漆滴:死血 - Hemostasis -

   ※   ※   ※   ※   ※



「なっ、何とおっしゃいましたか、ダキーラ神父しんぷ!?」


 散策から舞い戻った挾間田はざまだの言葉に驚き、普段の聲調トーンを外し、上擦うわずる。

 挾間田デス――

 そう、たしなめられ、辛うじて平静を取り戻す谷山。


「ソンナニ驚クヨウナ話デハ無イデショウ、谷山神父。有樣アリサマデハ、思ワヌ告白ニ悔悛カイシュン祕蹟ヒセキガ滞ッテシマイマスヨ」


「其れとこれとはお話が違います!吸血鬼を狩る、とは一体どう言う料簡りょうけんなのですか」


ノ意味ナノデスガ~、說法セッポウセヨ、ト?」


「說明、です。私共の敎會きょうかいに協力を求めるのであれば必然でしょう。使徒座しとざから其の樣なお話は聞いてはおりません」


 睡眠不足と重責、法迪坎ヴァチカンからの來訪者らいほうしゃに、と調子ペースみだされては来たが、谷山は加特力カトリック千葉敎會の主任司祭。

 何の説明もなしに協力する謂われはない。


ノ國ハ病ンデイマス!吸血鬼ヴァンパイア山月鬼セリアンスロープ他、魑魅魍魎チミモウリョウタグイガ多過ギマス。人ノ世、神ノ國ニトッテシキ存在」


 世間一般で云われる特異點シンギュラリティ爆發エクスプロージョン、敎會で云うところの“二次セカンド創世ジェネシス”以降、加特力カトリックでは何度も慎重に協議されてきた議題。

 其れが異類異形フリークス亞人ヒューマノイドの取り扱い。

 知性ある人ならざる存在をどう扱えば良いのか。

 結果的に、加特力では創世記にるがまま、人閒が支配、管理、治めるき対象下に彼等かれらを置く事にた。

 そんな事は分かっている。

 だが、人種的差別撤廢てっぱい提案の追加要項として知的生命体への差別も分け隔てなく撤廢された。

 帝國にほんは是を何處どこよりも早く提唱し、採擇さいたく、國際條約じょうやくに批准している。

 そんな中、挾間田の考えは過激。

 敎理にのっとってはいるが、抑々そもそも忌む可き存在とは語られていない。

 世界の理想、其の風潮、社會しゃかいの常識から逸脫いつだつしている。

 確かに倫理的に不道徳な者達が多いのは事実だが、其れを裁くのは其の國の法で良い。否、そうれる可きである。


「彼等も愛される可き存在です。鄰人愛フィリアもって接す、其れが此の國の示したあかしなのです」


「無論、愛デスヨ愛!“殺愛フィレフォネウォー”。ワタシニ惡意ハ有リマセン。愛故ニ相容アイイレヌ惡シキ者ヲ誅殺ちゅうさつセシメン。AMENエィメン


「――…敎義が赦しても法が其れを赦しません。當然とうぜんでしょう」


「ワタシハ法ニモ赦サレテイルノデス」


 挾間田が祭平服キャソックの胸元を開き、首から掛けたストラップ付きのクリアケースを取り出す。


「…何を根拠に――!?」


 クリアケースに収められた其のカードは、まぎれもな國際資格“殺人許可証マーダーライセンス”。

 谷山は知っている。

 かつて、告解の最中さなか、一度、否、二度見た事がある。

 確か…――

 ――狩獵者ハンターと、もう一人は……思い出せない。

 併し、何故、挾間田が殺人許可証を所有しているんだ。

 是は、危険過ぎる。


「谷山神父。貴方アナタト貴方ノ敎會ガワタシヘノ協力ヲ拒ンデモ罪ニハ問ワレマセン。聖座サンクタ・セーデスヘノ報告モアリマセンシ、仮ニ其ノ事實ジジツヲ聖職者省ガ知ッタトコロ何等ナンラカノオトガメガ有ル訳デモアリマセン。

 只、事實ト為テノコルノハ、呪ワレタ魑魅魍魎ノ類ヲカバウ者、其レダケデス」


「――…少し、考えさせて下さい。助任司祭や協力司祭、信徒達とも協議が必要です」


 程無く、敎會は血に染まる。

 望まざるとも。



――千葉けん警察部特別會議室



 ――トントンッ!

