人外へのいざない

「もっとリンゴが欲しいか? それならついて来るんだな」


 魔女はそう吐き捨て、森のほうに歩を進めていく。しばらくたっても、少年は動こうとしなかった。彼は村で聞いていた言いつけを守ろうとしていたのだ。


「だめだよ、そっち、いっちゃ」

「お前はもう、人間とはかけはなれた存在だ。森の生き物は、お前を歓迎するだろう」


 それらしきことを言ったが、すべてでたらめだった。実際森に住む猛獣の類は、少年の柔らかそうな肉を喰らおうと企むであろう。たちが悪いのは、その最たる例が、こう声を掛けた魔女本人であることだ。漆黒の髪を持つ森の魔女は、その肉のうまさが評判になっている半人半獣を喰らおうと彼を招いているのだった。


「リンゴは私の家にたんまりとある。私は甘いものを好かんのでな――お前にくれてやろう」

「リンゴ、食べたい、でも」

「お前の家にはない、温かな暖炉もある。夜も暖かく過ごせるぞ?」

「うち、なんで、知ってるの?」


 口が滑ったか、と魔女は少し後悔した。しかし、どうせ食べてしまう相手だ、少しぐらい真実を話してやってもいい、という気になっていた。


「いいかい、お前は、代々お前のような狐憑きが生まれる可能性がある家系の生まれだ。私はとある街に、狐の耳としっぽが現れた子がいたことを知った。お前からすれば四代前だな。――それを放っておいたお前の先祖たちは、街から異端として追放された――そうして不本意に、狭い農村での作業をしているのだ」

「……?」


 少年はキョトンとした顔をした。彼には、その話はまだ難しかった。


「要するに、お前が生まれて家族は不幸になるから、いなかったことにしたいということだ」

「……え」

「さらに言うなら、お前は、生まれたことになっていないんだよ」

「……え」

「お前ははじめから、人ではなかったということになる……人の生まれは記録しても、人でないものを記録する必要がどこにある?」

「ぼく、うまれてない……?」

「人間としてはな」


 みるみるうちに、少年の顔にしわが増えた。唇がわなわなと震えている。大声を出されても面倒だったので、魔女はてっとりばやく調理台に彼を持ち込もうと思った。


 差し出された手を、狐の少年がつかんだ。本能には逆らえないのか、ぐるぐると腹が鳴っている。


「お前の村の教会に感謝するんだな……家まで見に行ったが、今のところ、お前の家族は追放などされていないよ」

「みんな、家族、じゃない。たべもの、くれない。すむところ、ない」

「そうだな、そうかもしれない」

「じゃ、あなた、お母さん!」


 少年が明るく言い放った。その笑顔を、魔女は直視できなかった。


「お母さんじゃない、私はただ、森好きのおばさんよ」


 少年は魔女の言うことをまるで聞いておらず、


「お母さん、リンゴ、くれる。暖かい、暖炉? くれる」

「暖炉はあげられるものではないが……」


 魔女はなんとなく、同郷のアマンダのことを思い出した。アマンダは人間である。魔女の一つ上で、もう今年で七十になっている。数年ほど二人は会っていないが、魔女は彼女が子や孫のことをしょっちゅう自慢してきて、鬱陶しかったことをよく憶えている。しかし、幸せそうだな、とも感じたのは事実だった。魔女は魔女となった時から、生涯子を持たない道を歩まねばならない。魔女の産む子は、かならず奇形をもって生まれ、すぐに死んでしまうのだ。


 頭を振って、そういった考えを振り払おうとした。この狐憑きの少年に、ほだされているのか。馬鹿馬鹿しい。


「お母さん、前のお母さんより、若い。きれい」


 魔女は、少年が天性の「たらし」であることを思い知った。面白いことを言う。


 ――なに、少しぐらいいいさ。リンゴが尽きたら食えばいい。今の彼はがりがりやせ細っていて、見るからに美味しくなさそうじゃないか。

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