳列棚の明かりを受けた杪谷が静かに笑んでいた。


「僕は、大事なモノを大事にすればいいんだって気づくまで、時間がかかっちゃったから。だからその分、ズルくて、頑固なんだと思う。その点、啓くんは真っ直ぐで、優しいよ。……このめくんと一緒だね」

「え?」

「このめくんには啓くんがいたし、啓くんには、このめくんがいたからかな。キミ達はよく似てる」


 似ている? このめと?

 初めての言葉に、吹夜は衝撃を受けた。

 容姿は言うまでもない。かといって性格に似ている部分があるかと問われれば、吹夜自身も即座に首を振るだろう。

 おそらく、このめも。


 『真逆だ』と言われるくらいならまだいい。

『どうして一緒に居るんだ』『幼馴染だからって、無理をしなくていいんだぞ』と偽善めいた言葉を浴びせられる事も少なくなかった。

 こちらの胸中など、知りもしないくせに。

 だが杪谷は、『似ている』と言った。深く染み込んでいくような、酷く澄んだ声で。


「……大事なモノを、大切にしたい気持ちはよくわかるけど」


 しゃがみこんで取り出されたのは、既に抱える一本と同じスポーツドリンクだった。

 結局、選ぶも練習時に常飲しているそれに決めたらしい。

 氷色の双眸が、吹夜を縫いとめる。


「『慎重』なのと『臆病』なのは、違うと思うよ」

「!」


 瞠目する吹夜に瞳を緩めた杪谷は、柔らかく微笑み「さ、戻ろう」と踵を返した。

 遠ざかる背に引かれるように、吹夜もまた、当惑を振り切って重い足を動かす。

 見頃を迎えた紫陽花が、雨に隠れてないていた。


***


 本番のように音響照明付きの通し稽古を始めたのは、六月も二週目になった頃だ。

 まだ頭から最後まで通すのではなく、場面毎に区切っての練習だが、とうとう演技、音響、照明が連動する。


 舞台に立ち、コントロールルームへと視線を遣ると、定霜と濃染、文寛兄弟の四人が真剣な顔で打ち合わせをしていた。

 ああ、本当に演るんだ。

 言い様のない緊張が、足元から這い上がってくる。


「ねえ、このめ」


 強張る身体に深呼吸を繰り返していると、紅咲が寄ってきた。


「折角だからさ。五人のトコから始めない?」

「アラ、いいじゃない」


 優美さを感じさせる普段とは正反対の、短髪の男前へと変貌している雛嘉が、「初っ端だし、バーンと行きたいワね」と首肯する。

 吹夜と杪谷にも異論はないようだ。

 このめも緊張はあれど、気持ちは早く動きたくてたまらない。


「じゃあ……迅! 悪いけど、変更していい?」

「アア!? へんこー!?」

「頭っからじゃなくて、五人のアクションから演りたい! ええと、碧寿の登場辺りから!」

「ったく、しゃーねーなあ! 濃染サン、変更っス!」


 全体の指揮を取り持っているのは定霜だ。自然とそうなっていた。


「まさか迅がここまで役立つようになるとはね……」


 感慨深そうに紅咲が呟く。


「迅がいてくれてよかったよ。広く見てくれるし」

「ただの捨て駒じゃなかったか」

「きっこえてんだよ啓! 凛詠サン! もっと褒めてください!」

「集中しな」

「サーセン!」


 コントロールルームに入り変更の指示を出す横顔は、実に頼もしい。

 文寛兄弟はスンナリと受け入れてくれたようで、このめ達の立つ舞台に向かって指でオッケーサインを向けると、軽い言葉を交わし合いながら手元の機器を操作してし始めた。

 濃染は嫌そうな顔をしたあと、諦めたように嘆息し、マイク越しに『もっと早く言え』と苦言を呈してきた。


 けど、ちゃんと調整してくれるのだ。

 このめは苦笑しながら会釈して、演者陣へ「じゃあ、位置について。碧寿の登場シーンから、はけるトコまで」と指示を出す。


 この場面は『人』としての理性を失い、妖かしとしての本能のまま暴徒化する翔を止めようと、朱斗と沙羅が奮闘する。

 そこに碧寿と獏が現れ、五人での戦闘が始まる。

 杪谷と雛嘉は舞台の上手側(客席から見て右側)の袖に向かい、紅咲は下手側に近い位置へと歩を進めた。

 吹夜とこのめは舞台中央に移動し、オモチャの刀と仕込み錫杖代わりのつっかえ棒を突き合わせた。


「……緊張してんのか?」


 不意に吹夜が話しかけてくる。このめは出来る限り、言葉を選んだ。


「……そりゃあ、ね。でも楽しみだよ。すんごい、ドキドキしてる」

「練習でんな気張ってたら、本番耐えきれないぞ」

「確かに」


 定霜がコントロールルームから出て、座席中央を陣取った。

 その片手にはビデオカメラ、もう片手にはマイクを握っている。


『いいぞ』


 濃染の声に、舞台上のメンバーで軽く視線を交わす。

 うん、大丈夫そうだ。

 小さく頷き、このめは吹夜と互いの武器を交える体制をとった。

 一度目を瞑り、呼吸を整えてから、口を開く。


「迅、お願い」


 決意を含んだ声が、漂う緊張感に被さってホールに響く。


『オウ。……照明、ライト落としてください。……はい、問題ないっス。カウントとります。さん、に、いち』


***


 ドーン、と腹に響く低音と共に、舞台袖から碧寿と獏が現れる。

 スポットライトはやや薄く、映像の桜吹雪が周囲を舞った。


「『ほう? あやかしの血に支配され、人としての理性をなくしたか、翔』」

「『碧寿……!』」


 落ち着いた声色の主を忌々しそうに眼だけで見遣ったのは、翔と刀を交える朱斗だ。

 名を呼ばれた翔は碧寿と獏の存在になど気付いていないかのように、組み合った腕に力を込めるだけで、振り返りもしない。


「『やはり嗅ぎつけてきおったか……』」


 直前の翔の攻撃で痛めた腕を庇うようにして、沙羅が予想通りだというように嘲笑する。

 その笑みが癇に障ったのか、「『ああ?』」と碧寿の後方から歩を進めた獏が、「『なんだ狐風勢が!』」と突如沙羅に飛びかかった。

 長い両腕で勢い付けて、振り下ろされた二つの短刀。

 シャッと風を斬る音がする。だが沙羅は手にしていた番傘で、その軌道を遮った。


「『おお? 案外やるな』」

「『礼儀も知らない無礼者じゃのお』」


 途端、翔が一歩を引いた。が、


「『うっ、ぐあああああー!』」


 頭を垂れたまま、自身の狙う先が何よりも信じていた友だとも理解していないように、身体の全てを使って再び朱斗に斬りかかる。

 ガキッ! と鈍く響いた衝突音は二回。

 本来ならば刃の付く錫杖を刀で受け止めた朱斗の腹を、乱雑に足で蹴り上げたからだ。


「『っ!』」

「『朱斗!』」

「『平気だ』」


 朱斗が距離をとる。片腕で痛む腹を庇うようにして。

 だが視線は射抜くように翔を捉えたままだ。

 飢えた獣のように殺気だけを向ける翔が、次を狙っているからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る