其の肆(加筆修正版)

 はじめと美鬼がキョウコの元へと歩き始めた。瑠美に話していた、はじめと関わりたくないということが本人に伝わっていることは美鬼の発言から解っているので、紗理奈は後々に、いやもうすでに自分で思っているのだが、気まずい空気から抜け出すために、自分から切り出して謝った方が良いだろうと考えていたら


「紗理奈ちゃん」


「は……はい」


「巻き込みたくなかったんだけど、あの写真を見たら君を助けなくちゃって思ったんだ。僕達が何とかする。何とかしなきゃいけない」


「いえ、こちらこそ、すみません。いえ……ごめんなさい……」


「何も謝ることないよ。これが僕の役目だから」


 はじめの微笑みは、やはり何処かで見たことがあり、このセリフも、いや、まったく同じセリフを言われた覚えがある。そんな気がした。


「どうしたの紗理奈ちゃん?」


 考え事をして立ち止まった紗理奈を、はじめが不思議そうに見ていた。すかさず考えることを止めて


「い、いえ、何でもありません。えっと、あの……ありがとうございます……」


 っと答え歩き出した。最近ボケッと自分の世界に入って考え込んでしまう癖がついてしまった。相手との会話の最中に失礼だと解っているのだが、どうしても止まることがない。


 それにしても、はじめは一つ年上なだけのはずなのに、気配りができていて大人びていると感じた。そんなはじめに腕を組んでいる美鬼が、紗理奈の方へ振り向いて刀のような鋭い目で見つめてきた。


「わっちにも何か言うことありんせんか?」


「あ! あの……ありがとう、ございます」


「ふん。わっちは人間が一人死のうが百人死のうが興味はないが、旦那様の頼みでやんす」


「す、すみません」


「旦那様がぬしの為に女狐を探して欲しいと仰られた時は、わっちは心の臓が止まるかと思った。旦那様と離れるのが苦しく苦しくて――」


「あの、本当にすみません」


「わっちはな。襲われるのが解っておるのなら、そのまま泳がせておいても良かったと思った。それで獲物が引っかかるなら餌として丁度良いとな」


 その時、はじめが急に立ち止まって美鬼の頭を軽く手刀した。その行動に美鬼は相当なショックを受けているようだった。


「だ、旦那様?」


「美鬼ちゃん、約束したよね?」


「……解っております……すいやせん……少し、悪ふざけが過ぎました……わっちのこと……嫌いになったりしないで下さい……捨てないでおくれやす」


 美鬼の瞳は潤んでおり、今にも涙を流しそうになっている。はじめは険しい顔つきだったが、次第に緩ませて美鬼の頭に手を置いて、寂しそうな瞳で見つめた。


「美鬼ちゃん、まだ解んないかもしれないけど、いつかきっと解ってくれるって信じてるし、僕は絶対に美鬼ちゃんを嫌いになったりしない。ずっと、一緒だからね」


「旦那様……はうー!」


 美鬼のことが少し解ったような気がした。はじめ以外、いや、恐らく宮部家の人達以外の人間など眼中にないのだろう。はじめと美鬼の馴れ初めがとても気になる。


 それに、はじめはどうしてあんなに悲しそうな眼をしているのだろうか? 言葉では、はじめも美鬼のことが好きである様には聞こえるのだが、あの表情を見ている限りではどうも好きという訳ではない気がする。あれは自分を押し殺して嘘を吐いているような、そんな気がした。


 石段を上がって道路に面した所で露店を開いているその女性は、見た目には普通の人間に見えるがそうではない。昨日の瑠美の説明では、九尾とは九尾の狐と言われる妖怪であることを教えてもらった。


 諸説あるが、九の尻尾と言われるのは中国からの伝来によるもので、実際に日本の妖狐と呼ばれる化物は二本の尻尾しかなかったという。


 後世の文芸や歌舞伎などから尻尾が九本になったとされているが、もしかしたら、進化したのかもしれないと瑠美は語った。人が想像できるものは現実になる。それは正しくも恐ろしいことだと彼女は言った。


 何故なら、それで妖怪変化は進化し、より強大になってしまったのではないかと――。


 近づくにつれて次第に紗理奈の目に入ったのは、黒い布で覆われた小さなテーブルに乗っているのは噂では髑髏だったが、女性の目の前にあるのは胡散臭い水晶であった。


 四人がある程度近づいてから、徐に彼女はこちらをじっと見つめていた。それでもヴェールに覆われていて素顔が見えない。しかし、見つめているという視線を感じるのは気のせいではないだろう。目の前にやってきて早々に彼女から口を開いた。


