其の壱(加筆修正版)

 口裂け女、もとい三國涼花の一件から一週間と少し経ち、暑さも落ち着いてきたが、暑いことに変わりはないので、未だに夏服を着ている状態が続いている。


 そんな暑さの日々が続いているにも拘らず秋物の服が陳列され始めて秋が近づいていること実感するのだが、どうにもこの暑さではまだ早いだろうと思ってしまう。


 あの事件以降からずっと瑠美と一緒にいることが多い。学校が終わってからも駄菓子屋に寄り道をしたり、休日も一緒に遊んだり勉強したりと常に一緒にいるのだ。


 紗理奈は彼女の新しい一面を見る度に嬉しかった。普段はしない勉強も休日を使って瑠美と図書館でするなど、紗理奈の日常に変化が起きている。しかし、まだ彼女からは「黒木さん」と呼ばれるので、もっとお近づきにならなければと思うのだ。


 本日は土曜で快晴。最高気温は三十六度にまで達するそうだ。今日の予定は既に決まっていて、瑠美と一緒に隣の大きな町に繰り出して映画を見てから、カフェでここ最近の授業の復習をするのだ。あと、この間瑠美から借りた小説を読み終えたので、その感想を話そうと思っている。


 中間考査はまだまだ先の再来月の十月に行われるのが、二学期は範囲が広いのでこまめに復習をしないと忘れてしまうことがあるからだ。


 二年生になる時に特進クラスから普通クラスへ落ちてしまうことがないようにしなければいけない。


 身支度を整えて部屋を出ると妹も丁度部屋から出てきた。まだネグリジェのままで目を擦りながら紗理奈を見た。

 しかし、顔はお婆ちゃん譲りの顔立ちで整っているが、いや、どうして、神様仏様は本当に妹と同じ血が自分に流れているのですか? 自分よりもやたらスタイルが良い。しかも、胸囲の部分が………


「お姉ちゃん、おはよう」


「おはようさと美」


 さと美は紗理奈の服装をまじまじと見た。あざとい印象を受ける麦わら帽子に、白いシャツには唇がプリントされていて、ブランド物だと解った。胸を強調するほどない姉は脚だけには自信があり、ホットパンツで綺麗な脚をこれでもかと見せつけていた。


「何処行くの? もしかして、デート?」


 ニンマリとして目を細め、楽しそうに調査へ乗り出した新米探偵の尋問に答える義理はないのだが、母に何を言うか解らないのでここは答えておく必要がありそうだ。


「まぁデートっちゃあ、デートかな?」


「え!? お姉ちゃんホントに彼氏できたの!?」


「そんなわけないじゃん。今日はクラスの友達と映画見に行くの。ちなみに女の子。良いでしょ?」


 紗理奈が階段を降り始めたのでさと美もそれに続いた。


「遊んでばっかで成績落とさないでよね。お姉ちゃんやればできるんだから」


「うっさいなぁ。映画見てからカフェで勉強するから大丈夫。これでイーブンになるの」


「あっそ」


「さと美はどうなの? ちゃんと勉強してるの?」


「してるって。受験生だもん。でも何か最近寝付け悪くて身体が怠いんだよねぇ」


「夜にお菓子食べてるからでしょ?」


「た、食べてないから! 何かね――」


「まぁ頑張って頂戴な」


 階段を降りて玄関に着いたので、そのままさと美の話を遮ってしまった。夜にお菓子を食べることはお肌にも胃にも良くないが、さと美と同じ受験生の時には良くやっていたことだ。


「じゃあ行ってきまーす」


「はーい」


「あ! 戸締りしてね。私夕方には帰るけど、お母さん休日出勤だし、さと美しかいないんだからさ」


「解った。鍵持った?」


「オッケ。じゃあ、行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい」


 扉を開けるとカラッとした暑さを通り越した蒸し風呂にでも入っているような感覚を肌身で受け止め、良い汗を流しながら健やかな気持ちで駅まで歩き出した。


 駅まで道中を軽やかなステップを踏みながらウキウキしていたが、紗理奈のテンションと同時に暑さも上昇していき、先の景色が陽炎で揺らめいている。待ち合わせ時間まで三十分も早く着いたはずなのに瑠美はもうすでに待っていた。


「瑠美ちゃーん、おはよう」


「おはよう黒木さん」


 瑠美は肩を晒した青いフレアスカートワンピース、ふんわりとしたスカートから垣間見える日焼けの痕など一切ない真珠にも似た白い肌の脚!


