第一三話 月に吠える

 1

 僕は、夕方の商店街を歩いていた。

 途中で立ち止まったり、よろよろしながら、なんとか歩いていた。

 すると、不良っぽい、二人連れの男にぶつかった。

 僕は肩を押され、路上に転がる。

 路上に横になったまま、僕は泣く。

 涙が出てくるのを、止められない。

 それでもしばらくして、僕は立ち上がる。

 すると。

 ショーウィンドウにジョンがいた。

 黒と茶色の、ジャーマン・シェパードのジョン。

 首から上しかないジョンは、口をパクパクさせて言った。

「やあ、ユウイチ」

 僕は言葉が出ない。

「どうしたんだい? 僕の顔、忘れてしまったのかい?」

「……そんなわけないだろ。こんなところで、何してるんだ? お前はもう、燃やされたはずだろ?」

「そうだっけ?」

「そうだよ。お前はもう死んだんだよ」

「あっはっはっはっ。違うよ、ユウイチ。僕は殺されたんだよ、ヤツラに」

「……」

「苦しかったよ、ユウイチ。苦しかったよ」

 僕は思い出していた。犬小屋前に横たわっているジョン。目を見開いているジョン。口から泡を吹いているジョン。

「……ああ、そうだな。お前は殺されたんだ、ヤツラに」

「フクシューしに行こうよ。ヤツラを殺さないと、次はユウイチが殺されるよ」

「そうだな。ヤツラを殺さないと、次は僕が殺される」

「うん。ヤツラを殺さないと、次はユウイチが殺される」

 僕は店内に入り、ジョンを指差して言った。

「すみません。あのゴムマスク下さい」



 2

 俺たちは理科室にいた。

 俺(鈴木)の他には、山田と中村だ。

 こんな朝早く、理科室に来るものは誰もいない。だからダベるには、ちょうどいい部屋だ。

 だが今日は、いつもと雰囲気が違っていた。

 中村は山田に殴りかかる。

「てめえのせいで、こうなったんだろが!」

「俺の」

 山田は、中村の胸ぐらを掴んだ。

「俺のせいかよっ!」

 俺は言う。

「俺たち全員のせいだろ。佐藤が死んだのは」

 二人は、けっ、と言って手を放す。

 俺は言った。

「とにかく、次に狙われるのは俺たちだ。違うか?」

 中村が言う。

「じゃあ、どうすればいいんだよ!」

「一人では出歩かないことだな」

「なあに」

 山田は言う。

「人殺しだぜ? 高橋は、すぐ警察につかまるさ」

 高橋裕一。

 おそらく佐藤を殺したのは、ヤツなのだった。



 3

 全校集会(言い忘れていたが、俺が通うのは弘前高校である)だった。

 校長が壇上に登る。

 すると騒いでいた生徒たちが、静かになった。

 校長は言う。

「えー、既に諸君もニュースで耳にしているかと思いますが、昨晩、2年A組の佐藤正義君が暴漢に襲われ、命を奪われるという、大変に痛ましい事件が起きました。現在、警察の方々が全力を尽くして事件の究明、犯人の逮捕に向けて……」

