竜巻
蓮と風虎が楽舎へ着くと、楽人たちは武器を取り今にも撃って出ようとしていた。その中心に楽舎の長・
「何をしておる、なぜ逃げん!?」
「お前、風虎か?」
球磨羅楽人は風虎の変わりはてた姿に驚き、生きた蓮をその背に認めるや目をむいた。
「蓮、生きていたのか!?」
球磨羅楽人に喜ばれて蓮は申し訳なくなった。先の「七夕の会」で球磨羅楽人には大役を任せてもらった。それをふいにし彼を欺き裏切ったのは蓮だ。
(暗殺のためにみなを巻きこみ死のうとした。彼も死んでいたかもしれないのに)
球磨羅楽人はけれどそんなことはなかったように、一切責める気配を見せない。かわりに無残に切られた両腕に目をとめると表情を曇らせる。蓮は慌てて口を開いた。
「たいしたことありません。もう笛はできないけど、まだ生きてます」
「そうか。だが……」
球磨羅楽人が口を開くより、風虎が怒ったように言うほうが早い。
「なぜ、あなた方が武器をとっている」
「あ、ああ。美蛾娘が兵を連れ、安寧宮(あんねいきゅう)に押し入ろうとしている。すこしでも美蛾娘の兵を殺し天帝のお役に立つためだ」
「あなた方は楽人なのだぞ!? 楽器ではなく武器をとり、あろうことか人殺しに参加するのか!」
「ではこのまま美蛾娘のいいようにさせておけと?」
「そうではない、そうではないが何もそこまで――」
「許せないのだ!」
球磨羅楽人の激高に風虎は息をのみ押し黙った。悲鳴のような声を聞きつけて、戦支度を整えていた他の楽人たちも何事かと集まってくる。球磨羅楽人は声を落とし、意識して静かに話していた。
「私は許せないのだ。ずっとあの女が……我々の師匠を弟子を殺したことが。あの毒婦! 殺せる機会があればなんとしても、なにをおいても殺してやる! 今回がその大義名分だ。ようやく天が機を我らに与えたのだ」
「しかし」
「見よ」
球磨羅楽人は戦支度を整え終わった楽人たちを顎で示した。
「みな怒っておる、憤りはもう抑えきれぬ。今日まで私はそれを押し留めるほうだったが、それももう終わりだ。私とて何度武器をとろうと思ったか。蓮が殺されたと聞いたとき、自分で弓をとろうかと思ったくらいだ。これまでそうしなかったのをひどく後悔もした」
なぜ美蛾娘を殺さなかったのか。みなが武器を取ろうと何度も訴えていたあの時に、自分が宥めなければ蓮は針山へ送られることもなかったのにと。
「蓮、本当にすまなかった。楽舎の長(おさ)として守るべき立場にいながら、何もできなかった」
「いえ、俺は」
球磨羅楽人は悔悟の念に涙を流していた。蓮はそのことに驚愕し胸がつまる思いだ。周りを見れば球磨羅楽人だけでなく、見覚えのある楽人たちが自分の生存を喜んでいる。
これまで楽舎のことなんて蓮は微塵も考えてこなかった。同僚にも兄弟子にも愛想よく返し、いつか復讐のために利用しようと考え接してきた。それなのにこれほど自分の死を重く受け止めてくれていたなんて。透明だと思っていた関係性には色と感触があり、はっきりとした重さがあったのだ――そのことが嬉しさと罪悪感を半々にもたらした。
「すみませんでした」
「何を謝ることがある。お前が生きていたのは楽舎にとって唯一の吉報だった。……さあ、みんな行くぞ!」
球磨羅楽人は弓を担ぎ馬の手綱を取った。今にも出発しようとする姿に風虎は慌てた。
「待て、今さら復讐などしてなんになる。あなた方は楽人だ、武器など持つべきではない!」
馬に乗った球磨羅楽人は決意を秘めた表情だった。
「楽人である前に私たちは人だ、風虎よ。お前は蓮とともにここから――」
逃げろ、たぶんそう続けられるはずだった声は驚きにのみこまれた。
球磨羅楽人は目を見開き、苦しげに両耳をふさいでいた。くぐもった呻きが口から漏れている。
(なんだ?)
