act-tune(幕間)#1

 事件の第一報があったのは午前2時12分。県警本部の通信司令室ではオレンジ色に染まった回転灯が回り始めた。

 110番通報受理台に携帯電話より入電あり。携帯のGPSにより、通報場所はペネローペタウンモール店内だとただちに断定された。通報者は福山ユミコ、41歳。同店と派遣契約を結んだアヤメクリーニングの清掃員だった。店内共用通路の清掃を終え、私服に着替えて退館しようとしたところ、同店付随施設ストレンジャー・ボウル内より、呻き声のようなものが聞こえ、覗いてみたところ男が5、6人倒れていたという。119、要。

 無線指令台はただちに管轄警察署に連絡。本部地域部自動車警ら隊けいらたい164が現場げんじょうへの最短距離にいた。午前2時16分、警ら隊164到着。被疑者不明のため現場の確保にかかる。午前2時18分、機動捜査隊到着。初動捜査が開始された。

 通信司令室の空気は24時間つねに殺気立っている。県内における110番通報受理数は1日およそ3000件。そのなかでもこのケースは、緊急配備や集中運用へと発展する可能性が充分にある。部屋にいる誰もが神経を研ぎ澄まし、次の連絡に備えていた。

 通信司令室の最後方、総合司令台に据えつけられた電話が、そのとき鳴った。



 そのおよそ2時間後、ペネローペタウンモール搬入口に一台の武骨な大型車が停止していた。

 普通の車でないことは、素人目にもあきらかだった。パンク耐性のあるタイヤが6つ付いたランドローバーで、後部座席には窓がなく、前部座席の窓も運転手側しか開かない。車体の素材には鉄鋼、チタン、セラミック、アルミニウムが使用され、重さは約7トン。ドアの厚さ12インチ、防弾窓の厚さ6インチという防御性能は大統領専用車キャデラック・ワンに比しても見劣りしない。護衛車との違いは前部座席と後部座席のあいだが厚さ15・5インチの鉄板で遮られていること。その仕様は護衛車というよりも護送車に近かった。

 完全防音の運転室には、大音量で中尾ミエの『月夜にボサノバ』が流れていた。

 百舌もず誠一はハンドルを両手で抱えるようにして、身体全体でボサノバのリズムに乗っている。歳のころは三十代前半。もみあげから繋がった顎ひげは、きちんと手入れがされていた。ダークグレーのスーツに血の色のネクタイ。濃いイエローのサングラスをかけているため、瞳の色は見えない。百舌は裏声で歌いはじめた。


 星空の下で会いましょう

 あなたとわたしまた今日も


 ずうんという鈍い音が響き、車体が左右に揺れる。百舌はそれに気づいたはずだが、眉ひとつ動かさない。

 スーツの胸元で携帯電話が鳴る。百舌はカーステの音量を下げもしないで、電話に出る。短いやりとりがいくつか繰り返された。

「わかった」

 百舌がつぶやく。電話はふいに切れた。

 百舌はアクセルを踏み、微速でランドローバーを進ませ始めた。

 曲は『月夜にボサノバ』から中川ゆきの『東京スカ娘』に変わっていた。

 日付をまたいで、ペネローペタウンモール周辺に降る雨は勢いを増していた。ワイパーはほとんど役に立たない。

 雨がゆがめた百舌の視界を、黄色いラインが横切っていた。「KEEP OUT」とエンドレスに描かれたポリエチレン製の警察テープだ。百舌はアクセルをゆるめることなく、車体でそのテープを千切って先に進んだ。ただちに紺色の制服に身をつつんだ警察官が2名、駆け寄ってくる。