 俺の周りの生徒たちが、小声で話している。

「包丁でメッタ刺しだってよ」

「ウチの生徒が犯人じゃねえの?」

「サイフが無くなってんだから、金目当ての犯行だろ?」

「こえー」

 教師が一喝する。

「そこっ!」

 再び静かになった。

「では、黙祷」

 校長が言った。

 女生徒数人の、すすり泣きが聞こえた。



 4

 すべての授業が終わった後(今日は特別に、午前中で授業が終わった)のホームルームで、教師が言った。

「校長先生のお話にもあったように、部活動はしばらく休みだ。お前ら、寄り道しないで、まっすぐ帰れよ!」

「はぁーい」

 俺も、今日はまっすぐ帰るとしよう。

 高橋に、殺されないためにも。



 5

 僕は、クラス名簿の住所を頼りに、そのアパートにやって来た。

 表札には、山田と書いてある。

 僕は、ジョンを被った。包丁をリュックから取り出す。

 チャイムを鳴らした。

 返事がない。

 もう一度鳴らす。

 ドアが開き、山田が顔を出した。

 驚いた顔をしている。

 僕は鳴いた。

「わん」



 6

 俺は4時頃、テレビを見ていた。

 地方ニュース番組のキャスターが、「速報です」と、できるだけ無表情を装って言う。

「本日昼過ぎ、弘前市城南、山田武さんの長男、友和君が包丁のようなもので刺され……」

 俺は呆然として、最後まで聞き終えることができなかった。

 佐藤が殺された。

 山田が殺された。

 残るのは俺と、中村だ。

 その時、電話が鳴った。

 マスコミで働いている、叔父さんからだった。



 7

 俺はマクドナルドにいた。

 目の前には、驚くほど綺麗な人が座っている。

 信じれないほど白い肌に、赤い唇。

 その黒髪は腰に届くほど、長い。

 上下とも高そうな白いスーツに、同じく白いソフト帽を被っている。ネクタイは青だ。

 傍らには、日本刀を携えている。

 そして一番驚くのは、この綺麗な人が、男性だってことだった。

 名は、伊吹冷泉さんと言う。

 年齢は、二十歳ぐらいだろうか。

 伊吹さんは言った。

「では鈴木君、最初から、経緯(いきさつ)を話して頂けますか?」

「ああ」

 俺は、話し始めた。



 8

 三日前、俺たち四人(俺、佐藤、山田、中村)は、カラオケで徹夜して、家に帰る途中だったんだ。

 そこで偶然、高橋裕一に出会ってさ。犬を散歩させてたんだ。

 あいつ、ずっと学校休んでたから、会うのは久しぶりだった。

 それで、金も無くなってたし、久々にあいつから貰おうとしたら……。あのバカ犬が、山田に吠えかかって、噛みつこうとしたんだ。

「ジョン、やめろ!」

 って高橋はリードを必死に引っ張ってたな。

 その日は、それで終わり。

 でも、山田が頭にきてて。次の日、俺たちは肉に殺鼠剤を混ぜて、ヤツんちの、犬小屋前に放り込んだんだ。

 ああ、あのバカ犬は死んだって言ってた。

 たかが犬だぜ!?

 たかが犬一匹で、高橋の野郎!



 9

 伊吹さんは長い溜め息をつき、まるで「やれやれ」といった風に首を振ってから言った。

「前から『いじめ』てたんでしょう? 高橋君が、学校に来なくなるくらいに」

 俺は言い返す。

「あいつが勝手に休んでんのさ。そんなに嫌なら、親でも教師でもチクればいいんだ」

「なるほど。それでは、聞いてもいいですか?」

「何すか?」

「犯人が、高橋君だと思うわけはなんでしょう?」

「俺の叔父さんが、マスコミにいるんだ」

「……」

「佐藤も山田も、刺されただけじゃないんだよ。身体中にあったって」

 俺は震えながら言った。

「犬に、噛まれた跡が」



 10

 俺は伊吹さんに身を守られながら、塾に着いた。

「塾の中は、まあ安全でしょう」

 同じ塾に、中村も通っている。

 伊吹さんは、俺たちに言った。

「油断はしないで下さい。一人には、決してならないこと。いいですね?」

 俺たちは頷いた。



 11

 講義中、俺は叔父さんが教えてくれたことを考えていた。

 叔父さんは俺から、死んだ佐藤や山田がどんな生徒だったかを聞き出すと、とても満足そうだった。

「ありがとな。仕事の役に立ったよ。今度、飯でも奢るぞ」

 俺は尋ねる。

「叔父さんはさあ、犬に噛まれた跡があるって他に、何かニュースではまだ流れてない情報は持ってないの? 犯人の目星とかさあ」

「そうだなあ」

 と呟いてから、叔父さんは言った。

「犯人の目星か。どうも難しいな。これはどうも、ただの殺人事件じゃない。まるでこれは……怪奇事件だ」

 怪奇事件だって!

「だって、犬に噛まれた跡が、どうして遺体にあるんだ? そんな犬を連れて、人を殺しに行ったって言うのか? ありえないじゃないか」

 そんなの知らねえよ!

 俺は尋ねる。

「そんな怪奇事件なら、警察でも解決はむりなんじゃねえ?」

「ああ、そうかもな」

「弘前には、そういう事件を解決できそうな人はいねえの?」

「いるよ」

 叔父さんは、さらりと言う。

「鬼退治の専門家で、名は伊吹冷泉君と言うんだ」



 12

 俺は叔父さんから、伊吹冷泉さんの連絡先を聞き出した。単なる、興味というふりをして。

 マクドナルドで、最後まで俺の話を聞いてくれた伊吹さんは言う。

「その犬の霊が、高橋君に取り憑き、殺人を行わせているのでしょう。噛まれた跡がある辺り、ただの霊ではありません」

「ただの霊ではない? つまり鬼?」

 伊吹さんは、なぜだか悲しそうな顔をした。

「ええ、鬼です。それを退治するのは、僕の仕事ですねえ」



 13

 講義中、「トイレ」だと言って中村が席を立った。

 伊吹さんに、一人になるなと、注意されていただろう!