 扉をノックする音に反応する素振りも見せず、蓼丸たでまるは「どうぞ」と答える。

「失礼します、蓼丸警視けいし」と久我くがが入室。


 千葉縣警察部本部廳舍ちょうしゃには幾つかの特別會議室が用意されている。

 4~6名程での使用を目的とした六畳間だが、警視廳けいしちょうや各府縣警察部からの應援おうえん組の臨時詰所としても使われる。

 現在、の第六特別會議室は蓼丸專用の私室となっている。


 丁度、本廳ほんちょう科搜硏かそうけん世良せらからのメールに苛立ちを覚えていた。

 千葉市内各處かくしょに設置されている全ての監視カメラには、遺失物いしつぶつ関連の精留鍊成人型ホムンクルスに類する少女を思わせる映像記錄は一切見当たらない、との調査報告。

 そんな莫迦ばかな事があるか。

 世良は優秀、仕事も早く、して見落とすはずも無い。

 畢竟つまり挾間田はざまだの言に嘘があるのか、將亦はたまたかくされた事實じじつもたらす影響故なのか。

 そんな最中さなかの不意の訪問者の存在は益々、蓼丸を苛立たせる。


 訪問者の顏を見るなり、蓼丸はわずかに眉をひそめ、まぶたに力を込める。

 半目という程、閉じる訳ではない。

 眼球上部に多少、圧を加える、その程度のかすかな眼輪筋がんりんきんの働き。

 此の微妙な表情の変化に気付く者は、ほぼいない。

 記憶を辿る時、蓼丸がする仕草しぐさ


 ――特高とっこう新人ガキか。

 ねずみが、何をしに来たんだ。


これは久我警部、何か御用でも?」


「ご挨拶がだでしたので失礼致します。久我しゅんと申します。どうか、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します」


「ご丁寧にどうも。蓼丸です…確か、大學の後輩でしたか、ね?こちらこそ、宜しくどうぞ」


 共同搜査本部の顏合わせの時には会釈程度だったのに、何を殊勝な態度を。

 “”にでも来たのか。


「警視の書かれた卒論『固有現実想像域と具象化にける法的性質と法理考察』を拜見はいけんさせて戴き感銘を受け、機会があれば是非とお話をお伺いしてみたい、と思っておりました」


「…れはどうも。隨分ずいぶん前の話なので、私自身もハッキリとはおぼえてはおりませんがね」


 卒論、か。

 古い“”を持ち出して来たな。

 調べ上げて来た、と云う訳か。

 其れにしても、だ。

 思想彈壓だんあつ屋が感銘を受けた、だと?

 調査對象マークした、とでも云いたいのか。


「科學的、物理學的、生物學的他、理系的なアプローチは多く見られますが、特異點爆發とくいてんばくはつ後の“存在”にたいし、法理解釈からの考察と云うものは大變たいへん參考さんこうになりました」


「學生時代の世迷い言、ですよ」


「參考迄に、警視にとって異類異形や異能とは、どのような存在だと思われますか?」


 上瞼うわまぶたに軽くあつを掛け、蓼丸は答える。


「法の下で解釋かいしゃくされている通り、ですよ。義務と權利けんりが守られる限りに於いて差別される對象では無く、特別な存在ではありません。特殊、だとは思いますが、ね」


