ラムネの味

強い雨はわたし達の行く手を阻み、次のバスまでしばらくの間、屋根のあるこのバス停で潰さないといけなくなってしまった。

紫陽花の上を這うカタツムリを除けば、バス停にいるのはわたしと先輩だけ。雨特有の薄寒さを紛らわすために肩を寄せ合う。


「30分もあると暇だね、ゲームでもするかなぁ」


「先輩はもっと勉強しないとまた赤点取りますよ?」


「君は真面目だなぁ。女の子なんてちょっと腰掛けOLして、すぐに誰かに養ってもらえるんだから勉強なんてしなくていいの」


「またそんな都合のいいこと言って……腰掛けするにも勉強は最低限必要なんですよ。あんまり頭が悪いと誰ももらってくれませんよ」


おっそういえば、とつぶやいて先輩はさっき買ったラムネをビニール袋から取り出した。

フィルムを剥がしてビー玉を中へ押し込み、吹き出して来たラムネを唇で受け止める。一口飲んで脇に置かれた瓶には、うっすらと口紅が残った。


「先のことなんて、その時考えればいいのサ。私達は今を生きているんだから」


「そうですね」


適当に相槌を打って参考書を広げる。わたしには夢がある。先輩とは違って、未来のためにわたしは行動する。何か起きた時に行動するのでは遅いのだ。


先輩は黙ってラムネの瓶を傾けながら、ぼんやりと屋根から垂れる雫を眺めている。ショートの髪が雨で頬に張り付いて綺麗だと思った。

濡れた肌は透き通るようで、薄暗いバス停の中でひときわ美しく見えた。先輩はわたしの視線に気づいて、少しにやけながら振り向く。


「なに、見てんだよ」


「い、いえ」


あまりに先輩の横顔が綺麗だったから、なんて言えない。いつもそうだ、わたしの邪魔をして。

何か特別な事をしているわけでもない。わたしと性格が合うわけでもない。考えも全く違うし、好きな食べ物も、俳優も、曲も全然違う。それなのに、何故かわたしの視線を奪っていく。どんな時も、いかなる時も、わたしのそばへ寄って来て色々なものを奪っていく。

先輩に対する胸のモヤモヤの名前を、わたしはまだ知らない。


「おっ、バスが来たみたいだ」


雨が優しく守っていた、わたしと先輩だけの世界に現実の世界が戻ってくる。バス停に着いたそれは、わたしと先輩にサヨナラの時間が来た事をわたし達に教えた。


「あ、このバス君の家の方回らないのかぁ。残念だけど今日はお別れだね」


じゃ、またね。そう言って先輩はバスへ乗り込んだ。1人になったわたしが、バス停のベンチに座ろうとしたその時、バスの窓を開けて先輩が顔を出した。


「そのラムネ、君にあげるよ。完全に忘れてたわ」


たしかにベンチの上には、先輩が開けたラムネが残っている。

今度こそ、じゃあね。先輩を乗せたバスが雨の中へ消えていく。ため息を1つ吐いてベンチに座り、先輩が残したラムネを飲んだ。

瓶の口をみて、自分の体温が少し上がった。

瓶にはまだ、先輩の口紅が残っていた。


また一つ、

先輩に奪われてしまった。

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