週末は異界のホテルに〜ようこそ、エレウテリアへ〜『読み切り版』

櫛田こころ

読み切り版

 その仕事は、いつものように突然支配人が持ち込んできた。


「い、異世界の方がこちらで結婚披露宴をですか⁉︎」

「大谷さん、声が大きいですよ?」

「あ、すみません」


 今は大事なミーティング中なのに、うっかり私語を挟んでしまった。

 でも、驚くのは無理がないと思う。

 国外からの依頼ならまだしも、世界を跨いでの披露宴を担当することになるなんて思ってもみなかった。

 最も、それはこのホテルだから出来る仕事なんだけど。


「依頼者はエルフと精霊族との御婚礼です。異種族婚がさして珍しくないのは皆さんも重々承知ですが、今回はその種族の中でも比較的若い世代の御夫婦です。このホテルをご利用になられてたのは主に新郎様で、私とも少々知人の間柄です」

「支配人、いいでしょうか?」


 今度支配人に質問したのは、私じゃなくて別の女性スタッフの桐生菫さん。

 見た目はボーイッシュで綺麗な顔立ちではあるけど、仕事でも義務的に表情を作る以外滅多に笑顔を作らない。今も、仏頂面と言うより本当に無表情だ。


「なんでしょう、桐生さん?」

「私や大谷さんはこのホテルに勤めてまだ日が浅いですが、この世界でも婚礼にかかる費用は膨大です。異世界の通貨は通常サービスなら使用出来ても、婚礼では難しいはずですが何か金銭以外のモノを?」

「さっすが桐生ちゃん、冴えてるねー?」


 答えたのは副支配人の久保利文としふみさん。

 見た目通り、チャラ男だけど仕事は支配人に負けず劣らず丁寧。

 チャラ男もバックヤード以外は隠してるし、その時は女性客が群がるくらいの紳士だ。あのお客様達に本性をお教えしてもきっと対応は変わらないだろうけど。


「副支配人、私が進行役なのですが?」

「ミーティングでも、俺ら四人しかいないじゃん? 当日はバイトでも訳あり・・・の子達しか入れないんだからいつも通りでいこう?」

「…………あんまり、今回は公私混同したくないんだがな」


 支配人も仕事モードを崩して、眼鏡を取ってから丁寧にセットした髪を軽く掻いた。

 まだこの後も仕事があるから、完全にオフモードには出来ないものね?


「桐生が気づいた通り、こう言うでっかい仕事には向こうから代価ってもんをもらうんだ」

「だいか?」

「それ相応の価値がある品物とかを金銭の代わりに貰い受けるんだよ」

「ほへー」

「大谷、てめぇはもちっと勉強しろ!」

「いったいです!」


 支配人は仕事モードを解除すると副支配人と違って、かなり性格が荒い。

 見た目だけなら久保さんよりずっとイケメンで高嶺の花って存在に見られるが、本当は過去総長も務めたことがある不良のトップだ。

 このホテルの支配人までなっているのは、ホテル自体が支配人のご家族の家業で、先代支配人は彼のおじいさんだ。

 若手で支配人になるのは普通じゃないんだけど、おじいさんが引退宣言をしてお父さんは海外のホテルの支配人を務めるから、指名制で彼、御笠みかさ雅楽がくさんが引き継ぐことに。

 本人は当時マネージャーだったから、周囲の反対もそうなかったらしいけどそこはひとまず置いといて。


(絶対こぶ出来た‼︎)


 それくらい、手加減してもらってても女の子にこぶを作るなんて酷い!

 いつもの事ではあるけど、私の勉強不足だからってそんな難しい単語は普通使わないと思う。桐生さんはちょっと別だけど。


「では、その代価をお支払いいただけたので受けたと言う事ですか?」

「ああ。かなりのレアもんだったな。それだけじゃ貰い過ぎだと判断したんで、大谷らがセッティングしてた明日の部屋を案内した。ま、それでもまだまだ足りねぇから披露宴は小規模でもボールルーム並み。料理やセッティングもだ」

