隣の女

 俺は全く仕事がない画家。


 いや、「自称画家」か。


 周囲の誰も、俺が画家とは思っていないのだから。


 親の遺産を食い潰している道楽息子。


 それが俺のイメージだろう。




 そんな俺だから、毎日する事もなく、1人で住むには広過ぎる一戸建ての家で、ゴロゴロしていた。




 それから数日後、隣の空き地に家が建ち始めた。


 近所の口から先に生まれたような連中の噂だと、資産家の男の愛人の家らしい。


 あるところにはある、という事だ。




 俺は毎日隣の家が出来上がっていくのを眺めて過ごした。


 と言うより、資産家について来る愛人に興味があったのだが。




 彼女はまさしく「美の女神」だった。


 神々しいという言葉が相応しかった。


 俺はすっかり虜になっていた。


 あの美人が隣に住む。



 そう考えただけで胸が高鳴った。



 そして残暑が厳しくなった頃、彼女は引っ越して来た。


「今日から隣に住む事になりました真辺と申します。よろしくお願いします」


「まなべさん、ですか?」


 俺はまともに顔も見られず、応じた。彼女はニコッとして、


「はい。真辺あずさです」


「あ、俺、いや、私は近藤信一郎です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 彼女は俺の慌てぶりがおかしかったのか、クスクス笑いながら玄関のドアを閉めた。




 美人だ。


 遠くから見ていた時より、よくわかる。


 何をしている人なのだろう?


 芸能人? しかし、見た事がない。


 普段暇な俺の日課はテレビを見る事なのだが、彼女の顔を見た事はない。


 モデル?


 まあ、何でもいいか。


 とにかく、「お近づき」になれたのだ。


 絵のモデルになって欲しい。


 できればヌード。


 そんな事を考えただけで鼻血が出そうだった。




 深夜。


 俺はテレビを見るのをやめて、トイレに行った。


「?」


 彼女の家は、俺の家より低い所に建っている。


 そのせいで、窓から彼女の家を見ると、部屋の中が良く見えてしまうのだ。


 俺は薄いカーテンの向こうで彼女がストレッチのような事をしているのを見た。


 それだけなら何でもない。


 だが俺は目を見張った。


 彼女は全裸でストレッチをしていたのだ。


「・・・」


 俺は身を屈め、間違っても見つからないようにと彼女の姿を観察した。


 まさしく女神だった。


 顔だけではない。


 姿形も美しかった。




 それから毎晩のように彼女は全裸でストレッチしていた。


 俺は双眼鏡まで用意してそれを覗いた。


 そして、気づいた。


 彼女の右乳房の下に大きい黒子がある事に。


 透き通るような白い肌に、それは酷く目立って見えた。


 しかしそれもまた官能的で、俺は興奮してしまった。




 俺の生活のリズムは完全に彼女のストレッチに合わせられ、それだけのために俺は生きているようなものだった。


 だから昼間彼女にバッタリ外で会った時、挨拶すると忙しいフリをして逃げた。


 彼女の身体を舐める様に見てしまいそうだからだ。


 彼女は俺を変な男だと思ったろう。


 いや、そんな風にも思わないほど、存在感がないかも知れない。


 だからこそ、俺が彼女の裸を覗いている事を知られたくなかった。


 多分俺がしている事は犯罪だろうし。




 ところが、意外な事が起こった。




 彼女が資産家殺害の容疑で逮捕されたのだ。


 俺はそれを知って驚愕した。


 慌てて事件をネットで調べた。


 2日前の事のようだ。


 記事を読んだ。


 俺はある事に気づいた。


 資産家の死亡推定時刻だ。


 深夜2時から3時。


 あり得ない。


 その時間なら、彼女は家にいた。


 俺は証言できる。


 そう思い、警察に連絡しようと受話器に手をかけた。


 待て。


 もしそんな事をしたら、俺はどうなる?


 覗きで捕まる。


 間抜け過ぎる。


 冤罪から助けた人に対する犯罪で自分が逮捕される。


 俺は悩んだ。


 冷静に考えれば、彼女と俺は何も関係がない。


 そんな証言をする必要もない。


 俺もそこまでする義務もない。


 やめとこう。




 しかし、結局俺は警察に連絡し、彼女のアリバイを証明できる事を告げた。




 俺は警察に出向き、恥を忍んで彼女のアリバイを証明した。


 証拠の写真も提出した。


 そして、写真の女性が彼女である証拠、黒子の話もした。




 数時間後、俺は警察から解放された。


 彼女のアリバイは証明され、俺は何の罪にも問われずにすんだ。


 彼女が告訴しなかったのだ。




 次の日の夜、彼女の訪問を受けた。


「ありがとうございました。近藤さんのおかげで助かりました」


「こちらこそ。貴女に酷い事をしていたのに、許していただき、感謝しています」


 俺は深々と頭を下げた。すると彼女は、


「いえ、お気になさらずに。私の方が助かったのですから。それに見られていたのは知っていましたの」


「え?」


 俺はその時、彼女の顔が女神から悪魔に変わったような気がした。


 何だ? 今のは何だ?


「紹介しますわ。私の妹です」


「え?」


 彼女の後ろに現れた女性を見て、俺は呆然とした。


 双子だ。そっくりだ。髪型から服装まで、全く一緒だ。


 まさか?


 彼女達は狡猾な笑みを浮かべていた。姉の方が、


「これで貴方は私達と共犯ですわね」


 俺は破滅への階段を知らぬ間に昇っていた事に気づかされた。

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