晧月ー1
目がさめたとき、蓮は自分の宮で寝ていた。ぼんやり瞬けば古謝がずいと顔をのぞかせてくる。
「なんで俺の演奏の邪魔したんだよ!」
「ここは……」
「答えろ! なんで邪魔した!?」
蓮はゆっくりと身を起こした。頭がくらくらする。かすむ目で辺りを見れば間違いなく自分の居室だった。部屋は暗く、何時かはわからないがとにかく夜で、行燈の火がつけられている。喉が異様に乾き咳きこむと、怒りで顔を真っ赤にした古謝がそれでも水の入った椀を差し出してきた。のろのろとそれを飲み干し、回らぬ頭でようやく出せたのは間抜けた問いだった。
「お前、体調はもういいのか?」
自分に毒を盛られた古謝は高熱におかされ動けないはずだった。無理をおし宴の席へやって来たはずなのに、目の前の古謝は倒れるどころかぴんぴんしている。
「それもだよ! お前のくれた菓子、腐ってたぞ!」
思わずため息がもれ力が一気に抜けた。あれが毒だと古謝は結局気づかなかったのだ。
「悪かった。お前にはすまなかったと思っている」
「俺はもうなんともない。お前、何日眠ってたか知ってるか?」
「なに」
瞬間、蓮はハッとさせられた。何日? 何日とは――。
古謝は刺々しくも教えてくれた。
「七夕の会」で倒れた蓮を柘榴帝がここまで運んできたこと。それから三日三晩、蓮がうなされ目覚めなかったことも。
「お前が倒れてる間、あの人がどれだけ心配してたか。大変だったんだからな!」
「嘘だろ」
蓮はほとんど話を聞いていなかった。
あれから三日だ。三日もの間、自分は生かされていたのか。あの夜、柘榴帝を殺そうとした思惑はあの場にいた多くの人間に、鎮官や帝本人も察していたはずだ。自分はすでに重罪人、反逆罪で九族皆殺しの刑である。それを何ごともなかったかのように宮へ戻し、牢にも入れず放置しているのか。
「なんであの人を殺そうとしたんだよ」
古謝は怒りをすこしおさめて悲しそうだった。蓮にはその言いようがおかしかった。
(こいつにとって天帝は人なのか)
古謝ほど純粋に物事を見られたなら、こんなことにはならなかっただろう。互いの立場や過去、すべての選択を感覚に任せていられたら、もっと気楽に生きられただろうと思う。けれど過去に縛られ生きる蓮には、それは無理なのだ。理性で考えないことも、これまでの感情を無に帰すこともできない。
視線を落とせば、柘榴帝を殺し損ねた自分の白い手のひらが見える。確かに殺せるはずだった。あの夜、あと少し伸ばせばこの手で。それが叶わなかったのは、
「べつに憎かったわけじゃない。ただずっと殺さなければと、そう思って……」
積み重ねてきた時の重みが自然にそうさせただけだ。勢いよく走る滑車が急には向きを変えられぬよう、蓮も人生を下降し一直線にここまできた。後戻りはできない、そうわかっていた。滑車がレールを外れるときは、自らが粉々に砕け散る瞬間だからだ。
「全然わかんない。わかりたくもないよ」
古謝は敵意に濡れた目で睨みつけてくる。考えてみれば、古謝からこれほど嫌悪を向けられたことがない。背を向け無言で去りかけた古謝はぽつりと言った。
「あの人、呼んでくる」
「え……」
「目が覚めたら呼んでくれって言われてたんだ」
「いやだ」
一気に血の気がひいた。
あの人。
会いたくない。もれ出た声は悲愴な響きになっていた。自分はきっとすがるような表情になっている。取り繕う余裕もなかった。行くなと、懇願の手を伸ばせば古謝は失笑し戻ってきてくれた。
「これ。返しておくよ」
安堵したのも束の間、布団の上に投げ置かれたのは半分に折られた龍笛だ。見慣れた自分の笛は頑丈な胴を割られ、無惨にもまっぷたつになっている。古謝が壊したのだろう。
蓮は茫然とそれを眺めおろした。楽器が壊れたこと自体は悲しくない。ただ簡単に壊れることのない頑健な笛を、あえて叩き壊した古謝の怒りの深さには愕然とさせられた。
「俺も筝の弦を切られたんだ。おあいこだろ?」
古謝はさっさと部屋の外へ出ていった。呼び止める暇も謝る隙もない、普段は何事にも関心の薄い古謝が敵意をむきだしにとりつく島もない。演奏の邪魔をし、楽器を壊した。それが古謝にとっての逆鱗だったと蓮はその時ようやく理解した。
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