 このニコチン中毒め!



 14

 教室から、中村が出て来た。

 僕はこっそり、その後を追う。

 中村はトイレに入った。

 僕もしばらくしてから、そっとトイレに入る。

 個室の上から、煙がもくもくと出ていた。

 僕はジョンを被り、リュックから取り出した包丁を手に持った。

 中村がいる、個室のドアを叩く。

「へーい」

 ドアが開いた。

 中村は驚きのあまり、間抜けな顔をしていた。

 僕は鳴いた。

「わん」



 15

 僕は勝利の舞いを踊った。

 包丁を高く頭上に掲げ持ち、トイレの床の上を、輪をかいて跳ねる。

 ああ、いい気持ちだ。

 楽しい。

 とても楽しい。

 あと一人。

 あと一人、鈴木を殺せば終了だ。



 16

 講義が終わると同時に、俺はトイレに向かった。

 中村は結局、戻って来なかったからだ。

 トイレのドアを開けると。

「!」

 そこには、犬のマスクを被った男がいた。手には血で真っ赤に染まった包丁を持っている。

 背中には、茶色いリュックを背負っていた。

 背の高さは、俺と同じくらい。

 高橋だ。

 これは、高橋裕一に違いない。

 その眼は何故か、血のように赤かった。

 犬男は、俺に襲いかかって来た。

 俺は慌ててドアを閉め、手でドアを押さえる。

 ぐさっ、とドアに包丁が刺さる音がした。

 俺は叫ぶ。

「誰か! 誰か警察を呼んでくれえ!」



 17

 僕は鈴木を殺せなかった。

 残念。

 とても残念。

 警察を呼んだみたいだ。

 逃げなきゃだめだなあ。

 でも鈴木は、僕を追ってくるよ。

 僕には、わかってるんだ。

 僕はトイレの窓によじ登ると、そこからジャンプした。



 18

 駆け付けた生徒たちとトイレに入ると、個室にはぐったりと中村が倒れていた。

 その周りは血の海だ。

「救急車!」

 と誰かが叫ぶ。

 俺は、あの真っ赤な血のような眼を思い出していた。

「ちくしょう!」

 高橋を殺してやる!

 やられた仲間たちの仇を討つんだ!

 俺は、開け放たれたトイレの窓によじ登ると、そこから飛び降りた。



 19

 塾の横は公園だ。

「高橋ーっ! 出て来いーっ!」

 俺は叫ぶ。

 すると木の陰から、犬のマスクを被った男が現れた。

 その犬男は言う。

「わん」

 ふざけやがって!

 俺は近づいて行った。

 向こうも真っ直ぐ、こちらに向かって歩いて来る。

 だから至近距離までやって来たときに、俺は一発、思いっきり殴ってやった。

 犬男はバタリ、と倒れる。

 へん! しょせんは高橋さ、たいしたことはねえ!

 俺はうつ伏せになっている犬男を仰向けにしようとした。

 そのくだらねえマスクを剥がしてやるためだ。

 すると。

「うわあっ!」

 右手がやられた。

 スタンガンだった。

 犬男は、俺の首筋にもスタンガンを当てる。

「あああっ!」

 俺は、頭から倒れた。

 犬男は、俺の右脇腹に蹴りを入れる。

「ぐうっ!」

 それから、俺の身体をぴょんと飛び越えると、今度は左脇腹を蹴った。

「ううっ!」

 また俺の身体を飛び越えて、また右脇腹に蹴り。

「ああっ!」

 痛え!

 伊吹さん!

 伊吹さん、助けてくれえ!

 その時だ。

 暗闇から、伊吹さんが現れた。

 手には、木の枝を持っている。

 伊吹さんは、その枝を頭上で振った。

 そして、遠くへ投げ捨てる。

 伊吹さんは言った。

「ジョン! 持って来い!」



 20

 その人は、枝を投げてくれた。

 ジョンは「持って来い」が大好きだ。

 だから僕も大好きだ。

 鈴木なんか、どうでもいいや。

 僕は枝を追いかけた。

 僕は、こうして遊ぶのが大好きなんだ。



 21

 伊吹さんは、俺を助け起こした。

「どうして、鬼の後を追ったりしたんです? 無茶をしますねえ」

 俺にも、良くわからなかった。

「なんかこう、ヤツの真っ赤な眼を思い出したら、自分でも良くわからなくなって……」

 伊吹さんは言う。

「なるほど。鬼に、一種の催眠術をかけられましたね」

 催眠術?

