5 階段のファンタジー

 マーカスとイザベルが去ってほっとするのもつかの間、眞奈の携帯の着信音が鳴った。


「なんだ、ウィルか。驚かせないでよ」、半ばほっとして、半ば気が抜けたように眞奈はメールを開いた。


 ジェニーとうまく落ち合えた。彼女は今日もかぁいいぜ。映画よりも彼女の顔を見てたいよ。宿題があったら教えてくれるかい? マナ、君は俺の星だよ☆☆☆


「なーにがあんたの星よ、ほんと調子いいんだから!」


 眞奈は軽くため息をつくと、改めて辺りを見回した。

 大階段ホールにはもう本当に誰もいない。全員ランチに行ってしまった。


 ウィストウハウス・スクールは元々生徒数がそんなに多い学校ではないので、教室移動の一時を過ぎると階段ホールや廊下はひっそりしてしまう。

 ウィルがいなくなってからそんなに経ったわけでもないのに、まるでかなりの時間が過ぎてしまったように感じる。


 今まで学校でウィルがそばにいないことは一度もなかった。いつも彼の後にくっついていた。

 いなくなって初めてわかるウィルのありがたさ。頭では理解していても、心では忘れかけていたのかもしれない。


 眞奈は気を引き締めた。

 これはウィルへのいい恩返しの機会だ。宿題の場所を教えたり、ノートを貸したり、私だって何かの役に立つはず! 迷って遅刻したら困るから、ランチの前に二〇八号室の場所だけチェックしておこう。さぁ早く探さなきゃ。


 眞奈はマーカスの道案内を思い出そうとしたが、あのとき緊張して上の空だったため記憶はおぼろげだった。

「東階段を上って廊下のどこかを曲がったところって言ってたような……」


 眞奈は記憶のカケラを頼りに廊下を歩きはじめた。


 ウィストウハウス・スクールの校舎の造りはとても複雑だ。


 三〇〇年前に本館部分が建てられて以来、子孫たちが増築し続け、さらに第二次世界大戦後にお屋敷がヨークシャー州のものになると、今度は学校用に大規模な改築がなされ、教室として使いやすいように部屋は細かく分割された。


 校舎は、眞奈たちが授業を受けている本館と、本館とわたり廊下でつながっている別館がある。それぞれ一階、二階、三階、屋上、その他中二階、中三階もあり、部屋の数は大小併せると一五〇とも二〇〇ともいわれている。


 昔はあまり精巧な図面がなかったのか、単なるいいかげんだったのか、度重なる増改築の影響で、部屋のつながりにまったく脈絡がない。


 廊下からすべての部屋に行けるわけではなく、階段の踊り場から続いている部屋があったり、部屋の向こうにまた部屋があって別棟の廊下に続いていたり、部屋に小さい個室がいくつも付属していたり……。


 さらに学校に改築したときに、火事になった場合の延焼防止用なのだろう、廊下のあちこちに防火扉が設置してあった。

 防火扉といっても簡易的なもので小窓から一応先は見えるのだが、行く手をさえぎる多くのドアはやはり心理的に焦らせる。

 ウィストウハウスはまさに抜け出せない迷宮だった。


 眞奈はいくつもの廊下を歩き、いくつもの防火扉を開けた。あんのじょう道を間違えたようだ。辺りはシーンと静まりかえり閑散としている。最近授業が行われた気配さえない。セントラルヒーティングもきておらず、コートをはおっても寒かった。


 きっとこのエリアは空き教室になっているのだろう。

 眞奈は寒さと心細さに身震いした。


「完全に迷ってるわ……」


 このままではお昼時間が終わり授業が始まってしまう。


 眞奈は廊下のつきあたりを曲がると、さっきまで歩いていた場所にまた出てしまった。

「ぐるぐる同じ場所をまわってるんだ」


 眞奈は今来た廊下を振り返った。

「戻ろうかな……」


 眞奈は今まで部屋を探すのに必死で感じる余裕がなかったが、立ち止まってゆっくり見回すと、人気のない静寂につつまれた古いお屋敷はとびきり不気味だった。


 ――と、突然、何か黒い影が廊下の向こうで揺れているのが見えた。校長先生から聞かされた亡霊伝説の記憶が一気によみがえる。


「まさか、亡霊???」


 眞奈は息を飲んで黒い影を凝視した。恐怖で心臓が冷たくなる。


 しかし、よくよく見るとそれは廊下の掲示板の色あせた古いポスターが揺れている影だった。眞奈がそばを通った勢いではがれかけのポスターがたなびいたのだ。


 眞奈はへなへなと壁に寄りかかった。


「やっぱり大階段ホールまで戻って、事務のお姉さんに二〇八号室まで連れて行ってもらおう、ちょっと恥ずかしいけど」


 今来た道を戻るのは、これから二〇八号室まで行くのよりは簡単なはずだった。


 ところが気ばっかりせって、今度はさっきと違う階段を使ってしまったらしい。


 ウィストウハウス・スクールでさらに行く手を混乱させるのは『階段』だ。


 例えば、本館の一階にある階段がすべて二階につながっているわけではない。一気に三階にたどり着く階段もあれば、中二階止まりの階段もある。


 運良く二階につながっている階段だったとしても、お望みの教室に面している廊下にうまく出られるかはまた別問題。つまり間違った階段を上ると、同じ二階のはずなのにそこは廊下違いの見知らぬ世界……ということになるのだ。


 そういう意味では、ウィストウハウス・スクールの階段はファンタジーへの入口といえた。


 眞奈は、お屋敷の中をぐるぐるまわり続けていた。もう自分が何階にいるのかもわからない。

「ともかく今はどこかに向かって進むしかないわ!」


 眞奈が何階かの廊下を曲がると、つきあたりにやっと人が一人通れるぐらいの、とても小さくて質素ならせん階段があった。


「大階段の真鍮の支柱やピンクのじゅうたんと大違いね、召し使い専用の階段かもしれない」、眞奈は思った。


 召し使い用の階段があるというのは聞いたことがあったが、今まで実際には見たことがなかった。人間の『階級差』を普段意識したことのない眞奈にとって、そのらせん階段はめずらしいもので興味深かった。

 同時にもの悲しさも感じずにはいられないが。


 らせん階段のところまで来ると、「あーあ、もう疲れちゃった」と、眞奈は持っていたカバンをどさっと床に置き、階段にちんまり座った。


 眞奈はだんだん自分に腹が立ってきた。


 このままじゃ絶対授業が始まっちゃう! ウィルに恩返しができない。教室にさえ行けない。なんて自分は役立たずなんだろう。


「こんな役立たずな人間なら、もうここにいる価値なんてない。そうよ、亡霊に会った方がまだましね!」、眞奈は心の中で自嘲した。


 しかし、眞奈はすぐにその言葉を後悔することになった。

 役立たずな人間なら亡霊に会ったときなんて、なおさら役に立たないにきまってるのに、と。


 らせん階段の上から何か床を踏みしめる音がして、眞奈はドキッとして顔を上げた。

 

 ブロンドの髪の女の子が下りてこようとしているのが見える。少女は愛らしい微笑みを浮かべて楽しそうにハミングしている。

 そして、あろうことか、淡く光沢あるペールグリーンの古風なロングドレスを身につけている!


 校長先生の「その少女の亡霊は美しい金髪で時代ものの衣装を着ているのよ」と言う声が、眞奈の脳裏にはっきりフラッシュバックされた。


 眞奈は唖然として女の子を見つめた。彼女はだんだんこちらに向かって来る。


 どうしよう、今度こそ本物の亡霊だ、絶対に!!

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