魔女の住み処

 森を歩み始めた。


「じめじめー」


 二人が地面を踏みしめるごとに、ずく、ずくと水っぽい音がした。あたりには巨木の根が迷路のように伸びており、コケやきのこ、深い緑の植物があたりに密生していた。視界を遮る木々の太い幹に、少年の太ももほどの横幅がある蛇が絡みつき、舌を出している。空を仰ぐと、広葉樹の梢にうっそうと茂る葉が、日差しをほとんどさえぎっていた。風が吹いたときにかろうじて枝葉を陽が照らす程度で、地面まで光が達することはない。


 少年は身震いした。これまで味わったことのないほどの生命力を宿した森に、感動を覚えていた。


「いい香りだろう、どうだ、森の匂いは」


 少年は、胸いっぱいに空気を吸ってみる。鋭敏な嗅覚によって、ひんやりした森の空気に、沢山の植物がにおいを発していることが分かった。それぞれどこから発しているか、その位置まで正しく感じ取れた。何のにおいなのかを、少年は知らなかったが。


「みんな、仲良し?」

「ふふっ、そうだな。ここの植物たちは、みんながみんなのことを尊重し合っている」


 魔女はお気に入りの地である森に対し、少年がそのように感じ取ったことが嬉しかった。凶暴な動物もいる。ほんのわずかな量であるが、自然を侵犯する魔女のような存在もいる。が、そう言った存在も含めて、森は調和している。


 道行く生物や植物の名を教えて回りながら、魔女は少年の手を引き、家までの路を歩いていく。


「このきのこの名は、めんどりが踊っている様子、というところから来ている」

「めんどり?」

「そうか、お前のところでは、鶏を飼ってはいなかったのだな――まあ、農村で見かけるのは珍しいものだが」

「鶏って?」

「鳥の一種だが、飛ぶことは苦手。そして、火を通して食べるとうまい」


 ――お前みたいにな。


そう言いかけた魔女であったが、下手に怯えさせて逃げられても困る。それに、なぜ今から死ぬ運命の子供に、ものの知識を与えているのか、と考えた。そんな必要はない。


「このきのこもうまいぞ。持って帰って食べようか」


 肉料理にも合う。少年の肉と一緒に煮込んでスープでも作ろうと思った。少年に何株か食べさせてから――。


 しばらく森を一方向に歩くと、急に視界が明けた。眩しくて、少年は束の間目を閉じていた。


 森に囲まれた草地に立てられた、魔女の家があった。円形の石造りの壁は埃をかぶって年季を感じさせた。そこからのびる、四角く高い煙突だけが変にきれいだった。炉がほしいと思い、魔女が街の職人に、無理に改装を頼んで作らせたものだ。


「ここだ」


 誰かを招き入れる段になって、色気がない家だな、と魔女は思う。


 彼女が長寿の薬を飲むと決意したころに建てたものだから、もう築五十年ほどになる。


 街の皆、住みたいところに好きに家を建てているとはいえ、ここまで街から外れたところに住むもの好きは、隠遁生活を送ろうとする魔女ぐらいのものだった。


「わあ! おうち! 石のおうち? 教会みたい!」


――大した家じゃないんだが。


 少年が無邪気にはしゃぐ姿に、魔女は頬がこそばゆくなる。


 そこで魔女は、どうやって彼を殺すか考えていなかったことに思い至る。毒で殺しても、魔女自身が食用にするには問題ない。が、味は落ちてしまう。


 ――やはり、首をはねて殺すか……鶏のように。


「ねーねー! おうち、はいっていい?」


 物騒なことを魔女が考えていると、ローブの裾を少年が引いた。彼は目をきらきら輝かせて、今にも家のほうに走りだしたいと言わんばかりに尻尾を振っていた。


「あ、ああ――好きにするといい」


 魔女が言うが早いか、少年は駆けだしていった。


 しかし。


 彼は小石につまずき、派手に転んだ。少年は膝に強い痛みを覚え、泣きだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る