其の伍(加筆修正版)

 紗理奈達は少しばかり歩いたところの公園の中に入った。南凰公園は最近新しくなったばかりで、遊具はどれも新品でまだ汚れてはいない。


 大きな池もあり、一時間に一回噴水が出ていて、夜にはお洒落にライトアップされている。屋根付きベンチが三つありオシャレな雰囲気なのだが、何故だが解らないが実物の蒸気機関車が柵に覆われて公園のど真ん中に居座っている奇妙な公園で新橋みたいである。行ったことなどないが。


 しかし、こんなに綺麗に整理された公園であるにも拘らず、人っ子一人いないのは少し不気味だった。まさか境界の中ではないかと疑ってしまうのは仕方のないことだと思う。


 紗理奈は立ち止まって三六〇度、挙動不審者のように辺りを見渡す。そんな立ち止まって小刻みに震えている紗理奈を見た瑠美は、そっと手を握ってくれた。


「大丈夫。私が一緒にいるからね」


「……ありがとう瑠美ちゃん」


 瑠美の醸し出している色気に惹かれているような気がした。そんな二人を見たはじめが


「ちょっと座ろうか」


 っと声を掛けた。はじめと美鬼が屋根付きベンチに座ったので、紗理奈達も正面に座った。日差しを防げているのは良いが、生温い風が嫌な気持ちにさせる。はじめは竹刀袋を置いてズボンのポケットから紙を取り出して紗理奈に渡した。


「紗理奈ちゃん、瑠美ちゃん、これ持ってて」


「は、はい」


 何て書いてあるのか良く解らない漢字が羅列された紙を渡された。漢字は理解できるが、読み方が解らない。瑠美も受け取ると


「これってお札ですか?」


「まぁそうだね。主に魔除けの効果がある。もしもの時はそれが役に立つ。ただ一つ注意があるから気を付けて」


「注意、ですか?」


「お札を信じること。どんな状況であっても、お札を信じて欲しい。そうでないと効果を十分に発揮することができない。もう一度言うけど信じて欲しい」


 そして、はじめはこれからの事を話し出した。


「これから口裂け女がいる場所に行くけどね。二人を連れて行こうか悩んでた。でも、こんな状況で紗理奈ちゃん一人にさせるわけにはいかないし、襲われる危険は常にゼロじゃない。だから悪いんだけど……最後まで付き合って欲しい」


「……しょうがないですよね……」


 脳裏を横切る口裂け女の顔が怖くて堪らない。目の前が涙で揺らめき始め、また震えが始まった。零れ落ちた涙を見た瑠美がそっと手を握ってくれた。心の中で増大する漆黒の恐怖を完全に払拭することはできないが、一筋の光が差しているような気がした。


「今日で終わりにしよう」


 はじめはそう言うと立ち上がって今まで見せたことのない険しい表情で拳を握りしめた。三日町三番地三の三の空き地に着くまでには、太陽は沈みかけ、茜空は鮮血のような色に見えた。


 住宅地のど真ん中にある三日町三番地三の三の空き地には売地の看板が立っていた。腰ぐらいまで伸びた雑草が生い茂りずっと買い手が見つかっていないのが容易に想像できる。ロープで仕切られた敷地内には子供でも簡単に入れるくらいだろう。


「これから中に入るけど、二人はここで待ってて。後は僕達が何とかするから」


「「はい」」


 はじめは竹刀袋から刀を取り出した。予想はしていたが、ずっと無名を持ち歩いていたのだろう。妖怪変化を倒す刀。鍔がないその刀は、紫の目貫で真っ黒な鞘には赤い下緒が付いていた。


 美鬼は隠していた角を曝け出してから、右側に付けていた可愛らしい簪を取った。それはみるみる大きくなり、金棒へと姿を変えた。それを担ぐと満面の笑みで


「何処じゃ不細工―! 姿を見せぇー!」


 っと怒鳴り声を上げ、さらに


「へーく出て来い。わっちは待つのがしちゅんあんにんじゃボケー!」


 っと煽り始めたが、そうやすやすと現れてくれるような相手ではない。っと言うかどこの言葉を使っているのだろうか? ロープを潜って空き地の中に入り込んだ二人は、ゆっくりと奥へと向かって行く。