「そ、そんなにもですか⁉︎」


 規模を小さくしてその分豪華にするケースはあることはあるが、支配人がなんの躊躇いもなく言うからにはいただいた『だいか』ってとんでもないものなんだ。


「んじゃ、あとはプランナーも事情持ちの子にお願いしてマンツーマンの説明会とかも開くって感じ?」

「概ねそんなとこだ。ったく、あのババア……仕事はやるが若い連中になんてもんを結婚祝いに渡すんだか」

「お祖母様がですか?」

「ちげぇよ。ババアと繋がりのある魔法師だったが、その師匠格になる奴だ」


 支配人は、異世界の人間の血を継いでいる人だ。

 その事情を知ってるし、同じような事情持ちはここにいる私達もだけれど、それは表向きには秘密にしている。

 差別意識もだが、羨望の的にもなる異世界との繋がりは時に危険要素にもなる。私以外、その危険性は能力もだが知識も含まれていた。


(私は、体質だけど……)


 幸いと言っていいか、最近その兆候は見られない。

 それより、彼のおばあさんと関わりのある魔法師となれば、とんでもないアイテムを譲るなんて容易いことだろう。

 一度しかお会いしていないが、支配人のおばあさんは彼に似てなくて穏やかな優しい魔法使いさんだった。


「とにかく、仕事は仕事だ。披露宴の予定日はかなり大詰めで二カ月後のつもりでいるらしい。向こうじゃ、こっちの常識は通じねぇからな?」

「うへー、いつも以上に頑張らないとねー?」

「二カ月……6月のジューンブライドを?」

「大安は無理だったが、せめて友引で我慢してもらった。新婦の方が縁担ぎとかに興味津々だったからな?」


 とにかく、頑張るしかない!









