37 社長再更迭

 お正月の松も開けぬ6日、太平洋沖を通過した低気圧と、上空に居座ったシベリア寒気団のせいで、温暖な静岡地方には珍しい大雪が降っていた。ただしボタ雪で路上には大して積雪しなかった。 

 「さあ、出てってちょうだい、前社長さん」マックス・マーラのキャメルのガウンコートを羽織った神崎春夏が、勝ち誇ったように楢野莉子をHANASAKAの社長室から追い立てた。

 花崎祐介と麻美からHANASAKAの総株式の66%を取得したマルハナ斎儀社は、ただちに楢野がいる社長室以外の社屋を実力で占拠し、株券の提示なしで株主名簿の書き換えを強行、株主総会を招集して、社長更迭人事と新役員人事を決議した。賛成は議決権の66%を有するマルハナ斎儀社、反対はリメイドの33・4%だった。

 「覚えてなさいよ、必ず帰ってくるからね」

 「ええ、還暦まででもお待ちしますわ」

 雪の中、社長室を追い出された楢野は、セリーヌのドレスの上にモンクレール・ガム・ルージュの白いダウンジャケットをはおり、クリスチャン・ルブタンのパンプスを履いて、東京銀座の東京第一合同法律事務所に向かった。

 「おやおや、今度はリメイドの楢野さんがおいでですか。ようこそいらっしゃいました」中林公明はかつて出迎えた客の中で最高のおしゃれをした美女を慇懃に迎え入れた。

 「先生はマルハナ斎儀社の顧問だとか」

 「単刀直入ですね。私は中立ですよ。相談料はもらったが、もうその件は終わっています」

 「それならうちの相談も受けていただけますか」

 「私は環境人権派ですが、その哲学に触れず、法にも触れない範囲で、ご協力はやぶさかではありません」

 「ずばり、どうすればいいですか」

 「まあ、おかけください。ゆっくりご説明しましょう」中林は自ら楢野を会議室に案内した。

 カフェラテを運んできた比呂茜は、楢野が脱いだジャケットの豪華さに目を丸くした。比呂も持っているありきたりのモンクレールではなかった。トヨタレクサスが買えるほどの価格である。

 「ファックスしていただいた資料には目を通しておきましたよ。マルハナ斎儀社は花崎兄妹から持分66%を取得し、株主名簿を書き換えて、株主総会を開催し、あなたを代表取締役から解任する人事案件を決議した。この手続きに外形的な法令違反はありません。一方、リメイドは、処分場完成を解除条件とした搬入権20万トンを15億円で予約し、その個人保証として花崎祐介ら2人の持分66%相当の株券に対する担保権を取得し、この物上担保には搬入権の債務不履行の場合は、予約金の返還を求めずに、株券の名義を書き換えることができるという停止条件付代物弁済の予約(民法482条、559条で準用する556条1項)を付けている。しかしながら、処分場はまだ工事中であり、故意に工事を遅らせている事情もないので、搬入権の債務不履行によって、株券の名義書き換えを請求することはできない。ただし、搬入権が全量又は全額実現するまで、株券を留置することはできる。つまり、株式の名義と所有者が異なる、いわゆる名義株の状態だ」

 「HANASAKAないしマルハナ斎儀社が15億円を供託の上、搬入権の予約契約の解除と株券の返還を請求した場合、リメイドは対抗することができない。しかし、この場合、マルハナ斎儀社は事実上、30億円で株式を二重取得することになるので、処分場の価値が30億円以上になることが確実でないかぎり、予約契約を解除するために供託をする可能性は小さい。リメイドは搬入予約権を第三者に債権譲渡することができ、HANASAKAは善意の第三者に対抗できない。しかし、紛争中の処分場の権利を15億円で売却することは難しいので、債権譲渡は現実的ではない。留置している株券を名義変更せずに、情を知る第三者に譲渡することは業務上横領(刑法253条)、情を知らない第三者の場合は詐欺(刑法246条)になる」

 「処分場完成後、HANASAKAがリメイドの搬入権を認めなかった場合、15億円の予約金返還を請求できるが、HANASAKAは処分場の拡張計画をもって、搬入権の履行期限の延長を主張できる。拡張計画が架空であることの立証責任は債権者(リメイド)にある」

 「リメイドは、株券を提示しない花崎祐介らの株式譲渡は無効であると主張できるが、株主名簿はすでに、善意(を主張しうる)取得者マルハナ斎儀社に書き替え済のため、同社の承諾なくリメイドに書き換えることはできず、株券の名義書き換えも同様である。リメイドは、株式譲渡無効を根拠として、花崎本祐介らに対するマルハナ斎儀社の株式買収代金返還請求権の債権代位(民法423条1項)により、同人らが受領した持分譲渡代金15億円の返還を請求することができるが、同人らは行方不明であり、同人らが持っている15億円の現金も所在不明であり、差し押さえもできない。せいぜい訴状の公示送達によって同人らに対する債務名義を取得できるのみである」

 「さて、ここまではありふれた処分場の乗っ取り事件だが、ここからが本件は面白い。楢野さんによると、花崎祐介は別人のなりすましであり、花崎祐介本人は津波で死亡している可能性が高いということだ。この場合、父親の花崎一郎と花崎祐介本人は同時死亡の推定(民法32条の2)が働くことになるので、相続人は花崎麻美1人ということになる」

 「偽花崎が相続したHANASAKAの総株式の持分33%は、相続人と被相続人が同時死亡しているとすれば、遡及的に相続無効となるので、この持分のマルハナ斎儀社への譲渡も無効、株主名簿の書き換えも重大な瑕疵があって無効、議決権行使も無効となる。偽花崎が花崎麻美の兄ではないとすると、未成年後見人として行った同意も無効である。花崎麻美の持分相続及び持分譲渡は、本人の意思が否定されない限り有効である。偽花崎が相続した持分33%も花崎麻美が相続することになる。この33%は株主総会の決議には用いられていない」

 「よって株主総会での人事案件の決議は、賛成が花崎麻美からマルハナ斎儀社が取得した持分33%、反対がリメイドの持分33・4%に修正されることになり、動議は否決されたことになる。すなわち花崎祐介が偽者であるとすれば、楢野莉子を代表取締役から解任し、神崎春夏を新代表取締役に選任した株主総会決議は不存在となる。まあ、こういう流れになりますな」

 「先生、すばらしいですわ。ぜひ、その線で弁護を」

 「産廃業者の弁護はできかねます。あくまで相談ということですから、もっとも法的に妥当な筋道を一般論としてお話ししたまでです。しかし弁護が必要とあらば誰か適任者を紹介しましょう」

 「ぜひ、ご紹介をお願いします」楢野は札束5束が入った封筒をテーブルに置いた。

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