54 ザ・ウィンドウ・ウィザード・ウィストウ

 そのころ過去の世界では、マーカスがウィストウハウスの中を歩きながら、いったいどうやったら二十人もの敵を封じ込めることができるのか考えていた。眞奈とジュリアたちにはなんとかしてくるとかっこよく言ったものの、いいアイデアが全然思い浮かばなかった。

 こんなんじゃ魔法使い失格だ。窓の魔法使いだって言い張ってこちらの過去の世界に来られたのに。

 マーカスは、眞奈に窓の魔法使いみたいだと最初に言われたときのことを思い出した。

 そのときは笑い飛ばそうとしたし、そう言われるのは相当嫌だった。魔法使いなんてひどく幼稚に思えた。ただでさえ、ママが亡くなっていることで心配ばかりされているのに、これ以上、子どもっぽく思われることは極力避けたかった。

 でも、今こそ必要なのは『魔法』である。

 なんで自分は魔法使いじゃないんだろう、マーカスは恨みがましく考えた。

 息をふーっと吹きかければ二十人の見張りが飛んでいくとか、杖をさっと振ればエマとリチャード・ウェントワースがねずみに変身するとか。

 なのに、自分ときたら、せいぜい火事にすればみんなびっくりして逃げて行くかもしれないと思いつくぐらいだった。

 ちょうどマーカスはライターを持っていた。イザベルやレイチェルには内緒だったが実はライターだけではなくもちろんタバコも持っていた。この間、科学実験仲間のザカリー先輩がくれたのだ。

 でもウィストウハウスに火をつける勇気はとてもない。

 マーカスは途中通った園芸館のカメリアハウスを火事にするように、中に置いてあった薪や草木に火を放った。はたしてこれできちんと火事になるのか半信半疑だったが、何もやらないよりはましだろう。

 カメリアハウスの外に出ると、特にあてもなく本館に入り込んだ。言うまでもなく自動点灯などはないので、歩くときは窓から差し込む月明かりだけが頼りだ。

 三階への階段を上っているとき、自分の後方、一階から上ってくる複数人の足音が聞こえた。階段の踊り場で、マーカスは花瓶が上に置かれたサイドボードの陰に隠れた。

 追い抜いて通り過ぎて行くのは、おそらく見張りの男たちなのだろう、片手でランタンを持ちながら、もう片手には木刀代わりの太い丸太棒や鉄の火かき棒を持った三人組だった。

 サイドボードの陰に座り込み、男たちが行ってしまうのを待っているとき、マーカスはふと階段の横の壁、地面すれすれの位置に小さな釘が打たれているのに気がついた。逆がわの階段の手すりの下を見ると逆がわにも同じ位置に釘が打たれていた。釘は錆びてかなり古いものだ。

 そういえば昔、小さな子どもの頃、ウィストウハウスでイザベルとよく隠れんぼをして遊んだっけ。そのときもやっぱり階段の下のところに釘を見つけたのを思い出した。この階段だったかもしれない、それとも他の階段だったような気もする。

 そのときは釘の意味がわからなかったが、どうやらウィストウハウスの陰謀の被害者はジュリアだけではないらしい。何百年も存在している古いお屋敷なのだから、いくつもの陰謀が渦巻いていたとしてもおかしくはなかった。

 マーカスは靴紐をほどくと二本をつなぎ合わせて、紐をピンと張りながら紐の左右の端をそれぞれの釘に固く結いた。

「よし、薄暗いからバレないだろう」

 立ち上がるとサイドボードの上の花瓶を手に、さっきの村人三人組を追った。三階に上がると、村人たちはすでに廊下の先、けっこう遠くまで行っていた。

 マーカスは花瓶を思い切り床にたたきつけると花瓶は粉々に壊れた。ガッシャーンというものすごい音に見張りたちは後ろを振り返り、侵入者を発見した。

「おい、待て! 何やってる!」

 三人は追いかけて来た。

 マーカスはわざともたもたしてつかまるギリギリのところで、階段に仕掛けられた靴紐をジャンプし階段をダッシュで駆け降りた。

 三人組はピンと張られた靴紐にまんまと足を引っかけ、ガラガラガタガターンと階段の下まで転がり落ちた。

 どうか骨折ぐらいで済んでいますように。

 見たところ、三人ともうめき声をあげていたので死んではいなかった。でもかなり痛そうだ……。

 マーカスはそのことはあまり深く考えないようにして急いで逃げた。

 走りながら、今みたいに何か自分の持っているものを利用するしかない、と思った。

 ライターと靴紐は使ったし、当然、サバイバルナイフを持っていることは頭の中にあったがそれは最後の手段として、あとは携帯と財布と……。

 そうだ、肖像画の部屋のカギだ!

