第18話先輩という存在②

「ありがたかったです。結局、全部引き受けてもらっちゃいましたし」

「壮のあの顔は張り切ってる顔だね。久しぶりに見た。琉斗くんも琉生くんも楽しんでるみたいだったし。……入部届けは、僕も予想外だったけど、きっと仲間に入りたかったんだろうね」


 小さく笑う声が、まるで旋律を辿るように紡ぐ。


「……この部は、すごく居心地がいいから」


 流された視線の先を追うと、夕暮れに影をつくる屋根の下で、アクションの練習に励む吹夜と紅咲の姿があった。

 練習を初めた頃は中々息が合わず探り探りの練習だったが、時間を重ねた今ではなんとなく、感覚で互いの呼吸が読めるようになってきている。


 信頼、というのだろうか。離れた上部から望む今も、微かな仕草で次がわかる。

 何度も繰り返し脳に刻み付いた声が鼓膜の内側で響き、湧き出た熱に紡ぎそうになった台詞を、喉元で飲み込んだ。

 空から零れ落ちた朱に染まる髪が揺れ、薄い水色の瞳が静かに向けられる。


「誰かを頼るのは、悪い事じゃないよ」


 押し込めていた蟠りをそっと包むような声色に、虚をつかれる。

 このめは跳ねた心臓を抑えるように、両手を握り込めた。

 まっすぐに見つめる瞳はただ優しい。けれど、どこか確認めいた一言が、酷く心を揺さぶった。

 だからこそ、だろう。誰にも言えなかった『迷い』が、口をついて出た。


「……俺、ちゃんと深く考えないで成映先輩達にお願いしちゃって、濃染先輩達も、自分の部活があるのに巻き込んじゃって。啓は、昔っからですけど、凛詠達も俺の好きにさせてくれてて……。シゲちゃん先生も、沢山動いてくれてるし。時々、本当に、これでよかったのかなって……」


 他の部活のように、全国大会がある訳でもない。損得で言うのなら、『得』をするのはこのめだけだ。

 ましてや杪谷達は三年生だ。受験生。このめがこの部に誘わなければ、受験勉強に注ぐでも、友人との思い出作りに費やすでも、時間の使い道は他にもあっただろう。


「……ズルい言い方をするようだけど、入るって決めて署名したのは本人なんだから、このめくんが気に病む必要はないんじゃないかな。イヤになれば『退部』も出来る訳だし、そうしてないって事は、離れない理由があるんだろうし」


 杪谷がニコリと笑みを向ける。


「それと、僕も眞弥や壮に頼ってばかりだから、このめくんと一緒だね」

「っ、全然違います! 成映先輩と眞弥先輩がいなかったら、俺、今でも色々アタフタしてたと思うしっ」

「じゃあ僕は、珍しく『頼られた側』になったんだ。ふふっ……うん、悪くないね」


 感慨深そうにクスクスと笑った杪谷は、ひと呼吸置いてからこのめの頭を撫でた。

 幼子を宥めるような仕草に羞恥が登る。が、相手は先輩だと思うと、振り払う事もできない。

 それに、余程心が弱っていたのか、往復する掌には妙な安心感があった。


「大丈夫だよ。皆、それぞれの『意思』があってこの部に集っているんだ。だから、このめくんは演技に集中して。その為に、立ち上げたんでしょ?」


 情けない弱音に呆れるでもなく、柔らかく細められた双眸は温かい。

 今まで部活動に携わったことのないこのめは、『先輩』という存在に不慣れで、接するには無意識の緊張があった。

 だが、なんだろう。両親や同級生に頼るのとは、また違った大きさを感じる。


「僕と眞弥も、動けるようになったら直ぐに合流するね」


 最後にポンポンと指先で叩いた杪谷が去って行くのを、このめは不思議な心地で見送った。


***

 このめが美術棟下に辿り着くと、気づいた紅咲が「あ、もう終わったの?」と迎え入れてくれた。


「うん。こっちは任せて、ちゃんと演技の練習してこいって」

「それ、文寛先輩達の通訳でしょ」

「すごい! なんでわかったの?」

「そりゃあ、ね」

「このめ」


 歩を進めてきたのは吹夜だ。

 襟元にまかれたタオルに、汗が吸い込まれていく。


「杪谷センパイと、なに話してたんだ?」

「え?」

「さっき、あそこで何か話してただろ」


 指差された先は、美術棟に一番近い階段だ。杪谷と話していた踊り場。透明な窓にはオレンジ色の夕日が反射している。

 思えば今まで、このめのああいった弱音を受け止めてくれていたのは、吹夜だった。昔からそうだったから気に留めた事もなかったが、もしかしたら、それは吹夜にとって『負担』だったのかもしれない。