 ◆◇◆








「お疲れ様、桃さん」

「あ、菫ちゃん。お疲れ様!」


 ロッカールームに入れば、お互いに仕事モードを終えて通常モードに切り替わる。

 最も、菫ちゃんの無表情は普段でも同じだから、切り替わりがわかるのは呼び名くらいだけど。


「今度の披露宴すっごい大仕事になりそうだねー?」

「異世界側の仕事、としてはね。久保さんに聞いたら、披露宴をする自体初めてらしいよ」

「式はないんだっけ?」

「事情持ちの神父さんは流石にいないらしいし、向こうは向こうでちゃんと式と披露宴はするんだって。こっちでするのは、新婦さんを喜ばせてあげたかったみたい」

「異世界から見ると、こっちも魔法の塊みたいだもんねー?」

「だね」


 着替えながら、菫ちゃんの情報を教えてもらうのもいつもの事。

 私も聞くことは聞くけど、今日はバックヤードの棚卸しを支配人とする恐ろしいミッションが待っていたから菫ちゃんにお願いしたのだ。


「じゃ、帰りにいつものとこに寄る?」

「寄る寄る! もう小腹が空いちゃって」

「桃さんの場合は普通以上じゃない?」

「だってしょうがないもん!」


 体質のせいか、異常にお腹が空く。

 燃費が悪い方じゃないのに、仕事が終わるとまかないを食べた後でもお腹が空くのだ。

 そう言う時には、思いっ切り食べるに限ると菫ちゃんが言ってくれたので、彼女と行きつけのカフェバーに行くことにしている。


「マスター、お邪魔しまーす!」

「お邪魔します」

「おー、いらっしゃい」


 ホテルを出て裏側の二つ角を曲がった先。

 少し初老のマスターが営む小さなカフェバーは今日もお客さんが少ない。

 最も、マスター一人で経営してるし常連さんも私達以外にちゃんといるので経営難にはなっていないようだ。


「今日も腹空かせてんのか?」

「もう、一日中頑張った! いつもの大盛りオムライス食べたい!」

「この時間にゃ勧めにくいが、まあ仕方ないもんな? 菫ちゃんはとりあえずどーする?」

「チョコパフェお願いします」

「あいよ、適当に座っててくれや」


 菫ちゃんは無類の甘党なので、時間関係なく食べる人だ。

 量は私以下に見られがちだが、ここのパフェはマスターの気まぐれメニュー。毎回トッピングが違うから何がトッピングされるかわからない。

 席もいつものカウンター席に座ることにした。


「あー、棚卸しつっかれたー……」

「手伝えたら良かったけど、こっちは津田さんとリカーの方があったし」

「ううん。それも大事なことだもん」


 異世界側の血を受け継ぐ存在、通称『事情持ち』のスタッフはそう多くなく、正社員も少数だ。

 精鋭と言われれば聞こえがいいかもしれないけど、私達はまだ正社員じゃなくバイトの扱いに近い。

 今は研修期間が終わったばかりだけど、仕事はもうバイト以上の仕事を任されることが多い。

 理由は、事情持ちの女性スタッフがバイト以外少ないかららしい。

 昔は一応いたらしいが、大体は転職されてもっと大手のホテルに就職するなどで今は一人しかいない。その人は今日休暇日なのでいなかったのだ。


「ほい、先に菫ちゃんのだ。桃葉ももよちゃんのはもうちょい待ってな」

「はーい」

「ありがとうございます」


 カウンターに置かれた、通常より少し大きめのチョコレートパフェ。

 今日はガトーショコラ仕立てなのか、ケーキやお菓子が多くて果物は少なそうだ。

 お礼を言った後の菫ちゃんの目がちょっと輝いた気がして、彼女は私に一言断ってからパフェ用のスプーンを手に取った。


「……ひと口いる?」

「あ、ごめん。そんなに見てた?」


 つい、お腹が空いているから美味しそうなものには目が向いちゃう。

 けど、菫ちゃんは嫌そうな素振りをせずに、ひと口ガトーショコラの部分も掬ってから私に差し出した。


「はい」

「うー、いただきますっ」


 パクリとひと口で頬張る。

 口の中に、程よい甘さとチョコの苦味が広がっていく。ちょっとサクサクしたのは砕いたクッキーかな?

 いつもひと口もらっちゃうけど、今日のもすっごく美味しい!


「美味しいー!」

「みたいだね。じゃあ、いただきます」


 スプーンをそのまま使い、彼女もパフェを食べ出した。

 お供の飲み物は、ちょっと濃いめのモカブレンドだって。甘い物を食べる時はブラックがいいらしい。


「ほい、大盛りオムライスお待たせ」

「待ってました!」


 ほんのり湯気の立つ、綺麗な形のオムライス。

 ケチャップは後乗せだから自分の好きな量をかけれるのだ。私は、ここに通うようになってからちょっとずつにしている。

 昔だったらケチャップたっぷりにしてたのに、ここの味を知ってからは変えたのはほんと最近。

 今日も、まずはレードルで食べる範囲に少しかけた。


「いっただきまーす!」

「おう、召し上がれ」


 それと楽しみなのは、このオムライスも具材はマスターの気まぐれだ。

 好き嫌いはないからなんでも大丈夫だけど、毎回楽しみにしている。

 今日の具はほうれん草と牛ミンチかな?

 ゴロゴロの鶏肉が入ってるのも美味しいけど、こっちも好きだ。ちょっとあっさりしてるから、ケチャップがよく合う!


