第18話 咲さん大暴走の巻


 え、えっと…………人違い、ではないよな?


 人生で、初めて女の子から告白された。


 だというのに、今まで非モテ人生を歩んできてしまったが故に、嬉しさよりも、信じられなさ過ぎることによる動揺の方が圧倒的に勝ってしまった。


 沸き立つ頭で、『この子はきっと、他の誰かと勘違いして俺に告白してしまったに違いない!』という線すら睨んでしまったが、三村さんはたしかに二度も、天野先輩と口にした。それ以前に、こうして俺の顔を見てなお迷いなく言葉を放ったということは、やっぱり人違いではなさそうで……ド、ドドドド、ドウシヨウ?


 三村さんが、じいっと、棄てられた子犬のような瞳で見上げてくる。


 そのいたいけな視線は、俺の精神を猛スピードで削りたててくるようだった。


 こういう時って、なんて言えば良いんだ?


 ありがとう、だなんておこがましい気がする。イケメンならば許されるのかもしれないが、地味なことに定評のある俺がその台詞を口にするのはどうにも憚られて……。


 じゃあ、付き合おう……? 


 でも、三村さんがどんな子なのかも全く知らないのに?


 喉が締め付けられたようにすぼまっていき、何か喋ろうとすればするほど、言葉が散らばっていく。自分のあまりの情けなさに打ちひしがれそうになった瞬間、


『は、はあっ!? あ、あなた、なななななな、何を言っているの!?』

 

 ぎょっとして振り向けばそこには、俺よりも動揺しているのではないかと思われるほどに顔を真っ赤にした咲が肩をわなわなと震わせていた。


 人目も憚らずに堂々と告白してくる三村さんも三村さんだけど、まさか、この場面で俺が返事をする前に割って入ってくるバカがこんなにも身近にいようとは!?


『ちょっ……! お前こそ、何言ってんだ!?』

『ハルは黙ってて!!』

『あ、ハイ……』


 逆らったら爆発しそうなあまりの剣幕に気圧されて、すごすごと引き下がってしまった。情けなさすぎて、涙がちょちょぎれそうだ。


 呆けた樹を取り残し、咲は顔を熟れた林檎もびっくりなほどに火照らせてカツカツとローファーを響かせながら、俺と三村さんの方に向かって歩いてきた。


 焦りまくる中、ついに瞳の端を吊り上げまくった咲と、警戒心をむき出しにして咲のことを見上げる三村さんが対峙してしまった。胃がこれ以上になくキリキリと引き絞られる。


 なんなんだよ、この一触即発なヤバすぎる状況は……!?


 三村さんは、訝しそうに咲に視線をやった。


『あ、あなたは……何者ですか?』

『っ。ライヴを観てハルに目をつけたんなら、あたしのことも覚えておきなさいよ! ハルと同じバンドでドラムをやってた平井 咲よ! 観てたんでしょ!?』

『それは、失礼致しました。天野先輩があまりにも格好良くて、他は、全然見えていなかったものですから』

『っ!?』


 心臓に悪いほどに直球ストレートすぎる三村さんの言葉に、流石にむせざるをえなかった。投げる球がいちいち豪速球すぎて、もはや恐れすら感じる。


 でも、咲にとってその言葉は火に油を注いだようなものだったらしい。今や彼女のポニーテルは重力にすら逆らって、逆立ちしそうな勢いだった。


『ハ、ハルは真面目なのっ! あなたみたいな、得体のしれない新参者とほいほい付き合うような尻の軽い男じゃないのっ!』

『それは、天野先輩の決めることですっ。それとも、平井先輩は……天野先輩の、彼女さんなんですか?』


 突如、冷たい水を浴びせかけられたかのように顔を蒼白くした咲は、ハッと我に返った。


 その反応は、言葉以上に、俺と咲がそういう関係ではないことを三村さんに対して如実に語っていた。言われるまでもなくカレカノではないらしいことを察した三村さんの小ぶりな唇の端が、にこりと吊り上がる。


『どうやら、彼女さんではないようですね』


 三村さん、わざとやってるよね!? と、俺まで冷え上がってしまったほどの、渾身の右ストレート!


 しかし、咲はへこたれなかった。挑まれると逆に燃えるタイプな彼女は負けじと俺の腕を絡め取った。って、え……っ!?


