44 左党

 名古屋の料亭海閣の離れ狩野の間に、元首相の舘豊と元ミスターMOFの辻仲万里が対坐し、新政№6X‐Type純米大吟醸生酒の一升瓶を立て、自酌で酒を酌み交わしていた。舘豊は政界でも有名な左党(日本酒好きの酒豪)、清酒以外はスコッチしか口にしなかった。世界3大酒は日本酒、スコッチウィスキー、ベルギービールであり、ワインなど毒(亜硝酸塩)入りブドウジュースだとバカにしていた。高級料亭だというのに、つまみはコノワタ、松坂牛の八丁味噌焼き、大根の守口漬け、北浜名湖産のモロコ鍋の4品だけだった。

 辻仲の隣には秘書になったばかりの楢野莉子がプラダの黒いスーツ姿で座っていた。傍らにはMacBookAirと書類を詰め込んだエルメス・バーキン・ニロティカス(クロコダイル革の超高級バッグ)が置かれていた。レイナに送り込んだSHIORIから仕込んだi4の情報、とくに3日と空けずに通ってくるジョーカーの情報を提供して取り入ったのだ。彼女の父、牛午建設グループの牛午虎之助総帥が、辻仲のファンドの大口出資者(100億円以上)であることも後ろ盾になった。風俗店が嫌いでキャバクラにすら行かない辻仲は、宿場宿場の女というわけではないが、地域ごとに秘書を替えており、楢野は国内に8人、海外(EU、ロシア、アメリカ、中国、シンガポール、UAE)に6人いる秘書の1人だった。

 「君の復興公社は実にグッドアイディアだったな。ぐんと復興に弾みがついておる。公社(法的には資産流動化法16条1項により設立された特定目的会社であり、公社は名称にすぎない)なら、自治体からも民間からも復興事業を受託できるし、公共と民間とを問わずPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)で資金を集められる。交付金や補助金の受け皿にもなれる。復興の財政出動を民間に転嫁し、復興国債や復興地方債の発行が最小限度で済む。外資の参加にも配慮できる。さすがミスターMOFの異名は伊達じゃなかったな」

 「現在、復興公社6社(房州、相模、遠州、中京、伊勢、土佐)の事業規模は50兆円、このうち最大の中京復興公社が15兆円、まだまだ道半ばです」

 「そう欲張るものではない。君の百年ファンド(バンリ・センチュリーファンド)は、資金運用額10兆円を超えたそうじゃないか。10%の運用益、10%のマージンとして、利益は1000億円か」

 「10兆円なんて、ビル・ゲイツの個人資産程度じゃないですか。復興で200兆円、遷都で200兆円、合わせて200兆円のファンドを作りたいんです」

 「GS(ゴールデンサクソン金融グループ)に奪われた財投をそっくり取り戻そうというのだね。むろん、GSが黙っちゃいまい」舘には辻仲の真意がわかっているようだった。

 「うちはGSの半分の手数料で引き受けますよ」

 かつての財政投融資資金(郵便貯金、簡易生命保険、国民・厚生年金資金)400兆円の大半がGSの仲介で米国債に転じたことはよく知られている。これでGSは巨額の仲介手数料を得た。この巨大な資金運用利権を契機に、GSは財務省に代わる日本経済の事実上の支配者となり、NTS(ニッポン・トラストステーツ・サービス・トラストバンク)を介して、旧財投資金を承継したゆうちょ銀行、かんぽ生命保険、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)のみならず、日本の政界、財界、金融界の最上位に君臨するオーナー(筆頭株主)になろうとしていた。それゆえ、バブル経済崩壊を第二の敗戦、郵政民営化を第三の敗戦と呼ぶ者もいる。ジョージ・ソロスが1人でイングランド銀行を打ち負かした(1992ポンド危機)のように、辻仲は1人で巨大国際金融資本GSに挑戦し、日本の金融、ひいては日本の経済の独立性を回復しようとしていた。復興公社特定債とは財投債の復活だったのである。これがミスターMOFと呼ばれた男の秘めたる野望だった。彼が委員長だったミニモ(未来日本委員会)の目的も、第三の敗戦からの脱却にあった。だがミニモの中核メンバーだったi4ですら、辻仲の真意を計り切れていなかった。

 「いずれにせよ、復興も万博も遷都も、万事君の思惑通り進んでいる。君を日本のジョージ・ソロスと言う者も出ておるが、いまや高橋是清だってかなわんだろう。もちろん利権は金融だけで終わらんだろう」

 「私はお金さえ増やせばいいというトレーダーじゃありませんが、プログラムに頼らないロングターム重視という点ではソロス氏を尊敬しています。私の最終目的は、日本を再び一等国にすることです。そのためには東京で満足していてはいけません。むしろ東京が日本の慢心の原因になってしまっているんです。国民やメディアは首相の失政や失言をあげつらうのがクセになっていますが、一番タチが悪いのは首相よりも歴代都知事の横暴と怠慢と汚職です。東京は日本を蝕む癌ですよ。最近の都知事はたかだか5、6千万のムダ遣いをとがめられて辞めてばかりですが、彼らが毎年使っていた交際費が5億円をくだらなかったことをご存知ですか。総理だってそれだけの交際費は使えません。全国の知事も都知事のダインサイジングですからね。それこそ時代劇の悪代官様さながらですよ」

