第17話 恋の爆弾は唐突に


 今、俺は人生で初めて、人気パンケーキ店というやつに足を踏み入れていた。


 というよりも、目の前の咲に半ば強引に、連れ込まれたという方が正しい。


 ピンクを基調としたラブリーな内装が、目に染みる。


 至るところに可愛らしいハートモチーフの机や椅子が設置されていて、これでもかというくらいに女の子のための世界観が作りこまれている。本当に異世界に彷徨いこんでしまったような気すらしてくるのだから末恐ろしい。


 どんなに見渡しても、きらびやかな女子会もしくは良い雰囲気のリア充しか見当たらない。というか、野郎どもだけで、ここまでメルヘンを極めた店に乗り込んでいる集団がいたら、死ぬほど目立って探すまでもなくすぐに分かるだろう。その華やかさ百パーセントな空間は、今の俺をさらに焦らせる毒にしかならなかった。


 さて。

 

 目の前には、どことなく猫っぽい瞳を気まずそうにテーブルに落とし、やるせなく唇を噛んでいる咲がいる。肩をしょんぼりと落とし、いつになく凹んでいる様子だけれども……。


 ちょっと、咲さん……!?

 あんな暴挙に出ておいて、ここにきて急に、黙秘権行使しちゃうんですか!? 

 頼む! お願いだから、とりあえずなんか一言ぐらいは喋ってくれ! 


 と心では騒がしくわめきたてるものの……当の咲本人も、痛いほどに何か喋らなきゃと感じてはいるらしい。開きかけてはすぐに閉じられる唇から充分に伝わってくる。言葉が見つからずにどうにもすることのできない彼女をこれ以上困らせることも、できそうにない。

 

 エ、エエト……ドウシテ、コンナコトになったんだっけ……?


 かの有名な預言者モーセでも予測がつかなかったであろう超弩級の大事件の発生に、俺の頭は全くついていけていなかった。


 心臓も未だにバクバクと荒れ狂っている。


 あまりの衝撃に、無事に三人で新歓ライヴを成功させられたことをバカみたいにはしゃいで喜んでいたつい数時間前のことすらも、全て吹き飛んでしまった。もはや、懐かしくすら思う。


 予定通りなら、今頃は樹も一緒に、高校近くの行きつけのファミレスで盛大にライヴの成功を祝した打ち上げをしているところだったのだけれども……。


 とりあえず。


 どうしてこんなことになってしまったのか、まずは落ち着いて整理しよう。



 無事に新歓ライヴを終えた、放課後。


 俺たち三人は肩を並べながら、これから華々しく打ち上げるぞ! と浮き立つ気持ちで、靴箱に向かっていた。


『そーいえば、田上先生もあたし達のライヴを見ていてくれたよね? 憧れの先生に見てもらえたこと、すっごく嬉しかった』


 咲が、ニコニコと上機嫌で放った一言に、心臓がドキッと跳ねあがった。


 何のことはない。

 言ってしまえば、田上先生とは、成り行きで特別に倫理の授業を教えてもらっているというだけの関係だ。それ以上でも以下でもない。


 それでも俺は、親友と呼ぶにふさわしく、この学校で一番に信頼をおいているこの二人にすら、田上先生とのことを打ち明ける気にだけは全くなれなかった。


 大したことではないと思いながらも、何も知らずにさらりと放たれた咲の言葉に、隠し事をしているような罪悪感をぷすりと刺激されたようで。俺が嫌に心臓を高鳴らせる中、樹は鼻息を荒くし、バカ丸出しではしゃいでいた。


『えっ、マジで!? 小春ちゃん、ドコから見てたの!?』 


 馴れ馴れしく、ちゃん付けで呼んでんじゃねー!! 


