7 魂胆

 「花崎祐介、いるか」

 マルハナ斎儀社の仮埋葬場で1か月ほど過ごした12月の始め、社主の秘書だという神崎春夏が、昼休みをとっている柊山を呼びつけた。30代後半、グラマラスな女性で、現場には場違いな白貂のロングコートをはおり、ピンヒールのパンプスを履いていた。

 「ふうん、あんたが花崎。なるほど」

 「なんの用すか」

 「なんの用かもないでしょう。あんたさ、行方不明者の名簿に載ってんのよ。そいでさ、ここへ来る前に東京消防庁の車に乗ったでしょう」厚塗りのファンデーションがひび割れそうな剣幕だった。

 「ああ、乗りましたね」

 「ったくさ、なんで生きてるなら生きてると届け出ねえんだよ」

 「なんでですか」

 「あんたのオヤジが行方不明なんだわ。妹は命だけは助かって入院してるけど、意識が戻らないってよ。あんたが生きてるってことになると、ぜんぜんいろいろ違ってくるだろう」

 「何が」

 「バカなの? オヤジが死んだなら、相続とか、いろいろ始末することがあるし、妹さんだってあんたがいるといないとじゃ違うだろう。あんた、静大生なんだろう。なんで静岡に戻らないで、こんなとこでご遺体なんか洗ってんだよ。ボランティアのつもりかよ、それとも社会勉強か。人生舐めんなよ」

 「でもねえすけど」

 「今日で首だからね。明日、市役所行って、いろいろ申請してきな。何百万か出ると思うよ」

 「そうなんすか」

 「要らないんなら、あたしがもらってやろうか」

 「それでもいいすけど」

 「あんた変わってんね。国立って、みんな変なの」

 「妹の病院は」

 「藤枝中央病院よ」

 「ああ、そうすか。そこなら知ってる」

 「とにかく首だからね。さっさと帰りな。昨日までの給料は夕方には精算するから会社に取りにきな」

 「こっからどう帰ればいいんすか。親方、あれっきり一度も寄り付かねえし」

 「特別だよ。どこがいい。どこでも送ってやるよ。だけどその服は捨てて。臭くってたまんないわ」

 「帰る家がないんだ」

 「静岡にも? ったくもう、まず部屋を借りようか。待ってよ、あたし、何言ってんの」

 「いいとこありますか」

 「不動産屋知ってるから頼んでやるよ」


 神崎は乗りかかった船だからと言って、柊山を知り合いの安全不動産に案内し、部屋を決めるところまで付き合った。マルハナ斎儀社の関係者だからと、敷金・礼金・仲介料を全部免除させ、フリーレントの交渉までしてくれた。さらに部屋がまだ契約前なのにベッドと寝具一式も買い揃えて運ばせてしまった。

 「どう、部屋は気に入った」

 「ああ、でも俺1人だし、ベッド2つはいんないかな。神崎さんが使うんなら」

 「何バカ言ってんの。妹さんが退院したときの分でしょう。病院で死んじゃうかもしんないけど縁起担ぎよ。それにベッドはいくつあったって邪魔になんないわよ」

 「でもさっき、あたしが寝たいくらいだって」

 「それはもののたとえでしょう。あと何すればいい、この際、なんでも言って」

 「腹減りましたね」

 「ごちそうしろっていうのね。言っとくけど、今日の経費は、全部あんたの給料から引くんだからね」

 「面白い店とかないすか」

 「どんな感じ」

 「とりあえずガールズバーとか」

 「そっち系ね。だったら、あたしがヘルプで出てるお店が浜松にあるけど」

 「やっぱそうだと思ってた」

 「なにそれ。オーナーがうちの社主で、お客は坊主か医者よ。よくありがちなパターンでしょう。医者、坊主、葬儀社は同業者だからね」

 「よくわかんないけど」

 「わかってよ、これくらい」

 「神崎さんレベル多いんすか」

 「どういう意味よ。年増が多いのかってこと? だったら浜松じゃイチニの若くてきれいな子がいっぱいいるわよ。ババアはあたしだけよ」

 「じゃ、行きます」

 「あんた、やっと話通じてきたね。いちおう、同伴てことになるよ」

 「浜松は津波でやばいって聞きましたよ」

 「確かに浜名湖の周りとかはひどいけど、そのおかげか街は無事だったのよ。もともとあれ(浜名湖)は津波でできた湖でしょう。錦(名古屋の繁華街)ほどじゃないけど、鍛冶屋町(浜松の繁華街)も結構賑わってるのよ」

 「そうすか、よかったすね」

 「よかったかどうかねえ」

 「誰が考えたって20万人もいっぺんに死んだら葬儀屋はハッピーでしょう」

 「でもないよ。仮埋葬場の棺桶なんてほとんど寄付したみたいなもの。しかもうちの社主、ご遺体の衣服まで洗ってやれって言うし、あれ、契約にはないのよ」

 「監督に聞きました」

 「浜松に来るなら、その服じゃだめね」

 神崎は柊山のためにジャスコに寄り、安物ながらプルオーバーとスラックス、ダウンジャケットまで買い揃えてくれた。まるで母親のような世話の焼きようだった。こんなによくしてくれるのは、何か魂胆がありそうだと疑ったけれども、黙っていた。沈黙は金なりだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る