「今日も美味しい!」

「おうおう、いい食べっぷりだな二人とも。若いからってあんま根詰め過ぎんなよ?」

「はーい」

「ガトーショコラ、ちょうどいいです」

「今日はいい出来だったんでな?」


 全部手作り出来るマスターは凄い。

 女子力高いんじゃないかってくらいだけど、これはこの人の仕事だからって言われたら納得出来ちゃう。

 セットの、これまた一から手作りしたコーンポタージュも飲みながら食べ進めていれば、菫ちゃんは既に食べ終えててコーヒーをゆっくり飲んでいた。


「んで、今度はなんだ? またあの坊主がでかい仕事持ってきたのか?」

「そうなんだよマスター!」


 口に入れてたのを飲み込んでから、私はすぐに答えた。

 このマスターも事情持ちで、来る客のほとんども事情持ちだからうちのホテルの事は知られている。

 と言うより、この界隈に店を構えてる人の大半が事情持ちなのだ。


「うちで初めての披露宴をやるんだよ!」

「ほー? それまた随分思い切った奴がいるんだなぁ?」

「代価を支払えたそうなので、それに見合う披露宴を行う予定です」

「俺も向こうは随分行ってねぇが、あの入り口じゃ平日営業出来んくなるしな」


 マスターの言う通り、異世界との入り口はこの世界のあちこちにあって、繋がる法則性はそれぞれバラバラだ。

 うちのホテル、エレウテリアは週末の三日間だけ開通されて他の四日間は完全に遮断されてしまう。

 何故その法則なのかは、まだ日の浅い私や菫ちゃんには教えてもらえていない。


「んで、あれか? 披露宴は6月か?」

「そーそー、大詰め!」

「料理は結構大掛かりだろ? 事情持ちの連中は少ねぇから俺もヘルプ借り出されるかもな」

「その時はまかないお願いね!」

「まあ、そうなりゃな?」



 マスターは元々エレウテリアの調理スタッフだったらしいが、自分の資金で店を構えることが夢だったので十数年前に退職したそうだ。

 だけど、時々先代や今の支配人からヘルプとして雇われることはあるので、その時には特別なまかないを振舞ってくれることがある。

 だから、事情持ち以上にホテル内の仕事についても聞いてもらえるのだ。普通は社外に持ち出しちゃいけないけど、ここは支配人達も通うので目を瞑ってもらっている。


「お、いらっしゃい」

「あー、疲れた……って」

「あっれー? 桃ちゃんと桐生ちゃん?」


 噂をすればなんとやら。

 まさか、今日も時間をズラしてやって来るだなんて!


(癒しのひと時を返して!)


 それからは支配人や副支配人もまじえてマスターと話をすることになった。

 支配人には私のオムライスの残り全部取られた!

 








 ◆◇◆









 披露宴の仕事が決まってからは、通常業務と並行してプランを計画することとなった。

 これはいつも同じことだが、今回はエレウテリア最初の異世界からの披露宴依頼。

 私だって経験したことはないが、それは経験を多く積んでるはずの支配人達だってそうだ。いただいた代価に見合ったプランは本当に大き過ぎても小さ過ぎてもいけないらしく、ただ豪華にするだけじゃダメ。

 新郎新婦が心から喜んで頂けるものはもちろん、異世界の文化に触れて受け入れてもらえるようなものを提供する。

 普通のウェディングプランよりもよっぽど気合を入れなくてはならないから、支配人や副支配人はもちろん、事情持ちのプランナーさんも連日連夜遅くまで不備がないか打ち合わせが続いた。


(けど、それは今日で終わり……)


