私はあの人に殺された。

 鳥山たちが神社を出た頃には夜になろうとしていた。3人は駐車場で別れ、それぞれ自宅に戻った。

鳥山は自宅の駐車スペースに車を入れ、エンジンを止めた。車を降り、ドアを閉める。


あの動画を観た後は普通の仕事をしているより疲れる。体が重く、ずっと縛られていたような感覚があった。これも霊的な現象によるものなのだろうかとさいなまれる。

玄関に向かった時、1人の女性を見かけた。女性は鳥山のいる自宅の向かい側の道をゆっくり歩いている。

鳥山は違和感を覚えた。12月の夜、気温は10度以下になっているはずだ。にも関わらず、女性の身なりは本格的な冬を迎えようとしている夜の気候には似つかわしくない軽装だった。

膝上のスカートと薄手のシャツだけ。どこかへ出かけていたなら何かしら持っている。しかし、彼女は鞄すら持っていない。何も荷物を持たず、ただ真っ直ぐ道を歩いていた。

わけありの女性なのだろうと思えないこともないが、鳥山は女性を見据えていた。

視力は同じ年代の人よりわりかし自信がある。街灯もあり、決して暗い道ではない。たとえはっきり見えなかったとしても、どんな顔をしているか分かるくらいの距離のはずだった。だが彼女の顔は黒く塗り潰されたように見えなくなっていた。


 鳥山は女性が自宅の前を通り過ぎた後も見つめていた。違和感は恐怖を湧き立てる。

疲れているだけだ。そう思い込もうとドアノブに手を伸ばす。その瞬間、鳥山の横から入ってきた手が、鳥山の手首を掴んだ。冷たい温度が鳥山の手に伝う。

鳥山は思わず固まった。人ではない。咄嗟にそう感じた。

このまま視線を向けてはいけない。なんとなくそう思ったが、どうすればいいのか分からない。瞬きをしても、見下ろしている自分の手は、細い腕から伸びる、マニキュアを塗った爪が印象的な手によって、鳥山の手首を掴んでいる。

そして気配。誰かが横にいる気配が確かにある。


「私、殺されたの」


女性の小さな声はそう言った。聞き覚えのある声。今日あの動画で聞いた声に似ている。


「あの人に、殺されたの」


これが現実だと信じたくない。あの女性が、ここまで来るわけがない。

呪いは時を越え、ここまでやってきた。

鳥山の体に鳥肌が立っていく。息を漏らし、半開きになった口が言葉を零す。


「お前の目的はなんだ?」


鳥山は静かに問いかけた。女性は長い間を持って小さな声を出す。


「あなたは……私を救ってくれる?」


鳥山は眉を顰める。下手に刺激しないよう慎重に口から言葉を発する。


「何が望みだ?」


「私を、愛して下さい。永遠に……」


「お前は誰だ?」


「島川……彩希」


口の中の渇きを感じながら必死に考え、言葉をかけていく。


「愛してとはどういう意味だ?」


「私のことを、想ってほしい……。ずっと」


「ただ、想うだけでいいのか?」


女性の声が止まる。しかし、鳥山の手は掴まれたままだ。長い時間が過ぎて行く。目の前にあるドアが開いて、妻や子供が出てこないかと、助けを請うように見つめるしかなかった。


「私の側に来て、見つけて。花が欲しい。綺麗な花が」


「どこにいるんだ?」


「林の、中」


「それじゃ分からん。もっと具体的に言ってもらわないと」


「私だって分からないわよ!!」


女性の声が歪んだ音を奏でた。鳥山の手に痛みが走る。鳥山の手を掴む女性の青白い手は、手首を折られると思うくらい強い力だった。鳥山は悶絶し、体をくの字に曲げる。


「やめろっ……」


「どうせ家族が大事なんでしょ? 私より、家族がいいんでしょ?」


「やめろーーーー!!」


鳥山は女性の手を振り払って横を見た。女性の姿はない。気配もなくなっている。周りにも、女性の姿はない。


鳥山の頬には冷や汗が伝っていた。白い息がため息と共に零れ、ドアに向き直る。すると、鳥山の視界を黒い顔が覆った。白も黒もない、真っ赤な目が見開かれる。

鳥山は体を退く。足がもつれ、地面に倒れる。

冷え切った地面から立とうとするが、手や足に力が入らない。喉も詰まるような感覚に襲われ、呼吸もできなくなってくる。

顔を真っ赤にして、目の前に見える道路に手を伸ばす。必死に道路を見る鳥山の目は、大きく見開かれていた。

その目が両端から赤く染まっていく。右も左も、両端から赤が蝕み、目の色が完全に赤くなった。

真っ直ぐ伸びていた左手が、地面に力なく横たわった。



 翌日、質素な部屋で楠木と蓮口は呆然と佇んでいた。簡素な仏壇には白い花が飾られている。仏壇の前にある台には、変わり果てた鳥山の遺体があった。安らかな顔だったが、目の縁には血がこびりついている。