「美鬼ちゃん、お願いがある」


「何でありんすか旦那様?」


「もし、あの二人に何かあったら、全力で助けるって約束して」


「任せておくんなまし」


 二人はゆっくりと空き地の中を探索している。紗理奈と瑠美は二人を見守りながらお札を握りしめていた。何も起きない暫しの静寂の後、全身の鳥肌が立ったのが解った。


 暑いのに風邪を引いているような寒気がして、まるで真冬にでもいるような、そんな感覚だった。瑠美を見ると同じような感覚に襲われたのだろう。顔が引きつっている。


「ねぇ」


 忘れることの出来ないあの声が背後から聞こえた。紗理奈には振り返るほどの勇気がない。それでも、瑠美はゆっくりと振り返った。


 そこには夕日を背負い、白いコートを真っ赤な血で染めた、右手に大きな鎌を持った、白いマスクをした女性がそこにいた。


「私が……黒木さんを……」


 瑠美は声を震わせながら紗理奈の手を強く握ってきた。


「ねぇ、私――」


 瑠美と顔を見合わせれば、彼女は何かを決意した顔になっていた。紗理奈は首を横に振ったが、瑠美は握ってくれていた手を離してゆっくりと後ろを向いた。


「私が……あなたを守ってみせる!」


「――綺麗?」


 瑠美は意を決して叫んだ。


「あなたは綺麗よ!」


「瑠美ちゃん!」


 二人の叫び声に、はじめと美鬼が咄嗟に振り向いた時には、紗理奈と瑠美の目の前にいる女性がマスクに手を掛けていた。


「これでも?」


 瑠美が見たマスクを取ったその顔は、耳元まで裂けた醜い顔だった。


「来るなら来なさい! 私を誰も傷つけることはできない! だって私は――」


「瑠美ちゃん!」


 紗理奈は瑠美に抱きつき、破れかぶれでお札を口裂け女の前に突き出したが、効果があると思えない。怯む様子はなくそのまま鎌が振り上げられた。


「私! 綺麗……ああああぁぁぁぁぁぁ!」


 鎌が振り下ろされたが、まるで見えない壁にでもぶつかったかのように弾かれた。隣の瑠美がお札を口裂け女に向けて翳していたので、紗理奈も同じようにお札をかざした。


 お札の効果はバリアみたいな効果があり、それで見えない壁を作ってくれているようだった。何度も何度も鎌が振り下ろされるが、直前で必ず弾かれていた。美鬼がほぼ一瞬で口裂け女の背後に回り込んだ。


「おりゃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 金棒を振り下ろしたが口裂け女も俊敏に攻撃を交わして空き地内の草むらの中に身を潜めた。雑草がカサカサと音を立てて移動しており、そのスピードは尋常ではない。


 百メートルを三秒で走るという噂に違わない速さである。グルグルとはじめの周辺を回っているような感じだった。一瞬、静かになった瞬間だった。口裂け女は宙に飛び出してきた。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 大きな鎌を持った口裂け女が信じられないジャンプ力で飛び出して、そのままはじめに向かって一直線に落下していった。


 それでもはじめは、素早い動作で鞘から無名を抜くと構えて攻撃を流した。カキンという、生きていて今まで聞いたこともなかった刃と刃がぶつかった音が聞こえた後


「旦那様に何すんじゃーー!」


 怒りの沸点が煮えたぎった美鬼は一瞬で口裂け女の背後に回り込んで金棒を振り下ろしたが、鎌で受け止めた。しかし、相当な力が籠っていたのか、それとも本来の鬼の力なのか、口裂け女は地面に下半身がめり込んで動きが取れなくなった。


