Episode49 ~心の傷(トラウマ)~

 魔術戦の定石は相手の魔術ストックを削ることだと、アンリは言っていた。

 決闘開始前に用意された十秒の準備期間。その間に魔術師は魔術を多くストックしておくのだ。


 十秒のうちにストックできる個数は人によってまちまちで、例えばアンリは五つストックできるらしいが、ノアは三つしかストックできない。

 つまりアンリと実力が近いエリーシャも、魔術を五つストックしているはず。

 先程ノアはストックしてあった攻撃呪文ソルセリーを切った。エリーシャも同様にストックを一つ失っている。

 だがそれでも──残りストック数はエリーシャの方が多い。俄然こちらが不利なのは変わらない。


「────」


 ノアは小さくかがむと、呟くように詠唱を始めた。

 同時に魔術を起動しても、詠唱速度で負けてしまう。いつでも再起動リ・ブートできるように、今のうちにストック数を増やすのだ。

 周囲は未だに先程の魔術の衝突により、土煙が待っている。つまりノア側でも、エリーシャ側でもお互いの姿は確認できない。だが後二秒もすれば、土煙が晴れ状況が戻ってしまう。

 ──それまでに後一つでもストックできれば……!


 焦りながら、しかし丁寧に詠唱を紡いでいると。

 バシュッ! と──。

 空気が破裂したと錯覚する音。それに気づいたときには、右肩に鋭い衝撃が貫き、ノアの身体は尻餅をついて倒れていた。


「……つぅッ!」


「【負傷判定】──障壁アーマー残量──92%」


 大会が始まってから初ダメージ。耳共から無慈悲に聞こえるアナウンスなり、同時に、体全体がズシンと少し重くなる。

 だが次の瞬間、アナウンスさえかき消す轟音がノアの耳に入ってきた。

 バシュッ! バシュッ! バシュッ! バシュッ!

 幾重にも鳴り響く空気が破裂する音。そして──。


 周囲の土煙が一斉に晴れた。同時に目に飛び込んでくるは、埋め尽くすほど薄緑色の突風。突風の一つ一つは、三日月のような形をしており、ノアの側に突風の一つが衝突すると、地面が形を残すように抉られた。

 考えなくても、これはエリーシャが起動した魔術だとすぐに分かった。

 ──不味い!


「《リ・》──!」


 咄嗟に魔術を起動しようとするも、行動が何もかも遅すぎた。言い終わる前に突風がノアを襲い、アーマーを縦横無尽に切り裂いていた。


『【負傷判定】──障壁アーマー残量──84%──76%──66%』


 凄まじい速度でアーマーが削らえていく。その度に重苦しい衝撃が身体を襲う。

 突風はノアの半径10メルトにも及ぶ広範囲であり、横っ飛びしてもこの突風から逃げることは不可能。

 逃げられないという不安。血の気が引くような感覚が全身を包み、千切れんばかりに服の上から心臓を握り込む。

 だが、魔術師の性なのか──精神が追いつかなくても、なんとか身体は動いてくれた。


「《再起動リ・ブート》──!」


 叫ぶように詠唱する。何もかも不完全な魔術起動だったが、なんとか魔術は応えてくれ、ノアの目の前に障壁が現れた。

 すると、標的を失った風刃が次々と障壁を叩いてきた。このままでは、障壁は数秒と持たずに破壊されるだろう。


「ハーッ! ハーッ! ハーッ!」


 何かしないと本当にやられてしまう。頭では警鐘が鳴り響くのに、身体が震えて止まらない。アーマーが削られた影響で重くなった身体はまるで、地面に接着されたように動いてくれない。


 この魔術決戦トーナメントは、可能な限り『実戦』に近い状態を作っている。

 痛みを感じない代わりに、傷つけば身体が重くなって動きにくくなるし、腕が風刃や剣で切られれば一切動かせなくなる。

 心臓や首など、急所がダメージを喰らえば一発で【死亡判定】で敗北だ。

 可能な限り実戦に近い競技。ならばその分、死に近づく感覚も生々しい。それがノアにとって致命的だった。


 ──ごめん……カイ……。私には……もう……!