死因は急性心不全。目が赤くなったことや手首が折れていたことは分からない状態。病死と判断されるのは既定路線だ。


「霊の仕業、じゃないですよね」


蓮口は薄く開いた唇を震わせて呟いた。


「……分からん」


楠木は脱力した様子で言った。

蓮口は拳を握りしめ、顔を俯かせる。表情を歪ませ、涙をこらえた。



 12月29日、楠木と蓮口は富杉の下を訪れていた。視聴室で張り詰めた空気が立ち込める。


「この度は、お悔やみ申し上げます」


富杉は座ったまま礼をする。


御祓おはらいは、効果がなかったようですね」


蓮口は怒りの混じった声で言った。楠木は目を丸くして蓮口を見た。富杉はキリッとした表情で蓮口を見る。蓮口は富杉を睨みつけていた。


「あなたは、霊能者でもなんでもないんじゃないですか?」


「やめろ蓮口」


「何で鳥山さんを救ってくれなかったんですか? 霊能者とか言って、本当は何もできないんでしょ?」


「蓮口」


「鳥山さんには、まだ小学生と中学生の子供がいるんだよ。鳥山さんの家族が不幸になったら、あんたのせいだよ!」


蓮口が富杉に近づこうとしたのを見て、咄嗟に楠木が止めた。4人の巫女も富杉

の周りに集まり、守ろうとする。


「あんた、鳥山さんのこと守ってくれるんじゃなかったのかよ!」


楠木は蓮口の体を必死に止める。


「富杉さん、すみません離れて下さい!」


しかし、富杉はその場から動かない。

蓮口がほんの少し前に出れば富杉に届いてしまいそうだった。



「鳥山さんには、既にお伝えしてあります」



 富杉は凛とした様子で口にした。蓮口は富杉の言葉に戸惑い、向かおうとするのをやめた。


「どういう、ことですか?」


楠木も動揺を隠せない。富杉は悲しげに語り出す。


「鳥山さんは、もう幽世かくりよに引き込まれていたのです。だから、あなた方がここに来た日、鳥山さんにお伝えしました」


2日前の帰り際、富杉と鳥山が2人きりになった時間があった。あの時、引き留めたのは富杉だった。


幽世かくりよに引き込まれた人間は、二度と戻れないのです」


「でも、あなたと会った時は、生きてたじゃないですか」


蓮口は瞳に涙を溜めて言う。


「たとえその場では生きていたとしても、必ず死にます。私の力不足と言われればそれまでなのですが、私にも、どうにもできないことはあります。

医者に不治の病と言われている病気を治せと言われても、治せない医者もいる。被害者の遺族に、証拠のない人を逮捕してくれと言われても、刑事さんは逮捕できない。

人の身では、どうにもできないことはあるのです」


蓮口は気力をなくしたように腰を下ろす。楠木は蓮口の体から手を離す。


「鳥山さんは、あなた方には内緒にしてほしいと、おっしゃっていました。そして、あなた方を守ってほしいと、言っておられました」


2人は気を落とす。蓮口は声を出せず、顔をクシャクシャにしてスーツの袖で涙を拭った。楠木ののどぼとけが涙を呑むように上下する。


「人を死に至らしめる呪い。相当危険な怨霊です。私も、命を懸けて戦う必要があるかもしれません」


4人の巫女は富杉の発言に耳を疑った。


「2人とも、まだ幽世かくりよには入りきっておりません。まだ、間に合います」


「どうするんですか?」


楠木はすがるように問いかける。


「昨日のうちに、いくつか対策を施しました。この視聴室は、強力な結界を張っております」


「結界?」


「神の聖域を作りました。中で動画を観て、ここに霊が入ろうとしても、この部屋の中にはいられないでしょう。呪いの力も弱まるので、怨霊も手出しできません」


「でも、ここにずっといるわけには……」


楠木は困惑の表情を浮かべる。


「ええ、ここにずっといては、呪いを解くことはできません。呪いをかけた霊をおびき出し、除霊しなくてはなりません」


「それって……」


楠木はなんとなく感づく。蓮口もまだ涙で潤む瞳を富杉に向ける。


「はい。おとりになってもらう必要があります」


「いくらなんでもそれは」


「もちろん、相当な危険を伴います。なので、こちらを用意させていただきました」


 富杉は1人の巫女に視線を向ける。巫女は頷き、部屋の床の端に向かう。そこには紫色の布を被せられたおぼんがあり、富杉の下へ持ってくる。

富杉は布を取って、他の巫女に布を預ける。おぼんに乗っていたのは、緑の藤の文様が描かれているオレンジの小袋のお守りと、柳を模した木製のネックレスだった。


「これを肌身離さずお持ち下さい。あなた方の身を守るために大切なものです。これにお金は入りません。せめてもの、お詫びとお受け取り下さい」


楠木と蓮口はまだ不信感はあるものの、お守りとネックレスを受け取った。


「これは、一体どういう効果が?」


「お守りはあなた方がこれから受けるかもしれない呪いを代わりに受けてくれる身代わりです。ネックレスは魔除けとお考え下さい。

しかし、これだけではただの防御で、時間稼ぎにしかなりません。おそらく、怨霊はあなた方を幽世かくりよに引き込もうとしています。そのためには、近いうちに接触してくるはずです。接触すれば、お守りに怨霊の痕跡が残り、今度は私が霊を呼び出して、除霊を行います」


「分かりました」


「一応予定としては今述べた手順をする予定ですが、霊もどう出てくるか、私にも想定外ということがあります。臨機応変に対処を変えていくこともございますので、ご了承下さい。

除霊には、怨霊の情報を知る必要があります。お辛いかもしれませんが、動画を観る必要があります。一緒に観ていただけますか?」


2人は強い眼差しをして、「はいっ!」と答えた。

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