第009話 産廃女神

 クルトは訓練用の棍棒を肩に担ぐ。

 足下にひっくり返っているリーネを見下ろした。


「おい、生きてるか?」


 返事はない。

 リーネは息も絶え絶えといった状態で、しばらく休まないと口も聞けない有様だった。


 戦ってみた感想は、素直に驚いた。

 リーネはすべての女神魔法を使いこなしていたからだ。


 女神騎士と女神司祭は女神魔法を使うことができるが、あくまで一部だけだ。

 リーネがすべての女神魔法を使えることは女神の証明と言えるかもしれない。


 ……威力は本物の女神と比べられないくらい低いものであったが。


 防護の魔法は手加減しながらでも破壊できる薄さで、投射の魔法は速度がない上に飛距離が短すぎ、快癒の魔法は頭のたんこぶを治せればいいくらいであり、剣術の腕前は王国の見習い騎士といい勝負ができそうだった。


 一言で言えば、役立たずである。


 唯一褒められるのは女とは思えない怪力だ。細い子供のような腕からは信じられないほど重い一撃が繰り出される。見るべきところはそのくらいだろうと、クルトは結論付けた。


 足元から女神魔法、救済の御手タッチ・オブ・リリーフの詠唱が聞こえてきた。

 ようやくリーネが復活したらしい。

 芋虫のように転がったまま、痣だらけになった全身をちまちまと癒していく。


「ぅぅぅ……、も、もうちょっと、手加減してくれたって、いいんじゃないかなぁ……? 本気で殴らなくてもさぁ……」


「手加減してる。暗黒魔法も使ってないしな」


「ええ、うっそぉー!?」


 もし本気で斬りかかっていたら痣では済まないだろう。

 訓練用の棍棒でも憤怒の剣聖ソード・オブ・レイジを使って殴りつければ頭を叩き潰すくらいはできる。


 模擬戦が終わったのを見計らって白衣を羽織った女が歩み寄ってくる。


「剣の打ち合いって始めてみるけどスゴいのね。全然わからなかったわ」


「素人目ならそんなもんだろう。ところで、こんな有様で護衛が務まるのか? 魔物との戦いは危ないと思うけどな……」


「それは言わないであげて。リーネちゃんは役に立っているのよ、いちおう……、その……、荷物持ちとかね」


「ズコー!? そこは、護衛役と言ってぇぇぇ……」


 遠慮のない答えにリーネは悲鳴を上げる。

 が、事実は事実である。


「それで。話が逸れてしまったけれど、護衛の話を受けてもらえないかしら? わたくしは研究一筋だし、女二人だと何かと大変なの」


 クルトは悩んでいた。

 群れて行動するのは嫌いだ。だが、ときに感情を我慢することが必要なことくらいは理解している。


 未来世界で行動するうえでまずは情報を集めなければならない。活動拠点と情報収集の手段の確保も必要だ。

 そのうえで組織に所属するのは正しい。だから、白衣を羽織った女の誘いにのって護衛として活動するのは悪くない。


 しかし、白衣を羽織った女がどのような人間なのか推測ができていない。

 一般人のようだが何かを隠しているような独特の雰囲気を持っている。根から信用するのは躊躇われた。


「それに。さっきも言ったけど一人で発掘なんて無茶よ。発掘には許可証が必要になるし、発掘品の輸送や解析、修理もするのよ?」


「そうだな……」


 存在するのかどこに在るのかもわからない時空遡上装置タイム・リトラクターを発掘して修理をして過去に戻る。

 右も左もわからない未来の世界では大変な苦難を伴うだろう。


 情報は少ない。

 騙されていたとしても差し出された手を取るしかないのかもしれない。


 ひとつ、腑に落ちないことがあったので尋ねておく。


「はじめは警戒していたはずだ。どうしてオレを雇う? 八〇万年前から掘り出された極悪人かもしれないぞ」


「んー、そうね。理由はいろいろあるけれど……、リーネちゃんが信用できるって言うからかしら?」


「アイツが?」


