青春を詠む

 今年の短歌研究新人賞が、工藤吉生さんと川谷ふじのさんに決まった。工藤さんの作品はいろんな投稿先で見てきたし、カクヨムにも作品を発表されている。川谷さんは毎日歌壇の加藤治郎さんの選歌欄でお馴染みの方だ。私はどちらの方の作品も読むのを楽しみにしていました。

 川谷さんは、受賞の言葉で「青春」という言葉に対する複雑な思いを吐露されていた。うーん、そうかあ。私も、「タッチ」の朝倉南は天敵だって思ってた位、「青春」が嫌いな若者だったしな。また、川谷さんの場合、これから歌人として歩んで行くに際して、いずれ消えゆく「若さ」や「青春」というものが自分のキャッチフレーズのように用いられることに不安を感じる部分があるのかもしれない。


 「青春」の短歌は中年になっても詠める。「タッチ」みたいな青春やキラキラした青春を送ってなくたって詠める。中年のワタクシも、加藤治郎さんに青春の短歌をこれまで2首採っていただいた。


新しいカロリーメイトの味は出ず私の青春終わりを告げる

青春がスクール水着と尻の間の小さな海でムニュムニュしてた


うむ、こう並べると青春時代も意外と長い。前者は学生から社会人時代の事だし、後者は小学生から思春期にかけての思い出だ。(あーそれにしても私のカロリーメイト時代は長かった)。その他のワタクシの青春の短歌はこちら。


マラソンの最後を走る我が後ろ道たたまれてついてきてます 

(「短歌ください・穂村弘選)

跳び箱を練習するのは我々が馬に変わった時への備え

(NHK短歌・佳作・黒瀬珂欄選)


 体育が嫌いだとだいたい青春はしょぼい感じになる。しょぼい青春しか送ってない奴が青春を詠むと、こんな感じになる。それでもまあこうやってたまにどこかに載せてもらえるから短歌はありがたい。

 ちなみに「青春」が嫌いな奴が青春小説を書いたらどんな感じになるか、ワタクシのカクヨム掲載作「虹の影は黒色」を読んでいただけると嬉しいです!


 青春の短歌は、中年になっても思い出しながら詠むことが出来る。高校球児やコギャルのようなキラキラした青春時代を送ってこなかったワタクシでも。……ただし、青春時代の恋愛の短歌だけは、どうしても詠むことが出来ない。小説なら書けるけれども、あの頃の心の揺らぎやときめきを三十一文字に凝縮させるだけのパッションが既に残っていないと感じる。人並みに、誰かに恋焦がれた時期も間違い無くあったのに……。だから、若いうちに短歌に目覚めた人のことは純粋にうらやましいと思う。若者にとって恋愛は間違いなく心を波立たせる大きな事だし、たとえつらい体験でも、その心の波こそが短歌の一番の糧に間違いないのだから。

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