 のろのろと前に進むランドローバーの窓に、追いすがるようにノックの音が響いた。

 百舌はブレーキを踏む。運転席の窓のむこうに、強ばった顔をした警官が立っている。

 百舌はダッシュボードからマルボロのハードケースを取りだし、タバコを一本取りだしてくわえた。同時に、窓を開ける。

 雨と風の混ざった冬の空気が、運転室の温度を一気に下げる。窓の外から警官が両手を突き出した。

 警官の手にはライターがにぎられている。

 雨と風に邪魔されて、使い捨てらしいライターにはなかなか火が付かない。警官は必死の形相だった。

 七回目の試みで百舌のタバコに火をつけることに成功したとき、警官の顔にあからさまな安堵が浮かんだ。

「おつかれさまです」

 ライターを仕舞うと、2名の警官は揃えて敬礼をした。百舌は鷹揚にうなずく。

「はい、そちらさんも」

「本部長より伺っております。事件の詳細が必要でしょうか」

 警官は風に掻きけされないように、大声を挙げている。

「いえ。ウチの若いのが2人、現場にお邪魔しておりますんで、気遣いは無用です。もう初動捜査は終わりですか」

「はい。機捜は引き上げて、あとはわたしたち所轄の管轄になります」

「そちらさんも引き上げてくださってけっこうですよ」

 百舌はそう云って、タバコを握っていない方の手をひらひらと振って見せる。

「バラシにしましょうや。あとの処理はこっちでやります」

「被害者には重傷者も含まれておりますが……」

「こちらで因果含ませますよ」

「そ、それにストレンジャー・ボウルの従業員が2名、連絡がとれておりません。道明寺アオイ、24歳。三井寺シズカ、24歳。以上、2名です」

「あー、そこも、触れずにおきましょう」

 微笑する代わりに、百舌は口角の端をわずかに吊りあげた。

「若い女の子が2人でしょう? 飲みにでも行ってるんじゃないですか。まぁそっちもこちらで監視をつけますので」

 警官はこわばった表情のまましばらく立ちつくしていた。

 やがて、わざとのように丁重な敬礼をして、踵を返す。百舌は運転席の窓を閉め、雨に濡れたスーツの肩を払った。

 やがて雨のむこうから、銀色の霜柱のようなしぶきを上げながら、若い男がこちらに駆け寄ってきた。百舌と揃いのダークグレーのスーツはびしょ濡れだ。

 助手席側のドアが開き、ひゃーと叫びながら九十九つくもうるうが身体を押し込んできた。運転室に風が渦を巻く。重い音を立てて扉が閉まったとき、九十九は指先から、肩から、顎の先まで雨の雫をシートの上にこぼしていた。