 叫び出して、すぐにでも樹を張り倒したい気持ちに駆られたが、飛び出かけた言葉を慌てて飲み込んだ。


 先生との小さな秘密をさらしたところで、俺にそんな風に言える権利はやっぱりこれっぽっちもないのだ。分かっているからこそぐっと堪えたけど、なんだか悔しかった。


 不自然に思われないように早く田上先生から話題を逸らしたかったのだけれども、樹と咲はまるで俺に追い打ちをかけるように、瞳を喜々とさせながら先生の話に花を咲かせた。


『向かい側の校舎の窓から見てくれてたよ! 顔もモデルさんみたいにちっちゃくて、遠目からでもすぐに分かった! ホントに、いつ見ても、お人形さんみたいに可愛いよねえ……』

『うおあああーっ! もっと早く言えよ、バカ咲! そうと分かってたら、もっともっと張り切って、ギターソロも何十倍も格好良く決めてたのに……!』

『ま、樹がどんなに頑張ったところで、無駄骨も良いところだから気づかなくって逆に良かったじゃん。それにしても、美人で可愛い上に性格まで天使だなんて、非の打ちどころがなさすぎるよね……素敵だなぁ』


 あの、毒にまみれた言葉を惜しげもなく撒き散らす先生を、非の打ちどころのない天使とは……!


 必死で吹き出しそうになるのを堪えながら、数週間前までの俺も、こいつらと同じように先生に対してそこはかとない幻想を抱いてたんだよなとセンチメンタルな気分になったりする。


 先生はあの日、俺の抱いていた甘い幻想を、木っ端微塵に叩き割った。


 でも、知らなければよかったなんて思ったことは、一度もない。


 学校でたおやかに微笑んでいる先生よりも、言いたい放題に俺をけなしまくって意地悪く唇を吊り上げ、楽しく生き生きと哲学を語り続ける先生のほうがずっと――


『ハルも、やっぱり……田上先生のこと、気になる?』  


 咲から探るように告げられたその一言がやけにくっきりと耳に突き抜けてきて、思考が完全に停止する。


『へっ……?!』


 喉が上擦って、ヘンな声が出た。


 樹と咲が、きょとんとして俺のことを見やる。


 途端、顔が燃えるように熱くなって、突然の不意打ちに身体からヘンな汗が吹き出し続けた。


 このまま押し黙ってたら、まるで肯定してるみたいだ! しかも、これじゃあ冗談じゃなくて、かなり本気ガチっぽい反応じゃないか! あああ、気持ち悪いと思われる!


 早く、取り繕わなきゃ。

 でも、なんて言おう? 


 頭をぐるぐるさせながら自分のクラスの靴箱の方に逃げ込んだところで、ただでさえHPを削られつつあった俺を更なる爆撃が襲ってきた。


『あ、あのっ!』 


 靴と上履きを取り換えながら、火照り始めた頬をなんとか鎮めようとしていたその瞬間、女の子に呼びかけられたような気がして、咄嗟に振り向いた。


 反対側の靴箱に身をひそめていたらしいその子は、小走りで、俺の下に駆け寄ってきた。


 赤ぶち眼鏡のフレームの奥にのぞく、大きなヘーゼル色の瞳が印象的な子だった。ゆるくウェーブのかかった薄茶色の髪が、肩上あたりでふわふわと揺れている。背丈も小柄で、どことなく小動物っぽかった。


 真新しいピカピカのブレザーに身を包んでいるところを見ると、どうやら新入生の子みたいだけれども……ええと、俺に、何の用だろうか?


 疑問符を浮かべながら首を傾げると、彼女は少し背伸びをしながら、たどたしく言った。


『あ、あのっ……今日、スリーピースのバンドでベースを弾いていた……天野、先輩ですよね?』

『あっ、そうそう! スリースターズでベースを弾いてた、天野です。新歓ライヴ、見に来てくれてたんだね、ありがとう』


 上履きからスニーカーに履き替え終わった樹と咲は、何事だ? という顔をしながら、少し離れたところで俺たちのやり取りをひっそりと見守っていた。


 もしかして、軽音部志望の子だろうか?


 そうだったら、すごく嬉しい。そうじゃないにしても、こんな風にわざわざ話しかけに来てくれたことが嬉しくて、自然と顔がほころんだ。

 

 自分が追い込まれていることも忘れて、のほほんと穏やかな気持ちになり、彼女と同じ視線までかがみこんだ瞬間。


 その爆弾は、あまりにも唐突に放り込まれたのだ。


『天野、先輩……。わ、わたしは、新入生で軽音部志望の、三村みむら かえでです。先輩の今日の演奏、とっても、とっても格好良かったです。 ええと、その、わたし……先輩のこと、好きになっちゃいました』


 は?


 ……………………。


 って、ええええええええええええええええええええええええ!?!?

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