 考えないようにしても、否が応でも脳裏にチラつくのは、あの悪夢の情景。

 そうなればもう……終わりだった。



 ※ ※ ※



 拳が繰り出されるたび、空気が炸裂するような音が鳴る。

 カイは眼前に迫る拳をなんとか剣の腹で防ぐと、大きく後ろへ後退した。


「チッ……さっきから防いでばかり……。つまらねェぜ!そんなんじゃよォ!」


「…………」


 右手の剣の柄を握りしめながら、カイはもう片方の手で汗を拭う。

 現在のアーマーは88%。ガンの拳を一発脇腹に食らってから、攻めあぐねていた。

 ガンの拳は速い。眼では追いつけるが、身体が動いてくれない。不慣れな剣ならなおさらだ。必要以上に近づけばダメージを食らう。現状、距離を取ってガンの攻撃を捌くのが手一杯だった。


 何とか攻め手を見つけなくては。もし時間切れになれば、先に一撃貰っているこちらの敗北になるのだから。

 ──しかし……。

 カイは横目で灼熱の壁の先を見る。先程の空気が破裂したような音は、確かにあちら側から聞こえた。さっきから胸騒ぎが起きて仕方がない……ノアは大丈夫だろうか。


「よそ見たァいい度胸だなァ!!」


 一瞬にして接近してきたガンの拳が、眼前に迫ってきていた。


「くっ──!?」


 即座に仰け反りながら、剣で拳を弾き飛ばして横っ飛びで距離を取る。

 再びお互いに距離が空いたことを確認すると、ガンはむず痒そうに唸った。


「テメェ! 何がしてェんだ!」


「生憎俺は慎重に戦いを進めるタイプでな」


 と、それっぽいセリフを吐いてみたが、実際は何も策がないだけだ。

 そんな虚勢を放ちながら、切っ先をガンに向けた。

 策は無いがこの勝負を長引かせるわけにもいかない。何とか掻き集めた情報を使って出来ることを実践する他ないのだ。

 覚悟を決め、鋭く息を吸い込む。

 ダンッ! とカイは地を蹴ってガンに接近した。


「ハァアアアア!!」


 極限まで振りかぶった剣は筋肉質な右肩を捉え、気迫とともに振り下ろした。

 甘い。と言わんばかりに息を吐いたガンの右拳が閃いた。強化呪文エンチャントを纏った拳が長剣を衝突し、金属音を轟かせた。

 筋力は互角。ギリギリと剣と拳が火花を散らし、鍔迫り合いになる。

 ──ここまでは想定済みだ。

 そこでカイはわざと、剣を握る腕から力を抜いた。


「うッ──!?」


 当然拳に力を入れていたガンは、標的を失い前方に体勢が崩れる。

 その隙を逃さず長剣を握り直すと、腕を引いて刺突のかたちでガンの心臓を捉えた。

 心臓部を剣で穿けば即死亡。現実で心臓を貫かれれば即死するように、この競技でもそれは変わらない。

 つまりこれは確実なる死を捉えた一撃。これが決まれば、カイの勝利だ。


「させっかよォ!」


 しかし、あと数瞬でガンの心臓を貫かんとしていた剣は、横から伸びてきた左手によって阻まれた。

 ガンの左手は凄まじい力で刀身を握り込んでくる。剣がギリギリと悲鳴を上げるが、その程度で壊れるほどヤワじゃない。

 だが──。


「捉えたぜェ!」


 ガンがを振りかぶった。当然今カイの剣は掴まれたまま動かせなく、剣での防御も敵わない。

 決まったとばかりに不敵な笑みを浮かべるガンの顔を見て、カイはため息を吐いた。


「お前頭良くないだろ」


 カイは自ら剣の柄を離すと、軽々しい動作でガンの拳を避けた。

 直後身体が素早く動いた。一瞬でガンの傍らに入ると、右手を屈強な胸板に添えた。シュワンッ、と手のひらから魔法陣が浮かべ上がり──。


「しまっ──」


再起動リ・ブート──!」


 言い切る前に魔術は起動していた。金色に光る手のひらから雷撃が至近距離で放たれる。胸板を穿たれたガンは大きく後ろへ吹き飛ばされた。倒れる寸前の身体を何とか持ちこたえると、血を吐く代わりにゴハッと息を吐いた。


『【負傷判定】──障壁アーマー残量──83%』


 流石に即死にはならないか……と心の内で舌打ちする。

 だが初等魔術しか使えないカイにとって、一撃で17%もアーマーを削っただけでも儲けものだろう。

 雷撃の衝撃でガンが手放した剣を拾い上げて目をやると、ガンが眉間にシワを寄せながら睨んでいた。


「ガッ……ハッ……! やってくれたなァ……!」


「確かに疾さは一等級のようだが……戦略で上を行くのはそう難しくなさそうだ」


 今度はカイの方が不敵に笑いながら、再び心配そうに灼熱の壁の向こうを一瞥いちべつするのだった。

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剣の生成術士と記憶回廊(メモリーロード) はまち @hamati

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