Episode7 ~愚者の秘才~

 …………。

 ……。


 妙な静寂と熱気に包まれた中庭に、遠くの方から始業の鐘が微かに聞こえてくる。


「今日はここまで。次は個別に指導をしていくからな」


 スィートの言葉で、生徒達が糸が切れたように尻もちを付いて倒れていく。

 約四○五分間、常時精神を研ぎ澄ませていたのだから、疲弊して倒れてしまうのは然程珍しい光景ではない。


「──今日できたのは……のみ、か。

 いや、まさか、俺も初日で習得する生徒が現れるとは予想外だ……ずば抜けた才を持つ者が居るものだな」


 そう言い残すと、スィートは一足先に中庭を後にする。

 一方、講師から称賛の言葉を受けた張本人カイは、一切喜ぶ様子もなく、それどころか絶望した様に膝を付いていた。


 臨時の講師であるスィートは知らないのだ。この異常な状況に。

 だから不審がらない……が、他の生徒は違う。


 普段のカイの魔術成績は、良くて中の上くらいだ。

 しかも、実技はどう頑張ろうが普通レベルなので、その大半を筆記で補っている始末。


 そんな今まで見向きもしなかった魔術の実力皆無な奴が、突然、自分よりも先に汎用魔術を習得してしまった。

 それは、他の生徒達にしてみれば、今までの鍛錬や努力を踏みにじる行為であり……さぞ屈辱だろう。

 当然、良い気はしない。


 事実カイは、おもむろに中庭を後にしていく生徒達からの冷たい視線がグサグサと刺さっていた。

 ……だが、最も重要な問題はそこではない。


「え、えっと……カイ?」


 最後まで残っていたただ一人の生徒──ノアが、遠慮がちに話しかけてくる。

 いつの間にか中庭は、カイとノアの二人だけになってしまっていた。

 カイは膝を付いていた身体を起こしながら、厳かに応じる。


「……すまん、ノア。ちょっと一人にしてくれないか……?」


「う、うん。分かった……あんまり気を落とさないでね……」


 目立つのが嫌いなカイの事を慰める様に、そんな言葉を残しながら、ノアは中庭を後にしていく。

 一人、カイが重苦しいため息を吐きながら空を仰ぐと、中断された思考を再開する。


 ──そう、問題はそこじゃない。

 むしろ汎用魔術を習得してしまった事で、妬まれてしまうなど、正直どうでもいいのだ。

 一番の問題は、良くも悪くも目立ってしまうことだ。


 汎用魔術を授業初日に習得した生徒……そんな噂、瞬く間に広がるに決まっている。

 今までは何処にでも居る平凡な生徒だったのに、これでは生徒と講師からも目をつけられてしまう。


 ──今まで完璧に隠蔽してきたつもりだった。今回の件で誰かが異変に気づき、外部保有だと疑われてしまえば。


 そんな生徒を、学園側はどう受け止めるだろう……?

 魔術士にただでさえ馬鹿にされ、白い目を向けられる外部保有が在籍していると知れば──きっと、黙っては居ないだろう。

 

 追放……その言葉がカイの頭をよぎる。

 思わずネガティブな方向に飲まれそうになる思考を、無理やり切り替える。


「はぁ……」


 ──この際、何故汎用魔術が出来てしまったのかはどうでもいい。

 これからどうやって事を収めていくかを考えなければ。


 校舎に戻ろうとするカイの思考は、そればかりだった。



 ※ ※ ※



「どうしてアンタが出来るのよッ!」

 

 カイが何故か汎用魔術を習得してしまった同日。

 昼休憩の合間を見計らって、アンリが自慢の鮮やかな紅に染まる長髪を揺らしながら、机を思い切り叩く音が響いていた。


 まぁ来るだろうとは思っていたが、とカイは嘆息を吐く。


「な、何がだ……?」


 無駄だと分かっているが、一応苦笑いを浮かべながらとぼけてみると。

 アンリは今にも胸ぐらを掴まんとする勢いで、身を乗り出してきた。


「決まっているでしょ。今日に実技授業の事よ!」


  有無を言わせぬ威圧感に、思わず反射的に仰け反ってしまうカイ。

 ……学年で一位、二位を争うほどの美少女に詰め寄られている。

 言葉だけ聞けば喜ぶべき場面なのだろうが、生憎、睨まれて喜ぶような変態癖は持ち合わせていない。


「……なんで、何でよりにもよってアンタが……ッ!

 魔術では誰にも負けないって思ってたのに……これじゃあ、あたしの努力は一体何のために……」


「…………」


 いきなり、アンリがずるずると机に突っ伏してしまう。


 ──何を大げさな……と思うかも知れないが、アンリの様な魔術に絶対の自身を持っている者にとって、よりにもよってこんな雑魚に追い抜かれる事自体が精神的に来ているのだろう。