 週末の初日である金曜日。

 通常営業でも滅多にない、平日に披露宴をとり行うことになったから。

 夜でも大丈夫は大丈夫だけど、二次会などはまた向こうの世界で開くそうなので披露宴だけは昼の時間帯の希望を出されたみたい。


「頑張ろうね、菫ちゃん!」

「そうだね。お客様は異世界の人達でも、仕事はいつもと同じだから」

「うん!」


 ご祝儀とか受付とかの形式は全く違うが、出席者が名簿に記入する形だけは新郎新婦共に賛同してくださったので、担当は私と菫ちゃんになったのだ。


「あ、来たみたい」


 菫ちゃんの声に振り返れば、きちんとした装いの人から冒険者って服装とバラバラの人達が周囲を物珍しく見回しながらやってきた。


「アルフの言ってたことってマジだったんだな?」

「彼がこう言う大事なことに限って嘘はつかないでしょう? あ、あそこが彼が言っていた受付と言うところでしょうね」


 こちらに気づかれたので、私達は改めて姿勢を正してから軽く腰を折った。


「「いらっしゃいませ」」

「お、おぅ?」

「はじめまして。新郎に聞いてはいたのですが、こちらが宴の受付と言うものでしょうか?」

「はい。この台帳にお客様方の使われる文字で結構ですので、そちらのペンで枠にお名前のご記入をお願い致します」

「ご丁寧にありがとうございます。ほら、君もそっちのノートに書いてください」

「あ、ああ。変わった宴だなぁ?」


 丁寧な口調の男性はエルフのようで、いちいち反応する冒険者風の男性にさっさと書きように促した。

 ペンの使い方が違うので、最初二人は戸惑ったが私達が教えればエルフの男性はすぐに綺麗な文字で名前を書かれた。当然、向こうの世界の字だから文字は読めない。

 なのに言葉が通じるのは、彼らが通って来た異世界と繋ぐ自動ドアに仕掛けがあるそうだ。詳しい仕組みはわからないが、その魔法などを施したのは支配人のおばあさんらしい。

 そのお陰で、事情持ちでも魔法が使えないスタッフでも普段と変わりない接客が出来るので本当にありがたいことだ。ちなみに、私もほとんど使えない。

 菫ちゃんはまだ出会って数ヶ月でも全部は教えてもらえていない。


「え……っと、これでいいのかな?」

「はい、大丈夫ですよ。どうぞ、あちらへお進みください」


 披露宴に限らず、開始時間まで宴会ホールの扉は大抵開けているのが普通だ。

 異世界ではどうか私は知らないが、参加者の皆様を見る限り室内でも豪華に仕立てた会場で宴会を開くパターンは少なそうだ。

 勝手な想像でしかないが、ほとんどの人が中に入るのを凄く躊躇っているのでここは助け船を出すしかない。


「ご安心ください。こちらの会場はこの世界ですと披露宴ではごく普通の会場となります。お客様のお席は、卓の上にお名前を記入した紙のプレートがありますからそちらを見てお着きください」


 菫ちゃんだと逆に緊張感を煽っちゃうことが多いから、緊張しても私がやらなくちゃ。

 このホテルを紹介してもらったおじ様に、君の笑顔は人を落ち着かせる効果があるって言われたもの。

 実際、異世界からのお客様達も少しずつ落ち着いてくれたようだ。エルフのお兄さんも小さく息を吐いていました。


「これが普通とは、異世界は恐れ入りますね。卓のプレートと言うのはお嬢さん方では書けないはずですから新郎達がでしょうか?」

「はい。こちらの者が代筆で書かせていただく場合もありますが、今回は新郎新婦様が一つ一つ書かれたものになります」

「なるほど、興味深いですね。皆さんも入りましょう! 我々が席に着かねば、新郎達も入りづらいでしょうから」

「あ、そう……だな?」

「アルフ達が用意してくれたんだもんね!」

「もっと綺麗な格好で来れば良かったー」

「自分の持ってる中で、ってミファーナも言ってたからいいんじゃない?」


 エルフのお兄さんのお陰で皆さんも少し緊張が解れたのか、順番に会場の中へと入られていく。

 親族は最後の方らしいので、私達は説明を繰り返しながらお客様達を中へお通ししていった。


「じゃ、大谷さん。あとは私だけでいいから向こうをお願いします」

「はい、わかりました」


 親族の方も戸惑いはあったものの、なんとか中に入ってもらえたので残るは新郎新婦のみ。

 片付けなどは菫ちゃんにお願いして、私は別の仕事に向かうことにした。

 披露宴最初の、大事な仕事だ。


「うー、途中までだけど大丈夫かなぁ」


 独り言は小さく呟きながら、目的場所までゆっくり歩いていく。

 早歩きでもいいかもしれないが、いくら廊下が絨毯張でも多少足音はしちゃう。ましてや、宴会サービスや宿泊担当の女性スタッフの大半はリクルートと同じような黒いパンプス。

 パタパタ歩いてたらヒールで音が立っちゃうから慎重に。


「え……っと、あ、ここだ」


 新婦様の控え室。

 ノックの前に何度も深呼吸を繰り返した。


「……失礼します」


 軽くノックをしてからお声掛けすれば、少しして中から新婦様の返事が返ってきた。

 ゆっくり開けて中に入れば、眩しいばかりの空間が広がっていた。


(やっぱり、何百回見てもこの瞬間って素敵だなぁ!)


 ウェディングドレスに身を包んだ女性の晴れ姿。

 特に、今回は異世界からの来訪者なので美貌は格段に日本人と違っている。

 彫りの深い顔は外国人っぽいが、エルフと同じような尖った耳を持つ精霊族。

 妖精を祖先に持つ人間のような種族らしいので体はちゃんとした成人女性だけど、美しさは格別だ。新郎様もエルフだからものすっごい綺麗な人でも新婦様だって負けていない。

 今回は式を向こうの世界でして来たのもあって、ドレスは真っ白なウェディングドレス。ヴェールはマーメイドラインが特徴的な丈の長いものだ。


「お待たせしました。お客様方がお揃いになりましたのでお迎えにあがりました」

「……ありがとう。一度披露宴はしたのに、やっぱり緊張するわ」

「こちらでは初めてですしね」


 新婦のミファーナ様とはプランを立てる時に何度かお話させていただいている。

 事情持ちだからと言うのもあるが、高砂の卓を担当するマネージャー以外にも何人か女性スタッフと交流した方がいいだろうと言う支配人の意向で、私と菫ちゃんが指名されたのだ。


