マジックナンバー

「じゃあ、手術は受けないんですね」


担当医のシナノが残念そうに言う。


「はい。そんなにリスクが大きいなら手術しなくてもいいかなって。別に苦しくもないし、残り3ヶ月の時間を大切にしようと思います」


とは言っても故郷から遠く離れたこの地で、両親も兄弟もいない身となれば残りの時間をどうこうするといっても何かやるべきことがあるわけでもなくベッドの上でぼんやりと空を眺めるばかりである。

ところで。とシナノが切り出す。


「空を眺める他にやることがないなら、あなたの時間を私に少し分けて頂けますか?」


はぁ、と答えるとシナノは嬉々とした様子で古い型のデスクトップコンピュータを持ってきて私のベッドの脇に据えた。


「これは私の息子です。正確に言うと私の息子を再現した電子頭脳です。息子を構成する要素はほとんど出来上がったのですがひとつだけ足りないものがありまして」


それはと一呼吸置いて


「それは会話です。私の力ではどうしてもこれだけは与えられなかった。ずっとそばにいて声をかけてやるなんて仕事さえなければ簡単にできることなんですが私にも家庭と自分の生活がありますから。コレにつきっきりと言うわけにはいかないのですよ。そこで時間を持て余しているあなたの出番というわけです」


シナノは愛おしげにコンピュータの縁を指でなぞりながらそう言ったのだった。

少々電子頭脳に関する知識があった私には興味深い話だった。シナノの目的はイマイチわからないがいい時間つぶしになりそうだと思った。


「引き受けましょう。私みたいな何も無い女でよければ」


かくしてコンピュータとのコミュニケーションが始まったのであった。



コンピュータの電源を入れるとモニターに文字が現れた。


『はじめまして。あなたのことは父から聞いています。ぼくはしなのと言います。』


キーボードを人差し指で押して返事を書く。


『はじめまして。私は牧田つくし。あなたとたくさんお喋りして仲良くなれたら良いなと思ってます。』


『父いがいのひととお話しするのは初めてです。よろしくお願いします。』


モニターの上にカメラが据えられていることに気づく。


『もしぼくにかおがあればきっと真っ赤になっていることでしょうね。』


モニターに表示される文字列から感情のようなものは伝わってこなかったがこの電子頭脳がお喋り好きであること、少なくとも私よりは愛嬌があることがわかった。私と彼(?)との文字列越しのコミュニケーションは最初こそよそよそしかったものの徐々に打ち解けて親しくなっていった。私はいつのまにか彼と話すことを楽しみにするようになっていた。


『ではあなたはプログラマーだったのですね。ならば私のはだかを見たら私のことなんてなにもかもわかってしまうのでしょうね。』


『確かにキミのソースコードをのぞいたら何がどうなってるかは全部わかるよ。でもキミが何を考え、どんな気持ちでいるかはこうして会話をしてみないとわからないワケだし、全部はわからないよ。』


『でも私のこの気持ちの名前をあなたは知っているはずだ。』


『キミの気持ち?』


モニターが突然消えてコンピュータが再起動された。


『失礼。最近なんとなく調子が悪くて。父に診てもらったほうかいいかもしれない。』


『わかったそう頼んでみる。』


その後すぐにシナノへコンピュータ内の彼の調子が悪いようだと伝えた。彼になにかあったらと考えるとどうにかなりそうだった。


「何かの拍子でバグが発生しているかもしれないです。一度彼を完全に停止させてシステムのメンテナンスを行うべきだと思いますよ」


「彼は繊細なプログラムで構成されていてね、完全に停止させてはなにが起こるかわからない。できればこのままで進めたい」


「…わかりました」


コンピュータ内の彼と交流を始めて二週間目のこと。私は彼に思いの丈を伝えた。


『私、多分キミに首ったけだ。』


『首ったけとは。』


『キミに恋してる。好きだってことだよ』


『恋、ですか』


『ただモニター越しに会話をしていただけなのに恋だなんて…おかしいと思うかもしれないけどキミとの会話がここ二週間の救いだった。痛みはそんなに無いとはいえ私の具合が悪いことに変わりはないし、親戚も友人も少ない私からすればずっとそばにいてじっと話を聞いてくれる相手なんてキミが初めてだった。キミと過ごした二週間がとても幸せだった。』


