第2話あなたしかいないんです!②

 人と妖かしが共に息づく世界を舞台にした、人気漫画『あやばみ』。

 山神とされる『烏天狗』と人間との子を主人公に、半妖達の葛藤や妖かし達の苦悩を描いたそれはアニメ化もされ、ついには舞台化されるまでになった。


 漫画やアニメ、ゲームを原作とした舞台は『二.五次元舞台』と呼ばれており、この『あやばみ』は、このめがその『二.五次元舞台』に興味を持った、キッカケの舞台だ。


 衝撃だった。


 今まで『絵』として認識していたキャラクター達が、まるで本当にその場に息づいているかのように、動き、話し、物語を紡ぎ上げる。

 当然、実在する俳優が演じている為、ビジュアルは原画と瓜二つとまでは言えないが、それでも些細な表情の変化さえ『そうだった』と錯覚してしまえるほどに、舞台上では間違いなくキャラクターが『生きて』いた。


 最後のカーテンコールの幕が下りる頃、このめの胸奥はチリチリと熱く灼けていた。それは感動だけではない。決意にも似た、強い羨望を含んでいた。

 演りたい。このめはそう思ったのだ。

 それは戦隊ヒーローに憧れる少年のような、自身も『そう』なりたいという純粋な熱情だった。


 液晶画面の中では、主人公の『黒羽翔くろばかける』が、白蛇との半妖である『水在朱斗みずやりあやと』と対峙している。

 このめは自身の記憶を頼りに、手にした冊子を捲った。

 これは、このめがこのDVDを何度も繰り返し再生し、コツコツと作成した手作りの台本だ。


「そういえばこのめ、どうなの? 部活は。順調?」


 意地の悪いニヤニヤとした笑みを向けてくる姉は、このめが苦戦しているのをわかっていて訊くのだ。

 不満に唇を尖らせると、やはり愉しげにポンポンと肩を叩いてくる。


「がんばってよねー。私、結構楽しみにしてるんだから。白ブレザー高校生達の文化祭を堂々と見に行く、いいチャンスだし!」

「……文化祭は七月だから、その頃には夏服だよ」

「あ、そっか。まーでもあの校舎憧れてたし、男子高校生達がこの舞台を演ったらどんな感じになるのかも興味あるし! 期待してるわよ、『二.五次元舞台愛好部』の部長さん?」


 そう、このめが立ち上げた部とは、その名も『二.五次元舞台愛好部』だ。

 だが学校側から補助の下りる『部』ではなく、有志を募った『愛好部』として申請するにも、部員が最低三名は必要である。

 このめと、吹夜。あと一つが埋まらない申請書は、学生鞄の中で大人しくファイルに挟まっている。


 頑張らないと。

 よいせと身体を起こし「ジュース持ってこよー」と伸びをする姉を横目に、このめは本日の溜息をまた一つ更新した。


***


 いい加減、今日こそは紅咲に近づかないと。

 このめはその思いを最優先事項として常に様子を伺っていたが、結構この日もタイミングが見当たらないまま、放課後を迎えようとしていた。

 クラスが違うというのも、痛い。


 これは吹夜の言っていたように、トイレまで追いかける覚悟を決めないといけないかもしれない。

 偶々目が合ったからという理由で教師に頼まれたノートを運びながら、このめは神妙な面持ちで思考を巡らせていた。

 あまりにも思い詰めた顔をしていたのか、ノートを受け取った教師が「悩み事は溜め込むなよ」と、引き出しから飴玉を一つくれた。


 あとで食べよう。

 そんな思考で自身の情けなさを逃しながら、トボトボと教室に戻る。


(……また啓に"諦めろ"って言われそうだな)


 重い息を吐きだしながら、このめはなんとなしに窓外へと視線を流した。瞬間、視界に過った甘い桃色。


 ――まさか。


 急いで廊下の窓にへばりつき、目を凝らす。と、美術棟の一階横から本校舎の影に消えゆく、一人の生徒を見つけた。

 間違いない。あれは――紅咲だ。


(っ、チャンス!)