 オースティン校長先生が、ドアもカギ穴も当時のまま残されているって言ってたから、過去の世界でも使えるにちがいない。

 マーカスは現代の学校でいうところの本館一階のウェントワースルームに直行した。

 途中、ちょうどいいあんばいに四人組の男たちが見回りをしていた。わざと姿を見せると、「おい、いたぞ! あっちだ!」と見張りたちが追いかけて来た。

 マーカスはカギでウェントワースルームを開けると、そのまま部屋の中に逃げ込んだ。

「あの部屋の中に入ったぞ! もう逃げられないぞ、待ってろよ!」

 男たちはすごい勢いで部屋の中に駆け込んできた。

 部屋の内側に開かれたドアの後ろに隠れていたマーカスは、男たちが部屋に入ったと見るや、外へ飛び出し、バタンとドアを閉めてカギをかけてしまった。そして廊下にあったサイドボードを引きずってくるとドアの前に置いた。

 閉じ込められたとわかった男たちは最初はドンドンとドアをたたいていたが、やがて体当たりでドアにぶつかってきた。

 ウェントワースルームは一族の名前の冠がつくほど立派な部屋である。当然ドアはかなり重厚にできており、どっしりとしたオーク材はかなり厚みがあった。ドアは揺れるものの今のところはびくともしていなかった。これでしばらくはここに閉じ込めておける。マーカスは時計を見た。十一時四十五分だった。

 もう戻った方がいいだろう。七人しか片付けられなかったが、あとはアンドリューと一緒になんとかするしかない。戻らないとマナたちが心配するだろうし。ああ、ここにフレッドとウィルがいてくれればいいのに。そしたらどんなに心強いだろう……。でも、二人はいないのだからそれを望んでも無駄だった。

 マーカスが外に出て眞奈たちのところに戻りかけているとき、ざわざわと男たちの声が聞こえた。慌てて樹木の陰に隠れると、武器を持った村人たちが次々集まって玄関ホールに向かってくるのが見えた。

男たちの会話によれば、アンドリューと中国娘を捕らえてジュリアを保護すると、エマとリチャードから賞金が出ることになったらしい。

 見張りたちは二十人どころか、五十人ぐらいに増えていそうだ。ほんの数人なんとかしたって焼け石に水だった。マーカスは絶望的な気持ちになった。

 アンドリューに状況を知らせる方法は何かないだろうか。彼はどの辺りまで来ているのか……。

 ジュリアが閉じ込められていた部屋の窓から、さっきのシーツのロープがまだ窓に下がっているのが見えた。マーカスは見張りが来ないのを見はからって急いでシーツを登り屋根の上に上がった。

 煙突の陰に隠れながら、マーカスはウィストウハウスのガーデンのどこまでも連なる丘を見回した。

 薄いもやがかかり、月光に照らされた丘の銀色のうねりが不気味に光っていた。強い風が牧草を流れるように押し倒し、まるで銀河の星くずが水さながら流れていくようだった。

 人の姿は見えなかった。ただ空と月と丘と、そして風と……。

 いや、あそこに何か動くものが見えた。最初は木に見えたが、よく見ると動いている。あれは馬? 

 馬はゆっくりゆっくりとウィストウハウスの方に向かっていた。ここから見るとゆっくりに見えるが、きっと全速力で走っているのだろう。

 あの馬はアンドリューにちがいない!

 マーカスは勇気がわいてくるのを感じた。早くマナたちのところに行かなければ!

