第30話「終わりの地」

 四枚の手紙は、これまででもっとも具体的なものであった。

 兄からの呼び出しである。

 僕は指定された日時に、愛知県の清洲城きよすじょう(※1)へと向かった。


「どういうつもりなんだ、兄さん」


 8つ年の離れた兄がそこにいた。

 姪っ子たちを預けられたときに電話をしているが、実際に会うのは、兄の妻・祥子の葬式以来である。親には出席するなと言われたが、反抗心で顔を出していたのだ。そのとき、姪っ子たちにも出会っている。

 そのときよりも、だいぶを年を取ってしまった印象がある。生気を感じられない。


清洲会議きよすかいぎはなんのためにあった?」

「へっ……」


 ここまで来て謎解きとは。

 今は頼れる姪っ子たちがいないのだ。今日は一人で解決するしかない。


「信長の後継を決めるためだろ? 秀吉が三法師さんぽうしの後見役になった」

「正解」


 ほっとする。

 姪っ子たちの厳しい歴史教育により、自分もだいぶ歴史に詳しくなったものだ。


「だが、ハズレだ」

「え?」

「三法師を正当な後継者にするためだ」

「だから、そう言ったじゃないか?」

「言ってないだろ」

「…………」


 確かに言ってはいないが、ニュアンスにほとんど変わりはないはずだ。


「三法師は松姫と信忠の子だという説がある。松姫は本能寺の変で信忠を失い、滅亡した武田家を弔うために出家した」


 松姫は信玄の娘で、信長の子・信忠と婚約していたが、武田と織田の関係が悪化して破談となる。武田滅亡後、信忠が松姫を迎えにいく直前、信忠は明智光秀の裏切りで討死にする。


「それがどうしたって言うんだよ?」

「清洲会議は、織田と武田の血を継ぐ三法師を、織田の後継者としたことに意味があるんだ」


 三法師は成人して織田秀信のぶひでと名乗る。関ヶ原の戦いでは、岐阜城ぎふじょうにおいて決死の覚悟で戦うが敗れ、高野山に流される。


「お前はその末裔だ」

「はっ?」


 いきなりこの人は何を言い出すのだろう。


生天目なばためは武田家臣の生き残りなんだろ? 織田と関係ないじゃないか」

「生天目はな。だがお前は違う」

「何言ってんだよ。それじゃ兄さんはどうなんだよ」


 兄弟なのだから、同じ血が流れているはずだ。

 

「生天目は武田の血を残すために、生き恥をさらして天目山を生き残った。その使命は今にも続いている」


 嫌な予感がする。


「天目山で武田の嫡流が途絶えたというのはウソだ。家臣が主家の子をかくまい、自分の子として育てた。それが生天目の家系。外面はあくまでも、死に後れた武田家臣だが、実際は武田の血を受け継ぐ者たちなんだよ」