 踵を返し、慌てて階段を駆け下りたこのめは、全速力で美術棟を目指した。

 紅咲が一人でいるなんて珍しい。よくよく考えれば、何か別件で離れていた定霜と、あの先で落ち合う約束をしていたのかもしれない。

 が、この時のこのめはとにかく紅咲を追う事に必死で、そんな可能性など微塵も過らなかった。


(――いたっ!)


 美術棟と本校舎との間には、数種の花が咲く中庭がある。その小道の影に隠れるようにして、淡い桃色の後頭部が見えた。

 このめは走りながらすうっと大きく息を吸い込み、


「――紅咲さんっ!」


 ビクリ、と肩を跳ね上げた紅咲が振り返る。

 驚愕に見開かれた桜色の瞳が、このめの姿を捉えて小さく揺れた。


「……あ」

「急にゴメン! 俺! 隣のクラスの如月このめ!」


 側まで駆け寄ると、安堵と疲労が一気に襲ってきた。

 立ち止まったこのめは自身の両膝に手をつき、鼻と口で必死に酸素を取り込みながら、紅咲をグッと見上げ、


「お芝居に! 興味ありませんかっ!?」


 言った。とうとう言えた。

 胸中に達成感が溢れ、頬が緩んだのは僅か数秒。「アアッ!?」と後方から飛んできたドスの聞いた声に、このめは飛び上がりながら振り返った。

 結び目を下げたネクタイに、開かれた襟元。ワイシャツの裾はベルトを隠し、袖はブレザーごと肘下まで捲りあげられている。

 ――定霜だ。


(ヤバい)


 定霜は頬を引きつらせたこのめを「ア! テメエ!」と指さし、直線的な眉を吊り上げた。


「そのツラ覚えてっぞ! 毎日毎日性懲りもなく凛詠サンを追いかけ回すストーカーヤロッ」

「ごめん紅咲さん! 走って!」

「え? ちょっと!」


 反射だった。定霜が言い終える前に、このめは紅咲の手首を掴んで本校舎へと駈け出した。

 突如の事態に呆気にとられていたのか、「ッざっけんな止まれコラアッ!」という怒号は、数秒の間を置いてから届いた。


 ここで定霜に捕まってしまえば、二度と紅咲と話す機会はないだろう。そんな予感に、このめはただ必死に足を動かす。

 紅咲が手を振り払わず共に駆けてくれていることが、何よりも有難かった。


「ごめん! 紅咲さん! 話ししたくて逃げちゃったけど、約束してた感じだよね!?」

「っ、そういうワケじゃ、ないけど」


 なら、なぜ定霜はあの場に現れたのだろう。

 歯切れの悪い返答に、このめは胸中で首をかしげたが、今はそれどころじゃないかと思考を打ち消す。


 まずは逃げ切り、安全な場所を確保するのが先決だ。校舎の柱をいくつも曲がって、辿り着いた食堂の裏手で、扉の影に身を隠す。

 荒い呼吸を肩で繰り返しながら、そっと顔だけを覗かせて様子を伺ってみた。定霜の姿はおろか、声も聞こえてこない。


 逃げ切った。これでやっと、話しの続きが出来る。

 ほっと息をついたこのめは、隣で壁に手をつき呼吸を繰り返す紅咲を見遣って、「ほんと、ゴメン」と重ねた。


「ずっと、ちゃんと話しがしたくって。けど、なかなか通してもらえなくってさ」

「……、さっきの、芝居ってやつ?」

「うん、そ――」


 首肯しようとして、このめはそのまま固まった。

 紅咲の肩越しに、ゆらりと近づいてくる一人の影。


「っ、定霜、くん」


 目のあった定霜はにいっと口角を釣り上げ、拳を掌に押し付けながらグルリと首を回した。

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