 シーツのロープを降りようとしたとき、ふと、カメリアハウスから煙が出ているのが目に入った。目をこらすと、園芸館の窓の中は煙が充満しているのがわかった。

 そういえばライターで火をつけたんだっけ。火事に見せかけて見張りを驚かせようとしたのだった。しかし炎はあまり見えなかったので、おそらく中でくすぶっているだけなのだろう。火事で敵を驚かせる作戦はうまくいかなかった。きっと温室だから密閉性がよく酸素がすぐ減って燃え広がらなかったのだ。

 酸素……。そうか!

 思いがけず、マーカスは自分が魔法の杖を持っていることに気がついた。杖と呼ぶにはちょっと長さは短かったが。

「もしかしたらほんとに魔法使いになれるかも」、マーカスはつぶやいた。


 一方、眞奈とジュリアとグラディスは小部屋の床下の窪みに息をひそめて隠れていた。ときどきグラディスがこらえきれない咳をする以外はシンと静まりかえっている。

 眞奈はマーカスに渡された懐中時計をぎゅっとにぎりしめた。アンドリューが来る十二時まであと四十五分あった。

 眞奈はマーカスのことも心配ではあったが、まずはジュリアとグラディスの安全を考えて、アンドリューに引き渡すとき何ができるのか考えようと自分を戒めた。

 眞奈は言った。

「十二時に近くなったら、私が様子を見てくるわ。アンドリューに私たちがここにいるってことも知らせないといけないし」

 ジュリアは無邪気に言った。

「大丈夫、アンドリューが私たちを見つけてくれるわ。私たち小さな頃ウィストウハウスで隠れんぼをして遊んだの。私、よくここに隠れていたのよ。だからきっと私がどこに隠れているか彼にはわかるわ。その後はアンドリューが絶対なんとかしてくれるから!」

「ジュリアが言うと、ほんとにアンドリューがなんとかしてくれるって信じられそうだわ! 不思議ね」、眞奈は少し笑った。

「不思議かしら? べつに不思議なことじゃないのよ。信じるもなにも、アンドリューがなんとかしてくれるって『知ってる』もの」、ジュリアはきっぱり言った。

 それを聞いて、「ジュリア様は神様に愛されている方ですね」と、グラディスは言った。

「この絶望的な状況で、ジュリアのアンドリューを信じる強い思いだけが、ひとすじの希望だわ!」、眞奈もジュリアの素晴らしさに同意した。

しかし眞奈は思わず『絶望的状況』という言葉を口にしたことを後悔した。「ごめんなさい、絶望なんてことないわよね。絶望しているのは私だけだったわ」

「まぁ、マナ、あなた絶望しているのね。いったい何があったの?」、ジュリアは目をまるくした。

 眞奈は打ち明けた。

「私、もう誰も信じないって決めたの。だって誰も信じられないのに、信じようとするなんてバカみたいでしょ。だったら最初から信じないって決めたの」

「どうして、誰も信じないなんてことになったの?」

「ちょっといろいろあって」、眞奈はあんまり思い出したくなかった。

 グラディスが優しく諭した。

「マナ様、許すことですよ。何かあったからもう二度と信じられないっていうんじゃなくって、信じて、がっかりして、また信じてって、信頼関係は徐々につくっていくものだと思います」

「グラディスはいい人だわ、グラディスこそ神様に愛されている人だと思うわ」、ジュリアは言った。

「私はべつに神様に愛されてないもん」、眞奈は悲しげだった。「私が心を開いて信じたり許したりしても、相手がどうでもいいと思っていたら? 相手の言葉が口先だけだったら? 相手の優しい態度が相手の気まぐれによる一瞬だけだったら? また自分が傷つかなければいけないでしょ、私はそれが怖いの」

 グラディスは静かに言った。

「『信じる』とか『心を開く』とかは頭で考え言葉で宣言して決めるものではないと思います。もっと無意識に自然に受け入れるものではないでしょうか。さっき『過去への抜け道』を通るためにマナ様がマーカス様に手を差し出したとき、もうすでにマナ様は彼を信じて心を開いていたのでしょう。マーカス様はジュリア様のために過去の世界に来たかったわけではないですよね、その時点ではジュリア様のことはあまり知らないわけですから。彼はマナ様のために来ようとしていたんですよ。マナ様もそれを感じて心を開いたからこそ、一緒に来てほしいと願って彼の手を取ったのではないでしょうか。マナ様自身は無意識だったとしても、ウィストウハウスはそれを知っていたんだと思います。だから、『過去への抜け道』がマーカス様にも開かれたのではないでしょうか」