「流石は警視、洗練なされた都會的なお考えに、感服致しました」


 此奴こいつ――

 俺を試してる、な。

 いいだろう。

 そっちが其の気なら。


ところで、久我警部“個人”としてはどの樣にお考えですか、參考迄に」


 おもむろに、久我はトローチを取り出し、口の中に放り込む。


おおむね、警視と同一の價値觀かちかんに御座居ます。客觀的法原則の定めたる保障下に於いて健全たる取扱い、そう解釋しております」


いや、警部。法的な取扱いではなく、飽く迄も警部の個人的見解を伺ってみたいのですが。私の卒論にご興味を持たれた程だ、法的に未整備な箇所について思う處が在るかと思うのですが」


 奧齒おくばで、ガリリ、とトローチを噛み締める久我。


「司法に在る身ですから僕自身の見解は法的見解と一致しております。しかながら、敢えて個人的感想を述べさせて戴くのであれば、警視が卒論の中に於いてれておられます疑義と課題に酷似している、そう申し上げます」


「…成る程。畢竟つまり、私と警部の見解はほぼ一致している、そう云う事です、ね。其れは、良かった」


 ――ふんっ。

 言質げんちは取った。

 “”相手が悪かった様だな。

 ガキが俺の相手になるとでも思っていたのか。


「――はい、警視のお考えに近しかった事、大變名譽めいよに御座居ます。矢張やはり、警視の聰明そうめいさは素晴らしい!

 し宜しければ、本日仕事終わりにでもお食事などご一緒出來れば幸甚こうじんに御座居ます」


「!?…ええ、分かりました。終業後、何處どこかに飲みにでも参りますか…」


「はいっ!お供させて戴きます」


 何だ、此奴は。

 まぁ、いい。

 籠絡ろうらくしておく、か。



――千葉中央警察署刑事課



鈴本すずもと警部、一服行きませんか?」


 永江ながえの誘いにおうじ、共に喫煙所に向かう。

 普段であれば同フロアにある喫煙室で一服するのだが、永江は非常階段に足を向ける。

 普段、職員達があまり使わない屋外喫煙所を選択した時点で鈴本はわきまえている。


「永江さん、進捗しんちょくありましたね?」


 いつものように片手で器用に燐寸マッチり、咥え煙草に直に火をける永江。

 十分に煙草ショッピを吸い込み、鼻から先に煙を出し、後から顎を突き出す形で下前齒に煙を当てつつ、吐き出す。

 二度、煙を楽しむと思い出したかの様に答える。


「宗敎屋の云ってた少女マルガイとは限らんが、同日、不審な外國人風の少女の目撃例は142件。これれだ。目を通して見てれ」


 永江は上着のポケットから無造作に紙を取り出し、鈴本に手渡す。

 目撃例は全て手書き、実に永江らしい。

 決して上手い訳ではないが、読み易い字。

 其の見慣れた細かい文字を斜め読む鈴本。


「どうだ、“”のはあったか?」


 ジッポーのリッドをクリンクリンと開閉させ乍ら、

「そうですね――

 ――少女一人で目撃されたものは、無い、でしょう。あっても追蹟けるのが困難です。

 二人以上。少女他、誰かと行動を共にしている目擊情報センが有力ですね」


「そうだな」


「同行者が前科者マエモノや風俗關係者かんけいしゃ性犯罪者マメドロボウ人勾引ひとかどい暴力團員スジモノ、半グレであれば蹟追あとおいで済みます。

 ついでに同性の同行者は足が付き易いので、優先爲可すべきはの28件ですね」


「成る程、な」


 ジッポーの回転鑢フリントホイールをクリクリと回しつつ、

いや、此の12件…否々、7件ですかね、優先爲可きは」


「ん?」


「少女にたいし、同行者の不審點ふしんてんが少ない。見掛け上、特筆爲可き點の少ない者。兩者りょうしゃが在り、しかし乍ら、情報として上がって來た此の7件こそを先んじて追うきですかね」