 尊すぎて死にそうだ。紗理奈は日焼け止めをしていても結局少しばかり日焼けしてしまうのに、まだこんなにも純白なウエディングドレスのような肌が残っていようとは驚きである。日焼け止めは何を使っているのだろう?


「黒木さん? どうしたの? 下向いて? 何か落ちてる?」


「はっ! いやちょっと心臓の一個が飛び出そうだったの。あは、あははは――」


「心臓は一個しかないよ。何言ってるの? ははは、黒木さんって面白いよね」


 本日も最高の笑顔を見せてくれた瑠美に感謝の気持ちを心の裏の扉を開けた所で口にした。直接言ってしまうと自分が危ない人間だと認識されて離れてしまうのが怖いからだ。そんな思いを抱いている紗理奈のことは露知らず、純粋そうな瑠美は声を発した。


「少し早いけど、もう行っちゃう? 丁度一本前の電車があるんだけど」


「そうだね。行こう行こう!」


 大きな町に行く休日の電車であるにも拘らず車内の人混みは疎らで、二人は空いていた席にすんなりと腰を下ろした。座るなり紗理奈は瞬時に瑠美に話しかけた。


「まだ暑いよねぇ。秋っていつ来るの?」


「秋の訪れを感じるのは秋雨が多くなってからかな? そうしたら気温が低くなって過ごしやすくなるよ」


「私、春とか秋は好きだけど、夏と冬はどうしても好きになれないんだよね。暑すぎるのと寒すぎるのはホント嫌」


「私は季節だったら冬が一番好きかな? お母さんがね、毎年十二月には特別なプレゼントをくれるの。クリスマスとは別でね。それが毎年……楽しみで楽しみで……」


「へぇー良いなぁ。去年のプレゼントは何だったの?」


「……えっと、去年はね、子犬をプレゼントしてくれたの。ダックスフンドの生後二か月のメスで…………すっごく可愛いの…………」


「うわぁー羨ましい! 名前は何て言うの?」


「エリザベスだよ。普段はエリって呼んでるの」


「エリちゃんかぁ。はぁーペットって良いよねぇ。家もまたペット飼わないかなぁ?」


「またってことは前にペットを飼ってたの?」


「うん、家は猫飼ってたんだ。去年病気で死んじゃったの。お婆ちゃんと妹が拾ってきた三毛猫でね。すっごく可愛かった。死んじゃった時は家族みんなで泣いてさぁー」


「ペットが死んじゃった時は、愛情を注いだ分だけ悲しみが大きいよね」


「ホントにそう思うよ。私にはそんな懐いてなかったけど、妹には多分、助けてくれた恩があるからずっと寄り添ってた。だから死んだ時、妹のショックは大きかったなぁ。確か一か月くらい落ち込んで泣いてばかりだった」


 紗理奈の話を聞いた瑠美は、顎に手を置いて事件の推理をしている灰色の細胞を持っている名探偵の如き雰囲気を醸し出していた。そう見えただけなのだが。


「そうなんだね――えっと、エリの写真見る?」


「見たい見たい! 家の猫も見る?」


「うん。見てみたい!」


 二人はお互いにスマホを交換して写真を見せ合った。


「エリちゃんかっわいぃぃぃー!」


「ありがとう。この子もすごく可愛い。名前は何て言うの?」


「猫の名前はココって言うんだ」


「とっても可愛い。三毛猫は九〇パーセントがメスなんだよ。オスはとっても希少なんだよ――」


 驚くほど知識が詰まっていると瑠美が口を開くたびに思う。そして、いつも決まって


「私の知識の箪笥に、そう入ってる」


 っと言うのだった。続けて瑠美は


「オスメスどっちだったの?」


「残念ながらメスだよ。オスってそんなに希少なんだね」


「うん、オスは三万匹に一匹の確立で生まれるの。ところでココちゃんは何歳だったの?」


「十歳くらいかな。それでも長生きしたと思う」


 他愛もない雑談で距離が縮まっていくような気がしているのが、自分だけではなく瑠美も感じてくれているのだと思うのだ。それでも、何処かまだ距離を置かれているように感じる時がたまにある。さっきのような一瞬言葉に詰まった時、その時は大抵決まって曇り空のような顔になっている。