「傘も差さずになにやってんだよ」

 運転席の百舌が眉をひそめる。

「これくらいの大雨になると、なんか濡れたくなっちゃって」

 九十九は、気ィ持ちイイ!と叫びながら、重たいスーツを脱ぐ。ぼさぼさの天然パーマは金色に染まっている。手足はすらりと細く、身体のどこにも贅肉がついていない。

 スーツから跳ねた雫が、百舌の頬を叩く。百舌は無言で、自分の頬を拭った。

「百舌さん、これ、いります?」

 シャツが貼りついた細い腕を、九十九が差しだしてくる。その指先に、雨滴に塗れた缶コーヒーの缶がつままれていた。

「おまえ、また、なにやったの」

「もう笑っちゃいますよ。所轄のおっさんに襟元つかまれちゃって。あとで真っ青になって、缶コーヒー奢ってくれたんで赦しましたけど。身の程知らずってみじめだなぁ」

 九十九は笑いながら、指先の缶コーヒーを振る。

「おっさんから手渡された缶コーヒーってなんか汚くないですか。はい、百舌さんにあげます」

 百舌は九十九から缶コーヒーを受け取り、ため息をつく。

「いずれ行く道、ってな……か弱いおっさんを苛めるような真似をするとね、二十五歳越えて死ぬほど後悔するよ、おまえ」

「二十五歳かぁ。それまで生きてるかなぁ」

 九十九はくすくすと笑っている。こちらを振り向いた。

「で、どうなりました」

「どうって、帰るよ。“戦争”じょうえいかいはなくなった」

 九十九が助手席で両手を振り上げる。やったー、と叫んだその唇は妙に艶めかしく光っている。

「百舌さん、じゃあ半日! 帰る前にせめて半日! 食べ歩きしましょうよ、食べ歩き」

「なに甘いこと云ってんだ。クルマ転がして“棚”ビデオラック直行だよ」

「うっそォ。少しくらい融通きかせてくれたって!」

「きかん、きかん、そんなもんは。どうせおまえの食いたいもんはジャンクだろうが。高速乗る前に「一蘭」にでも寄ってやるよ」

「うそでしょ、その感性!? ここまで来て「一蘭」とか、ディズニーランド行ってチョコレートクランチだけ買って帰ってくるようなもんですよ。いまのトレンドは辛麺でしょ。「辛麺屋 枡元」の25倍。「辛麺 一矢」の大辛。ほかにもあるんですよ。見ますぅ?」

 九十九はダッシュボードから自分のスマホをとりだして、なにやら検索している。運転室に流れる梓みちよ「ボッサノヴァでキス」に合わせて、適当な鼻歌を歌い出した。

「おまえ報告をしなさいよ、先に」

「あー、間違いないです。“あれ”ですよ」

 九十九はスマホに目を落としたまま、そう云った。

「軽く云うね」

「成人した男の胸元を蹴って、14メートル平行にぶっ跳ばしたんですよ。そんなことできるのは“あれ”でしょ」

 スマホの画面に見入ったまま、九十九の唇に酷薄そうな微笑が浮かぶ。

「ぶっ壊れ性能ですよ、“あれ”。力の10%も開放してないんじゃないですか。正直、こいつに詰んでるブートレグで太刀打ちできるかどうか……」

 ふいに、がくんと車体が揺れた。九十九が助手席で笑いながら首をすくめた。

「聞こえたかな。御機嫌ななめみたいですね」

「“あれ”の匂いがするんだろうよ。さっきからずっとこれだ。どっちにしろそろそろエサの時間……」

 百舌の声が、ぴたりと止まった。

 眉を盛大にひそめたまま、百舌は九十九の横顔をじっくりと眺める。

五十子いらこはどうした。一緒に現状確認に行ったんじゃなかったのか」

「そんなの1人でできますって。エサやりは五十子にまかせました」

 なにが面白いのか、九十九はスマホを眺めたまま、肩を震わせて笑っている。

「ブートレグに近づくときは2人でって規定で決まってんだろうが」

 九十九は顔を上げ、百舌と正面から視線を合わせる。少年のような純朴な微笑が、その顔に浮かんでいた。

「あいつ口臭きつくって。帰りの道も一緒って、勘弁してほしいですよ」

 百舌は左手に深く握りしめた缶コーヒーの角で、九十九のこめかみを殴りつけた。

 九十九の顔が九十度曲がり、助手席の窓に血痕が飛び散る。

「カバン屋ナメとったら承知せんぞ、ガキがっ!」

 百舌はうなるような声でそう云うと、九十九の後頭部を左手で握りしめ、そのままその額をダッシュボードに勢いよく2発、叩きつけた。

「あいつを昂奮させて、もしもの事態なんぞ起きたら、てめぇがなんかできんのか三下!」

 九十九は口からだらだらと血を流しながら、それでも笑っている。

「おれの血、めっちゃきたねぇ」

 九十九は肩を笑いで震わせながら、目尻を下げて百舌を見つめる。



 鈍器につかえば充分に人を撲殺できそうな軍用マグライト。

 その明かりが闇の中にするどく伸びて、空から落ちてくる針のような雨を照らし出す。

 百舌は左手に握りしめたマグライトを軽く振る。ランドローバーの最後部を照らすと、鉄塊のような扉がカギもかんぬきも掛けずに開きっぱなしになっている。百舌が立てた舌打ちは、激しい雨の音にすぐにまぎれてしまった。

 分厚い扉は、腰に力を入れないと開かない。スーツがすぐに身体に貼りついた。隙間から入りこんだ雨に濡れた床から、滝のように血の混ざった雨が流れて、バンパーの上で跳ねていた。