「ああああぁぁぁぁぁぁー!」


「極楽に、行く時間じゃ」


 喚き散らす口裂け女に不敵な笑みを浮かべる美鬼は金棒を持ちかえて下向きにした。そして金棒の先端を口裂け女の頭目掛けて振り下ろそうとしたその瞬間だった。


「待って美鬼ちゃん!」


 はじめが寸での所で止めに入った。何故止めたのか理解できない美鬼はキョトンとした表情だった。


「どうしたでありんす旦那様? これで終いですよ」


「それじゃこの前と同じじゃないか。それじゃあ魂の救済にはならない」


「旦那様……」


「だから、浮遊霊をこのままの苦しい姿では送れない」


 そう言うとはじめは投げ捨てた鞘に無名を納めてポケットから数珠を出した。


「美鬼ちゃん、鎌を取り上げて」


「解りんした旦那様」


 美鬼は金棒を簪へと変化させ喚き散らす口裂け女を抑え込もうとした。


「ああぁぁぁぁぁぁぁ」


 口裂け女から無理矢理に鎌を取り上げた美鬼はそのまま鎌を砂のように噴砂した。はじめはしゃがみ込み、左手で暴れる口裂け女の頭を触るとお経を唱え始めた。


「南無阿尊青海悪善光――」


 はじめのお経を聞いて、喚いていた口裂け女は急に大人しくなり、首がだらりと木の実のように垂れ下がった状態になった。


 良く見れば耳元まで引き裂かれていた口裂け女の傷が治るように消えていき、とても綺麗な女性の顔になっていった。一瞬気を失っていた口裂け女だった浮遊霊は、ハッと辺りを見渡して、はじめと美鬼を見た。


「あの、私は……」


「あなたの魂を浄化しました。もう苦しむことはないですよ」


 浮遊霊は口が裂けていた部分をしきりに触って確かめていた。それを見たはじめは


「美鬼ちゃん、もう大丈夫だから」


「はい旦那様」


 美鬼は埋もれた浮遊霊を土から引き上げて砂埃を払ってあげた。それを見ていた紗理奈と瑠美はロープを超えて近くまで歩いて行った。


「とっても綺麗、ですよ」


 ふと口から自然と漏れた言葉に嘘偽りはない。紗理奈は恐ろしかった口裂け女の素顔に見惚れていた。浮遊霊はその言葉に自然と涙を流し出した。


「わ、私の……顔……」


 手で顔を触り確認していたので、紗理奈は鞄から手鏡を取り出して浮遊霊に渡した。浮遊霊は手鏡を受け取るとさらに大粒の涙が頬を伝った。


「良かった……良かった……私……綺麗……」


 嬉し泣きをする浮遊霊を見ていたはじめは、優しい笑顔で彼女に声を掛けた。


「さぁ、もう逝く時間です。人を傷つけた罪は消えることはないけど、これから――」


「あ、あの! 待っていただけませんか! 私にはまだ、やらなければならいことがあるんです!」


 浮遊霊は涙を流しながら、さらに言葉を続けた。


「私は……嫌だったんです……それでも……自分の思いとは真逆に、自分が抑えられなかった……静かに闇紛れていたのに……一度は救われた魂を……汚されたのです……」


 その言葉にはじめは


「一度は救われたって言うのは、どういう意味ですか?」


「私は死んでから口裂け女として彷徨っていました。それをお坊様が救ってくれたのです。ですが……あの目が……」


「あの目?」


「……あの目は……あの目は、これは復讐だと言っていました……人への復讐だと……私は姉さん達を人質に取られ、命令に従えと言われました」


「姉さん達?」


 はじめの疑問に瑠美が即座に答えた。


「口裂け女は三姉妹って私の知識の箪笥に入っています……」


 そしてさらに浮遊霊は泣きながら


「でも、私は断ったんです……でも、私の心の闇を……あの目は……あの目に見つめられた時……私は私でなくなった……お坊様に浄化された私の顔を……再び醜い顔に変え、心を支配されたのです……」


「あの目って一体何ですか? 姿は見てないんですか?」


「……あの目……あ、あれ? 思い……出せない……どうして?」


 美鬼が何かに気付いたようだった。


「きっとこの女の記憶は、相手に妖力で消されたのでありんしょう。他者を操る能力はあいつみたいですね。旦那様、もしかしたら――奴らと何かしら関係があるのかもしれませんね」


