紫香楽の大仏

 諸兄は恭仁京建設のため、畿内に大動員をかけると同時に、平城京から大極殿や朝堂院を移築することにした。諸兄が恭仁京の建設の指揮を執っている間、聖武天皇は、近江国紫香楽しがらき(滋賀県甲賀市紫香楽町)に離宮を造らせ、恭仁京と紫香楽を行ったり来たりしていた。

 恭仁京の大極殿の組み立てが終わりに近づいてきた天平十五年(七四三年)十月一日、諸兄は、聖武天皇が滞在している紫香楽宮に呼ばれた。

 真っ白な雲が青い空を気持ちよさそうに流されて行く。紅葉は盛りを過ぎているが、楓の赤、ブナやツツジの黄色、柏の茶色は甲賀の山を鮮やかに染め上げていた。林に囲まれた紫香楽宮には、掃いても掃いても落ち葉が溜まる。乾いた落ち葉を踏んで歩くと、カサカサと心地よい音を奏でる。

 幼い頃は山へ栗や柿を採りに行き、落ち葉を集めてたき火をして遊んだものだった。吹きだまりにできた落ち葉の布団に飛び込む遊びが好きだった。落ち葉を踏む音を聞くと、幼い頃のことを思い出すが、ひからびているのは、自分も同じかも知れない。

 六十歳。総白髪になり、いつ迎えが来てもおかしくない年になってしまった。恭仁京の完成までは生きていられないだろうが、大極殿と主要な建物の移築を終わらせて自分の奉公の証しとしたい。

 中庭では四人の下女が箒で庭を掃いたが、風が吹くたびに落ち葉が舞って、掃除はいつまで経っても終わりそうにない。片隅には文字どおり落ち葉が山となって積まれていた。

 宮の奥まった部屋には聖武天皇と光明皇后が座っていた。

 諸兄は型どおりの挨拶を済ませる。

「忙しい中、橘卿に来てもらったのは他でもない。朕は紫香楽に寺を建てて大仏様を造立ぞうりゆうしたいと考える。大仏様の高さは六丈(約十八メートル)で塑像や乾漆像ではなく青銅で作りたい」

 聖武天皇は、晴れやかな顔をして目を輝かせていた。

「先年、諸国に国分寺を建立し釈迦像を置いたが、日本の印となるような大きな仏像が必要だ。朕は難波に巡幸したときに、知識寺で大仏様を見て感動し、難波の大仏以上の仏様を造りたいと考えるようになった。朕の発願で大仏様を造り、鎮護国家を完成したい」

 また、困ったことをおっしゃる。

 知識寺で見た大仏様が大きくて肝をつぶしたことは覚えている。

 諸兄は天井を見上げた。

 六丈の大仏様は、少なくともこの部屋に入るような大きさではない。おいそれと想像できる大きさでないことは確かだ。知識寺で見たときは大きさに驚くだけで良かったが、造れと言われると困惑するしかない。

 知識寺の大仏は塑像であったから、民が少しずつ財を持ち寄り、農閑期に手伝うことで造ることができた。天皇様は大仏を青銅で造るとおっしゃる。材料の銅、鋳込みにかかる粘土や炭は半端な量ではない。

 いったい、天皇様がお考えになる大仏造立にどれくらいの財と人が掛かるのだろうか。

 知識寺は仏像の造立で力尽きて、金堂はみすぼらしかった。だが、天皇様が発願される寺の金堂はみすぼらしいものであってはならない。人が二、三人で抱えるような朱色の柱に、漆喰の白い壁、瑠璃瓦を使って、見る者を感動させるような荘厳な金堂でなければならないが、立派なものにしようと思えば費用がかさむ。聖武天皇様は、生まれついての天皇で、箸よりも重い物を持ったことがないから、費用の計算など、なさったことがないのだろう。

 恭仁京に遷都を命じられて、常時五千人を動員している。百官や民の苦労を思えば、今以上に負担を強いることはできない。

 天皇様は、気持ちが落ち込んでいるときと高揚しているときの差が激しい。今は、心が高ぶっていらっしゃるから、のらりくらりとやり過ごして、うやむやにしてしまうのが良い。心が落ち着いたときに大仏様の代わりに金泥を使った写経を勧めよう。

「天皇様のお言葉ではありますが、恭仁京の建設に費用も人も掛かっています。税の入りは順調であるとはいえ、大仏造立は物入りとなります。恭仁京に宮を遷すことが一段落してから大仏様のことを考えてはいかがでしょうか」

