誣告

失脚

 天平勝宝八年(七五六年)二月二日。定例の朝議が終わった。

 聖武太上天皇は大仏開眼供養の頃から体調を悪くして寝込むことが多くなって朝議には出なくなり、代わりに光明皇太后が孝謙天皇の後見人となってい朝議に出ていた。

 議題は順調に処理されていて、諸兄が朝議を締めようとしたときに藤原仲麻呂が手を上げた。

「聖武太上天皇様が御病気中であるにもかかわらず、先日、左大臣殿が宴会を催されたと聞きました。太上天皇様が苦しんで見えるときに、臣下として不敬ではないかと考えます」

 部屋の中に緊張が走り、全員が末席にいた仲麻呂を見る。

「藤原卿は大げさなものの言い方をする。宴会といっても、身内と親しいものを数人呼んで夕餉をともにし、少しばかりの酒を出したまでのこと。楽師を呼んで遊興にふけるようなことはしていない」

「宴会ではなく、謀議とでもいうべきか」

「謀議とは聞き捨てならない。藤原卿は何を持って、拙宅で行ったささやかな夕餉を謀議というのか」

佐味宮守さみのみやもりという左大臣殿に使えている資人が来て言うには、左大臣殿は佐伯、大伴と結託して、孝謙天皇様に退位いただくという謀略を練っていたという」

 自分が天皇様を据え代えるなどあり得ない。誹謗中傷というより誣告だ。藤原仲麻呂は何を考えているのか。

「私は太政官の筆頭として、聖武太上天皇様と孝謙天皇様にあわせて二十年近く仕えてきた。天皇様の下僕を自認する私が、孝謙天皇様を廃することなど考えるわけがない」

 諸兄の強い口調に仲麻呂はたじろいだが、すぐに笑みを浮かべた。

 無位の資人が、左大臣が天皇を陥れようとしていると告発する……

 「長屋王の変」と同じではないか?

 朝廷内で権力を持っていた長屋王様を快く思わない舎人親王様、新田部親王様、藤原武智麻呂様などが結託して長屋王様に無実の罪を着せて葬り去った。用意周到で、わずか一日で長屋王様を殺してしまったので、元正太上天皇様が藤原房前様を派遣したときには手遅れだったという。

 仲麻呂は佐伯や大伴と言ったが、佐伯全成も大伴家持も近頃は屋敷に呼んだことがない。何か間違えているのだろうか。奈良麻呂の屋敷に出入りする者たちを自分の客であると、仲麻呂は勘違いしたのだろう。

 いや、勘違いではない。

 仲麻呂にとって、権力を得るために邪魔な存在である自分や息子の奈良麻呂、藤原氏とは競争関係にある佐伯、大伴の両氏を除くことができれば、事の子細は問題ではない。

 長屋王の変と同じだとすれば、仲麻呂はすでに罠を完成させていて、明日の朝に目覚めたら屋敷が兵で囲まれているというのか。万事休すだ。

「藤原仲麻呂は言葉を慎みなさい」

 声の主は光明皇后だった。

「橘卿は若い頃から二心なく聖武天皇様に仕えてきました。大仏の造立は橘卿なくしてはできなかったでしょうし、孝謙天皇の即位は急な話でありましたが良く段取りを行ってくれました。孝謙天皇が即位してからも、老齢にもかかわらず公卿百官をまとめて仕えてくれています。橘卿が天皇に謀反することなどあり得ません」

孝謙天皇も続けて言う。

「左大臣は朕の代になってからも、政について良く支えてくれるので感謝しています」

 光明皇太后と孝謙天皇に仲麻呂は頭を下げた。

 諸兄は心の中で「ふっ」と笑った。

 お二人の言葉が仲麻呂の讒言を吹き飛ばし、部屋の空気を一変させてくださった。歴代の天皇に、無私の心で仕えてきた自分の勝ちだ。

 うつむく諸兄の目に、干からびた手が入ってきた。

 自分はすでに七十三歳。人の倍以上生きてきた。官人として五十年以上勤めたことになる。

 諸王として出発し、仕事に励んで太政官の末席に座ることができた。臣籍降下し橘の氏姓を賜ったときは、母親の財産を受け継ぎたいだけだと陰口をたたかれたことは、今でも覚えている。

 瘡病で自分より上の太政官が死んでしまったことが人生の転機だった。人の不幸を喜ぶつもりはないが、瘡病のおかげで正一位左大臣にまで上り詰めることができた。人が望んでも手に入れることができない地位になれたことで、充実した人生を送ることができたといえる。

 聖武天皇様の気まぐれには振り回され、泣かされっぱなしだったが……

 鎮護国家。

 大仏を造立することで天下泰平、万民安楽を聖武天皇様は願われたが、実際は百官、民を苦しめただけではないのか。諫止できなかった自分に悔いが残る。

 あと二十歳若ければ、仲麻呂など返り討ちにしてやるが、今の自分は、活きがよい仲麻呂には勝てそうもない。近頃は目がかすみ、人の声が聞きづらい。頑張りも効かなくなったし、力も出ない。総白髪の髪は薄くなり、手や顔は潤いなど全くない。

 仲麻呂は自分を標的としている。自分が退けば、奈良麻呂や孫たちも巻き添えを食うことはない。皇太后様、天皇様がかばってくださった今が潮時なのだろう。

 諸兄は横に座っていた豊成から木簡を受け取ると歌を書き入れた。

  降る雪の 白髪しろかみまでに 大君に 仕えまつれば 貴くもあるかな

(空から落ちてくる雪のように、髪が白くなるまで天皇様にお仕えできたことは、ありがたいことだ)

「皇太后様、天皇様のありがたいお気持ちに感謝の言葉がありません。天皇様に対して邪な心を持つことなどありませんが、佐味某から讒言がでることは私の不徳であります。私は七十三歳になり充分なすべき仕事をやってきました。太上天皇様を見習い写経の生活に入ることをお許しください」

 諸兄は、立ち上がり冠を天皇に差し出した。深く頭を下げる諸兄と一緒に、太政官、参議も頭を下げる。橘諸兄は、左大臣を辞した翌年に没した。

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