 永江は眉毛を環指くすりゆびでつつ、

彌速いやはや、大したもんだ。なら、其の件から当たると爲るか」


 誘い出しておき乍ら、永江はさっさと一人で喫煙所を後にする。

 仕事となると無邪気な子供さながらに自分勝手に一直線。

 倂し、其處そこが信賴の置けるポイント。

 鈴本は一人静かに煙を吐く。



――千葉市中央中央、通町とおりちょう公園



 深夜にも関わらず通町公園には人が混雜返ごったがえしている。

 道をはさんだ向かいにあるクラブ『DOOMドゥーム』に踊りに來た客があふれ出し、公園に迄及んでいる。

 色取り取りの刺靑タトゥーやサイケデリックな髮型、痛々しくも妙に神祕的な瘢痕文身スカリフィケーションに多種多樣なインプラント、無骨な人工義肢、奇拔な衣裝に露出狂、チンピラ、多彩な人種、ドラッグに醉う狂人、亞人の類迄入りみだれる渾沌の坩堝るつぼ

 彼方此方あちらこちら亂癡氣騷らんちきさわぎや怒號どごう雄叫おたけび、嬌聲きょうせい、各國の言葉が飛び交う。


 挾間田はざまだと谷山の兩神父りょうしんぷは、の似付かわしくない場所に足を運んでいた。

 挾間田は此處ここに來る前、谷山に拳銃を渡している。

 ――SIGシグ SAUERザウエル P426。

 コンパクト、9mmパラベラムだんモデル、裝彈數そうだんすう15+1ぱつ

 舊式きゅうしきモデルだが抜群の安定度を誇り、護身用としては最適。

 此のご時世、護身銃の一つや二つ持っているのが当たり前、勿論、谷山も所有しているし、持ち歩いている。

 しかし、挾間田から手渡された此の銃は少し特殊。

 銃の物が聖別されており、彈丸は純銀製のホローポイント彈で聖印が刻まれたたい吸血鬼ヴァンパイア山月鬼セリアンスロープ特化型護身銃。

 勿論、對人用としても護身に使えるが、銀彈ぎんだんは柔らかい上に鉛よりかるために殺傷力は乏しく、虛假威こけおどし程度。


 挾間田いわく、自分の身を守る爲だけに使え、と。

 挾間田の援護目的には決して使うな、と。

 素人の援護射撃は返って危ない、そう語った。

 あんに、邪魔立じゃまだてをするな、そう云う事だろう。


 挾間田がクラブDOOMに目を付けたのは、特別な“”が此の店にあるからではない。

 偏見へんけん――

 ひとえに、僻見びゃっけん

 吸血鬼や山月鬼他、亞人や異類異形いるいいぎょうの存在其のものを惡しきものと斷定だんていする挾間田にとって、同じく不道德な場所であると云う偏見ゆえにクラブを選擇せんたくし、偶々たまたま此のDOOMに遣って來ただけの話。