「ドレスもよくお似合いですよ。新郎様のところへ行きましょう!」

「ありがとう、モモヨ。一度アルフにも見てもらってるから大丈夫なのはわかってるけど」


 緊張するなと言うのは酷なことだ。

 私は日本人でも結婚はしていておかしくない年齢ではあるが、ミファーナ様は年齢だとずっと歳上でも感覚的には私や菫ちゃんの世代とほとんど変わりない。

 人間とは違う種族であるから長命な分、老化も遅いから若い感覚なのは仕方ないみたい。

 だから、一生に一度の結婚式や披露宴は緊張するのはミファーナ様だって同じだ。


「でも、待たせてはいけないものね。アルフのところへ連れてってくれるかしら?」

「はい」


 不安はまだ拭えていないが、精一杯の笑顔でミファーナ様は頷かれた。


「では、お手を失礼しますね」

「ええ」


 本当ならマネージャーの仕事なのだが、私や菫ちゃんの実務経験じゃまだまだ高砂の担当にはつけない。

 なので、重要な仕事の一つでもある新郎新婦の入場までの仕事を任されたのだ。

 会場の誘導に関しては、副支配人の仕事だ。

 控え室から少し距離があるもう一つの控え室に向かい、新郎のアルファシス様がロマンスグレーのタキシードを身につけていて、彼の麗しい程の美貌によく映えていた。


「お待たせいたしました」

「うん、ミファーナを連れて来てくれてありがとう。このまま、会場に行くのかな?」

「はい。何度か行かれてるのでお分りでしょうが、一本道です。足元だけお気をつけください」

「ええ」

「わかったよ」


 服装は完全にホテルでのレンタル衣装だから、お二人が慣れないのも仕方ない。

 普通ならサポートスタッフがいるのだけれど、異世界からの来訪は通常営業とは別のフロアでとり行う。

 だから、事情持ちのスタッフは必要最低限用意するのでウェディングスタッフの中にいるわけがない。幸い、プランナーさんがいただけでも良しとしておかなきゃ。

 と言うわけで、本来ならやらない仕事も事情持ちのスタッフだけで兼任しまくってる状態だ。

 私も、未熟でもこんな重要な仕事を任されるくらいだもの。

 菫ちゃんはお酒に少し詳しいからウェルカムドリンクのお手伝いをしている。それももう終わっただろうから、今は会場の扉前で待機なはずだ。

 ゆっくりゆっくり歩いて行けば、近づくにつれて菫ちゃんと黒のキャプテン衣装を身に纏った副支配人が待ってくれていた。


(ほんと、仕事中はチャラ男じゃないよね……)


 髪も服装もきっちりしていて、だらけた要素が一つもない。

 彼の前に着いてから、私は軽く一礼をして新郎新婦の前を離れた。


「お待たせいたしました。これより、中をご案内させていただきますね」

「うん、お願いするねサブマスター」

「お願いします」


 副支配人もだけど、役職の呼び名は異世界の人達は大体そちらの呼び名を真似て私達を呼ぶ。

 支配人はマスター。副支配人ならサブマスター。

 由来は、冒険者ギルドの職員さん達と同じ感覚だからだそう。

 私や菫ちゃんは自分の名前を先に名乗ってるので名前で呼ばれているが、上司にあたるスタッフは基本役職で呼ばれている。

 支配人は、すでに会場内だ。


「少しお待ちください。こちら、準備完了。中はどうですか?」

『こちらは歓談中。いつでもどうぞ』


 インカムは私や菫ちゃんも装着しているので、同じ返答が右耳に届く。

 副支配人のマイクから直接聴こえるのは、キャプテン専用のインカムだからだ。

 最も、それは異世界からの来客の皆様を安心させるための少し古いタイプ。新型では、相手の音声がイヤホンから漏れることがないので返答が聞こえないのを不審がられるからだ。