 アンリのその呟きは極小過ぎて聞き取れないが、その様子だけで余程、参っているのが分かる。

 きっと、わざわざカイの所に赴いたのも、何か文句の一つでも言いに来たに違いない。

 だからこそ、なら何で黙りこくる必要があるのだろう……と、カイはそんなアンリの様子に少し引っかかった。


「──やっぱり、本当に才能がある人には敵わないって事なのね……」


 ボソッ……

 声量は先程と変わらなかったが、何故かその言葉だけははっきりと耳に入ってきた。

 ──才能……ねぇ……

 頭の中で苦笑しながら、カイが目を伏せる。


「それは……違う。

 俺なんかよりも、お前の方が魔術の性能は断然上なはずだ。

 今日汎用魔術が出来たのだって、本当にたまたま、偶然なんだよ。

 ……才能なんかじゃないさ」


 ──魔術の才能だと? そんなの俺にあるわけないだろ。

 もし本当にそんな才能があるなら……俺は外部保有じゃない。

 こんな、時代遅れの最弱魔術生成術なんて、使えるわけがない。


 むしろ、俺は無能の魔術士……〝才能〟なんて言葉が恐ろしく似合わない存在なんだよ……。

 言っているカイでさえ、自虐的にしか聞こえないその言葉を、アンリはどんな顔で聞いていたのか定かではない。

 

「何それっ……あたしを励ましてるつもりっ……?」


 ただ、カイが伏せていた顔を上げると、そこには微かに微笑み、いつも女神モードの風貌を少しだけ匂わせるアンリの顔があった。


 二人とも顔を伏せていた状態で、互いの距離感が曖昧になっていたからだろうか。


 唖然とした可憐な顔に、羞恥心を表すかの様な紅の瞳に朱に染まる頬……吐息が微かにカイの頬をふわりと擦る。

 ぱちくりとお互い瞬きを挟むと……。

 コンマ一秒の思考停止時間を経て、二人は弾かれるが如く距離を取った。


「ばっ、バカッ! いきなり顔上げないでよッ⁉」


「す、すまんっ⁉ まさかこんなに近くにいるとは思わなくて……

 ま、まぁとにかく、お前がそんなに落ち込む必要も無いだろ? 俺が出来たって、すぐに追い抜かされるさ。

 ……まぁ、こんな事、嫌っている奴に言われた所でだろうけど」


「そ、そうね……アンタに慰められるなんて、ほんっと不愉快よっ! ……はぁ、もう怒る気分じゃんくなっちゃったわ」


 アンリは口を尖らせて若干早口で捲し立てると、カイに背を向けてそそくさと去ってしまった。

 ──本当、いつも嵐の様に来て、去っていく奴だな……。


 呆れ混じりにため息を吐いて、カイはふと、頬杖を付いて窓の外の雲一つない蒼穹を見上げる。


 自らの魔術に絶対の自信を持っている奴は、この学園に幾らでも居る。

 つまり、アンリの反応は何ら珍しくない。行動を起こさないだけで、皆思う所は一緒なはずだ。


 何故、こんな奴が先に汎用魔術を習得するんだ、という妬みは。

 そいつらの屈辱は如何なるものか……努力を踏み躙られてきたカイには痛いほど理解できる。


 ──兎に角、時が経って、皆が汎用魔術を習得する様になれば、この件もその内無かった事になる。それまで、気長に待っているしかない。

 結局、何で出来てしまったとか、気掛かりな点はあるが、今更考えた所で後の祭りだ。


 それまで、これ以上目立つ行動は控えよう──カイはそう決意し、いつもの様に昼食を摂ろうと鞄に手を入れた。


「……ん?」


 暫く中を探って、違和感を覚える。

 そこに有るべき物がないのだ。

 何度か探ってみるも、やはり弁当らしき感触がない。


 その時、カイに今朝の記憶が蘇る。

 今朝はでいつも以上に気分が憂鬱で、恐らくそれで頭が一杯になり弁当を鞄に入れるのを忘れてしまったのだろう、と。


(やれやれ……これじゃ俺も、ノアに身支度が遅いなんて言ってられないな)


 一つため息を吐きながら、再び頬杖を付いて頭を悩ませる。

 学園には購買もあるにはあるが、多大な生徒数に反して在庫が少ない為、すぐに売り切れてしまうのだ。

 そもそも、食堂もあるのに購買も設置しようと思ったのか。そりゃ利用者減るだろ。


「あれ、どうしたの?」


 カイが心中で愚痴を零していると、馴染みのある声が聞こえ、目を向ける。

 そこには、予想通りお手洗いから返ってきたノアと……その背中に若干隠れるように佇み、そっぽ向いているアンリの姿があった。


 ──カイは以前から、この二人と昼食を共にしている。

 無論、アンリと食事を共にするなど、男子達の嫉妬度を更に跳ね上がらせてしまうのは、カイとて百の承知である。


 当然断ろうとしたが、ノアが余りに食い気味に頼み込んでくるので、気負けして仕方なく承諾してしまったのだ。

 今でも、何故自分を忌み嫌っているアンリが納得したのか不思議でならならない。


 無駄な思考を止め、席から立ち上がりながらカイが言う。


「すまん。弁当忘れたみたいだ。今から購買に行ってくるから、先に食べていてくれ」


 ──とにかく今は、いち速く購買に行って昼食を確保しなければならなかった。

 まだ午後に魔術の実技授業が入っているカイにとって、昼食は正しく生命線だ。空腹で集中力が落ちて失敗してしまっては洒落にならない。


「分かった、行ってらっしゃい」


 深く詮索せず、むしろ手をひらひらと振って送ってくれるのは、ノアの優しさ故か。

 カイはふつふつと湧き出る罪悪感を頭の隅へ追いやり、ああ、と短く応じて踵を返すと、駆け足で教室を後にするのだった。

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