第六章 拗れた糸の不協和音

第21話拗れた糸の不協和音①

 六月になれば夏服となり、ブレザーを羽織る生徒もない。

 このめの姉、冬香はご執心の白ブレザーが見れなくなったと落胆していた。


「けどま、男子高校生の若い二の腕がチラつく指定シャツもなかなか」


 このめが着用しているのは、スラックスに合わせたチェック柄が縁に入る半袖シャツだ。

 見遣る眼が査定するそれで、このめも姉の発言が何処まで冗談なのか測りかねている。


 因みにネクタイも冬服とは違い、幅が広く丈の短いタイプに変わる。

 集会では必須となるが、普段は外していてもいいらしい。このめは現状、普段から着用派だ。

 シャツの第一ボタンを外してネクタイを結ぶこのめをしげしげと観察していた冬香は、何かに気付いたように「ふむ」と顎に手を遣った。


「このめ。あんたちょっと筋肉ついたわね」


 そんなやり取りを交わしてきたこのめは、放課後になるなり部員の腕の品評に大忙しだ。

 武舘に預かってもらっていた衣装入りのダンボール箱を教室に運び、机に乗せる紅咲の腕も、練習始めの頃よりしっかりしている気がする。

 吹夜もそうだ。朝、登校時に並ぶ腕は、以前よりも厚みが増していた。


「啓も凛詠も、腕、筋肉ついた?」

「あー、かもな。毎日あんだけ腕振ってっし」

「家でのトレーニングも、楽になってきたしね」

「え? 渡してたあれ、続けてくれてるんだ……!」

「最近は練習疲れでサボる日もあるけど、出来る時は、一応ね」

「凛詠~~」

「ハイハイ、暑苦しいから離れて」


 感動に涙目で抱きつくと、あやすようにポンポンと背を叩かれる。

 丁度のタイミングで戻ってきた睦子と定霜に見つかり、「このめテメッ! 凛詠サンが汗臭くなんだろーが!」と叱られてしまった。


 今日は待ちに待った大ホールでの練習である。そして初めての、衣装付き稽古だ。

 放課後になると杪谷と雛嘉も教室に集まり、各々簡単な準備運動を済ませ、着替えを始めていく。

 濃染と文寛兄弟は先に大ホールに向かい、音響や照明機器の確認をしてくれている。


 ウィッグも装着し、定霜と睦子の手を借りながら荷物を抱えてぞろぞろと移動する様は、当然ながら他生徒の目を引いた。

 向けられる好奇の視線に恐縮するこのめに反し、吹夜は相変わらず飄々としており、紅咲も特に気にした風もなく堂々と前を見据えていた。

 それは雛嘉と杪谷も一緒で、「ナニ今更恥ずかしがってんのよ」「いい宣伝になるね」と余裕の表情だった。

 人目に慣れている『肩書持ち』にとっては、これくらいなんでもないらしい。


「えーっと……ここだよね」


 琉架高校の大ホールは、集会で使われるメインホールとは異なり、市民文化ホールのように舞台下から斜面を作るように段々と椅子が設置されている。

 休日は外部への貸出もしており、講演等にも利用されている。


 音響や照明機器を扱うコントロールルームは、一番高い位置にあたる後部座席の後方中央に設置されていた。

 このめ達の到着に気付いたのだろう。

 大ホールの重い扉を開けて踏み込むと、すっかり聞き慣れたBGMに被さるようにして、マイク越しの声が『遅かったな』と出迎えてくれた。濃染の声だ。

 視線を転じると、透明なコントロールルームの中から文寛兄弟が手を振っている。天井から舞台を照らす照明がグルグルと回った。


「お待たせしました。どうですか?」


 荷物を置き、濃染達のもとへ向かうと、三人は各々異なる機器を操作しながらこのめを迎え入れた。


「大体はわかったし」

「あとは慣れかなー」

『まあ、俺達はあくまでサポートですしー』

「この期に及んで、まだそんな事を言ってるかお前たちは」


 呆れたように嘆息した濃染がこのめを向く。


「こっちはこっちでやっておく。さっさと用意して始めろ」

「は、はい! じゃあ、すみませんがお願いします」

『はいはーい。頑張ってね、このめっちー』


 設備も環境も整った。早速通し稽古に、と言いたい所だが、焦りは禁物だ。

 安全第一。確実に、一歩ずつ。


 この日は初めての舞台上での練習という事で、台詞をゆっくりと紡ぎながら口頭でテンポをとり、各場面の場所取りやアクション時の滑り具合の確認に費やした。

 映像を確認できるノートパソコンとビデオカメラは、ここでも大活躍だ。


 動きの改善点は演者同士で都度調整し、衣装に関しては睦子を呼んで、改良出来るか相談する。

 濃染達も確認に勤しんでいるようで、時折響くシュバッ! という軽快な斬りつけ音に、このめはうっかりソワついてしまった。(そして吹夜と紅咲に呆れられ、定霜に怒られた。)