蓮は違和感に耳をすませていた。
音だ。異様な音がしだいに大きくなり近づいてくる。
風虎が膝をつき、同様に耳を塞ぎ地面にうずくまる。その背から振り落とされた蓮は、おのれの耳をふさぐこともできずに唖然と周囲を眺めていた。
馬が異様にいななき足踏みを繰り返す。周囲の楽人たちが耳を塞ぎ苦しみはじめた。
頭上では空がうす紅に色を変え、月が真っ赤に染まっていく。地面が紫に変色しゆらゆらと揺れ動いた。方向感覚を失い仰向けに倒れた蓮は、金色の雲間にありえない光景を見た。
天空で争っている無数の神々の姿だ。美しいもの雄々しいもの、すべてが入り乱れて風槍と雷剣を手に叫んでいる。投げられた雷剣が的をはずれて下界へ――国土へ落ちてきていた。そのたびに遠くで雷が鳴る。風槍が女神のひとりを巻き上げ、竜巻となり街を山ごと抉りとった。
神々の争いに下界への配慮はみられない。ありとあらゆる自然を操作し、喜怒哀楽を超えた神独自の理論に基づき、国土を巻きこんだ戦いが繰り広げられていた。
(このままではまずい、このままでは)
国が滅ぶ。柘榴の国が、柘榴帝自身が消えてしまう。そう悟ったとき、蓮は知らず叫び出していた。極彩色に染まる音の美に耐えられなくなっていた。身が引き裂かれるほどの苦痛が脳髄に染みこんでくる。
何が起きたかわからない。
五体の感覚なくなり息ができない。
耳奥と瞼裏でチカチカと音の形が通り抜け、脳を攪拌しては消える。
(うるさい、うるさいうるさい! 壊れる、壊される――ッ!)
受け入れられない、とてもではないが理解できない感覚だ。暴力的に美しい何かが精神をつかみ揺さぶり引き裂きにきていた。
「蓮、蓮……!」
頬を叩かれ、自身の喉を震わせていた叫びがようやく止まった。
あたりは驚くほど静かになっている。
耳奥で自身の鼓動がうるさく鳴っていて、蓮はようやくほっとした。どうやらまだ自分は生きている。朦朧とかすむ目が鎮官の黒服をとらえた。夜空を背景に青ざめた顔の鎮官が覗きこんでくる。
「しっかりしろ! 私がわかるか、魔醜座だ」
けだるい頬の痛みに首を揺らすと意志の光を見てとったのだろう、魔醜座はほっと息をついた。
「よかった、これで助かるかもしれん。
「なんだ、何がどうなっとる!?」
頭を押さえ叫んでいたのは風虎だ。楽人たちはみな顔をしかめ、耳から手を離すと水を抜くように頭を振っている。蓮にはその動作の理由がよくわかった。
(記憶から今すぐこの音をとり払ってしまいたい。でなければこのまま狂ってしまいそうだ)
たった今聞いた響きが強烈に脳を揺らしている。その音が何だったのか、どういった種類のものかまったくわからない。あれは果たして音楽と呼べるのだろうか。
両手がなく耳を塞ぐことのできなかった蓮は、極限まで音の響きを味わうことになった。それは人並みはずれて暴力的で美しい体験だった。記憶に留めてはいけない、すぐにでも人が忘れ去るべき何かであることは確かだが、同時にどうしても再び聴いてみたいとも思う、ひどく危険なものだ。
魔醜座は楽人たちが落ちつくのを待って、あれがなんだったのかを説明した。
「古謝だ」
「古謝ぁ?」
素っ頓狂な声を上げた風虎に魔醜座は頷く。
「あれは神衣曲だ。古謝がようやく習得した。しかしこのままでは国が消し飛んでしまう。なんとしてでも止めないと」
「どうして。何がなんだか儂にはわからん」
「わからぬか? あれは神を殺せる曲なのだ。古代、人が神々に対抗するために編み出した秘曲。古謝はそれを習得するだけでなく、よりによってこんな形で弾きあげてしまった」
時期が悪かったのだと魔醜座は唸っている。
「待て待て。古謝と言ったな。で、その古謝はどこだ?」
魔醜座は暗い空を見上げた。黒雲の合間に何かを探している。月は雲に完璧に隠されてその隙間に巨大な龍が移動しているのが蓮には見えた。
(蛇にしては大きい、それに空を飛んでる。あれは……あの向かう先は)
「安寧宮のほうに向かってる!」