「鬼さんから聞いて待っとりやしたが、めっちゃつまらんかったわ。退屈。百年に比べれば一瞬でも、一日で比べたら一時間はとても大切な時間やね。貴重」


「こんにちは、キョウコさん」


 赤いヴェールを徐に脱いで現れた素顔は、絶世の美女と言われるに相応しい、尊い顔だった。


「不機嫌そうやね鬼さん。憂鬱?」


「わっちはお前が、大っ嫌いじゃからな!」


「まだ怒っとるの? 憤怒? ウチだってあれは命令されてしたことやさかい、しょうがなかったんやから勘弁してぇや。謝罪」


「うるさい駄女狐! わっちはお前が死ぬまで許さへんぞ! 鬼族よりも下等な狐如きが!」


 はじめの左腕にしがみ付いて啖呵を切る美鬼はとても可愛い表情だった。それにしても会話の内容が気になるが教えてくれる雰囲気ではないのは明白だった。


 それと瑠美はもう少し興奮するのではないかと想像していたが、そんなことはなく至って冷静そのものだった。もしかしたら、一周回ってしまったのかもしれない。


「美鬼ちゃん、落ち着いて。どうどう」


「はうー」


 美鬼は、はじめに頭を撫でられることで鎮静化する作用があることが何となく解った。キョウコは四人を見つめ、艶やかな唇に細い人差し指を置いて発した。


「おもろいなぁ。あんた、いや、言わん方が良いね、今は。温存」


 誰のことを言っているのかはすぐに解った。キョウコが言っているのは瑠美のことだと。


「これウチの名刺。よろしゅう。宣伝」


「は、はい」


 着物の袖から取り出された名刺をはじめ、紗理奈、瑠美に渡した。名刺には「玉藻京狐」と書かれており、携帯の番号まであった。


「今日作ったからあげるわ。おもろい客にはこれから渡すつもりや。何かあったらいつでも連絡してぇや。料金は……そうやな……内容によっては等価交換やね。対価」


 それからじっとこちらを見つめている時間があり、何を待っているのだろうと思っていると瑠美が


「すいません。名前を言ってませんでしたね、小林瑠美です」


「あ! わ、私は、黒木、紗理奈です」


「はいよ、覚えた。記憶」


 どうやらこちらが名乗るのを待っていたようだ。そして、瑠美が京狐の名刺から面を上げて


「九尾の狐は、中国の妲己が海を渡って、日本の玉藻前になった説が私の知識の箪笥にありますが、京狐さんは玉藻前と何かご関係があるんですか?」


 っと京狐に問い出した。昨日話していた時に同じような話をされた気がするがあまり良く覚えていない自分が恥ずかしい。しかし何にせよ、ようやく瑠美らしい探究心を見られて少し嬉しかった。