「天下泰平、万民安楽のためには、仏様の加護が必要なのだ。国がなければ、宮など意味はない。想像してみよ。大仏様が国の隅々にまで加護の光で照らしてくださる様子を。民が大仏様に額ずいて涙を流す様子を。すばらしいではないか」

 天皇様は舞い上がっていらっしゃる。

 今年の春に、墾田永年私財法を発布して、諸国に開墾を奨励したが、まだ法の効果は現れない。兵制と健児こんでいを停止して民の負担を減らしたが、恭仁京の建設で相殺されている。諸国に命じた国分寺、国分尼寺も民の負担となっている。入るを計り出るを制することが財の政ならば、今以上の出費はできない。

「橘卿が懸念していることはわかる。民に苦労をかけて大仏様を造ることは朕の本意ではない。朕が造立しようと考えている大仏様も知識寺と同じように民の知識で造り、功徳を日本中の民と分け合いたい。知識については僧の行基を用いたいと思っている」

「行基は、民を集めて、畿内の各地で溜め池や橋や溝を作り、天皇様がおっしゃる『知識』を実践しています。しかし、今でこそ行基の行いは不問にされていますが、朝廷は二十七年前から行基が仏教を民に広めているとして弾圧しています。行基は七十を越えており、天皇様の思し召しに従ってくれるでしょうか」

「朕は仏様の力によって天下泰平、万民安楽を実現しようと考えている。行基も仏様の教えによって民を救おうとしている。朕と行基の思いが同じであるから、行基は必ず民を率いて大仏造立に尽くしてくれるだろう。大仏造立に力を入れるために、恭仁京の建設は中止する」

 諸兄は思わず「えっ!」と声を上げた。

「恭仁京を造り始めてから足かけ四年になります。今までに費やした物や人、時間をなかったことにせよと言われますか」

「民の幸せなくして国家はない。干魃や疫病が頻発しては民が生きてゆけない。朕は都を我慢して、民のために大仏様を造ろうと考える」

「恭仁京の建設に携わった百官や民はたまったものではありません。なにとぞ……」

 光明皇后の柔らかい言葉が諸兄を遮る。

「橘卿には、今までの功績に感謝して従一位の官位と左大臣の官職を下賜しようと、天皇様と話し合っていました。今後も天皇様のために働いてください」

「私に、従一位左大臣を!」

 たまたま、自分の別宅が相楽にあっただけで、口さがない連中は、恭仁京遷都は諸兄が権力を万全にするためだと陰口をたたいている。大仏造立と自分の昇叙が同じであれば、民は、諸兄が出世のために大仏様を造るのだと非難するだろう。

 右大臣として人に命令する立場だから、人気がなくて悪口を言われている。いまさら評判が落ちたところで気に病む必要はないか……

 瘡病で上役が全部死んだときに、聖武天皇を守り支えてゆくと誓ったのだから、天皇様の楯となり非難されることは本望ではないか。

 諸兄は心の中でため息をついた。

 皇后は優しく諸兄に語りかけてくる。

「橘卿に、太政官の誰よりも早く相談したのは、天皇様の信頼が厚いからと考えてください。ぜひ天皇様の望みを叶えてください。それに大仏造立という大事業を、いきなり朝議に諮ったのでは、また橘卿に叱られてしまいますから」

「叱るだなどとは、めっそうもない」

「寺の名前は甲賀寺と決めている。朝議を招集するときにはよろしく頼む」

 諸兄は、晴れやかな顔の天皇に頭を下げてしまった。

 今回も天皇様と皇后様に押し切られてしまった。自分のふがいなさにあきれてしまう。

 恭仁京を中止し、紫香楽宮に大仏を立てるなどと言ったら、公卿百官は、天皇様に直接文句を言えない分、自分を糾弾してくるだろう。なだめたり脅したりして説得しなければならない。

 諸兄が紫香楽宮を出たときには、霧雨が降っていた。

 雨で湿った落ち葉は、泥に汚れ、地面にへばりついて、踏みつけても音を出すことはない。傘を差しても、霧雨は横から漂ってきて衣や体をぬらす。雲が日の光を遮り、山の紅葉は色をなくしていた。

 紫香楽宮の前に寺を造り、六丈の大仏様を納めるのか……

 目の前には、ブナや楓の林と甲賀の山々の他は何もなかった。

 諸兄は深いため息をついた。

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