「離れると危険です。僕の側にいて下さい」

 伊吹さんは、日本刀を抜いた。その鞘は投げ捨てる。

「勝負は、一瞬で決まります」

 伊吹さんは言った。

「今回は、ちと厄介ですよ」



 22

 僕は、枝を見つけた。

 あの人の所に、持って帰ろう。

 きっと、撫でて褒めてくれるはずだ。

 でも、喉が渇いたな。

 戻る前に、水を飲もう。

 僕は、噴水を覗き込んだ。

「うん?」

 僕の両目は真っ赤だった。

 まるで、血のようだった。

 とてもきれいな色だった。

 何だか、それを見たらくらくらしてきた。

 僕は、空を見上げ、満月に向かって吠えた。

 とてもとても、いい声が出た。



 23

 犬の遠吠えが聞こえた。

 それは人間の声じゃない。

 人間に、あんな吠え方ができるわけがない。

 しばらくして、暗闇から犬男が現れた。

 その手には、包丁を持っている。

 伊吹さんは、日本刀を構えた。

「勝負は、一瞬」

 伊吹さんは、そう言っていた。

 犬男が走り出す。

 伊吹さんも。

 そして。

 日本刀が月光を反射して煌めいた。

 それで終わりだった。

 犬のマスクは真っ二つに切られ、地面に落ちていた。

 高橋は、地面に倒れた。



 24

 俺は、地面に倒れている男が高橋裕一だと再確認すると、その脇腹に蹴りを入れた。

「てめえ! ふざけんじゃねえよ!」

 こいつのせいで、佐藤が、山田が、中村が死んだのだ。

 もう一発、今度は頭を蹴ってやろうと構えると、伊吹さんが言った。

「止めておきなさい。僕が責任を持って、警察に連れて行きますから」

「だってよ!」

「だっても、あさっても、ありません」

 うるせえ、知ったことか!

 俺は右足で高橋の頭を蹴ろうとした。

 当たる瞬間。

「うぎゃあ!」

 伊吹さんの日本刀が、俺の右足に降り下ろされていた。

 一瞬、切り落とされたのかと思ったが、まだ繋がっている。血は出ていない。

 だが、切られたように痛かった。

「良かったですね。僕は、人はもう切らぬと誓っているのです」

「痛え、痛えよお!」

「僕は『止めておきなさい』と言ったはずです。守らないから、こうなるんです」

「きゅ、救急車を呼んでくれえ!」

「黙りなさい!」

 伊吹さんは、俺を一喝した。

「そもそもの始まりは、あなたたちの『いじめ』だったのではありませんか? その『いじめ』がなければ、こんな悲惨な連続殺人事件も起きなかったのではないですか?」

「た、たかが『いじめ』じゃねえか!」

「たかが、ですか……」

 伊吹さんは、首を振る。

「『人の心が鬼を生む』、僕の師匠の言葉です。今回は、犠牲者の数といい、残念な事件でした。自分の未熟さを、呪いたくなります」

 伊吹さんは、そう言って、満月を仰ぎ見たのだった。



 25

 警察に捕まった高橋は、普段からいじめられていたこと、犬を殺されたことを告白した。

 マスコミと世間は、いつの間にか高橋に同情的になり、いじめていたグループにも問題があったのではないか、と言い始めた。

「もちろん、たくさんの命を奪ったことは許されないのですが」という前置きの後は、俺たちを非難する言葉ばかりだった。

 死んで当然だ、殺されて当然だ、とパソコンの掲示板では書かれた。

 学校でも、誰も話しかける者はいなくなった。

 それどころか、靴が無くなっていたり、机の中にゴミが捨てられたりしていた。

 家には知らない人から、たくさんの「お前も死ね!」という電話がかかってきた。

 母親はノイローゼになり、妹も学校に行けなくなった。

 俺は転校し、母親の旧姓を名乗った。

 でも、この情報化社会だ。

 きっと何もかも、そのうちばれてしまうのだろう。

 その時が、その時が来たら。

 俺は、きっと。

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