第3話、『 尾花 』

 出揃わないススキの穂が、金色に輝いている。

 傾いた夕陽に、琥珀にも似た、愛惜の情を想わすかのような空の色・・・

 

 たわやかな風が、ゆったりと吹き抜け、黄金色に縁取られた穂先を揺らしている。

 茜色に、遠く、淡く霞む山影・・・

 

 一面に、黄金色のススキの穂が揺れる野原の真ん中を、細い小道が下っている。

 穏やかな曲線を描きながら、細く下る、野の小道。

 

 誰かが小石に躓き、倒れた。


 ・・誰・・? 倒れたのは。


 泣かないで。 ね? 悲しくなるから・・・

 ほら、あなたを呼んでるよ? 今、行くからね・・・!

 


「 ・・・・・ 」


 おかしな夢を見た。

 何処だか分からない、哀愁誘う、懐かしい景色。

 誰かの、泣き声。 誰かを呼ぶ声・・・


「 どこで見た景色だったかしら・・・ 」


 思い出せない。

 映像は、昔の写真のように、やたらセピア色に映るのだが、景色そのものはハッキリと脳裏に再現出来る。


 最近、仕事が忙しいのか、とにかく眠い。 仕事中も、よく睡魔に襲われる。

 たまには有給申請をして、のんびりとしようか・・・


『 春眠、暁を覚えず 』


 春先ならまだ分かるが、今は晩秋だ。 11月も半ばを過ぎている。

 諺も、少々、当てはまらないようだ。


 シーツを跳ね除け、微睡を誘うベッドから起き上がる。

 室内の、冷え切った空気が体を覆った。

 両腕を抱えるようにして摩りながら、私は、小股でキッチンへと向かった。



 残業を終え、今日も終電車に走り込み、自宅近くの駅に着いた、私。

 改札口を抜け、中央入り口へと向かう階段を上るに従い、冷えた外気が深々と体を覆ってきた。

「 明日からは、絶対にコートだわ・・! 」

 ジャケットの襟を立て、階段を上りきった私は、首をすくめながら呟いた。


 数人の降車客が、夜の闇の中へと消えて行く。

 構内入り口付近は、すぐに人影が無くなった。

 そんなに大きな駅ではない為、駅前に接する幹線道路の交通量も、11時半過ぎともなれば、まばらである。


 人影が絶えた、小さな駅前ローターリー・・・


 街灯も少ない為、闇が占める割合が多い。 その為か、大変に広く見える。

 それが私には、妙に寂しげな風景として映った。


 小さな駅前ロータリーに、ポツンと停車している都営の最終バス。

 室内灯が、陰気に、ぼんやりと点く車内には、数人の乗客の頭が見える。

 皆、下を向き、動く気配が無い。


 ・・自分の家、自分の部屋、家族が待つ家・・


 それぞれに、行く先があるはずなのに、なぜか終わりの無い旅に、人目を避けて出発するかのように皆、覇気が無い。


 構内入り口まで続く、古いアーケードポーチ。

 切れかけた蛍光灯が、チラついている・・・

 その下にあるベンチに、1人の男が腰掛けている。

 ・・酔っ払いではなさそうだ。

 だが、この寒い夜の闇の中、1人で佇んでいる。

 男を照らす、点滅する明かり・・・

 

 全てが無機質に見える。

 全てが、果てなく続く、深い闇に耐えている・・・

 

 私には、そんな風に感じられた。



 ・・瞬間、私の脳裏に、キラリと光る記憶が蘇った。

 

 透き通った、揺れる水面のようなものに反射する、太陽の光。

 それが目に飛び込んで来たかと思いきや、途端に、幾つもの水泡が目の前に浮遊する。

 大きな泡、小さな泡・・・ 無数の水泡が目の前を登って行く。

 そして、誰かの笑い声・・・

( ・・・大丈夫、浅い所よ・・! )

 私は、直感的にそう思った。


 そう・・ 私は幼い頃、母方の田舎の実家にて、母屋裏手にある、膝上くらいの、石垣を組んだ水引き水路のような所に落ちた。


 両膝を水底につき、起き上がる私。

 少年の笑い声。

 ずぶ濡れの髪から滴る、宝石のような雫・・・!


 浅い所。


 一瞬にして思い起こされた、遥かなる記憶のかけら。

 冷えた涼水の冷たささえ、首筋に感じられる・・・ あれは幼き頃の、夏の日の記憶だ。

 突然、脳裏に蘇った記憶に、私は、登り切った中央入り口への階段脇に立ち竦み、呆然としていた。


 私の後から、男性2人連れが、話をしながら階段を登って来た。

「 そうなんだ。 足がもつれちゃってさ、コケちゃったんだよ 」

 

 ・・・風に揺れる、ススキの穂。

 誰かが、転んだ。

 淡い記憶に聞こえた、誰かの泣き声・・・


 そうだ。

 あの夢に出て来たのは、自分だ。

 泣き声の主・・・ それは、私自身だったのだ。


 坂を下る小道の下から、祖母が、私を呼んだ。 夕餉( ゆうげ:夕食の事 )の準備が出来たのだ。


 ( ばあちゃんか・・・ あたしが中学の頃、亡くなったなぁ・・・ )

 祖母の家は、もうない。

 だが、今度の週末、訪れてみよう。


 夢の誘い( いざない )の、宣うところに、遥かなる導きあれ・・・


                『 尾花 / 完 』



 * 第3話『 尾花 』は、『 空になれない、青 』( 掲載済 )の基になったショート・ショートです。

   他愛もない作品ですが、宜しかったらお読み下さい。


   尚、『 尾花 』とは、薄( ススキ:芒とも書く )の異称です。


                  夏川 俊

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紫陽花 夏川 俊 @natukawa

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