 谷山が同伴を承諾したのも、挾間田にる核心を突いた說明や說得では無く、谷山さえもが偏見を抱いているが故。

 谷山自身は亞人て“絕對惡ぜったいあくなどとは全く思ってはいないが、不氣味な存在、と常日頃つねひごろ感じている。

 同樣に夜な夜なクラブに通う者やその場所にいても良い心證しんしょうは抱いていない。

 聖職者とはいえ、先入觀せんにゅうかんあらがうのは難しい。


「谷山神父。本日ハ此ノ公園周邊しゅうへんデ邪惡ナル“モノ”ニ天罰ヲ執行シマショウ」


「此處ですか、ダキーラ神父!?店の中ではなく?」


「此ノ公園ニ居ル者ハ皆、ノ店ノ利用客デショウ。先ズハ此處デ其ノ存在ヲ確認シマス。

 其レニ、マンガ一、店中ミセジュウノ客全テガ魑魅魍魎チミモウリョウタグイデアッタトシタラ、谷山神父。貴方、生キテハカエレマセンヨ」


 もっともな意見だ。

 客で混雜返しとなった店内で何か起これば避難出來ない。

 抑々そもそも、店の中で暴れでもしたら其れこそ大騷ぎ。

 挾間田と云う男、血の氣が多い割に意外と周りが見えている。


「谷山神父、オ下ガリナサイ。見付ケマシタヨ、呪ワレシ惡虐アクギャクシュヲ」


「えっ!?」


 公園にいて未だ3分とっていない。

 にも関わらず、早くも見付けたというのか、吸血鬼を。


 吸血種きゅうけつしゅは、稀少、そう聞いている。

 其れが何者かに喧傳けんでんなのか印象操作プロパガンダなのかまでは分からないが、基礎敎養と想像力が其れを尤もらしくさせ、そう思い込むに易い。

 此處ここで云う基礎敎養と想像力とは、吸血種は其の名の通り“吸血行爲きゅうけつこうい”が其の生命維持に必要不可缺ふかけつであり、其の爲にはベースとなる生體せいたいと同種の生き血を攝取せっしゅする、と知られる。

 一般に、吸血種は專用の輸血パックを食餌しょくじるが、直接、人閒から血液を攝取する者もる。

 前者は法を遵守する吸血種として權利けんりを認められた亞人種デミヒューマンであり、後者は違法行爲として處罰しょばつ對象たいしょう看做みなされ、是が世に云う“吸血鬼”。

 吸血種は子孫をのこす意外に、特殊な感染に因る種の保存が可能。

 わば、吸血種は吸血種を“創造”爲る事が出來る。

 畢竟つまり、人閒を吸血種へと變貌へんぼうさせる事が出來る。

 無論、是は法で禁止されており、嚴罰げんばつの對象。

 法で禁じられている上、生理學的に必須とる人の生き血の總量そうりょうまた、其の供給量と分配率から考慮すれば、おのずと吸血種の個體數こたいすうには限界がる。

 其れが、稀少種、とされる根據こんきょる。


 そんな稀少な存在である吸血種、いや、吸血鬼がこんなにも早く見付かるものなのだろうか。

 抑々そもそも、挾間田はどうやって人閒と吸血鬼を見定めているのだろうか。

 少なくとも、兩者りょうしゃに外見的な違いは微塵みじんも無い。

 精々、發達はったつした犬齒の有無くらいだろうが、吸血鬼は其の牙をる程度、伸縮させる事が出來るため、通常時では判斷はんだん出來無い。


 公園内各處かくしょに設置された色彩豐かカラフル板柱モノリス状のオブジェ。

 植木うえき合閒あいまに配された其のオブジェの一つの前にたむろする若者達。

 一見、普通にクラブに遊びに來ている派手な若者、其れくらいの印象。

 其の若者目掛け、笑顏を浮かべつつ、づかづかと步み寄る挾間田。


 おもむろに挾間田は話し掛ける。

「君達ッ、キ・ミ・タァ~~チッ!」


 電子煙草ヴェイプを吹かす金髮の若者の一人が反応。

「ン?なンだ、オッサン?」


貴方アナタハ神ヲ信ジマ~スカッ?」


 派手で奇拔きばつなお洒落しゃれ眼鏡を掛けた別の若者が、

「あっ??牧師か?」


「其レハ新敎プロテスタント敎役者キョウエキシャデス。加特力カトリックデハ神父デス!

 氣輕キガルニ、神父樣シンプサマ、トオ呼ビナサイ」


 犇々タイト光澤感こうたくかんのあるキャバスーツをまとった少女は、

「だーかーらー、オジサン、なんの用?」


 挾間田は互いの腕を祭平服キャソックの袖口に突っ込む。

 閒もなく、りょうの手を袖から引き抜くと、其の拳にはとげような細身のやいばの付いた拳鍔ナックルダスターが握られている。


「君達、吸血鬼ヴァンピーロデスネェ~?」


 女無天綠ミントグリーンに染め上げ、短く放射狀に髮型をセットした男が、

「あぁン?差別主義者セグリゲーショニストか?それとも、吸血種恐怖症ヴァンパイアノフォビアか?」


 ツーブロックの刈上かりあげ部にラインアートを施した男が口を挾む。

「どっちにしてもヤベーおっさんだ。離れようゼ」


「待チナサイ君達。神ヲ信ジルノデアレバ“オ仕置シオキ”ダケでミマース。信ジ無イノデアレバ、キツイオ仕置キガ必要デース」


 ――ボグッ!