 町に着いてから映画館に直接向かいチケットを早めに買って座席を確保して、ウィンドウショッピングで時間を潰した。それから映画を見て、昼食を済ませてから図書館に向かった。地元の図書館では置いていない本が幾つもあるので瑠美にとっては宝の島のような場所だ。


 その後、カフェで勉強を始めた。カフェで駄弁ることしかしたことがなかったが、息抜きに飲むココアと店内に流れる音楽との相乗効果で集中できた。


 他にも大学生らしき人達も勉強していたので、大学に入ることがあるのならカフェで勉強しているカッコいい大学生と思われたいと思った。そんな想像をしたら、自分がちょっと高嶺の花になった気分になった。


 勉強に一時間と決めていたので、そこでやめて借りた小説の感想を話した。瑠美から借りた小説はページを開いた瞬間に今まで見たことがない二段落になっているページに圧倒されたが、読み進める内に面白くなって一気に読む事ができた。


 こんなことを思って良いのか解らないが、瑠美が笑ってくれるのなら、それで幸せな気分になれる。まるで自分が彼氏になったような、そんな気分である。まだ付き合って間もないカップル。


 瑠美は一ミリも思ってないかもしれないが、紗理奈は感謝している。闇落ちしていた涼花から襲われた時に「私があなたを守ってみせる」っと言ってくれたことを生涯忘れることはない。だから、瑠美とは一生友達でいたいと思うのだ。


 帰りの電車の中で見える過ぎ去っていく町の景色に楽しかった気持ちと同時に、いつか地元を出て都会に住んでみたいという夢を見てしまう。


 将来のことを考えるのに早すぎるということはない。そういえば、瑠美は将来のことをどれくらい考えているのだろうか?


「瑠美ちゃんは、将来なりたい職業とかある?」


「私は……警察官になりかったの……」


「なりたかったって言うことはぁ、今は違うの?」


「うん……今は……特に考えてない……かな……」


 また曇り空のような俯いた顔になってしまった。何て言おうか考えている内に瑠美から


「……そうだ。話変わるけど、今度、家に来ない?」


「うん! 行きたい行きたい! エリちゃん見てみたいな」


「うん、エリは人見知りしないからすぐになつくと思う。それとね、私最近お菓子作りにハマっててね、一緒に作らない?」


「私も料理するけど……得意じゃないよ……たぶん無味無臭の新しい何かが生まれるかも……」


「大丈夫、私が教えてあげるから、ね?」


 うん、可愛い。いやいや、そうではなく、こういう時、はぐらかされた時は調子を合わせてあげるのが一番だと思う。


 まだ話してくれる時ではないのだと思って待つしかないのだと自分に言い聞かせる。今はまだそれで良いのだ。


 それからまた他愛もない話で盛り上がって、地元の駅に着く頃にはようやく暑さは落ち着いていて、過ごしやすい気温になっていた。


「ミャォー」


 駅を少し歩いて気が付いたが、やけに野良猫が多いような気がする。瑠美が乗るバス停まで一緒の帰り道なので、ずっと話ばかりしていた。


 バス停に着いてバスが来るまで時間があったので話をしていようかと思った時だった。ふと声を掛けられた。


「二人共、元気そうね」


 聞き覚えのあるその声に少し恐怖を感じる。いや、思い出すと言った方が正しいかもしれない。後ろを振り向いてそこに立っていたのは涼花だった。


「こんにちは涼花さん」


 瑠美が気さくに挨拶したので紗理奈も続けた。


「こんにちは」


 涼花は春に咲く七草の一つの如き眩さを持った笑顔で


「こんにちは」


 っと返してくれた。服装は相変わらず白いコートだが、汗一つ流している様子はない。それもそのはず、彼女は生きている人間ではないのだから当然である。


 どうして自分にも瑠美にも見えるのか不思議だったのだが、瑠美が宮部先輩から聞いた話によると普通の浮遊霊(いや、そもそも、普通とは何だが解らないのだが)よりも妖力があるので、こうして顔見知りの自分達には涼花が見えるようにしてくれているのだとか(そんなことしてくれなくても良いのに)


「今日もパトロールですか?」


 瑠美は恐れることなく涼花と話しているが、紗理奈は耳元まで切り裂かれたあの顔が脳裏を過るので苦手である。それでもこうして見かけてくれた時には必ず話しかけてくれるので挨拶位はするのだが。