「まさか……そんな……」


 紗理奈も瑠美も話を全く理解できないが、どうやらはじめも「あの目」の見当ができたようだった。


「お願いします! 私は姉さん達を助けたいんです! まだ成仏するわけにはいきません!」


 浮遊霊の懇願に、はじめは悩んでいて、すぐには返事をすることができないようだが、それと同時に何か後悔しているような重く悲しい表情になっていた。そこへ美鬼が


「旦那様、こやつも一緒に守らせましょう」


「美鬼ちゃん、簡単に言うもんじゃないよ。だって彼女は――」


「聞いておくれやす! わっちにはこやつの気持ちが痛いほど解りんす」


 美鬼は、はじめの言葉を遮り、さらに続けて


「わっちには解りんす。旦那様はお優しい。こやつが傷つくことも、戦いに巻き込むことも、嫌なんでありんしょう?」


 はじめは黙って美鬼の話に耳を傾けていた。浮遊霊は話の流れを紗理奈と瑠美と一緒に見守っていた。


「大丈夫ですよ。旦那様にしか出来ない、旦那様だからこその道が、きっとありんす。お父上様と比べるのはもうしんしょう。旦那様は、違う道でも良いと思うでやんす」


 はじめは少し黙り込んでいたが


「解ったよ。でも僕は――父さんの――いや、その話はそう」


 っと言って浮遊霊を見てさらに続けた。


「これからあなたを式神しきに近い形で僕の、いや宮部家に仕えてもらいます。それでも良いですか?」


「ありがとうございます! ありがとうございます! このご恩は忘れません!」


 浮遊霊は祈るように、はじめに何度も、何度も頭を下げた。はじめは数珠をポケットに入れて浮遊霊に右手の小指を突き出した。


「指切りです。これが僕の条件。良いですか?」


「はい。構いません」


 浮遊霊も小指を出して、はじめの小指と絡めた。指切りに何の効力があるのだろうかと疑問に思った。そういえば、京狐もはじめが美鬼と指切りをしたとか言っていた気がする。説明が何もないまま、はじめは女性に


「宮部の名を冠する者の命に従う」


「はい」


「鬼神は主に使役し、また主は、鬼神に使役させる」


「もちろんです」


「それじゃあ――」


 二人は小指と小指を絡ませた。


「「指切り拳万、嘘ついたら針千本飲―ます。死んだら御免、指切った」」


「死んだら御免」の部分を聞いたことがなかったので、紗理奈も瑠美も顔を見合わせた。拘束力があるものなのだろうか?


 紗理奈が思っている疑問を瑠美は知っているのか聞いてみようと思ったが、何でもかんでも聞くのは彼女が疲れてしまうかもしれないので、気になることは自分の力で調べてみることにした。

 指切りが終わって浮遊霊は立ち上がり


「名前、まだ言ってませんでしたね。私の名前は三國みくに涼花すずかと申します。これからはあなたに尽くします」


「うん。よろしく涼花さん。僕は、宮部はじめ。それと――」


「わっちは美鬼! 旦那様の嫁でありんす」


 涼花は二人に深々とお辞儀をし


「はい、宜しくお願いします」


 っとおしとやかに振舞ったのだが、はじめが微笑んでいるを見て美鬼が「ハッ!」っと言って


「旦那様に手を出そうものなら容赦せんからな!」


 っと言って堂々とした仁王立ちで威厳あるように見せたが、涼花はただ穏やかに微笑みながら


「ふふ、大丈夫ですよ。お二人のお邪魔は致しませんから」


 っと答えた。はじめは美鬼の頭に右手を置いてそっと撫でて


「美鬼ちゃん心配しないで。だって、僕達ずっと一緒でしょ?」


「だ、旦那様……はうー!」


 美鬼が発情 (したような) したので、今まであったはずの恐怖と緊張が一気に消え、自然と全員に笑みが零れた。


 涼花は口裂け女の時に感じていた殺伐とした極寒の冬に吹き荒れる吹雪のような冷たい殺気を纏った雰囲気は消えていて、ほんわかとした春の穏やかな温かさに包まれた風のような雰囲気の綺麗な人だった。

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