大仏造立

平城の大仏

 聖武天皇が平城京へ還って三ヶ月経った八月十五日。諸兄は内裏の奥にある天皇の居室に呼ばれた。

 部屋の中に入ると、上座に聖武天皇、光明皇后、阿倍内親王の三人がそろって座っていた。

 皇后様はもとより、阿倍内親王様も仏教に深く傾倒していらっしゃる。ご家族がそろっていらっしゃるということは、おおよそ話が見えてきた。

「平城京に戻ってきてから、夢で仏様を見るようになった。ある晩は金色に輝くお姿によって四方を照らし民に至福をもたらし、ある晩は朕に教えを諭してくださった。夢を見て朕は確信した。仏様の功徳によって天下泰平、万民安楽を実現しなければならない。朕は大仏様を造立することに決めた」

 天皇様の仏狂いもたいがいにしていただきたい。紫香楽宮での失敗を全く反省なさっていない。反省しない人は同じことを繰り返すとは至言だ。生まれながらの天皇として、苦労知らずで、命じるだけで人が動いてきから現実の世界にうまく対応できないのだ。

 天皇様のわがままにつきあう気はないし、大極殿を恭仁京から移築している最中なので、国庫に余裕がない。きっぱりと断るべきだ。

「都を紫香楽に遷すつもりですか。もし、遷都の詔を出されれば暴動が起こりかねません。天皇様は紫香楽の山々が放火によって無残な姿になったのをお忘れでしょうか。地震によって紫香楽の大仏が崩れたのは、天神地祇が民の苦難を察してのことであります。第一、天皇様が平城京にお帰りになってから、紫香楽宮、恭仁京は夜盗によって荒らされ家屋は壊されたり火をつけられたりして跡形もありません」

「都を平城京に定めることは、橘卿や公卿たちとの約束であり反故にはしない。朕は民のために大仏様を造立したいのだ。朕の徳がないために、災害が起こり民が苦しむ。国家を繁栄させ、民を慰撫するためには仏様にすがるほかない。諸国に国分寺を建て、仏像を置き、写経させたが、朕の不徳を補うには足りない。朕の徳を補うために大仏様が必要なのだ」

 ご自身に徳がない……

 藤原広嗣が謀反を起こした気持ちが分かるような気がする。天皇様は民の上に神々しく輝いていてほしいのだ。徳がないから他の者に頼ると言っては身も蓋もない。

 聖武天皇はうれしそうに続ける。

「外京の東に金鍾寺こんしゆじがある。もといのために建てた寺であるが、東大寺と名を改め、彼の地に大仏を造立したい」

「天皇様の彷徨五年で国庫には余裕がありません」

「盧舎那仏は天下泰平と万民安楽のために建てるのである。朕らの暮らしを倹約し費用を捻出せよ」

 天皇の横に座る光明皇后が続ける。

「左大臣の心配はもっともなことですが、大仏造立は国家千年の事業です。国家を繁栄させてゆくためには、仏様のお力が必要だと考えています。皇后宮職からも費用を捻出してください。国分寺や国分尼寺を建てたときに藤原の家から寄進を受けたように、今回も藤原の家から封戸を出させましょう」

春宮坊とうぐうぼうにかかる費用も大仏造立に回してください」

 阿倍内親王の、高くて張りのある声に諸兄は頭を下げた。

 皇室の三人に言われては頭を下げるほかない。朝議ならば、他の参議たちが反対の雰囲気を出してくれるが、内裏の奥に自分一人だけ呼ばれたのでは分が悪すぎる。

「夢の中で仏様は、はやく現世に姿を現したいとおっしゃっていた。朕には見える。民が六丈の仏様を拝み、仏様が優しくほほえんで、民を救ってくださる姿が……」

「私も紫香楽で途中にしてしまった大仏様が気がかりでしかたがありません。天皇様の力になってやってください。紫香楽宮の大仏は行基大僧正に任せました。今回も行基には民の知識を集めるために活躍してもらいますが、行基は橋や溜め池を作ることは得意とするものの、造仏は不得手のようです。行基には知識や寺を担当させ、仏像本体については、朝廷から派遣します」

「すでに人選も終えている。大仏師として国中公麻呂くにのなかのきみまろ、大鋳師として高市大国たけいちのおおくに高市真麻呂たけちのままろを当てたい」

「天皇様は三人をご存じなのでしょうか」

「藤原仲麻呂に探してもらった」

 藤原仲麻呂…… 

 叔母である皇后様にかわいがられて昇叙を重ねている。漢籍に詳しく優秀な人間ではあるが、何故に奴の名前が出てくるのか。

「実は、藤原仲麻呂に命じて金鍾寺に用意を始めている」

 諸兄は思わず顔を上げた。

「天皇様は左大臣である自分を飛び越して、藤原卿に下命されたというのですか。大仏造立という国家の大事業を朝議にも諮らずに進められるというのですか」

「卿が伏せっていたので相談できなかったのだ。許して欲しい。朝議に諮らないとはいうが、太政官を個別に呼んで説得してきた。皆、大仏造立に賛成してくれた」

 太政官を一人ずつ呼ぶとは、天皇様の手法ではない。皇后様の発案だろうか、もしかして、仲麻呂が暗躍しているのだろうか。

 いずれにせよ、天皇様の前に一人ずつ呼び出されたのでは十分な反論がきない。

「もし橘卿が高齢で、大仏造立の任に堪えないときには誰か他の者に代わってもらうが……」

 天皇様は大仏の姿を想像しているのか、晴れやかな顔をしていらっしゃる。穏やかな口調からは悪気を感じられない。おそらく六十二歳の自分を気遣っての言葉だと思うが、言っていることは、大仏造立をしなければ、左大臣を解任するという恫喝でしかない。仲麻呂の入れ知恵なのか。

「左大臣は体を大事にして、大仏造立に力を尽くしてください。私たちといっしょに盧舎那仏様を拝みましょう」

 諸兄は光明皇后の言葉に深く頭を下げて、部屋を出た。

 自分よりも偉い人にはきちんと意見を言うことができないから、またしても難題を断り切れなかった。

 天皇様はやりたいことを命じるだけでよいが、自分らは大きなところでは材木や銅の手配、小さなところでは人足の飯まで配慮しなければならない。費用も計り知れない。世間は、また橘諸兄が余計なことをすると言うのだろう。ため息しか出ないとは、このことだ。

 蒸し暑い熱気と、うるさいまでの油蝉の声が諸兄を包み込み、夏の日差しが痛いほどに照りつけてくる。

 諸兄は額から流れ出る汗を、ゆっくりとぬぐった。

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