空飛ぶ生き物が進む先に柘榴帝がいるのだ。嫌な予感に思わず叫ぶと魔醜座のなんともいえない視線と目があった。
「見えたか。あれが古謝につく龍神だ」
「龍神? そんなもの私には見えないが」
乾いた笑いで球磨羅楽人が顔をひきつらせている。彼はこの荒唐無稽な話に現実的な折り合いをつけようとしていた。魔醜座はそれを咎めもせず、諭すような口調になった。
「信じぬならそれでも構わん。だがたった今、楽舎の横を古謝が神衣曲を歌いながら通り過ぎた。お主らが感じた異様さは、曲は、これからもっと酷くなる」
そして古謝は安寧宮のほうへと向かっている。
「なぜあいつは柘榴のほうへ?」
天帝を呼び捨てにした蓮にみながぎょっとするが、魔醜座は構わず即答した。
「神聖なこの後宮で殺し合いがなされていたからだ」
龍神は血と争いをなにより嫌う神だ。神衣曲を会得した古謝に干渉し、この場のすべてを塵にかえさんと、争いがより酷い安寧宮のほうへ向かわせているのだ。
「私は鎮官として責任をもち古謝を殺す。神衣曲習得の手伝いをしたのは私だからな。そもそも私はそのためにいるのだ」
鎮官とは神を鎮めるための役職だ。神力を授かった者、神威を借りる者、実際の神だけでなくそれら神まがいの人間など、災厄となるすべてを治めるのが仕事だった。神触れ人の行いを監視し、力を扱いきれず暴走した際には命にかえても殺さなければならない。今がそのときと魔醜座は馬の手綱をとるや蓮を抱え上げた。
「一緒に来てもらうぞ、蓮」
古謝を止めなければこの国は終わりだ。先ほど見えた天界の風景を蓮は馬上で思い出していた。
(あれは夢なんかじゃない)
現に今も雷鳴がとどろき、時おり台風ほどの強風が吹きつけている。ここからでは見えないが国に災厄が起きたことは肌で感じられた。空気がひきつれたように軋み悲鳴とともに裂かれているようなのだ。安寧宮に向かう古謝を止めなければならない。
頷く蓮の後ろに魔醜座が軽々と飛び乗った。止めようとする風虎を押しやり、魔醜座は勢いよく馬を駆った。
背後で球磨羅楽人たちが馬に乗り後を追ってくる気配がした。魔醜座は構わず前だけを見て、争いの声が大きいほうへ進んでいく。
しだいに通り過ぎる道に兵の死骸が増え、剣や槍で襲ってくる者たちも増えた。その動きがなぜかのろくふらついているのは、古謝がここを通ったせいだろう。土道はえぐれ木がなぎ倒されて、煉瓦の壁が崩れ落ちている。竜巻が通った後のような道を、魔醜座は邪魔する者たちを避けて素早く馬を駆った。後方では球磨羅楽人たちが、立ちはだかる蛮族へ向けて容赦なく弓を放ち剣でなぎ倒している。安寧宮へと近づけば近づくほどにすえた匂いが鼻をつく。
(燃えてる!)
黒い夜空に赤々と煙が上がり、火の粉と灰が風に舞っていた。
角を曲がり後宮一大きな安寧宮の建物が見えたとき、魔醜座は馬を慌てて止めた。
広場で倭花菜と美蛾娘の兵が争っていた。骨で肉を絶つような争いを繰り広げていたらしい、双方が満身創痍になっている広場は、なぜか時を止めたように凍りついていた。
〽♩―♩―――、θπΣΔ―――、
♩♩―♪――、₩ฺ ₾ฺ ₿ฺ―――ッ!!
広場の中央へと小さな竜巻が進んでいた。発される音にみな凍りつき、武器を投げ捨て両耳を塞いでいた。
「これは――」
「行ってください! このまま、俺をあいつのところまで連れて」
魔醜座のためらいを消そうと蓮は馬の腹を勢いよく蹴った。混乱した馬は広場のほうへと向かいかけ、けれど魔醜座と蓮を振り落としてしまう。異様な気配に怯えたのだろう、逆方向へと逃げていく。落下の衝撃からなんとか立ち直れば、真横で頭から血を流した魔醜座が顔をしかめ目の前の惨状を睨んでいた。
古謝の歩みは止まらない。自身を竜巻の中に隠し周囲をなぎ倒し壊しながら、真っ直ぐに美蛾娘と倭花菜のほうへ――柘榴帝のいる安寧宮のほうへと進んでいた。
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