第3話あなたしかいないんです!③

「凛詠サン連れて俺から逃げようだなんて、随分と挑戦的だなあ? 男なら男らしく、逃げねえで正面から挑んで来いよ」

「っ、俺はただっ、紅咲さんと話がしたかっただけで……!」

「アア? 凛詠サンがお話になる相手は、凛詠サンが決めんだよ。テメエらに選択肢なんざ存在しねえ!」


 そんな無茶苦茶な。

 このめはそう思ったが、一歩一歩距離を縮めてくる鋭い瞳に気圧され、声にはならなかった。恐怖に震えながら、壁に背を押し付ける。


 ヤバイ。どうしよう。どうしたらわかってもらえるんだろう。

 浮かんでは消えゆく焦燥を繰り返している間に、定霜はすっかり目の前だ。獲物を捉えた捕食者のように、獰猛な笑みを浮かべ、見下ろしてくる。


「手間かけさせやがって。二度と凛詠サンを連れ回そうだなんて思わないよう、しっかりお灸を据えねえとなあ? ……歯ア食いしばれ!」

「っ!」


 振り上げられた拳に、このめは本能で先を悟りギュウッと目を閉じた。

 終わった。

 ゴッ、という鈍い骨の音が鼓膜に届く。

 だがその音は、このめのモノではなかった。むしろ、予想していた衝撃も――。


「あ、あれ?」


 こわごわと薄目を開けてみると、このめの視界はネイビーのチェック柄に覆われた。

 それが制服の布だと認識出来たのと、このめの隣から聞き慣れない声が発せられたのは、ほぼ同時。


「ちょっと落ち付きなよ、迅」


 紅咲だ。目の前の布の正体は、振り上げられた紅咲の左足だった。定霜の右腕をせき止め、このめを守ってくれている。

 定霜はサッと青ざめたかと思うと、急いで右腕を退けた。


「凛詠サン!? 大丈夫っスか!?」

「別にこれくらい、なんとも」


 常よりもやや低い落ち着いた声と共に、このめの視界が明るくなる。このめは信じられない思いで、隣の紅咲を見遣った。

 紅咲凛詠といえば実に控えめな性格で、時折見られる柔和な微笑みは、まるで桜舞う春を漂わせるようだと皆が口を揃える。


 それが、どうだ。


 たった今、紅咲は軽々と左足を振り上げ、定霜の腕を防いだ。さらには目を見張るこのめを見上げて、ふっと目元を緩める。

 桜舞う春の微笑みなどではない。脅しの気配を含んだ、黒さを滲ませる笑みだ。


「紅咲、さん?」

「僕さ、別にか弱くもなんともなくって、ただ学生生活を円滑に進める為に『ああ』してるだけなんだよね。わかる? で、この事を他言すれば、今度この脚が向くのはアンタ――」