 床に転がった五十子の身体は、腰のベルトの少し上あたりで180度ねじられていた。

「あーもう、簡単に人を殺しちまうなぁ、おまえらは」

 百舌はため息をつき、ちょうどこちらを向いた光のない五十子の瞳を見下ろした。

「容易いなぁ。こっちの目論見に簡単にハマってくれて」

 唇の端からまだ血を流しながら、九十九が笑う。百舌は九十九のほうを振り向きもしない。

「おまえはもう、その口ひらくな」

「はいはい」

 百舌は一挙動でバンパーを踏み越えて車内に乗り込む。

 ランドローバーの後部にはなんの荷物も積まれていない。その空虚は、運転席の真後ろ、突き当たりにあるわずか1メートル平方ほどの空間に詰められた、あるものへの防護のためにある。

 そこには拳ほどの太さもある鉄格子が縦横に嵌め込まれた、檻だった。マグライトの明かりの先、檻の向こう側に、薔薇色のスリップを着てしゃがみこんだ、長い髪の女の姿が見える。女は膝のあいだを覗き込むようにしていて、その表情はまったく伺えない。

「なーんで殺したんだ。こいつがなにかしたのか」

 百舌はいいながら、死んだ五十子が片手ににぎりしめている、ダークグレーの買い物カゴを取り上げる。渇いた音を立てて、床に中身が散らばった。黄色いラインの入った、DVDのプラスチックケース。百舌はタイトルをざっと眺める。「アルマゲドン」、「ザ・ロック」、「インデペンデンス・デイ」、「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」――。

「おまえが云ったんだろう。90年代の大作映画がって」

 百舌は檻のむこうの女に声を掛けながら、カゴの中にDVDケースを戻していく。

「それでグズられてもこっちは――」

 その瞬間、百舌の二の腕に鳥肌が立った。

 スーツの内側に手を伸ばしたのは、身についた反射的な反応だった。その証拠に、百舌は顔を上げてすらいない。

 取りだした短刀の鞘を捨て、自分の頭上めがけて振り上げる。

 勢いづいて振り下ろされ、百舌の頭をつかもうとした手が、たしかに百舌の髪に触れた。その感触もたしかなうちに、

 床に置いたマグライトを取り上げて、短刀の刃の部分を確認する。百舌の幻覚でない証拠に、短刀の刃は血で染まっていた。

「おまえの親切心には礼を云う」

 低く濁った声で、百舌が話し始めた。

「女房と娘、親子3人で仲良く、天国の綺麗な景色でも眺めてこいってつもりだったんだろ」

 百舌はサングラスをはずし、檻のむこうを睨みつける。

 その左目は、まるで沸騰したかのように白く濁っていた。

「あいにくとおれはこの世でまだやることがある。ブートレグに殺られるほど生半可な鍛え方はしてない」

「殺させて……」

 女の声が漏れる。語尾が震えていた。

 鉄格子を、血塗れの女の腕が握りしめる。

「あの娘を、殺させて」

「まだ“戦争”じょうえいかいはない」

 百舌は喉の奥でうなると、DVDケースの詰まった買い物カゴを、鉄格子にむけて投げつける。

「映画を好きにしろ、バケモンが」

 云うと、百舌は背中をむけて歩き去る。いちども振り返らなかった。

 やがて鈍い音を立てて、扉が閉まり、ランドローバーの後部に非常灯の微かな明かりがついた。

 ほとんど闇に近いその空間のなかに……

 ぽきり、ぽきり、という微かな音が響く。

 檻に閉じこめられた女が、細い指でDVDをクッキーのように割っていた。そのかけらを、ひとかけらずつ口に運んで、咀嚼する。女は右手から血を流したまま、微笑んだ。

「甘いなァ……」

 血に塗れた女の指が、DVDのかけらをなぞる。

 インデペンデンス・デイ。そのタイトルが血に汚れた。

「ローランド・エメリッヒの映画は甘いなァ……まるでシフォンケーキみたい……舌の上でとろけちゃう……」

 少女のような無邪気な笑い声が、空虚な空間に響く。

 やがてランドローバーのハンドルが切られ、女を積んだ装甲護送車は、闇の中へと消えていった。

 あとにはただ、雨の音だけが残された。


(To be continued)

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