 次から次へと色を変えるライトは、想像よりも眩しく熱い。

 『板』に立つ実感を肌で感じながら、空席の客席を見回す。


「……半分は埋まるといいな」


 ポツリと零したこのめに、吹夜が「何言ってんだ」と肩を竦めた。


「満席に決まってんだろ」


 それはそれで緊張しそうだ。

 このめは苦笑を返した。


 大ホールを使えない日は衣装ではなく練習着で、ジットリと肌に纏わりつく熱気に汗を流しながら稽古に励んだ。


「ンもうっ! あっついワね! せめて湿気だけでも飛んでってくれないかしら!」

「同感です。ベトベトして気持ち悪い」

「アラ、さすが凛詠ちゃん。話しがわかるワね。髪結ってあげましょうか? 邪魔でしょ」

「……すみません、お願いします」


 手招く雛嘉は既に長髪を後頭部で纏めていて、体操着の袖をクルクルとたくし上げている。

 寄ってきた紅咲の後頭部を見下ろし、「よし! 編み込んじゃいましょ!」と意気込むやいなや、ちゃきちゃきと薄桃色の髪が纏まっていく。

 紅咲は体力の温存に努めているのか、「お願いします」と言ったきりされるがまま大人しく完成を待っている。

 そんな二人を側でニコニコと見守る杪谷の髪も、練習始めから結上げられていた。


「眞弥センパイ、俺はやってくれないんすか」


 吹夜のこの一言がキッカケで、このめも人生で初めて髪を編み込まれる事になる。

 部員同士の仲は良い。練習も順調だ。

 けれどもカレンダーの日付にバツが増えていく度、妙な焦燥感にかられる。


(……この間は、失敗したな)


 このめが悔いているのは、先日の大ホール練習時での『うっかり』だ。

 ――半分は埋まるといいな。

 吹夜の前で弱音を吐くのは止めようと誓ったのに、つい、これまでの癖で自然と口にしてしまった。

 たぶん、気にしているのはこのめだけで、吹夜は何とも思っていないのだろう。

 実際、あの時の返しも常と変わらなかった。


 それでもやっぱり、側にいる時間が長いだけあって、気づかない間に沢山迷惑をかけているのだと思う。

 そう、考えられるようになったからこそ、これ以上の負担をかけたくないのだ。


 情けないが、夜、共にランニングへと繰り出す吹夜に「本当に大丈夫かな」と胸中の靄を吐き出したくなったのは、一度や二度ではない。

 だが、このめはグッと耐えた。例えどんなに息苦しくても。

 一人っきりの自室で衝動に耐えるように、胸前で拳を握りしめた。

 日々を過ごす吹夜はただ、『いつも通り』だった。


***


 この日は雨だった。

 このめ達の練習場を覆う屋根の切れ端からは大粒の雫が絶え間なく落ち、レンガ調の床が受け止めた水滴を細かく砕いて弾き返す。

 湿気を嫌う雛嘉と紅咲の機嫌はすこぶる悪い。

 休憩中のまどろんだ空気の中、首に巻いたタオルで汗を拭いながら、吹夜が鞄を開けた。


「自販機行ってくる。なんかいるか?」

「あ、じゃあ、水欲しい」

「僕はいつものレモンティー」

「かわり映えしないな」


 吹夜はくるりと顔だけで振り返る。


「センパイ達は、なんかいるっすか?」

「アラ、いいの?」


 座り込む雛嘉の横で、杪谷が立ち上がった。


「じゃあ、僕も行こうかな」

「いっすよ、ついでなんで」

「ありがとう。でも、見て決めたい気分だから。眞弥、何が良い?」

「……そうねぇ。炭酸をグッといきたいトコロだけど、練習終わるまで我慢するわ。コレと同じのでお願い」

「うん、わかった。行こうか、啓くん」

「……はい」


 雨を避けるため、屋根のある通路を通っていくのだろう。

 本棟側へと並んで歩いていく二人の背を見送りながら、紅咲が「なんか、珍しい組み合わせ」と呟いた。


「え、そう?」


 台本上、このめと吹夜と杪谷の三人で連携をとる場面が多い。吹夜と杪谷が二人で立ち回りの話し合いをしているのも、そう珍しい光景ではない筈だ。

 首を傾げたこのめに「……うん」と返した紅咲は、話題を転じるように「なんで雨なのに涼しくなんないの! 着物脱ぎたい!」と両腕を放り投げた。


「はいはい、頑張って」


 置いていた扇子を使ってこのめが扇ぐも、生暖かい風しか送られてこない。それでも紅咲は猫のように瞳を細めて、涼を求めた。

 完全に見えなくなった背を視線で追っていたのは、もうひとり。


「……ったく、仕方ないワね」


 薄く零れた雛嘉の声は、雨の音にかき消された。

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