第27話 この旅が終わったら結婚するんだ。その7

 ルイスが手配した馬車に乗って一行は一路ダットンの村に向かう。ただし、手配したのは馬車だけで馭者はいない。ジルの家がどこにあるかを誰にも知られないためルイスが配慮を示したのだ。

 馭者のいない馬車をジルが代わりに手綱を捌く。そして、車内では重苦しい雰囲気が漂っていた。


 ルイスが馬車の手配をするために審議所から出るとすぐ兵士の格好をしていたリュールの姿が変わった。麻の質素な民族服の少女の胸元から一人の妖精が飛び出してきた。

「ライラ!大丈夫?酷い目にあわなかった?」

 ニルファが泣き叫びながら、傷だらけのライラの顔に抱きついた。

「姉ちゃん……。うん、大丈夫。……酷い目にはあったけど、こんなことじゃ負けないから」

 抱きついてきた姉を優しく手のひらで包みながらライラは囁く。

「そうか、幻を見せてたのは姉ちゃんの仕業だったんだな。あたしもすっかり騙されたよ」

 ライラはそう言って笑ったがそれに呼応するものは誰もいなかった。あいかわらずニルファは泣きじゃくってばかりだったし、ジルもリュールもなぜか黙ったままだった。


 その空気は帰りの馬車の中でも変わらなかった。ニルファだけは泣きつかれてライラの胸元で眠っていたが。ジルは黙ったまま手綱を握りしめていたし、リュールはライラが何を語りかけても睨みつけるだけで何の反応もない。

「なあ、あたしが何をしたんだよ?」

 業を煮やしたライラがなかば怒り気味に馬車を操っているジルに向かって語りかけた。

「……嘘つき」やっとジルが話し始めた。「『大好きな人と最後まで一緒にいたい』なんて言ったくせに。なんだよ、突然、僕を崖下に放り投げて」

「いや、あれは成り行きっていうか……。あのままだったらお前、デリダスたちをぶっ殺していたろう?それだけはさせるわけにはいかないと思ったからさ」

 ライラの言い訳にジルは納得しない。

「でも、その方が良かったじゃないか。そうすれば今頃は一緒に村に帰れたもの」

「……そうしたら、それはあたしの好きなジルじゃなくなるからな。そんなやつと一緒にはいたくないよ」

 その言葉にジルは赤面する。

「……ずるい。そんなこと言われたらなにも言えなくなるじゃないか」

「もし、デリダスたちをジルが殺してたら、あたしたちは本当に村に帰れたのか?人を殺めて勇者として胸を張って凱旋できたのか?」

 ジルは答えなかったがライラの問いかけは痛いところをついてきた。ジルの祖父のダナがその身を犠牲にしかけてまで問いかけたのはまさにそのことだ。人を守る勇者がたとえ盗賊といえども人を殺して村に戻ることはできない。歴代の勇者も結局は人を殺してしまったから村に戻ることを許されず、結果として王となるしか道が残されなかったのだ。

「それはまあいいけどさ。……あいつ、なんであたしを睨みつけてるんだ?あたしなにかしたか?」

 そうライラが車内のリュールを指しながらジルに尋ねる。

「そんなわけないと思うけど。……ここにくるまでは彼女、ダットンの村に一時的に避難してたんだけどその時にライラの悪い噂でも聞いたんじゃない?」

 ジルが無責任に返答する。

「そんなわけあるか!あたしは村じゃ品行方正、純情可憐なライラちゃんで通ってたんだ」

「そんな人、知らないよ」

「お前、あいかわらず性格が悪いな」

 ライラは憎まれ口をかえすと馭者台から引っ込んで車内に戻った。

「なあ、……リュールって言ったっけ?あたしなにかしたか?」

 直接本人に尋ねることにした。それでもリュールはライラを睨みつけふくれっ面を隠そうともしない。諦めかけてもう寝ようかと思った時、突然……

「……あなた、ジルと寝たんですか?」

 リュールが小声で問いかけた。その言葉に思わず眠気が覚めて顔をあげた。そうか、迂闊にも気がつかなかった。

「いや、まだそんな関係じゃない」

 ライラの答えにリュールは睨みつけながらも

「……まだ……ですか?」

 と返した。そしてライラも

「うん、『まだ』だ」

 と答えた。

 しばらく黙っていたかと思うと、再びリュールが口を開いた。

「あなたは一年以上も一緒にジルと旅をしたかもしれないけど、わたしは十五年もジルのそばにいたんだから、絶対負けないから」

 ライラは睨みつけてくるリュールを見ながら、本当のことを言おうかと考えていた。自分は奇形の妖精でジルと一緒になっても子どもを作ることはできない。いずれ、あんたの元にいくことだってあるよ、と。