「そんな話……」


 この先を聞いてはいけない。そう思えてくる。


「だからこそ、生天目は武田の血を絶やすわけにはいかない。嫡男として俺がいたが、当時から信用できなかったんだろう。保険として養子を入れることになる。それがお前だ」

「馬鹿な! 何言ってんだよ、そんなの知らないぞ!」

「武田と織田の血を継ぐ存在は、生天目にとって都合がいい。生天目を支援した松姫の理想に添うものだろう」

「ウソだ! そんなわけがない! 僕は確かに生天目家に生まれたし、兄さんの弟だ!」


 自分の根幹を揺るがされる。

 出来損ないの兄に代わり、家を継げと親に期待され、それに応えるために努力してきた人生であったのだ。それはいったい何だったのだろう。


「それに武田の末裔だなんてウソっぱちだろ! 生き残ったのが恥ずかしくて、見栄で言い続けてる伝説だ!」


 兄は不敵に笑う。


「歴史は解釈だ。400年前のことなんて誰にも分からない。信じる信じないはお前の勝手だ。だがお前が養子なのは科学的にも証明できる」


 返す言葉が見つからない。

 それは姪っ子たちとの歴史講義の中で学んだことだ。


「兄さんは……僕に何をさせたいんだ……?」


 何のために家を空け、僕に姪っ子たちの世話をさせたのか。

 そして謎の手紙を送りつけてきたのか。


「勝手なことをして申し訳ないと思っている。単純に娘たちの面倒を見てほしいんだ。そのために、本当のことを知って欲しいと思い、手紙を送った」

「馬鹿な……。僕のことは百歩譲っていいとしよう。でも、姪っ子たちは兄さんの子だろ! なぜ責任を放棄しようとする!」

「許してほしいとは思っていない。所詮、俺は運命に破れ、逃げることしかできなかった男だ。無論、娘の幸せは願っている。だからこそ、お前に託した」

「託したってなんだよ! 物みたいに!」


 これでは戦国時代と同じだ。政略結婚で人を物のようにやりとりする。


「ああ、そうだな。そう思えるお前にならば、託して良かったと思えるよ。……そろそろ時間だ。もう会うことはないだろう」


 兄は僕をおいて歩き去ろうとする。


「おい、待てよ! どこに行くってんだよ!」

「監視されていてね。娘たちに関わってはいけないことになってるんだ」

「誰が? ……まさか?」


 旧家である生天目が?


「金銭面は心配してなくていい。家がなんとかしてくれるだろう」


 生天目家とはいったいなんなのだ……。武田の血を守るために何をしようというのだ。

 兄を追おうとするが、受け入れがたい事実が流れ込み、混濁した情報に身動きが取れなくなってしまう。


「何なんだよ……」


 頭が混乱する。

 情報を一つ一つ整理していかなければ。

 僕は養子で、もともと生天目家の人間ではないという。兄は幼い頃から反抗的だったのか、跡継ぎにふさわしくないと思われ、僕を養子に取ったようだ。

 兄は娘を僕に預け、監視の目をすり抜け、手紙を送ってきた。不明瞭だったのはそのためなのか。そして今、目の前に現れ、とんでもない事実を打ち明け、去って行ってしまった。


「おーい!」


 後ろから声がする。

 毎日呼ばれているから、誰のものかすぐに分かる。初の声だ。


 初を先頭に、茶々、江が姿を現す。


「何でこんなところに……?」

「ずるいよ、叔父さん! 一人でお城巡りなんて!」

「え、ああ……」


 兄の呼び出しの手紙を受け取り、飛び出してきたのを見られていたのだろう。あとを付け、ここまでやってきたのだ。


「あ、うん、そう。清洲城が急に見たくなってさ」


 兄と会っていたなんて言えない。ここで知った事実なんて話せるわけがない。

 

「そういうのは家族みんなで行けばいいじゃん!」

「そうですよ、武人たけひとさん。誘ってください」

「無論、ついていくし」


 姪っ子たちは疑うことなく答えてくれる。


「ごめんな、次は誘うよ」


 歴史は限られた史料から推測して、うかがい知ることしかできない。真実が何かなんて誰にも分からないのだ。

 それは今、自分の置かれている状況も同じだ。生天目家にどのような過去があり、いったい何を目的にし、何を企んでいるかは分からない。

 何を事実とし、何を正しいとするかは自分で決めるしかないのだ。


「じゃあ、名古屋観光していくか!」


 でもすぐに決める必要なんてない。

 少ない史料を集めて組み合わせ、ないものを想像で補い、その上で結論を出せばいい。


「やったー! 犬山城いこ! 落雷で壊れたシャチホコが新しくなったんだって!」


 たぶん客観的な事実は、姪っ子たちと血がつながっていないことなのだろう。


「いいですね、犬山城。日本最古の天守閣と言われています」


 しかし、事実を知ったところで、別に何が変わるというわけではない。


「小牧長久手、関ヶ原の戦いで重要な拠点となった場所だし」


 僕は歴史が大好きな彼女らに、毎日歴史トークを聞かされるのだ。

 誰に頼まれたとか、親戚でないとか関係ない。


「ようし、城取ってやるぞー!」


 しかし、当面の問題と言えば、野武士(フリーター)であることである。

 前に初に言われたが、秀吉のような大物を目指してみるのもいいだろう。たいそうな血を引き継いでいるのかもしれないが、所詮、旧家の跡取りとして養子になったのに、エリート街道から脱落したうつ病患者。もはや失うものなんてないのだ。思いっきり暴れてやろう。


「いざ、出陣!!」


 野武士の城取り物語は、尾張おわりの地・清洲より始まる。




※1 清洲城は木曽川、中山道を臨んだ交通の要衝にある。信長の居城として知られているが、家康が天下を取ると、城下町ごと名古屋に移されることになる。

※2 犬山城は清洲城から30キロ北に行ったところにある。木曽川沿いの丘に建てられた風光明媚な城。

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野武士でも分かる戦国時代 とき @tokito

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