 グラディスはまるで日本の仏様みたいに優しく柔和な表情で語りかけ、眞奈はグラディスの言葉を素直な気持ちで心に留めることができた。

 眞奈はマーカスに渡された懐中時計を所在なさげに見つめた。

「そうなのかも」

「そうですよ。マーカス様ったら、あの変な防火扉が『過去への抜け道』だなんてハッタリを言ったぐらいですからね。あれは独創的でした」、グラディスは思い出し笑いをした。

 眞奈はがっかりしたように言った。

「そうよね、当然ハッタリよね。いや、知ってたけどさ。あーあ、そしたらやっぱり『過去への抜け道』って『窓』だというわけではないのね。私、イギリスの窓はほんと素敵だと思うし、窓の魔法使いってのは自分の空想としては気に入ってたんだけどなぁ」

「いいえ。窓に所属しているかはわかりませんけど、魔法使い自体は本当にいると思います。人は誰でも『たまには』魔法使いになれるものですから」

「特に好きな女の子のためにはねぇ」

 グラディスとジュリアは眞奈をからかった。

 眞奈は照れて下を向いた。

 ジュリアはにっこりした。

「ウィストウハウスのいうことなら間違いないわ、ウィストウハウスには不思議な力があるもの。私の子どもの頃もそうだったし、私のママもそう言ってたし……。それにウィストウハウスが言わなくったって私が言うわ、マナはマーカスを信じているし、すでにマナは心を開いているのよ。マナ自身は無意識だったとしてもね」

 相手を信じて『心を開く』ということは居心地のよい部屋に入るみたいなものだ、そう眞奈は思った。

 優しさ、うれしさ、楽しさ、喜び、笑い、ユーモア、機知……、そういった幸せを感じさせるすべてのものを誰かと共有できるような、マーカスがステイブルブロックの窓から手を振ってくれたとき感じたような気持ち。ああ、その居心地のよい部屋に私も入れたらいいのに。

 ふと、眞奈はイザベルが言っていた『変化が怖い』という気持ちが理解できた。

 眞奈はその部屋に自分は入る資格がないんじゃないかとずっと怖かった。一方でイザベルはその部屋を自分は追い出されるんじゃないかと怖いのだ。一見、眞奈とイザベルの二人は違う不安を抱えているふうに見えるが根本は同じだ。

 ジュリア・ボウモントが今夜助かってアンドリューと幸せになってくれれば、イザベル・ボウモントだって幸せのままでいられる。そりゃあ小さな変化の波があるだろうけど、少なくても壊されてしまうんじゃないかという大きな不安は消してあげることができるはず、眞奈は思った。

「私、現代に戻ったら、イザベルっていう女の子にも、――ジュリア、あなたの子孫の女の子なんだけど――、イザベルにも心を開ける気がするわ。あとレイチェルとクレア、フレディ……」

