四 花と獣 (3)

 西軍は、その後十日間、斥候を放つ以外何もせずに屑ノ原に居座った。

 どこからどう見ても攻めあぐねているという風である。そのうち、持ってきた兵糧が尽きたのだろう。一度、鞠ノ井に戻り、兵糧の買い付けを始めた。これに紛れ、ひそかに白雨の棟梁率いる一軍が本隊より離れたが、気付いた者は西軍でも少なかった。

 白雨から篝宛ての鳥文が届いたのは、十日後の宵方である。

 斜視混じりの目で文を眇め見た篝は、それを灯台の火にかけた。承知の旨を書きつけると、籠から出されたばかりで羽を打ち鳴らしている鳥を捕まえ、文を結ぶ。落日の天へ、一羽の鳥が放たれた。

 ただちに、全軍に命が出される。

 武将付きの小姓がおのおのの主人の武具を抱えて駆けずり回り、歩兵たちは念入りに武器の手入れを始める。松明用の打ち木も次々運び込まれた。鵜飼が瓦山の方向を指差し、松明を立てる男に位置を直させている。ゴジョやオギらがあわただしく配下の者らに号をかけるのをよそに、篝からの命を一言伝えただけで華雨は愛刀ひとふりをひっさげ、人ごみから離れた樹上に寝転んだ。

 老齢の大樹からは、瓦山の夕影や屑ノ原の曠野といったものが見渡せる。髪をかき乱す風をしばし樹上で受けていると、やがて音のない凪が訪れた。


「はなさん」


 足音に頭だけを起こせば、小姓の蕪である。


「どうした、小僧。じいさんには呼ばれてないのか」

「すぐ戻ります。あめさんから預かりものをしていたんです。気が向いたら、はなさんへ渡しておけって」


 蕪は白雨をあめさんと呼ぶ。薄暗がりではあったが、少年が抱えているものに察しがついた華雨は失笑した。


「なんだ、白雨。わたしに死相でも見たのか」


 鍔に特徴のある流水紋、先日白雨が手入れをしていた刀である。華雨は樹から滑り下りて、刀を手に取った。ずしん、と重い。刀身を引き抜き、よい刀だと思った。使い込んで鍛えられた野生と、疵がつくたび磨き直したしたたかさがある。持ち主に似たよいくろがねだった。


「だが、二刀はいらん」


 刀を鞘におさめると、華雨はそれを蕪へ放って返した。危うく転びそうになりながら、なんとか蕪が刀をつかみ取る。


「愛刀が妬くゆえな。おまえが持っておれ。よい刀であるから、戦が終わったら盗みに行くさ」

「でも、はなさん」

「頼むな」


 蕪の少年らしい肩を叩いて、華雨は草原を歩き出した。落日が枯れ草を金に染め、燃え立つようである。昼の間、海から吹いていた風は今、山から海へ風向きを変えていた。


(はじまる)


 煤けた風に唇を舐め、華雨はぐん、と天を仰いだ。


 *


 西軍が重い腰を上げたのは、屑ノ原に入ってちょうど十五日目になる、夜明け方だった。朝霧がふもとまで覆った瓦山の森に突如大軍が現れた。


「やはり、森か」


 というのは、百川の棟梁千丞の言である。

 迂回路を予測していた百川の動きは早かった。斥候により、西軍が動き出したのをつかむと、微かな足音を聞き分け、西軍の位置を正確に予測した。西軍の大将篝と老軍師鵜飼はこのとき、屑ノ原に敷いた本陣におり、華雨は本陣とも迂回軍とも離れた別所にいた。風に足音を紛れ込ませ、火を落とした状態であらかじめ頭に叩き込んでおいた地形を頼りに進む。さりとて、行軍は遅々としていた。伸びきった秋草が繁茂し、時折鋸の形をした鋭い葉が足を擦るから、わずらわしい。華雨は汗のにおいに寄ってきた羽虫を払った。

 西軍はさらに瓦山から屑ノ原にかけて通った一本道に一軍を置いた。火を落とし、こちらも前進中である。

 迂回軍の存在が百川本陣に知れたらしいことを見取ると、鵜飼は七十八の老身とは思えぬすばやさで床几から立ち上がった。薄闇へ一斉に松明が振り上がる。この松明、常の数倍の本数を兵に持たせてある。瓦山の一路はたちまち、無数の松明の炎で燃え上がったかのようになった。


「まずは、肩慣らし」


 鵜飼は顎をさすった。


「千丞があわや正面に本隊が現れたとおののけば、よし」


 しかし、千丞とて歴戦の将だった。正面に現れた敵に飛びつくことはせず、どっしりと構えて迂回軍の動向を探った。むやみに前へと踏み出せば、森林からの迂回軍に背面へ回り込まれ、挟み撃ちにされる恐れがある。百川に、西方ほどの兵力はない。ゆえにこそ、本隊はみだりに分散させず、迂回軍と正面軍を各個撃破する必要があった。千丞は地の利に長けた一軍のみを投入して、迂回軍の追い立てにかかった。