 「都庁こそ財務省の宿敵というわけかね。邪魔な都庁を退けるため、遷都を政治力ではなく、経済力でやろうというのだろうが、最終的には政治つまり世論が大事だ。遷都に向けた世論誘導は並大抵じゃないぞ。憲法改正と同様、これまで何度も挫折してきた政治課題だ。大阪都構想もまだまだくすぶっておるしな」

 「今般の名古屋の被災は未曽有の不幸ではありますが、遷都の千載一遇のチャンスです。この機を逃し、手をこまねいているうちに東京直下型地震が起こったら、日本は終わりです。富士山の噴火も不気味だ。大阪都構想は乱にすぎませんでしたが、中京都構想は変になりますよ」

 「君の情熱はわかっておる。復興公社は遷都公社でもあるわけだな」

 「復興公社6社が連携し、中京を中心に、東京と大阪をつなぐメガメトロポリスを構築します。ローカルリニア(在来線のリニア化)、東名阪SSA(スーパースマートアウトバーン、自動運転車専用超高速道路)、超超ブロードバンド通信網、遠州灘海底超電導送電網が要になるでしょう。このような大事業は、自治体単位に分断され、現状復旧が原則の公共土木施設災害復旧事業ではとうていできません。とりわけ中京・関西の被災による東京の焼け太りは許されません。だからこそ復興公社が必要なんです」

 「むしろこれは霞が関の変だな。よく君の案を財務省が飲んだものだ」

 「逆です。財務省の案を僕が飲んだんです。僕なんかは所詮傀儡ですよ」

 「そうでもなかろう。財務省以外はどうだ。i4とかいう連中は君のライバルかね」

 「4人といっても、ほんとうのキレ者は1人です。向こうがどう思っているかはわかりませんが、財務省を人とすれば、他の省庁は犬、こっちがシャトーブリアン(ステーキ)を食べるとすれば、あっちは材料が同じでもビーフジャーキー。ガレキで小金を稼いでいる程度なら無視してもよかったんですが、あまりに増長するので首輪を絞めておきました」

 「言うねえ。つまり、i4の脱税は君のリークだね」

 「そこはご想像に」

 「怖いやつだ。裏切り者は国税庁を使って排除するとな。僕も気をつけないと」

 「滅相もございません」

 「時にね、どうでもいいことかもしれんが、中京万博(中京国際博覧会)組織委員会会長を仰せつかってね」

 「それはおめでとうございます」

 「その初仕事が万博エンブレムなんだよ。メーン会場のコンペはまあ、昼間紹介したトレビノに任せるとしてだね、あれはなんとかならんのかね。君、界王堂に弟がいただろう」

 「どういう意味ですか」

 「日の丸は絶対にいかんのだよ。愛国心を煽るようなデザインは二流国のやることだ。最初の東京五輪(1964)の大きな日の丸はよかった。大阪万博の桜もよかった。当時の日本には愛国心の高揚が必要だったからな。しかしね、バカの1つ覚えみたく、いまだに日の丸だ、桜だ、富士山だではいかん。それこそジコマンだよ」

 「なるほど、言われて見れば、国際イベントのエンブレムを作るたび、国旗にこだわっているのは日本だけですね。沖縄海洋博(1975~1976)も、筑波科学博(1985)も、名古屋地球博(2005)も、エンブレムには日の丸のモチーフをどこかに使っていましたね。大阪花博(1990)だって、日の丸を意識していないとは言えないし」

 「そうなんだよ。そんなことばっかりしているから、日本はいつまでもデザイン一流国になれないんだ。日の丸をアレンジすればいいというのじゃ、旧軍の旭日旗(1870年大日本帝国陸軍旗、1889年同海軍旗。なお、旧軍旗は陸海空自衛隊旗としてもそれぞれ意匠を変えて使われている)となんにも違わないじゃないか。ある意味で日の丸を使ったエンブレムというのは隠れ旭日旗なんだよ。いいかい、僕が日の丸嫌いなわけじゃないよ。むしろ大好きだ。世界一の国旗だと思う。しかし、国際イベントの日の丸エンブレムはもう勘弁だってこと、よおく界王堂に念を押しておいてくれ。介入と言われたってかまいやしない」

 「そうはおっしゃいましても、審査委員が決めることですから」

 「そうじゃないだろう。あらかじめ誰が受賞するかは決まっているんだろう」

 「それはさすがにないと思われますが、国際イベントのエンブレムは世界を意識すべし、日本を意識すべからずは弟に、いや審査委員長に直に伝えておきます」

 「頼んだよ」舘は上機嫌で新政の猪口を煽った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る