「っ、紅咲さん!」


 このめはただ衝動に促されるまま、紅咲の両手を勢いよく握り込めた。

 少し低い位置にある桜色の瞳が、限界まで見開かれる。


「やっぱり『沙羅』は! あなたしかいません!!」


 この時、紅咲と定霜が何を思ったのかはわからないが、感激の眼を向けるこのめに対し、ただ、唖然としている事だけはわかった。


***


 このめが上機嫌で教室に踏み入れると、視線を巡らせた吹夜が驚いた顔をした。


「よく連れてこれたな。それも番犬付きで」

「アア!?」

「ちょっと啓! ごめん、定霜くん」


 このめが振り返って代わりに謝ると、定霜は「チッ」と舌を鳴らした。が、それだけで口をつぐみ、腕を組みながら忌々しそうに視線を逸らしただけだった。

 紅咲が『行く』と決めた以上、邪魔をせまいと自制しているのかもしれない。

 困惑気味の苦笑を口元に浮かべた紅咲が、手近な椅子をカタリと引いた。先程とはうって変わり、纏う雰囲気には皆が良く知る『紅咲凛詠』の甘さが漂う。


「両手を握られて『とにかく話だけでも!』って必死に頭下げられたら、流石に断れないよね」


 その自然な変貌ぶりに、このめは心中で「おお……」と感嘆の声をあげた。

 すごい。これは、演技力もかなり期待できるのでは。

 紅咲の言葉は少々事実とは異なるが、そんな事はどうでもいい。ただ、こうして話を聞いてもらえるという事実が、嬉しくてたまらなかった。


 やっと報われた歓喜を込めて吹夜を見遣ると、気づいた吹夜は「良かったな」と仕方なさそうに肩を竦めた。

 それから静々と腰を下ろした紅咲に視線を戻し、「それで?」と悪戯っぽく口角を釣り上げる。


「別にどっちでも構わねーけど、下手な猫かぶりはまだ続行か? 『姫』候補さんよ」

「え?」


 まるで紅咲の『本性』を知っているかのような口ぶりだ。

 思わず目を丸くしたこのめに対し、紅咲は微塵の動揺もなく「なんのこと?」と柔い苦笑を浮かべた。

 戸惑ったような笑みのまま、吹夜を見つめる。吹夜は「ふーん」とやはり楽しそうに双眸を細め、


「それならそれでいいけどな」

「テメッ! 黙ってりゃさっきから凛詠サンに失礼な口ききやがって……!」


 もう我慢できない、とばかりに定霜が声を荒げ歩を進めた。が、


「下がりなよ、迅」


 淡々とした声は、紛れもなく"あの"紅咲のものだ。

 スッと笑みを引っ込めたかと思うと、横目で吹夜を睨む。


「……最初見た時から、嫌なヤツだと思ってたんだ」

「そりゃどーも」

「こんの、凛詠サンにはもっと敬意をもってだなあ!」

「迅、うるさい」

「サーセンッ!」


 直角に腰を折った定霜に視線を遣ること無く息をついて、紅咲は正しく伸ばしていた背を崩し、机に頬杖をついた。


「ドン引くほど必死なんだもん。さすがに可哀そうでさ。まあ、このまま付きまとわれ続けても厄介だし、一応話し聞いてあげてから断れば、諦めてくれるでしょ」

「……だといーな」


 肩を竦めた吹夜に、紅咲が眉根を寄せる。

 不穏な空気を割りさくように、このめは「早速だけど!」と叫び、ポケットからスマートフォンを取り出した。

 せっかく掴んだチャンスだというのに、勧誘前に機嫌を損ねて帰られては困る。


 紅咲の座る座席に近寄りながら、急いで画像フォルダを漁った。

 口で説明するよりも実際に見せたほうが早いだろうと、『あやばみ』の短い動画を保存しておいたのだ。

 このめの手元を興味なさげに見遣りながら、紅咲が訝しげに尋ねる。


「演劇部、じゃないね。教室に連れて来るくらいだし。けど芝居って、どういうこと?」

「ええっと、『あやばみ』って知ってる?」

「ああ……あの漫画の」


 思い出したように言う紅咲の机上に、目的の動画を表示したスマフォを置いて再生を押した。

 少し割れた音と共に、静止していた人物が動き始める。

 興味が湧いたのか、一歩引いた位置で腕を組んでいた定霜も、このめの横に立ち画面を覗き込んだ。


「これ、その『あやばみ』を舞台にしたやつなんだ。漫画とかゲームを原作にしたお芝居を『二.五次元舞台』っていうんだけど、俺、その愛好部を立ち上げようとしてて。七月の文化祭で、この『あやばみ』のお芝居を演りたいと思ってる」

「ふーん……。で、その『沙羅』ってキャラを僕に演らせようってワケね」


 このめは画面を見つめ続けた。

 感情や思いを言葉にするのは得意ではない。上手い勧誘をしたいのなら、それこそ初めから吹夜に頼んだほうが良かっただろう。


 けれども演りたいと思ったのは、このめだ。

 だから吹夜では駄目なのだ。

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