「えぇ、二人は何処かに行ってきたの?」


「はい、隣町まで映画を見に行ってきました。他にも色々と、ね?」


「う、うん。カフェで勉強したり、です、ね」


 急に話を振られても困ってしまう。強張っている表情から涼花に苦手だと思われたくはない。今ではこの町の為にパトロールしてくれているのに。


「楽しそうで何よりね。はじめさんも、あなた達みたいに普通の日常を送って欲しいものだけど、今は無理ね……」


「何か事件ですか?」


 瑠美が前傾姿勢で乗り出したので涼花は少し驚いたようだった。瑠美は何を求めて首を突っ込もうとしているのだろうと考えてみても、全く想像もできないで終わってしまう。


 合っているか解らないが、もしかして会いたい妖怪変化でもいるのだろうか? 涼花は遠くの空を眺めているような顔で答えた。


「そうねぇ。あなた達になら、話しても良いのかしら?」


 涼花は基本的にふんわりとしているのか、それともおっとりとしているのか、もしくは気が抜けているような雰囲気なので親戚の大学に通っているお姉さんみたいだと思ってしまう。あくまでも紗理奈個人の意見であるので瑠美も同じように思っているか不明である。


「実はね、二日前、野良猫の群れが殺された事件、知ってるわよね?」


 紗理奈はニュースの内容を鮮明に思い出した。


「あぁ……ニュースで見ました……野良猫の大量の死体発見って……しかも……」


 紗理奈は言葉に詰まってしまった。想像しただけで血の気が引いてきたのである。口を噤んだ紗理奈に代わって、続きは瑠美が引き継いだ。


「猫はバラバラに切り刻まれていた――ですよね?」


「そう、想像しただけで不気味よね。あ! ごめんなさいね紗理奈さん。こんな話をしてしまって。貴女は、この手の話は苦手なのね」


 青白くなった紗理奈を見て涼花が気遣ってくれたがもう遅い。頭の中で切り刻まれた猫の遺体が血の池に浮かんでいる光景を思い浮かべてしまったのだから。


 涼花はきっと瑠美といつもこんな話をしているのかもしれない。紗理奈にもこの手の話に耐性があると思ったに違いない。瑠美がさらに


「でも、どうして妖怪変化の仕業だと解ったんですか?」


「凜さんが供養に呼ばれて現場に行った時、その場所から強い妖気を感じたって言うの」


「それはどんな妖怪変化なんですか?」


「まだ何も解らないわ。妖気の痕跡を追っているけれど、手がかりがないから」


 少し気分が落ち着いた紗理奈は話を聞いていて思った疑問を聞いてみた。


「京狐さんは、今回協力してくれないんですか?」


 京狐なら簡単にどんな妖怪変化が一発で解ってしまうのではないかと。彼女はかなり便利な力を持っているのだから。


「京狐さんはどこを探しても見つからないの。美鬼さんも探してみたけれど、町にいるのは匂いで解っているの。でも、隠れているみたい」


「隠れてるって、誰からですか?」


「それは解らないわ。ほとんどの力を失った京狐さんを襲おうとする者がいてもおかしくはないって、はじめさんが言っていたわ」


「そういえば、京狐さんはどうして力を失ったんですか?」


 涼花は紗理奈の質問に少しばかり影のある表情を作った。理由を知っているが、答えは決まっている。


「それは私からは言えない。でもね、京狐さんは気まぐれだから仕方がないことだって、はじめさんが言っていたわ。今みんなで追っているから、なるべく早く解決させる。あなた達は気を付けてね。今は動物でも、その内に人間を襲うかもしれないから。特に紗理奈さん」


「はい?」


「私が言うことではないと思うけれど、あなたは取り憑かれやすいから、とても狙われやすい。十分に注意してね」


「はい、解りました」


「じゃあ、私はこれで。見かけて声を掛けてくれたら嬉しいわ。御機嫌よう」


 涼花は手を振って去って行った。それと同時に丁度良くバスがこちらに向かっているのが見えた。


「じゃあね黒木さん」


「うん、またね」


「また」


 瑠美はバスに乗り込んでいった。紗理奈はバスを見送りながら自宅への帰り道を歩き始めた。しかし、彼女は気付いていなかった。町に帰ってきてからひっそりと、猫の群れが常に彼女の周辺を付き纏って追っていることに――。

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