『恋。首ったけ。私に。』


『そう。キミが好きだ。』


『じゃあ、ここ最近あなたのことしかハードディスクに焼き付けていない私は』


なにかを言いかけた彼の言葉はモニターの黒に阻まれて最後まで表示されることはなかった。例のバグのせいで突然再起動に入ったのだ。だが前までとは様子が違い、モニターに文字が現れることは2度となかった。



「シナノさん、多少データが飛ぶのは諦めましょう。今すぐバグの原因を探すべきです」


停止してしまった彼を挟んでシナノに訴える。彼が二度とモニターに現れなくなってもいいのか、大切なデータが消えてしまっていいのか、と。

シナノが口を開いたのは私が黙ってから5分ほど経ってからだった。


「おそらく、彼が動かなくなった原因はあなたとの交流でしょう。彼は今までこんなに人と会話したことはなかった。会話の中であなたと親しくなり、不完全な感情を刺激されることで表に出ない小さな誤差を重ねていったのだと私は考えます」


シナノは白衣のポケットから小さな電卓を取り出して机の上に置いた。


「これを見てください」


電卓で1÷2を計算する。


「ご覧の通り0.5が導き出されます。でもこれを何度も繰り返すと」


そう言って電卓の=を連打する。数字がどんどん小さくなって最後には0が表示された。


「このようにゼロになってしまいます。1を2でいくら割っても0になるはずは無いのに」


電卓の0を指でなぞる。


「彼にもこれと似たようなことが起きたのではないでしょうか」


モニターには依然なにも表示されない。


「なんとなく言いたいことはわかりました。彼のコードを見てバグの原因を修正しない限りいくらコミュニケーションをとっても無駄になるってこともよくわかりました」


ため息を1つついてこう言われた。


「実は彼のコードがどうなっているか、私にもわからないんですよ」


「は?」


「プログラムの素人である私が彼を創り上げられたのはまさしく奇跡でした。なぜ彼が動いているか、あの文字列がなぜ彼を構成しているか、私にはさっぱりなんです」


「えっ…じゃあどうやって知識なしに彼を?」


「プログラムの本を買い漁ってそれっぽいものを手当たり次第打ち込んで見たらできてしまったんです。彼の存在自体が奇跡と偶然の産物なのです」


でもそんなに見たいと言うならお見せしましょう。プログラムの心得があるあなたなら何かわかるかもしれない。そう言うとシナノはコンピュータを操作して彼のコードを私に見せてくれた。

コードにはやたら数字が多かった。どのような意図で打ち込まれた数字か打ち込んだ本人にすらわからないがプログラムが動くのに必要な数字のことをマジックナンバーと言うそうだ。


「マジックナンバーだらけじゃないですか…これをいじってバグを探すとなると相当時間がかかりますよ」


私の持っている分ではおそらく足りないくらいの時間が。


「シナノさん、私の余命ってあとどのくらいですか」


「え、先ほどお伝えした通り3ヶ月ですけど」


「手術をすれば余命、伸びるんですよね」


「あ、はい。でもリスクを考えるとあまりお勧めできないこともさっきお伝えしましたよね」


3分の1で失敗する手術。でも彼ともう一度会うにはこれを乗り越えるしかない。


「手術、受けようと思います。3ヶ月程度じゃ、彼を治すのに時間が足りません。彼ともう一度会うために、手術して下さい」


必ずこの手術を乗り越えて彼にもう一度会おう。そして彼が掴みかけた感情の名前を教えてあげよう。彼が伝えようとした言葉を最後まで聞いてモニター越しの交流と、それが生み出す幸せを魔法の数字の中から救い出してみせよう。

そう、覚悟を決めた。

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