 白衣を羽織った女はひそひそと告げる。


「あの娘は人を見る目があるのよ。命を救われたこともあるから信用しているの。……調子に乗るからヒミツよ」


 そういえば、とクルトは思い出した。


 原初の忌憚モデスティ・オブ・プライマルなる女神魔法がある。

 女神司祭になる者が習得していたが、善人であるか悪人であるかを見極め、言葉の真偽を見抜く。


 リーネが原初の忌憚モデスティ・オブ・プライマルをクルトに使っているのかもしれないが、その精度を信用しないほうが良いのではないかと疑ってしまう。

 少なくともクルトは善人ではないのだから。


「……わかった。しばらく世話になる」


「よろしくね。貴方のお名前を聞いてもいいかしら?」


「クルトだ。よろしく頼む」


 クルトが名乗ると、白衣を羽織った女はにっこりと微笑んだ。


「わたくしはロラよ。よろしくね、クルトくん」


「ぃよっと!」


 地面に転がっていたリーネが掛け声ひとつ、跳ね起きる。

 にひひ、と歯を見せて笑うリーネ。


「それじゃ、今日からお仲間だね。これからよろしくーっ!」


「……おい! 声を抑えろ」


 完全復活したリーネの元気な声が辺りに響き渡ると、道行く人の視線が一斉に寄せられた。

 恥ずかしいことこの上ない。

 クルトは声を潜めてリーネを注意する。


 リーネの大声に反応した人々はすぐに興味を失って雑踏に紛れていく。


「誰も見てないって! 気にしない、気にしなーい!」


「場所を考えろよ……、――!」


 動き出した雑踏を外れて、一人の男が公園に入ってきた。

 歩く方向はあきらかに白衣を羽織った女、ロラを目指している。


 クルトはピリッと神経を尖らせた。


 近づいてくる男への対処をどうすべきか。

 いつでも腕を引っ張って守れるように、ロラへとさりげなく歩み寄っておく。


「こちらにいたか。探したぞ、ロラ嬢」


 誰何の声にロラは振り返る。


「あら? ごめんなさい。夜に来るかと思っていたから外に出ていたの」


「構わないさ。私の仕事が早めに終わっただけだ」


 どうやら男とロラは面識があるらしい。

 クルトは警戒を解いた。


 改めて男の姿を観察する。身のこなしから察するに何らかの武術に精通していることがわかる。歩き様や立ち方から推測できるのでクルトは初見で警戒したのだ。


 服装は歩いている一般人と異なり、上下揃いの迷彩軍服をピシッと着こなしていた。

 羨ましいな、と思うのはロラよりも大きな身長だ。細身の長身は、背丈のないクルトにとって喉から手が出るほどのものだ。もちろん、願って手に入るものではないことは重々承知しているが。


「レノっちじゃん。こんにちはー!」


「うむ、こんにちは。ハインリーネ君は今日も元気一杯だな、……鍛錬の最中か?」


「模擬戦だよ。クルトとね」


 男の視線がはじめてクルトへ向けられた。


「クルト? キミは、初めて見るな」


 ロラとリーネの知り合いならば無視するわけにもいかない。

 簡潔に自己紹介をしておく。


「クルトだ。護衛として雇われている」


「では、はじめましてになるな。私はオルインピアダ・インターナショナル所属の傭兵、レノックス・イームズだ。古代兵器の破壊を仕事としている」


 男は何か思い当たることでもあったのか。

 髭のない顎を撫でる。


「もしや、……君が八〇万年前から発掘されたというケイヴマンか?」


「ケイヴマン?」


「フ……いや、なに……、剣と弓で戦っていたのなら、昔の住処は洞穴だったのかなとね」


 男の目には明らかな侮蔑の色が透けていた。


「ちょっと、レノくん! そんな言い方をしなくても……!」


「皆が言っていることだ。オルインピアダ・インターナショナルが登録を拒否し、スカロプスも見向きもしなかったからこそ、ロラ嬢も彼らを引き取ったのだろう? 行き場のない彼らは護衛として安上がりだ」