 迂回軍を百川本隊の背後に回らせる鵜飼の策は、まずは封じられた。

 空が白む頃、迂回軍は当初予定していたよりもはるかに百川寄りの平地で、交戦を始めた。正面軍とは大きく引き離されてしまったため、単軍での交戦となる。慣れない森林を進んで疲弊した兵たちは、百川のよい槍的になった。


「あちらに一隊を回すか」


 篝は海から山へ吹き始めた風音を聞きながら言った。風は、西方の正面軍から百川本隊の方向へ流れている。少々前進すれば、十分矢の射程に入ろう。そのことも踏まえて言ったのだが、「いいえ、まだ」と鵜飼は首を振った。

 これは、瓦山の一本道を挟んだ、鵜飼と千丞の「来い」と「ゆかぬ」の誘い合いである。西軍にすれば、一本道の深くへ侵入して身動きの取れなくなったところを百川に叩かれる恐れがあり、百川にすれば、今むやみに前へ踏み出せば、背面を西軍の迂回軍に取られ、挟み撃ちにされる危険が高い。ゆえに両者、いかにして相手を誘い出すかが腕の見せどころである。篝の言をのむわけにはいかなかった。


「霧が晴れれば、正面軍のからくりが知れまする。迂回軍にも、こうなるやもしれんとの話はしてあった。信じましょう」

「華雨のほうはどうだ」

「報せはまだ」


 鵜飼は右方へ視線を上げた。

 交戦地を百川寄りに向けられた迂回軍の足並みは乱れ、じりじりと山道へ押し返され始めた。何せ、右も左もわからぬ森で囲い込まれた上、飛び出れば、百川の槍が襲い掛かる。迂回軍の旗がひとつふたつと下がるにつれ、鵜飼の額に玉汗が浮かび始める。頬は紅潮し、目のふちの濃い隈のせいで鬼のような面をしている。鵜飼の孫が、ちょうど迂回軍の先鋒を務めていた。内気な青年であったが、自ら名乗りを上げたらしい。いいのか、と尋ねると、じいさまは負け知らずですから、とはにかみ笑った。

 迂回軍はしばらく粘りを見せたが、そのうち左端の一隊がくるりと背を向けて敗走を始めると、総崩れになった。百川の追撃ははなはだしい。背を向ける兵へえいやえいやと槍を突き出し、このまま本陣へ攻め入りそうな勢いである。


「口ほどにもないな、鵜飼」


 千丞は頬を歪める。

 敗走する迂回軍の先端が、正面軍に届いた。動揺したらしい正面軍からひとつふたつと松明が離れ、本陣へ向けて山道を下り出す。追い立てる百川軍は勢いを増した。


「こりゃあ、たいした負け戦じゃないか」


 対する華雨は、別所よりそれを眺めていた。

 華雨配下の者たちは皆、岩場に背を預けて息を喘がせている。荒い息に混じって、汗をかいた愛馬からも湯気がのぼる。どいつもこいつも汗だくの泥まみれであったが、目ばかりは精気を帯びてらんらんと輝いていた。


「はなさん」

「おう。遅かったな、ゴジョ」

「葦太郎は、ちょいと鈍足なんですよ」


 汗で張り付いた額をこすり、ゴジョは自慢の葦毛を叩いた。


「あんばいはどうですか」

「正面軍が引き始めた。そろそろだな」

「はなさん、はなさん」


 歩兵の少年が油をしみこませた松木を抱いて走ってくる。本陣からも見渡せる高台を探し、華雨は松木に火をつけさせた。はじめ、ちろちろと木肌を舐めていた炎が、ごう、と吹き上がる。しばらく待っていると、本陣からもやはり、ごう、と炎が立った。それを合図として、岩に寄りかかっていた者らが身を起こす。華雨もまた愛馬を引き、ひらりと馬上のひととなった。


「あとは、わたしと東雲の運試しだな」


 このような局面、華雨はことのほか血が騒ぐ。

 間違えば、死ぬやもしれん、と思う。

 うまくやれば、戻ってこられるだろ、と投げやりに思う。

 そのあわいを眇め見るとき、華雨の獣の血が騒ぐ。


『何ゆえ、おまえは死に急ぐ』


(おまえには、そう見えるのか。白雨)


 吹き付ける風は冷たいが、腹の底からたぎる熱で身体は燃え立っていた。

 炎。華雨には、地平に黄金の炎が見える。


(うまくやれば、戻ってこられるだろ)


 口端に笑みを引っかけ、華雨は馬の腹を叩いた。

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