 吐き出した事で胸中に余裕が生まれたからか、そんな考えが過って、このめは無意識に薄く唇を引き結んだ。


「……濃染先輩達も張り切ってるから、頑張ろうって言ってくれただけだよ。それと、この部は居心地がいいって」

「……そうか」

「さ! 練習練習! アクションもだけど、演技の方も力入れないと!」


 意気込みながらストレッチを始めたこのめを、吹夜は複雑そうに眉根を寄せながら黙って見ていた。


***


 杪谷と雛嘉が練習場所を美術棟下に移したのは、それから一週間程が経った頃だった。

 ジャージ姿で現れたのには驚いたが、それは台詞の覚えこみと共に動作も叩き込んできたからだと言う。

 躊躇なく地べたに腰を下ろした杪谷が、煙管代わりの棒を手にしながらのんびりと紡ぐ。


「『つまらん。実につまらん。そうは思わないか? 獏よ』」

 獏、と呼ばれた雛嘉は架空の盆を手にしながら、怪訝そうな瞳を向けた。

「『それはただ怠惰に過ごす現状を言ってんのか? それとも、ご執心の『烏天狗』に動きがないことを言ってんのか?』」

「『あの者に変化があれば、この怠惰な現状は存在しない。二つは密に繋がっているのだ。故に――、うん?』」

「『どうした?』」

「『喜べ獏。どうやらあの者達が、動こうとしている』」

「『どうしてわかる』」


 遠くを見遣りながら、杪谷の口角が上がる。


「『山神と鬼には、互いに切っても切れない縁がある。他方が在る為には、他方が在らねばならないのだ』」

「『それは共に人を支配する為か?』」

「『そうだったなら、こんなにも手を焼かずにすんだのだがな』」


 雛嘉の置いた架空の湯飲みを手に取り、ゆるりと一口を含む。


「『だがまぁ、それは昔の話しだ。既にバランスの崩れた現世では、他方が他方を喰うても、さして問題あるまい』」

「『喰うのか?』」

「『……それは『彼』次第だ』」


 暫くの間を置いて「どうかな」と笑んだ杪谷は、いつもの穏やかさを纏っている。「中々でしょ?」と雛嘉が得意げに前髪を掻き上げた。


「~~すっごいです!! あああ『碧寿』と『獏』がとうとう……っ! やっと揃った!」

「落ち着け」

「このめ、顔すんごいヤバイ」

「え? あ! ゴメン感動しすぎて!」


 吹夜と紅咲に指摘され、このめは慌てて顔面を両手で覆う。

 興奮に緩む頬がなかなか引き締まらない。仕方ないだろう。待ちに待った集結だ。

 演技は久しいと言ってたが、迫力は十分にある。粗い部分は、練習で精度を高めていけばいい。

 訊けば杪谷と雛嘉は、アクションの場面も一通り叩き込んできたと言う。


「いい加減、せっまいトコじゃ物足りないのよ」


 雛嘉の手には、吹夜よりも短いプラスチック製の刀が二本握られている。獏は短刀二本を武器とするからだ。

 黒刀を武器とする碧寿を演じる杪谷は、吹夜と同じ型の刀を手にしていた。睦子に訊き、吹夜と同じ学校近くの百円均一で購入してきたようだ。


 練習を初めたばかりのこのめ達と同じく、早くアクションシーンに挑みたいのか、笑顔で刀を掲げる二人の目は楽しげながらも熱がある。


「やっとバトれますね」


 自身が使用している刀を持ち上げた吹夜に、杪谷が「お手柔らかに」と笑む。朱斗と碧寿は敵対する立場にあるからだ。

 雛嘉の相手になるのは紅咲である。


「例え『姫』候補だろうと、手加減はしないワよ?」

「先輩方の胸を借りるつもりで、思いっきりやらせてもらいます」


(なんか皆、バチバチしてるなぁ)


 悪い空気ではない。運動会のかけっこ前みたいな、心の疼く緊張感だ。

 結局男子たるもの、揃ってアクションには熱が入るという事だろう。

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