「さぁ? どうじゃろ? お好きにしておくれやす」


「解りました」


 っと瑠美が答えたのを見て、はじめが声を出した。


「自己紹介も終わったことだし、さっそく京狐さん、お願いし――」


「ちょっと待ちぃや。来々」


 これからの段取りを仕切ろうとしたはじめを静止して、京狐は手の平ではじめを手招いた。はじめは少し近づいたが


「もっとちこう寄っておくれや。至近」


 さらにはじめが顔を近づけると京狐は唾液がキラキラと光る舌を出して、はじめの頬を一舐めした。


「うわっ!」


 はじめは急な出来事に驚いて勢いよく後ずさんだ。


「この駄女狐! 今ここでぶっ殺してやるからなテメーこんちくしょー!」


 当然のような結果だと思うのだが、美鬼は興奮して消えていたはずの角が出てきて、前腕程ある長さまで伸びて真っ赤に光っていた。


「鬼さん、待ってや。ウチにも事情があんねん。条件」


「はぁぁぁぁぁぁ?! 四の五のうるさいわボケナス!」


「美鬼ちゃん落ち着いて! とりあえず京狐さんの話しを聞こうよ! 事情があるって――」


「旦那様止めんといておくんなまし! ここで決着じゃ駄女狐! 今日が貴様との今生の別れじゃ! 覚悟しろ!」


「やめて美鬼ちゃん! えっと、京狐さんの話を聞いたら……今日はイショネヨ!」


 最後の方が大きな声にプラスして早口言葉になってしまって上手く聞き取ることができなかったが、一緒に寝ようと言ったような気がした。


「はうー!」


 しかし、その言葉を聞き逃さなかったであろう美鬼は、はじめに抱きついて蕩けた表情になり、角はみるみる小さくなって最後にはなくなった。


 それでも、京狐を見ると殺意の眼差しで、今にも襲ってしまうような気配だった。京狐は黄金比のような上目遣いで


「ちと最近妖力が足りんの。せやからちと。補給」


「確か妖狐は生物の体液を糧にするって読んだことある。つまり今は宮部先輩の汗から妖力を得たんじゃないか?」


「まさにそれやね。正解。この間でほとんどの妖力を失ったからなぁ。因果応報」


 瑠美の解説で紗理奈は納得したのだが、美鬼はどうも納得している様子はなく敵意を剥き出しにしたままなのは変わりない。


「美鬼ちゃん、そういうことだから……えっとね、これは必要経費だよ」


「必要経費で、やんすか?」


 はじめの一言に京狐も便乗して


「これで今日の料金はタダでえぇよ。無料」


 っといった具合だった。美鬼はようやく大人しくなったが怪訝そうな表情を崩すことなく


「もうえぇわ。今日の所はこの辺で終わりだらぁ」


 っと言って腕を組んでそっぽを向いた。そんな彼女が可愛らしいと思った。


「ほな、始めよか。準備」


 京狐はテーブルの上に置いていた水晶に右手を置くと、透明な水晶は次第に灰色に変わり、薄汚れた禍々しい髑髏へと変わっていった。


 瑠美はさぞや興奮して見ているのではないかと期待していたが、至って冷静で無表情だった。そういえば、先ほども美鬼が現れた瞬間も、特に何も反応していなかったことに今更ながら気が付いた。


 視線を京狐に戻すと目が完全に合った。傾国の美女のような美しさと艶やかさを纏った京狐は、男なら誰もが魅了されてしまうであろう。同性であるはずの自分でも京狐に迫られたらきっと断ることなど出来ない。


 その柔らかい唇と唇を重ねたら、どうなるのだろう? 豊満な胸部に埋もれさせていただけるなら、そこで永遠という時間を奪われても構わない――。


「紗理奈ちゃん! 瑠美ちゃん!」


 はじめが竹刀袋を紗理奈と瑠美の目の前に翳した。その瞬間に先ほどまで感じていた京狐への気持ちが覚めていくのが解った。


「妖狐に魅了されたね。まぁ仕方ないけどね」


 そう言うとはじめは竹刀袋を肩に掛け直した。京狐に抱いた感情は夢のようで、高揚感に満たされるものだった。


 瑠美も魅了されてしまっていたことが少し嬉しかった。そして、何よりも変だったのが自分だけではなかったことに胸を撫で下ろした。


 しかし、不安がないわけではない。この二日ときめいているのが女性ばかりなので自分の恋愛対象が変化しているのではないかと心配である。


「じゃあ瑠美ちゃん、写真を京狐さんに」


「はい」


 はじめに言われて瑠美は鞄から写真を出して京狐に渡した。


「そんで? どうして欲しいの? 要望」


「妖気を追跡して欲しいんです。相手の住処は何処なのか? それは印ですよね?」


「そやね。正解」


「それで居場所を特定すること、できますよね?」


「そないなこと、化け狸を殺すより簡単や。楽勝」


「お願いします」


 京狐は髑髏の前に写真を置いてから、髑髏を両手でそっと撫で始めた。何か呪文でも言うのかと思っていたが、何も喋ることなくすぐに終わった。


「三日町三丁目三番地三の三。そこに空き地があってな。こいつの住処はそこやね。終了」


「ありがとうございました。また何かあったらお願いでき――」


「あんな、ウチは鬼さんみたく、あんたと指切りしたわけやないからな。そこは勘違いしてもらって欲しくないわ。別に人間の味方になったつもりはない。言ってみればウチの気分や」


「すみません」


「忘れたとは言わせへんよ」


 京狐は先程までとは打って変わった冷気を帯びた視線をはじめに向けた。何か因縁があるのだろう。美鬼も鋭い目線で京狐を警戒しているようだった。


「そこは忘れたらあかんで。注意」


 そう言うと京狐は目尻を下げてほくそ笑んだ。


「……はい……解りました……それじゃあ失礼します。行こう」


「はい、旦那様」


 はじめが美鬼を引き連れて歩き出した。美鬼は、はじめに腕組みしながら京狐の方に振り向いてあっかんベーをした。紗理奈は京狐に一礼して二人の後を歩き始めた。


 そして、瑠美がいないことに気が付いて振り向くと、何故か瑠美はじっとそこに突っ立って京狐を見つめていた。立ち止まって


「瑠美ちゃん?」


 っと声を掛けたが、反応は何もなくずっと京狐を見つめている。紗理奈がまた京狐の元に足を向けて歩き出したその時、徐に瑠美は何故か眼鏡を外した。


「京狐さん、私の身体は――」


「はよ来いや! 何してんのじゃ生娘共!」


 美鬼が怒鳴ってきたので瑠美が何を言ったのか聞こえなかった。京狐は瑠美を手招きして耳打ちした。その後すぐに瑠美は眼鏡を付けてから駆け足で近づいて来て


「ごめんなさい。ちょっと、聞きたいことがあったので……」


 っと皆に聞こえる声で言った。瑠美は何を聞いて何を言われたのだろうか?


「瑠美ちゃん、何を――」


「行こう黒木さん」


「う、うん」


 話を遮られたので聞かれたくないことなのだろうかと思ったが、昨日の今日の付き合いで教えてくれる物ではないのかもしれないと思った。それでも、とても寂しかった。

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