 不意ふいに、挾間田の項部こうぶに衝擊が走る。

 背後から木製の角材でなぐられる。

 若者達の仲閒と思わしき刺靑まみれの瘦身そうしんの男が後ろから襲い掛かる。


「おい、コイツはだ。さっさと店に戻ろうぜ」


 挾間田は頸筋くびすじさすながら、

「神父ヘノ冒瀆ボウトクハ神ヘノ瀆聖トクセイニ近シキイ。コレハ天罰ノゴト死置シオキガ必要デス!」


 挾間田が兩のかかとをカツンと叩き合わせると、靴の爪先つまさきからナイフが、足背から刄が、夫々それぞれ飛び出す。

 其の巨軀きょくからはにわかに信じがたいスピードで左後方にからだひねる。

 振り向きしな上體じょうたいを引きつつ、左足で後ろまわし蹴りをり出し、背後の瘦身の男の左頰を爪先のナイフで切り裂く。

 蹴り拔いた左足が男の頭上に達すとインサイドを下げ、膝を内側にたたようにし、振り向きざま橫囘轉よこかいてんを重力方向に落とす。

 挾間田の靴底は男の膝上に叩き落とされ、見るも無慘むざん破壞はかいされ、逆關節ぎゃくかんせつさながらの樣相ようそうていする。

 ぎゃあああああッ!――

 膝をくだかれた瘦身の男は悲鳴と共に大地にし、地面をころがり沼田打のたうち囘る。

 突然の荒事に公園内に居た者達が興味を抱き、野次馬やじうます。


 ――法迪坎式ヴァチカンしき薩瓦特サバット

 谷山は聞いた事がある。

 18世紀中頃、使徒座しとざもたらされた佛蘭西フランス發祥はっしょうの護身術。

 第255代羅馬ローマ教皇ピウス9世の治世下、伊太利亞統一運動リソルジメント最中さなか囘敕かいちょく深慮クワンタ・クラ』に誤謬表シラブス・エラルムと共に付錄ふろくされた“毒蛇狩りウェナーリ・セプス”に記された敎會きょうかいの敵に對抗たいこうする爲、信徒に求められる所作の一つとして發布はっぷ

 敎皇領を奪われ、法迪坎の囚人として苦難に在った中、祕密裏ひみつりに其の技は磨かれたとれていたが、現代にいて迄、是が繼承けいしょうされているか否かにいては不明だった。

 倂し、挾間田の披露したの華麗に實踐じっせん的な體捌たいさばきは、まごう事無くつたえ聞き及ぶ法迪坎式薩瓦特の一つ羅甸拳闘プジラートゥ・ラティーネ


 膝を碎かれころまわる男に變調へんちょう

 挾間田の靴先のナイフで切り裂かれた男の頰は、丸で紙片が燃燒ねんしょうするかのように明るい橙色オレンジと赤黑さを伴い發光はっこうし、僅かなほのおを上げ、顏全體ぜんたいを徐々に焦がす。


「なっ、何なんだ、コレはっ!?」


眞銀ヴェルムアルゲ奉呈ントゥムドヌムデス。

 10世代物セダイモノノ貧弱ナ劣等複製種ヴァンピーロ・レプリカートハ自分ノ銀アレルギーニイテスラ無知ナノデスカ?」


「ばっ、馬鹿な!?銀アレルギーでこんな事になる筈がない!」


「アァ~、其レハ祝福シュクフクサレタ聖別眞銀ヴェルムアルゲントゥムデース!