 このタイプを使用すると決めたのは先代支配人からの取り決めだそう。

 支配人からの返答が返って来てから、副支配人は一つ頷いてから新郎新婦に向き直った。


「では、まもなく扉が開きます。予行演習通りにご案内しますので、最初は少し光が当たります」


 念入りに二回もリハーサルしているので、再確認も大丈夫だとお二人は頷いてくれた。

 私達はお互いに頷きあい、中から聞こえて来たノックを合図に菫ちゃんと息を合わせて扉を開けた。


「新郎新婦のご入場です」


 司会担当の支配人の声が、マイクから会場に響き渡った。

 新郎新婦様が副支配人に続いて中に入って行けば、出席者の皆様からの歓声と拍手が湧き上がっていく。

 完全にお二人が中に入ったのを見届けてから、私達は扉をゆっくり閉めた。


「第一段階、お疲れ様」

「うん。早く裏行ってシャンパン取りに行こう!」

「人数が少ないから急がなきゃだしね」


 そう、ここまではまだ良かったのだ。









 ◆◇◆








(あ、あれ……?)


 スープサービスをしてから、頭とお尻辺りにざわざわするようなむず痒い感覚を覚えたのだ。


(まさか、ね……?)


 対処法もしてるのに、体質に変化があるのはおかしいなと思ったので、気になった時は気にしないでいた。

 それが、間違いだと思ったのはデザートのサービス直前だった。


「……大谷さん、大丈夫か?」


 調理担当の津田さんが声をかけてくれた時には、私の息遣いはわかりやすいくらいに乱れていた。

 喘息持ちではないのに、音の悪い笛を吹くような呼吸音が漏れていて、声が出しにくい。

 どうしてこんな状態になるまで放っておいたのは、仕事中だからって言い訳をしてたからだ。

 津田さんが気づいたのを皮切りに、私の周りに人が集まってくる。


「大丈夫じゃないよ。これ前兆じゃん!」

「薬は? 今持ってる?」

「このままじゃ変わり・・・ます。私がロッカーに」

「で……も」

「こんな状態じゃ仕事続けれないよ? 無理しないで」


 菫ちゃんにそう言われても、気持ちじゃ理解出来ない。


(また、迷惑を……)


 前の職場じゃ見放されてたが、この優しさもまた辛い。

 自分が、役に立たないって言われてるようで苦しいから。


「私が連れて行きましょう」

「支配人!」

「え」


 ふわっと体が持ち上がり、大きな腕の中に抱えられるようにされた。

 息を乱しながらも顔を少し上げれば、蛍光灯に反射した銀縁が霞んで見えた。


「桐生さん、仮眠室まで連れて行きますから一緒に来てください」

「わかりました」

「困った事があれば副支配人に指示を出してもらうように。すぐに戻ります」

「「「は、はい!」」」

「ほーんとすぐ戻って来いよー?」


 皆に見送ってもらったが、それからの対応は早かった。

 菫ちゃんと支配人は駆け足に近い速さでロッカールームに向かい、扉前で他の女性達がいない事を確認してから仮眠室に滑り込む。

 ベッドの前で私の靴を脱がして、菫ちゃんが掛け布団を取ってから支配人が私をマットの上に降ろしてくれた。


「じゃ、布団かけるよ?」

「ご……めんね」

「いいから、早く変われ」


 仕事モードを解いた支配人にも促されたので、私は布団を被ってから大きく息を吐いた。






 ぽふん!






 そんな軽い音が聞こえると、視線の位置が少し下がる。

 久しぶりに変わったが、どうやら間に合ったみたい。

 もぞもぞと四つん這いになりながら布団から出ると、すぐに大きな手に抱き上げられた。


「やっぱ、むっちゃ可愛えぇー‼︎」

「し、支配人⁉︎」


 この関西弁は支配人のものだ。

 そして、抱っこした私──ふわもこの犬のような姿になった私のほっぺを自分のほっぺを擦り付けてるのも、支配人本人だ。


「……支配人。あとは私が見ておきますからお戻りになってください」

「殺生やな、桐生! ひっさびさなんやで、大谷のフェンリル化!」

「そうですが、今日の仕事にあなたは必要不可欠なんですからお戻りください」

「えー」

「戻らないと、恥ずかしい過去話すべてを桃さんに言いますよ?」

「……戻り、ましょう」


 渋々頷いた支配人は、小さい『フェンリル』の私を菫ちゃんに預けてから仮眠室を後にしました。


「あ、ありがとう、菫ちゃん」

「いいよ。今話してもいいだろうけど、あの人の中うざいくらいに桃さんのふわもこ愛でいっぱいだったから」

「あ、あはは……」


 支配人は、あの見た目と性格に反してふわもこ・・・・なモノに目がない。

 愛でる時は、何故か先代支配人の出身地らしい関西弁が出てしまうそうで。オフモードや仕事モードで標準語なのはきちんと鍛えてもらったから大丈夫だとか。オフモードの荒い口調は関西弁の名残だと言うのは副支配人談。