 しかし、ふとテレナの最後の言葉が頭の中に浮かび上がった。

「あなた、もう少し頭が……悪くおなりなさい」

 ライラの顔に笑みが浮かんだ。そうだな、あれこれ考えたところで仕方ない。あたしはジルのことが好きなんだから、その気持ちに正直でいればいいんだ。

 言いたいことを言ったからかリュールは窓に寄りかかるように眠ってしまった。その様子を見ながら

「あたしの十分の一くらいしか生きていない小娘になんて負ける気がしないね」

 と、呟いた。


 ダットンの村のライラの家で一泊して朝開けきらぬ時間に出発したから昼前には遠吠えの山の麓にたどり着いた。

「こんな近くでこの山を見るのははじめてだな」巨大な塔のような岩山を見上げながらライラが感嘆の声をあげる。「見れば見るほどこの山に村があるなんて信じられないな」

 そのライラの言葉を聞きながらジルとリュールがニヤつく。

「なんだよ、二人して気持ち悪いな」

 ライラが二人の態度に気がついて悪態をつく。

「別に……。リュール、入り口を開けてくれる?」

 ジルがリュールに向かってお願いする。リュールは黙って彼らの先頭に立って岩壁に手を当てた。

「オーフ・セシル」

 壁に向かって呪文を唱えると岩壁がスッと消えた。そこに人がなんとか這ってくぐれるほどの小さな洞穴が現れた。

「魔法で隠してたのか」

 ライラが感嘆の声をあげる。

「そんな大袈裟に言うことじゃないよ。妖精の国だって魔法で隠してたじゃない」

 ジルがそう言うと

「あれは魔法で隠していたというより幻でごまかしていただけですから」

 ライラの胸元から声が聞こえた。

「姉ちゃん!……ごめん、忘れてた」

 懐からニルファを引き出して謝る。

「ちょっと長く寝ているからって……。みなさん、酷すぎませんか?」ライラの手のひらでニルファがふくれっ面を示す。「どうせわたしを無視してご飯を食べたのでしょう?」

「村に入ったらなにか食べるものがあると思うから、もうちょっと待ってて」

 ジルも先日、ニルファをないがしろにしてしまったので他人事と思えない。

「ちょっと待てよ、ジル。姉ちゃんも村に入れていいのか?」

 ライラが問いかける。

「え?だって、ニルファさんライラと一緒に暮らすんでしょう?」

「……そんなこと聞いてないぞ。姉ちゃん、本当か?」

 ライラにとっては初耳だ。

「ええ、もうライラを心配して日を送るのは飽き飽きしてましたから」

 ニルファはこともなげに答える。

「国はいいのかよ?ラーリアル様だって今は寝ていらっしゃるんだろう?姉ちゃんがいなくていいのか?」

「いいわよ。ラーリアル様がお休みになっていらっしゃるってことは、これから千年は安泰ということでしょう」

 あっけない答えに二の句がつげない。

「ねえ、どうでもいいけど、入らないの?あんまり開けっ放しにしてると誰かに見られるかもしれないじゃない」

 リュールが入り口を開けたまま怒ったように言う。三人が謝りながら中に入る。

 ジル、ニルファ、ライラ、リュールの順で四つん這いになってしばらく進む。

「大丈夫ですか?あなた、大きすぎるからつかえないでくださいよ」

 四つん這いではなく匍匐前進になっているライラに向かってリュールが精一杯の悪態をつく。

「中がこのままだったら、どこかでつかえちまうかもな。そうなったら、あたしを置いて先へ行ってくれ」

「できるわけないでしょう。あなたが蓋になったらわたしも立ち往生じゃない」

「だったらその時は一生懸命ケツを押してくれ」

 そのライラの言葉にニルファが反応した。

「そうだわ!お尻のこと……」

「後だ後!」

 あわててライラがニルファを抑える。そうしないとこのままジルのズボンを引きずり降ろさないとも限らない。心なしかジルの歩みが少し上がったような気がした。

「もうすぐ広いところにでるよ。もう少しの辛抱だから」

 ジルの先に明かりが見えてきた。言ったとおり小さな洞穴の先はかなり広い洞穴になっていた。ジルとニルファが先に出てライラを引き上げる。その後にリュールが続く。

「おお、ジル!帰ってきたのか」