 ジュリアはうれしそうに言った。

「そうそう、そんな調子よ。ちゃんと信じることができる人が増えていくじゃないの。あとウィルもいるじゃない、前に彼は友達三人分にカウントできるって言ってたでしょ」

「ウィルか。ウィルはどうかな。さっきグラディスが『信じて、がっかりして、信じてっていう繰り返しだ』って言ったけど、今ちょうど究極の『がっかり』の段階なの」

「そしたらすぐ究極の『信じて』の段階がきますよ!」、グラディスが請け合った。

 眞奈は時間を確認するために懐中時計のふたを開けた。十一時四十五分だった。

「そろそろアンドリューが来るかも」

 そのとき、バタバタ足音がして外が騒がしくなった。一瞬アンドリューかと思われたがすぐその期待は裏切られた。

 見張りの男たちの声が響いた。

「おい、この部屋はもう探したか?」

「いや、まだだ。こんなところに部屋があったとは」

「この床板の下は? 何か物入れのスペースがありそうだぞ」、一人の男が言うと、「そうだな、確認しよう」ともう一人が答えた。

 眞奈は心臓がドキドキ早打ちするのを感じた。グラディスを見ると彼女も血の気が引いた顔をして絶対に咳をしないよう手で口をおさえている。

 どうしよう! 何か武器になるものはないだろうか。眞奈が周囲を見回していると、廊下を通りかかった別の男の声がした。

「おい、あっちにやつの仲間がいるらしいぞ。みんなで応援に行ってる」

 床板を開けようとしていた男が聞いた。

「やつらは何人だ?」

「あっちは一人みたいだが、こっちは何人もやられているらしい。トムやジャックたちが階段から落とされて大ケガしたらしいぜ」

「ちくしょう、加勢しに行こう!」

 男たちの床を踏み鳴らす足音が響くと、やがてその音は遠くなり聞こえなくなった。

 眞奈たちはほっとして顔を見合わせた。

 眞奈は提案した。

「見張りの数が思ったより多そうよ。アンドリューはここにたどり着けないかもしれないわ。やっぱり私たちが出て行って落ち合う方がいいかも。アンドリューはどっちの方角から来るの?」

「ミッドグリー村からなので西門の方からです。でも見張りがいるので門は通れないでしょうね。方角的には西の方です」

「カメリアハウスの方ね」

 現代の学校ではカメリアハウスの向こうにグラウンドがあり、そのずっと先の村がミッドグリー村だった。

「カメリアハウスの近くに隠れる場所はないかな?」

「家具カバーなどをしまう物入れ部屋はあるんですが……」

「そこに移動するのはどう思う?」

「そうしましょう。あと五分ですし、どっちにしても危険はおかさないといけません」

 眞奈がまず外に出て付近の様子をうかがった。

「大丈夫、誰もいないわ。マーカスが引きつけてくれているのよ、きっと」

 続いてグラディスとジュリアは小部屋をそっと出ると、グラディスの後について行った。

 廊下の窓からカメリアハウスが見えた。

「あれは煙?」

「まぁ、火事なのかしら」

 眞奈たちがカメリアハウスの煙に目をやると、カメリアハウスの向こうからマーカスが走ってくるのが見えた。そしてその後ろから武器を持った見張りの大群が彼を追いかけていた。

「大変、助けに行かなきゃ!」、眞奈は外に走り出た。ジュリアとグラディスも眞奈の後を追って外に出た。


 マーカスはできるだけ多くの見張りを引きつけ、カメリアハウスに向かって走っていた。しかし、あろうことか、進行方向遠くに眞奈たち三人が目に入った。

 マーカスは怒鳴った。

「マナ! みんな、逃げるんだ! 早く、逃げるんだ!」

 マーカスの叫び声を聞いて、グラディスがジュリアと眞奈の手を引っ張って逃げようとするのと、ジュリアが馬で走ってくるアンドリューの姿に気がつくのと、マーカスが急ブレーキで立ち止まって追っ手たちの方に向き直るのとすべて同時だった。

 眞奈は恐怖で体が動かなかった。「マーカス!」と叫びたいのに声が出なかった。それとも叫んでいたのだろうか? なんだか何もかもスローモーションで動いている。

 マーカスは追っ手が走ってくるタイミングを見はからって、サバイバルナイフを力いっぱい投げた。

 ナイフは美しい弧を描きカメリアハウスの窓ガラスを打ち破った。

その瞬間、温室に充満していた一酸化炭素が、割られたガラスから入り込んだ酸素へ一気に食いついた。カメリアハウスは大爆発を起こし荒々しい炎のうねりと猛烈な爆風が一帯を直撃した。窓ガラスは粉々に飛び散り、砕けた大小の石が四囲を襲いかかった。

 見張りたちは爆発の凄まじい衝撃で一斉に吹き飛ばされた。後方にいた男たちも恐怖で散り散りに逃げて行った。

 少しおいてもう一度激しい爆発が起こった。さらにもう一度……。


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ガラスの境界、丘の向こう 須藤樹里 @oriorie

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