『ち、違うけどっ! でもっ、ハルとは中学時代からの親友で、バンドメンバーで……今日だって、二人で一緒にパンケーキ店に行く約束をしていたところよ!』


 突然、咲のすらりと細長い腕が俺の腕に絡みついてきて、爽やかな柑橘系の匂いに鼻をくすぐってきただけでも死ぬほど意味がわからないのに、その上、メテオを落としてくるとは……!?


 はあああああっ!? と叫びだしそうになったところを、咲の白い手でバシッと塞がれて阻止された。


『ねえ、ハル。まさかとは思うけど……突然見ず知らずの子に告白されたからって、あたしとの約束を破ったりしないよね?』

『天野先輩……! 平井先輩の言っていることは、ホントウなんですか?』


 二人に詰め寄られてどんどん息が上がっていく。樹に助けを求めようとして視線を彷徨わせたけれども、奴の姿はもうそこにはなかった。うあーっ、ほんっとライヴ以外の肝心な時には全く使えねーやつ! と、心の中で酷い八つ当たりをしてみても、状況は当然のごとく依然として変わらない。

 

 元はと言えば、これから三人で新歓ライヴの成功を祝す打ち上げに行く予定だったし、咲の言っていることはまっぴらな嘘だ。


 ここで、三村さんの告白から一旦逃れるために、降ってわいたように飛び出てきた咲の法螺ほらに乗るのは、人としていかがなものか。


 でも……かといって、いつになく取り乱している咲をあっさりと斬り捨ててしまうのも、気が退けた。その時の咲が平常な心持ちでなかったことは、どこからどう見ても明白だった。


 咲の腕ってカモシカみたいにすらっとしてるけど実はこんなに柔らかかったのかと激しく心臓を揺り動かされつつ、知恵熱が出てきそうなほどに思い悩む。


 結局、中学時代からの長い付き合いであることと、明らかに様子のおかしい咲が普通に心配になったこともあり、咲に軍配が上がった。


『三村さん、ゴメン。嬉しかったけど、ちょっとびっくりしちゃって、まだ受け止めきれてないっていうか……今すぐには、応えられないや。それに、今日は咲の言う通り、もともとこいつと遊ぶ約束をしてたんだ』


 元々は樹も一緒に三人でファミレスだったけど……と出かかりそうになって、慌てて呑み込んだ。


 三村さんはうるうるとその瞳を潤ませたけれども、その後、うつむいて頰をほんのりと赤く染めた。


『そう、ですか。でも、天野先輩が想像通りの誠実な方だと分かって、むしろ嬉しくもあります。すぐにとは言いませんから、その……時間をかけて、わたしのことを考えてくださったら、とても、幸せです』


✳︎


 あの後、三村さんが俺の心臓にめがけて放った最速級の球に完全停止してしまった俺の腕を咲は無理やり引っ張って、そのまま本当にパンケーキ屋にまで連れ込んだ。


 パンケーキ云々は完全に咲が動揺してたことによる口から出まかせだったのだから、なにも、本当に実行する必要はなかったんじゃ……と言いかけたけど、咲がいつになくしおらしくて、どう見ても落ち込んでいるのがありありと見て取れたから口を噤んだ。


 店に入ってからじいっと咲の言葉を待つこと十五分程度。咲はようやく覚悟を決めて、その重たい沈黙を破った。


「ほ、ホントに、ごめん……あんなに出しゃばっちゃって、あたし、相当ウザかったよね……。あの子が、ハルのことなんも知らないくせに、急にあんなこと言い出すから……すっごくびっくりしちゃって、その……ええっと……本当にごめん……」


 なるほど……?


 咲は、バンド内でも一番恋愛ごとに疎く最も縁遠そうな俺に先を越されそうになっている瞬間を目の当たりにしたことがショックすぎて、あんな暴挙に出てしまったみたいだ。たしかに咲はちょっとキツめな第一印象を与えるかもしれないけど美人だし、こんな地味な男に負けることは咲からしたら相当の屈辱だったのかもしれない。ああ、なんか凄く悲しくなってきたけど、腑に落ちたわ……。


 ずーんと沈みかけたところで、咲が目元を赤く染めながらぽつりと呟いた。


「言い訳ばっかで、ごめん……あたし、さっきからホントに変だね。その……ハルは、あの子と付き合うの?」

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