Episode19 ~前へと進む意思~

「実はね……この前、ノアから相談を受けていたの」

 

 しばらく経った後。

 情けなく女性の胸で滂沱ぼうだし、今更ながら男性としての自尊心が崩れていくのを、禁じえないカイに。

 

 アンリは平然と席に座り直すと、ふとそんな事を口走った。

 

「ノアは言っていたわ。『二人で一緒に記憶に付いて突き止めたいけど、私じゃ頼りない。だから将来のことも断られた』──って。

 ……恐らく、アンタの事だから、動揺して思いもしない事を口走っちゃったんでしょうけど」

 

「ノアがそんな事を……」

 

 赤くなった目を伏せて、カイが歯噛みをする。

 確かに、以前──ノアから何の脈絡もなく、記憶を突き止めるという『約束の末』の話を持ちかけられたことがあった。

 

 その時は、泡を食ってその場から逃げ出してしまったが、無意識に謝罪の一言でもこぼしてしまったのだろう。

 それを、ノアは拒絶と受け取ってしまったのだ。

 

「別に、何でそんな事を言ったのかは、この際どうだって良い。

 問題は……今この瞬間も、あのが独りで苦しんでいるってことよ

 それとも貴方は、この期に及んで悲嘆に暮れるノアを、このままにしておくつもり?」

 

 有らぬ疑いを掛けられ、カイは勢いよく反駁はんばくする。

 

「そっ、そんな事──ッ⁉」

 

「──なら、最初からやる事は一つじゃない。ノアに心の内を全てさらけ出しなさい。

 それが、貴方が今一番しなきゃいけない事よ。

 ……大丈夫。ノアは涙を流して思いわずらえるほど、貴方のことを誰よりも想ってる。

 そんな娘が、貴方を心から幻滅すると思う? 拒絶すると思う?」

 

 テーブルで組まれたカイの両手に、そっと雪もあざむく白い手が乗せられる。

 

「……もう少し、ノアを信じてみれば?」

 

 目を上げると、アンリが陽だまりの様に優しげな微笑みを浮かべていた。

 その瞬間。カイの中で重くのしかかっていた何かが、音を立てて瓦解した気がした。

 思えば、日に日に自己嫌悪に陥っていくと共に、ノアの信頼も廃れていっていたのかも知れない。

 

 ──ノアがそんな奴じゃないって事くらい、俺が一番良く分かってたはずなのにな……。

 だが、もう思い煩う必要もない。

 ノアを信じる。そして、全てを打ち明ける。

 もう逃げない。己を偽りもしない。

 

 こんな無力な俺でも──きっと彼女は認めてくれる。許してくれると、信じて。

 ありのままの自分をさらけ出して、改めて認めてもらおう。

 

「ああ、そうだな……ありがとう、アンリ。

 お前に話してよかった」

 

 再び目を上げたカイの表情は、もう沈んではいなかった。

 希望に満ちた様に決然とした表情を浮かべ。

 その灰眼は、少しだけ光明が灯っているようだった。

 

 そんな完全復活を果たしたカイに、アンリが口元をふふっ、とほころばせる。

 

「もう大丈夫みたいね。……それじゃあ、あたしはそろそろ失礼しようかしら。もう遅いしね」

 

 アンリの視線に促され、隣の窓に視線を流すと。

 雲間から覗く夕日が、橙色の大ベールで空を覆っていた。どうやら、かなりの時間ここに滞在していたらしい。

 

 ふと、何かを思い出したかの様に、カイは立ち去ろうとする紅の少女に向き直った。

 

「そういや、さ。お前ノアの相談にも乗ったって言ってたよな。

 さっきもそうだけど……どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 

 突然の問い掛けに、何故かアンリが肩をすくめる。

 そして、意味を孕んだ神妙な眼差しをカイに注ぐと──。

 

「だって、あたしの本性を見せれるのは、貴方達しかいないもの……」

 

「え、何だって?」

 

 とても聞き取れない極小の呟きに、カイは思わず訊き返してしまう。

 

「い、いえっ!? 貴方達が大切な友達だからよ。困った時はお互い様、助けるのは友達として当然でしょ? それじゃあね、パフェありがとう。美味しかったわ」

 

 そう言ったきり、アンリは颯爽さっそうと店を後にした。

 からん、からん。

 いつの間にか、カイ以外の客が居なくなっている閑散とした店内に、高らかなベル音が響き渡る。

 

 少しばかりアンリが呟いた内容が気になるが、雑念を振り払って、カイは両頬を叩いて喝を入れた。

 

「……よしっ!」

 

 速やかに会計を済ませ、木組みの店の扉を開け放つ。

 頬をふわりと撫でる微風そよかぜを感じながら、カイは清々しい面持ちで店を出ていくのだった。

 

 因みに、パフェの想像を絶する価格により、財布の中身がほとんど吹っ飛んだ。

 でも、今回の出来事をかえりみれば安いものだろう──。

 やけに軽くなった財布をポケットにしまいつつ、カイはそう思い込むことにした。

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