「それは……」


 男の視線はクルトだけでなくリーネにも向いている。


「たはは……、魔導女神だって本当は強いんだけどねえ……」


 リーネは緩い笑みを浮かべたままモゴモゴとしていた。


 原始人ケイヴマンか。

 未来人の目から見れば、数十万年前の古代人など原始人にしか見えないのも仕方がない。

 しかし、舐められたままでいるのは癪だ。


「役立たずか試してみるか?」


 魔法でも体術でもすでにクルトの間合いに入っている。男が何らかの武術を学んでいたとしても叩き潰せる自信があった。


 そんなクルトを見て、男は鼻で笑う。


「殴り合いで勝負する気か? 野蛮だな。この時代の戦いは君の知る次元ではない、身の程を知りたまえ」


「……はいはい、レノックス。仕事の話を持ってきたのならさっさとはじめましょう。貴方も暇ではないわよね」


 クルトと男の雰囲気が険悪になっていくのを見かねて、ロラが二人を分かつように間に入る。

 男は両手を上げて肩をすくめた。


「承知した。ではな、クルト君」


 男は去り際に言葉を添えていく。


「そうだ、ハインリーネ君。剣と魔法ではなく魔神機デモンズ・フレームの操縦訓練でもしてみたらどうだ? いまよりも戦えると思うぞ」


「アハハ……、考えておくよ」


 ロラと男は家へと戻っていく。

 その後ろ姿にヒラヒラと手を振っていたリーネは、はぁ、と聞こえないくらい小さくため息をついた。

 目の端でリーネの様子を窺う。


 振りまいていた元気な笑顔はない。

 しょんぼりと肩を落とし、眦にうっすらと涙をためる少女の姿がある。


 魔法は圧倒的な力を誇っていた。それこそ神と渡り合えるほどの力を発揮する魔法の力は、魔科学の世界でも通用すると信じている。


 魔導女神の力について本当のことはわからない。

 ただ、女神の名を与えられた存在が、クルトが敵として辛酸をなめた相手が、魔科学において後れを取っているなどと認めたくなかった。


 だから、リーネの「魔導女神は本当は強い」との言葉を信じておくことにする。


「そんな顔をするな」


 リーネは慌てて目元を袖でこすると、何もなかったかのように快活な笑みを張り付ける。


「そ、……そんな顔ってどんな顔かなあ、わかんないなぁ……。ごほん、私はいつでもこんな顔だよ!」


「ならいい」


 落ち込んだとしても立ち直るのであれば問題ない。

 ……恨みに振り回されて未来世界にまでやってきた我が身を思うと怪しいものがあるが、他人には好きなことを言えるものだ。


「ふぅん、意外だね。慰めてくれたんだ」


「……仲間に気を配るのも仕事だ」


「またまたぁ、お堅いこと言っちゃって! 私のこと心配してくれてたんでしょ? クルトの愛を感じちゃうなぁ」


 リーネはにまにまと笑いながらクルトの脇腹を肘でつつく。


 ロラの言葉を思い出す。

 調子に乗らせるとよくないと言っていた意味がわかってきた。


「……元気が良いなら幸いだ。二本目やるか」


「え!? きょ、今日はもういいんじゃないかな。……ほら、汗かいたし、……ちょっと怪我もしたし」


 引きつった笑みへと早変わりしたリーネ。


「だまれ。構えろ」


「って! ちょっ!? タンマ! ひぃ!?」


 クルトの繰り出した斬撃を、リーネは大げさに飛び退いて避ける。


「まて、逃げるな!」


「もぉ、やだぁぁぁぁ――ッ!」


 訓練用の棍棒を放り出して逃げる少女に向かって、クルトは容赦なく襲いかかった。

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