 ハッハッ~ッ、スコブル、良ククデショ~?」


 顏面を焰に包まれた瘦身の男は閒も無く頭蓋骨をあらわにし、やがて其の骨すらも燃え出し、炭化し乍ら分解された。

 動かなくなった其の體を徐々に焰が包み広がり、灰にして行く。


「てっ、てめぇ~!ブッ殺してヤル!!」


 オブジェ近くで屯していた若者達が一齊に挾間田に襲い掛かる。

 途轍とてつもない速さで躍り掛かる。

 吸血種の身體しんたい能力は人閒の其れをはるかに凌駕りょうがする。

 谷山の目ではとても追えない。


 倂し、挾間田はいと容易たやすく反応する。

 虎爪バグナグと呼ばれる拳鍔を握り締め、挾間田はスリッピング・アウェイして若者の拳をくびの捻りだけでかわし、カウンターをガラ空きの橫っ面に打ち込む。

 ナックルの銀爪を突き立てられた吸血鬼は、先程の男同樣、焰を吹き上げ顏は炭化し、絶叫を上げ乍ら崩れ落ちる。


 仲閒がやられても激高する吸血鬼達は襲うのを止めはしない。

 手の爪を猫科の其れの樣に伸ばし、挾間田を切り裂こうとる。

 挾間田は祭平服キャソックの胸元から十字架型のナイフを取り出し、男のてのひらに突き立てる。

 燃え上がる掌を握りしめ苦痛にあえぐ吸血鬼の腹に前蹴りを食らわし、爪先のナイフを突き入れると、男の土手どてぱらは焰を上げて大穴が穿うがつ。

 サイドからつかみ掛かり牙を突き立てようとする吸血鬼にはサイドキックを繰り出し、足底部で腹を蹴り、うずくまったところに拳鍔を顏面に数度叩き付け、破碎はさいする。

 余りの慘劇さんげきに恐れおのの野次馬やじうま達は蜘蛛の子を散らすように此の場から離れる。


 立てつづけに三名がたおされ、此處迄ここまでに四人がほふられると、流石に吸血鬼達も逡巡たじろぐ。

 仲閒とおぼしき者はすでに男二人、女一人の三人のみ。

 七人もの吸血鬼が居合わせた事に驚きを禁じ得ない谷山だったが、其れ以上に挾間田の竝外なみはずれた戰鬭せんとうスキルに目を奪われる。


 不意に、吸血鬼の男女が各々別方向に逃走をはかる。

 挾間田は手にした十字架型ナイフの中心部に在る装飾ボタンを押すと、十字の四方から刄が飛び出す。

 そのナイフをサイドスロー氣味に投げ付けると、回旋鏢ブーメラン宛らに弧を描き乍ら飛行し、逃げ出した男女の頸筋を的確に切り裂く。

 走り乍ら男女の頚から焰が上がり、間もなく炭化し、崩れ落ちる。

 殘る一人となった金髮の吸血鬼は腰を拔かし、電子煙草を口許からぽろりと落とす。


「た、助けてくれ……」


 挾間田は金髮の男に顏を近付け、滿面の笑みを浮かべて答える。

「素直デ宜シイ!ワタシハ正直者ガ好キナノデスヨ。

 今ナラ正直ニ答エル事ガ出來ルデショウ。貴方ハ神ヲ信ジマスカ?」


「……も、勿論!信じる、神様を!だから、助けてくれ!」


 ――ベロン!

 吸血鬼の頰を其の大きな舌で舐め付ける。

 うわぁっ!――

 突然の予期せぬ行爲に吸血鬼は表情は引きらせる。

 挾間田は眉閒にしわを寄せ、怪訝けげんな表情を浮かべる。


「嘘ッ!嘘ヲツイテイマスネ、貴方ッ!」


「!?ウソじゃない!本当だ、信じてくれーっ!」


嘘吐ウソツキハ異敎徒ノ始マリデース!