 それはさて置き、私の事情持ちはフェンリルと言う魔物に変化する体質だ。ハーフともクォーターとも違う先祖返りだそうで、うちの今の家系じゃ結構多い。

 家族の大半が同じ悩みを抱えているのでまだ楽だが、学校ではいじめが日常茶飯事。

 今までなんとかやって来たが、就職は最初だった前のところで悲惨な目に遭った。

 転職を希望してもキャリアも短いし、事情持ちを受け入れてくれるところなんてないと思ってた時に、あるおじ様と出会ってこのホテルを紹介してくださったのだ。

 菫ちゃんも似た事情で紹介されたから、同期同士仲良くなってお互い事情についても少しずつ話したり見せたりしている。彼女の場合、『心眼サトリ』と言う日本の妖怪にもいるらしい、心を覗き見出来る能力の持ち主だ。

 今は制御が出来てるらしいが、あまりに強い気持ちの場合テレパスのように聞こえてくるそうで。

 だから、さっきの支配人の気持ちも嫌になるくらい伝わってきたらしい。


「戻るのはいつかわからないし、ちょっと自販機で何か買ってくるよ」

「あ、お金後で渡すからココアがいいなー」

「わかった。氷無しのカップだね」

「うん」


 こう言うなんでもないように接してくれる人達とも、このホテルに来てから出会えた。

 おじ様には本当に感謝している。

 あれ以降なかなか会えないでいるが、その分仕事で恩返しがしたいと頑張っちゃうくらい。


「その頑張りが、いけなかったのかなぁ」


 社畜気質が多い日本人だから、無理ないかもしれないが。

 それにしたって、随分久しぶりの変化だ。

 前にあったのはここに面接を受けに来た時か。


「今日は、薬飲むの忘れてたからかなぁ」


 先代支配人にお願いして、彼の奥さんに作っていただいた特別な錠剤。

 残りはまだあったけど、忙しさにかまけて定期的に飲むのを忘れてたみたい。

 大事な仕事の日に限ってうっかりし過ぎだ。


「また支配人にお願いして、薬用意してもらわなくっちゃ」


 お代はこの姿を堪能させてあげる事でいいらしいが。

 美形に構われるって慣れないが背に腹はかえられない。

 菫ちゃんが戻ってくるまでの間、変化したことで火照った体を落ち着かせるのに少し丸くなることにした。

 








 ◆◇◆










 戻ったのはそれから20分後で、菫ちゃんに頼んだココアをゆっくり飲んでから制服を着てバックヤードに向かう。

 披露宴はちょうど終盤に差し掛かったところで、私達はバックヤードで待機するだけで良かった。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「迷惑はかけてねぇぞ? 体質なのはどうしようもないし、変わる前に坊主が連れてってくれたから混乱は防げたしよ?」


 カフェバーのマスターであるくぬぎさんもヘルプ要請されたので、変わる前にもサーブ台の近くにいらした。

 だから、一時抜けた私と菫ちゃんの代わりにサービス業務をやってくれてたらしい。

 本当に、ありがたかった。


「それよか、坊主の方が面倒かったぜ?」

「え?」

「お前さんが久しぶりに変化したからもっと構いたかったってぶつくさ言ってんのがうるさくてな?」

「あ、あはは……」


 業務に支障はないようだが、彼のふわもこ愛は結構粘着質だから仕方ないかも。

 今は薬を飲んだので変化することはないが、仕事が終わったら大変だろう。

 それからお見送りや引き出物のお渡しも含めて諸々すべて終わってから、予想通り支配人に迫られた。


「も一回なってくれへん⁉︎」

「嫌です!」


 美形のどアップがあっても、嫌なものは嫌だからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

週末は異界のホテルに〜ようこそ、エレウテリアへ〜『読み切り版』 櫛田こころ @kushida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