 ジルの背後で大声が聞こえた。振り返るとジルよりも頭ひとつほど背の高い深い茶色の髪の青年が立っていた。

「セシュー。どうしてここに?ここってタジリアのじいちゃんの小屋じゃなかったっけ?」

 セシューと呼ばれた青年は笑いながら

「じいさんももう年だからな。ここから炊事場まで毎日あがるのは骨が折れるそうだ。だからお前が旅に出てから見張りの仕事を俺と交代したんだ」

 そう答えた。そして

「この人がお前を助けてくれた仲間だな。……よろしく」

 ライラに手を差し出す。ライラも「よろしく」と手を差し出して握手を交わす。

「ここで一休みしていけと言いたいけど、ダナのじいさんたちへ報告しなくちゃならないだろう。まあその前に家に帰ったほうがいいだろうけど。みんな心配してたからな」

 セシューの小屋をあとにしてジルたちは山の中の洞穴の螺旋の坂を上っていく。

「山の中に村があったのか。これじゃ外からは見つけられないはずだな」

 ライラが自分の三倍はある高さの洞穴を見上げながら感心するように言った。

「もうちょっと上ればみんなが住んでいる居住地に出るよ。村の大半の人はそこで住んでるんだ。さっきのセシューみたいに見張りの仕事に就いている人とかは外れた場所にああやって小屋を建てて住んでもらってる」

 洞穴の壁には所々にランプがついているので穴自体は暗くない。だが、何年も穴ぐらの中で暮らしていると村人たちは大丈夫なのかと心配になる。そうライラが言うと

「ずっと暗いところに住んでる人もいるけど大半の家族は陽の光があたるところへ交代で住んでるんだ」

 とジルが答える。

「陽の光……って。そんなところがあるのかこの穴ぐらの中に」

 ライラの質問にジルは指をさして答える。その指の先に明るい朝日が差し込んでいる場所がたしかにあった。

 洞穴の天井が崩れ巨大な穴が開いている。そこに青空が広がり白い雲がちらほらと浮かんでおだやかな日差しが降り注いでいる。

「ここがさっき言ってた炊事場。ここで村のみんながご飯を作ったり洗い物をしたりしてるんだ」

 小さな川が流れそこにたくさんの女と幾人かの男が洗濯をしたり、周辺ではたき火を焚いている人たちもいる。ジルがやっていたように煙を出さない工夫をしたたき火をやっている。たしかにここで煙を出してしまったら一発で天井の穴から出て周囲の村や町から発見されてしまうだろう。

「今はまだ大丈夫だけど、いずれ空を飛ぶ技術ができたらこの村も見つかってしまう。そうなる前にこの村の価値がなくなればいいんだけどね」

 そのジルの言葉をライラは理解した。魔王を永久に封じ込め魔族がいない真の平和な世界。それが勇者が生まれる村の必要としない世界。それが彼らの願いでもある。自分たちが必要とされない世界の実現のために彼らはこの文化を隠れながら維持しているのだ。

「それにしても父さんも母さんもいないのか。もう朝ごはんの支度が済んだのかな。リュールはどうする?うちでご飯食べてく?」

 リュールは首を横に振る。

「わたしもうちに帰るよ。ジルも早く帰っておばさんたちを安心させてあげなよ」

 そう言ってリュールはさらに螺旋の坂道を上る。リュールの家はまだ高台にあるのだ。ただ、ライラをひと睨みすることは忘れていなかったが。

「ねえ、リュールがなぜ怒っているのかわかった?」

 ジルがライラに問いかける。ライラは

「さあね」

 とだけ答える。どうやらここでの生活に退屈する心配はなさそうだとライラは思った。

「じゃあ、ライラ、ニルファさん。こっちが僕のうちだよ。……引っ越してなければだけれど」

 二人を促して炊事場の近くの小屋に向かう。そこには周囲の小屋と代わり映えしない小さな小屋が佇んでいた。ジルは入り口にかかっている布を片手であげながら小屋の中に入って声をかける。

「父さん、母さん、ただいま。……紹介したい人がいるんだ」

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おうちに帰るまでが“魔王退治”です。 塚内 想 @kurokimasahito

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