 抑々ソモソモ、神ヲ信ジテ居ルノデアレバ、吸血鬼等ト云ウ自身ノ存在ニ堪エラレル筈ガ有リマセン!自殺ハユルサレマセンカラ敎會ニ自ラ足ヲ運ビ、惡魔祓アクマバライヲ受ケルキナノデス」


「…助けて……」


「デハ、神ノ奇蹟ニスガリナサイ。シ、神ニ許シヲウ氣持チガ本物デアレバ奇蹟ガ起コル事デショウ」


 挾間田はふところから小さな硝子容器アンプルを取り出し、

「是ハ死血劑ヴェノンブラッダト云ウ吸血鬼ニトッテ致命的ナ藥劑ヤクザイデス。本來デアレバ、劣等複製種ヴァンピーロ・レプリカート如キニ使ウ代物デハ有リマセン。

 倂シ萬ガ一、此ノ死血劑ニ耐エル事ガ出來タノデアレバ、其レハ正ニ奇蹟。神ノ慈悲ニ他ナリマセン。貴方ノ命ヲ奪ウ事ハ爲無シナイト保證ホショウシマショウ」


「……」


 アンプルを高々と揭げ、

「サア、神ニ祈リナサイ!ア~、ユゥ~、エェェェ~~ィメェェン?」


 アンプルを直接、男の鎖骨頭付近に突き立てる。

 ――ギャッ!

 突き刺さったアンプルの先は碎け、藥液やくえきが吸血鬼の體内に注がれる。

 途端とたんに男は小刻みに震えだし、目や鼻、口、耳他、有りと總有あらゆる穴という穴から血を吹き出す。

 眞っ赤な鮮血は直ぐにくろみ凝固。

 一瞬の硬直の後、代拿邁ダイナマイトによる發破はっぱ宛らに炸裂。

 吸血鬼は粉微塵こなみじんに霧散した。


矢張ヤハリ、神ハ惡魔ヲ許シハマセンデシタ、AMEN《エィメン》!」


 祭平服キャソックほこりかるはたきつつ、

サテ、長居ハ無用。カエルトマスカ」


「…店内を見ずに歸って宜しいのですか?」


「一匹逃シマシタガ、マア、他愛モ無イ劣等種ナノデ放ッテオイテモ良イデショウ。

 其レヨリ、騷ギヲ聞キ付ケタ警察ニヨル聽取チョウシュニ答エルノモ面倒デショウ?」


「そ、そうですか…」


 わきまえている、と云うきか。

 あるいは、程度を知っている、と云う可きなのか。

 明らかに常軌をいっした行動を取っているにもかかわらず、挾間田と云う男は妙に冷靜。

 否、たんに感情の起伏が激しいのか、將亦はたまたこらしょうが乏しいだけなのか、谷山には分からない。

 唯一ただひとつ明確なのは、この男の機嫌を損ねるのは得策ではない、と云う事實じじつ

 谷山は挾間田の後を追い、早々に公園を後にする。


 其れにしても一つ、氣になる事がある。

 何故、彼處あそこ淡泊あっさりと吸血種を見抜けたのだろうか。

 一人逃げた、と云っていたが、そんな人物の存在には全く気付かなかった。

 かえしな、谷山は尋ねる。


ところでダキーラ神父。一體いったい、どうやって“”が吸血鬼だと分かったんですか?」


「ハーッハッハッハッハーッ!至極シゴク簡單カンタンデ~ス。其レハッ、ニオイデスヨ、臭イ!

 彼奴等キャツラメハァ~~~、スコブゥゥゥ~rrrルゥ!!クサァーーーイッッッ!!!」


 ゾッとした感情を押し殺し、敎會への歸路きろに就く。

 夜は未だ長い。

 夜道は暗く、見通しは利かない。

 自分達の運命にも亦、見通しが利かないとは、此の時は思ってみなかった。

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